最優秀作品《その青は魅せる》
彼が描いた最後の作品だった。暗い森、見守るような月、吸い込むような湖、そして幾重にも重なった蝶からなる一輪の青いバラ。明るい色調の絵画が多く出展された中、その絵は際立って人を惹きつけていたらしい。
あの絵を書き上げて以来、彼は今まで一度も筆を手にすることはなかった…
彼はダイニングの壁に掛けられたその絵を見ながら思い出に身を委ねていた。--いや、もしかするとその絵のもっと向こう側を見ていたのかもしれないのだが
この絵を見た人間のお決まりのありきたりな感想なんかは覚えてもいない。そんなことに記憶力とやらを発揮させるのならもっとマシなものを覚えることに使うだろう。
そう、例えば名前は忘れたが学生時代に僕らとよく行動を共にしていたあの女の子のこととか。
『ねぇ、この絵のタイトルって何?まさかそのまんま《神の祝福》とかじゃないよね?』
それが彼女の絵を見た後の第一声だった。
いろいろな衝撃はあったが彼女の問いに答えるべく無言のままその絵の少し下を指差した。
--何がそのまんまなのだろうか…?
考えたところで理由がわかるわけもなく彼は考えるのをやめた。
彼女は少し一般的とは呼びがたい知識を蓄えた人間だった。ならば平凡な知識しか持たない自分では理由に至る訳がないと彼は結論付けたのだ。単に考えることに飽きたとも言うのだが。
『この青は何の青だろうね?』
また彼女が呟いた。彼女の目に映っていたのはもう目の前の絵ではなかった。もっと遠い、もしかしたらここにあるものではない何かを見つめていたのかもしれない。
残念ながら彼女について覚えていることはそれほど多くない。出会いなんかも忘れてしまった。
--彼の記憶力とやらはどこへ行ったのか…?
ただ彼女は少し変わっていた。いや、周りより大人びていた、彼女独自の考え方の芯がしっかりしていたと言うべきか。何というか無邪気な子どもに驚くほどの知識と客観的な視点をもつ人間だった。少々矛盾しているような気がしないでもないがそういう人間だっ たとしか言いようがなかったのだ。
なぜ今頃になって彼女を思い出したのだろう。ふと疑問に思い意識を浮上させた。彼女とはもう何年も会っていない。そう、それこそあの絵を描き上げた少し後からずっと。
何に対してもあまり執着しない彼にしては珍しく考えこんだ。そして出した結論は「とりあえず仕事を片付けてから考えよう」だった。
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