「廻子お姉ちゃん。忙しいんだね」
廻子の出て行った扉を、淋しそうに、見やりながら、鈴が呟いた。
「だから、楽歩も、一人で、歌を作らないといけないのかぁ……つ……ねぇ。他には、何をしているの?」
鈴が、慌てたように、言い直した。きっと、“つまらないねぇ”と言いそうになったのだろう。蓮は、ちらりと、楽歩をみたが、特に、気にしていないようだ。
「あとは、鍛錬と」
「鍛錬って、その刀の?」
蓮は、一目見たときから、気になっていた、腰の刀を指差した。楽歩は、室内、いや、自分の居室で、椅子に腰掛けているというのに、腰に、刀を差したままの状態なのだ。
「そうだ。しかし、これは、お前の剣(つるぎ)のような武器ではない」
「刀なのに、武器じゃない!?」
腰の刀をとって、事も無げに言った、楽歩の言葉に、蓮は、声を張り上げた。武器じゃない刀なんて、蓮には、とても、理解できない。
「ああ。これは、楽器だ。楽刀『美振(みぶり)』だ」
「楽器!?」
「へ~♪ すご~い! そんな楽器、始めてみた! 見せて! 見せて!」
思ってもみない言葉に、蓮は、驚愕し、鈴は、楽しそうに、そう言った。
「構わぬ。とくと見るが良い」
楽歩は、そう言って、鈴に、刀を渡した。楽歩には、軽々持てる刀も、鈴には、大きい。身の丈と同じ長さほどではないとはいえ、肩ほどまではある。蓮は、鈴が、体勢を崩さないように、端っこを持って、支えてやった。黒い鞘には、美振と名が記されていて、思ったよりも、ずっと、軽かった。
蓮が、持ってくれているのを見て、鈴は、そっと、刀を抜き出した。その刀身は、確かに、普通の刃物のそれではなく、刀身いっぱいに色取り取りの光が走っていた。
「ありがとう。ねぇ、これ、どうやって、使うの?」
刀を鞘に収めて、鈴は、楽歩に、美振を返しながら、そう聴いた。
「この刀の文様が、発する音を、このように」
そう言って、楽歩が、鈴に、刀を振りかざし――
「鈴!!」
キーンと音がして、刀が宙に撥ねた。
そして、壁に、蓮の剣が当たって、カタリと落ちた。
「れ、蓮!?」
間髪入れずに、蓮に抱き寄せられた鈴が、驚いた顔で、蓮と、その後ろの楽歩を見上げた。
「良い動きをするな。戦闘的な勘が良い。このまま、鍛錬すれば、世界で一番強くなれるだろう」
宙から落ちてきた刀を、自分で投げたように、難なく、受け止めて、楽歩は、そう言った。
「私にも、世界一の武士(もののふ)となろうとした過去があった。しかし、世界一孤独になって、自分が音楽を好きであったことすらも、忘れてしまった。そんなときに、ある女が現れた。そして、私の刀に、手を触れた。すると、その手が、切れるどころか、この刀が燃え上がったのだ。それも、刀身だけがな。赤い炎の中で、刀は、震えた。刹那、美しい音が響いて、私は、無性に、歌いたくなった。ひとしきり、歌ったとき、もう、炎はなく、刀は、生まれ変わっていた。この美振にな。美振は、刀の文様が発する音を、相手に振り下ろすことによって、その者の拍子を刺激し、感化したり、ともに、音楽を楽しめるようにする、楽器、楽刀だ」
過去の日々が映っているかのように、美振を眺めながら、楽歩はそう言った。それから、一度、振るってみせた。扇でも、振るうような、優雅な動きだった。
「よって、何かを傷つけることはない。だが、剣を使うものの前で、刺激させる形のものを振りかざすべきではなかったな。鈴は、美振を使わなくても、十分に、音楽と精通しているのだから」
美振を腰に収めて、楽歩は、申し訳なさそうにそう言った。
「悪い。つい、条件反射で、身体が動いていた」
そう言って、蓮は、小さく、頭を下げた。
「身の動きとは、そういうものだ。悪いものではない。危険にあう確率があり、守りたいものがいる、お前にとっては、必要なものだ。だが、振り回されるな」
そう言いながら、楽歩は、床に落ちた剣をとって、蓮に渡した。
「ありがとう。気をつける」
蓮が、小さく、微笑んだ。楽歩も、微笑み返す。凍り付いていた空気が、春が来て、綻ぶように、ゆっくりと、柔らかくなっていった。
「はい! はい! 鈴! 作りました!!」
もうすぐ、花も咲きそうな、そのとき、花よりも、鮮やかな声が、響き渡り、鈴は、元気良く、手を上げた。
「お題、仲直り。歌います」
ほんの少しのことで
傷ついた心と
凍り付いた空気
でも 搾り出す勇気
さっきより 空気 優しい
絆抱く心 微笑みが咲いた
鈴は、歌いながら、やおら、くるくると、舞い出した。風の乙女である彼女は、いつも、歌いながら、舞っていたのだろう。鈴が、リン、リンと、嬉しそうに、鳴り響く。 そして、鈴が歌うごとに、鈴を、この空気を、祝福するように、色取り取りの花が咲き乱れて、まるで、鈴と舞っているようだった。
「ふむ。歌も舞も、とても、良かった。お前の舞は、まさに、風のように、自然で、気まぐれだな。私も、少し、変えて舞おう」
満足そうに、そう言った楽歩に、蓮は下を向いた。楽歩は、舞がうまいのだろう。身振り動作を見ていれば、わかる。しかも、かなりの通だ。
「本当!? 楽しみ♪ あ、でも、蓮は、私と一緒、というか、反対でもいいよ」
「いや、俺も、少し、変えて舞う」
そして、三人は、鈴が今しがた歌った歌を、歌い、舞い始めた。案の定、楽歩の舞は、優雅で、それでいて、男らしい。だから、蓮は、かわりに、歌いながら、ひらりと宙返りをした。
鈴と楽歩が、舞いながらも、驚いた顔をして、蓮は、気持ちよく、花に囲まれて、歌った。そして、ふいに、楽歩が、ぐっと、低く歌った。蓮と鈴が高い分、楽歩の低い声が合わさって、絆を抱いているような、落ち着きを感じられるようになった。
「楽歩。その下げ方、凄く、かっこいい!」
「ありがとう。お前の旋律も、歌詞も、心がこもっていて良い」
微笑み合う二人を蓮は眺めた。何となく、素直に、褒める気がしなかった。
「でも、蓮。びっくりした。あそこで、宙返りするとは思わなかった。良く、歌えたね」
「ああ。宙返りは、結構、得意だし」
「うむ。とても、無駄のない、小さな動きだった」
楽歩が感心したように、そう言った。蓮は、思わず、楽歩を見上げる。見上げるうちに、それは、睨むようなものになったが、何も言わずに、そっぽを向いた。
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