子猫とブランケット



 夏の終わりに南から接近してきた台風は次第に勢力を増し、自分たちが住んでいる地域にやってきた頃にはかなり大型のものになっていた。
「ミク姉たちは出先で足止めくらって、しばらく帰ってこれそうにないってさ」
 レンは電話の受話器を置くと、リビングのイスの上で器用に膝を抱えて座っているリンに淡々と告げる。
「…………ふぅん」
 するとリンはとくにこれといった反応を見せるわけでもなくテーブルの上に置かれていた黒いリモコンに手を伸ばし、今日になってからはずっと台風速報が流れているテレビの音量を、聞きとれないくらいにまで絞った。それでも画面の字幕は、台風はまもなくこの地域に上陸、中心の気圧は、最大風速は──と必要な情報を教えてくれている。
「……? なんかリン、顔色悪くないか?」
「き、気のせいよ」
 そうは言うものの、確実にいつもより青白い色をしている。もともと肌の色が抜けるように白いので、その違いは顕著に現れていた。
 かといって、それを指摘すればあまり人の言うことを(とくに自分の言うことは)聞こうとしないリンは余計に意固地になって、そんなことはないと突っぱねるのだろうけど……。
「あたし、自分の部屋にいるから」
「ん。分かった」
 まあ自分の部屋で大人しくしているのなら問題はないか。身体の不調を感じたら勝手にベッドで休むだろう。
 そう判断して、レンは自分の部屋へと向かうリンの背中を見送った。

 それからしばらくして、窓ガラスを一枚隔てた先にある灰色の雲が唸りを上げたかと思うと、程なくして、空が割れるような音が響きはじめる。
 もしかしたら停電になるかもしれないと伝えるために、レンは懐中電灯を抱えてリンのいる部屋へと向かった。
「リン、入るぞ?」
 二度のノックの後、返事を待たずに扉を開く。するとベッドの上あたりで寝転がっているとばかり思っていたリンの姿はそこにはなく、レンはしばらく部屋を見回してから、ようやく部屋の隅っこにその姿を見つけた。
 まるで叱られた子供のように部屋の隅で膝を抱えて、両耳をヘッドセットの上からさらに押さえている姿を見て、レンはぎょっとした。
「え、何やって…………」
 そして丸くなった背中に声をかけようとした瞬間、部屋の窓から見える空が白く染まり、その数秒後に轟音が響いた。これはかなり近いかもしれない。
「っ…………!!」
 するとリンはその音と光にいっそう肩を縮めて、全身をガタガタと震わせた。きつく閉じた目の縁には今にも溢れんばかりの水が溜まっている。
「……もしかして、台風が怖いとか……」
「ち、違うわよ! そんなことあるわけな……」
 窓の外ではまた、激しい稲光。
「っ──……、きゃああああっ!」
 さっきよりも近くで、雷の落ちる音がした。地面からは微かな振動すら伝わってきて、リンはついに耐え切れずに甲高い声を上げてしまう。
 すると追い打ちをかけるかのように、部屋の明かりが──というよりもおそらく家中の明かりが先ほどの落雷の影響ですべて落ちて、ふたりの視界を深い暗闇が覆った。 
「レ……ン。レン、どこっ……?」
「ここ」
 と言って脇に抱えていた懐中電灯のスイッチを入れると、暗闇の中に一筋の光が浮かび上がり、少し離れた場所から安心したように息を吐く音がした。
 それからリンのいる場所に懐中電灯の明かりを向けると、電気が落ちる前にいた場所からは一歩も動かずに、不安げにこちらをじっと見つめていた。
「やっぱり怖いんじゃん」
「だ、って…………」
 離れた場所から啜り泣くような音が聴こえて、レンは顔に当てていた懐中電灯の明かりを僅かに逸らす。
 いつもはあんなに強気で、何をするにも自分のことをぐいぐい引っ張っていくのに、今では臆病な猫みたいだ。
 たまにはこういう姿を見るのも悪くない、とも思うけど──…。
「……レン?」
 レンは少し考えこんだ後にベッドのある方向へと向かい、その上に畳んで置いてあったものを手に掴むと、それを床にしゃがみ込んでいるリンの上から被せた。
「きゃ、っ……!?」
 そして毛布を頭の上から被せられて混乱しているリンの傍まで寄っていくと、自分もその中に潜り込む。厚手でかなり大きめの毛布は、ふたりで入ってもまだ余裕があるくらいだった。
「こうしてれば少しは怖くないだろ?」
「う……、ん」
 さっきよりも外の音が遮断されていることに気付くと、リンは毛布の中で膝を抱えて、それでもまだ僅かに聴こえてくる雷や激しい風の音に、小さく肩を震わせていた。
「テレビじゃ夕方くらいには暴風域を抜けるって言ってたから、あと少しの辛抱だよ」
「ん……。それはいいんだけど」
「うん?」
 レンが首を傾げると、リンは少しぐったりとしたような声を漏らす。
「…………熱い」
「たしかに」
 それでも台風が過ぎ去るまでは外に出る気にはなれず、ふたりは何を話すわけでもなくただ肩を寄せ合った。互いの体温や息づかいがいつもよりずっと近くに感じられる。鼓動がやけに速い。身体が熱い。
 ……っていうかこれ、酸欠だ。


「ただいまー。ってあれ、まだ誰も帰ってない?」
 それからどのくらいの時間が経ったのか、ひと足早く帰宅したカイトが呑気な声を出しながら部屋の中に入ってくると、レンは自分とリンの頭の上から毛布をどかした。
「カイト……、兄」
「え? カイト、お兄ちゃ……、はぁっ……」
 毛布の中に長時間こもっていたせいで身体中が汗で濡れ、頬は赤く上気して、唇からは絶えず熱い息が漏れている。
 そんなふたりの姿を見るなりなぜかカイトまで顔を赤く染めて、すぐに慌てて視線を逸らした。
「ご、ごめん! 何か兄さんおジャマだったみた……」
「おいコラ。変な想像してんじゃねーぞ変態マフラー野郎」
 レンはすぐにその意図に気付くと、自分とリンに対して下世話な想像、いや妄想をされたことが心外で、罵声を浴びせた。

「あー……本気で死ぬかと思った」
「……あたしも」
 そのあと毛布の中から抜け出したふたりはベッドの上に腰を降ろすと、カイトが持ってきた団扇でお互いを煽いでいた。
 窓の外は強い風こそ吹いているもののそこに先ほどまでの激しさはなく、あれほど荒れていた空も今ではすっかり静まりかえって、嵐の後といった様相を呈している。
「……なんか今日のレン、かっこよかった」
「ふーん…………」
「な、何よ。その反応……」
 せっかく恥ずかしいのを我慢して言ったのに、とリンはすっかり拗ねてしまったが、それでも煽ぐ手を止めることはなかった。
 ……照れて反応に困ってただけなんだけど、とレンは言い訳するタイミングを逃してしまったことに、しばらくしてから気付く。
 それからふと、怯えた猫みたいに震えていた小さな肩を思い出す。

 たまにはああいうのも悪くないけど。やっぱりいつものリンが一番かな、と声には出さずに呟いた。


 あんな可愛い姿は自分だけが知っていればいい。
 そんなことを考えて、やっぱりまだ頭が茹だっているな、とレンは何度も頭を振った。



           End.








 台風で家のネコが怯えながら擦り寄ってくるのがマジで可愛い、という話を聞いて瞬時にリンちゃんに変換してしまったわけです。

 普段は強気なのに台風に怯えてるリンちゃんとか! 可愛いんじゃないかな! とか。
 それを必死に守ろうとするレン君とか! 可愛さが何倍にも跳ね上がるんじゃないかな! とか。
 それだけで一本書いてしまった自分の妄想力がちょっと気持ち悪いです。


ライセンス

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子猫とブランケット(レンリン)

梅雨でジメジメしがちなので甘めの感じの話を。

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投稿日:2011/06/07 23:08:45

文字数:3,151文字

カテゴリ:小説

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