『卑怯な私と青い空』




静かだな…。
そう思いながら、レコーディングの済んだミクは一人、自室の天井を見上げる。妙に静かで、そして暗かった。当たり前か、電気をつけていないのだから。それでも真っ暗にはならず、カーテンの隙間から日差しが差し込んでいて、まだ外が暗くなっていないことを教えてくれた。
ミクが見上げる天井には蓋らしきものがあり、それを取り外し梯子を降ろせば屋根裏部屋へ行ける。屋根裏部屋にいけるのはミクの部屋からだけで、リンとレン――特にリンだが――に狡いだの何だの言われたことが記憶に新しい。
だが、ミクは屋根裏部屋に用があるわけではない。用があるのは更に上、屋根だ。
ミクは椅子を台にして蓋を開け、はしごを降ろして1段1段登っていく。はしごは古く、足を掛けるたびにギッギッと音をたてて軋んだ。壊れないか心配だが、残念なことにはしごはこれしかない。
屋根裏部屋にひょこっと頭だけを出す。誰も滅多にこの部屋には来ない、ましてや掃除などしない。そのせいか、部屋中が埃まみれだ。ミクはコホコホと咳き込む。これで喉を痛めてしまったらどうしてくれるのだろう。そんなことが起きればボーカロイドにとって致命的だ。
屋根裏部屋は電気をつけない自室よりさらに暗く、物が散乱していた。歩きにくいことこの上ない。物を掻き分けながら奥へ進んだ。
部屋の最奥には窓がある。本来ならばここから日光が入り、この暗さも幾分マシになるのだろうが、窓の前は物でうめつくされていて、もはやその意味を成していない。
けれど、この窓は有ってくれないと困る。屋根の上に行くには、窓から身体を出し、窓枠に足を掛けてよじ登るのが最短なのだから。
ところが、屋根というものは上に登るためにあるわけではなく、また、窓枠というものは足を掛けるためにあるわけではなく、唯一にして最短のこのルートもひどく危険である。
1度足を滑らせたこともあったなと、ミクは思い出す。落下のショックで実体化が解け、再度実体化した時にはこっぴどく怒られた。主に、マスターとメイコに。心配ゆえの叱責だと解っていたから、何も言えなかったけれど。
そんなことを考えながら屋根に着くと、人影が見えた。人影に向かって声をかける。
「やっぱり、ここにいた」
16歳くらいに見える少年。ミクと同じ翡翠の髪。しかし、その長さは短く、肩に届くか届かないかといったところである。服装はスカートでないことを除けばミクとほぼ同一のもの。グレーのシャツに緑のネクタイ。腕には黒のアームウォーマー。はいているのはスカートではなく黒のズボン。
その少年は片膝だけをたて、屋根の上に座っている。少年はミクに気付くと、よぉ、と手をあげた。ミクは、少年の名を呼ぶ。
「…クオ」
ミクはクオと呼んだが少年の本当の名は『ミクオ』という。ミクオ、『初音ミク』の亜種である。




「珍しいな、お前がここに来るなんて」
そのミクオの言葉にミクはうん、とだけ短く返し隣に座る。
最後にここに来たのはいつだっただろうか。もう随分と昔のことのような気がする。と言っても自分が生まれてからようやく2年が経ったところで、昔と表現しても2年以内だ。
「また、悩みごとか?…ここに来るときはそうだろ」
「ちょっとだけ…」
ミクは曖昧な返事で誤魔化し、はっきりとした自分の悩みを言わない。本当は、聞いてほしい。聞いて欲しくてここへ来た。
誰かに聞いてもらわないと、押し潰されてしまいそうで。けれど、話してもミクオが返答に困るであろうことは容易に想像がついていた。
ミクオは他人(ヒト)の詮索をしない。ミクがこのまま話さなければ、ミクオから聞いてくることはないだろう。話をするのは、やめておこうか。…でも、やはり、聞きたい。確かめたいのだ。
ミクは意を決し口を開く。
「ねぇ、クオ。私は、必要な人?」
数秒の、間。
「……は?」ミクオはうろんげに聞き返す。
その反応にミクはそりゃそうだよね、と何故か妙に納得してしまった。考えてみれば、こんな自分でも不可解だと思う質問に、スラスラと答えられたなら、逆に怖い。
ミクオはカリカリと頭をかく。きっと未だ脳内を整理できていないのだろう。今までは、悩みといっても歌が上手く唄えないだとか、誰かと喧嘩しただとか、そんなことを相談していたミクである。しかし、今回のものは違う。
「わかんねぇよ」
ミクオの中で出た答え。
ミクはその答えに別に不満はなかった。いきなり訳の解らない質問をしたのだ。普通といえる言葉だろう。
「そっか…」
でも、望んだ答えは――別のもの。




しばらく、無言が続いた。ミクは膝をかかえて座る。さらさらと流れる風がミクの髪を撫でた。聞きたいことは一応聞けたのだから、これ以上ここにいる必要もないといえばないのだが、何となくミクはそこから離れられないでいた。
ミクオはというと、頬に手をあて考えごとをしているかのようにうーん、と唸る。その後に口を開いた。
「…歌が唄えるんだし、必要とされてるんじゃねぇの? 俺は唄えねぇけどお前は違うだろ」
ミクはハッ、と弾かれたように顔を上げる。音を聞いた気がした。何かがカシャンと割れるような。砕けるような。壊れたような。
後悔に、苛まれる。相談するべきではなかった。こんなことを言わせることになるなんて。
ミクは悄気たように俯き、長いツインテールの髪が顔にかかる。
「…ごめん、なさい」
「何で謝るんだよ」
ミクオは唄えない。声を持たない、亜種なのだ。唄えないことを本人が気にしていたのも知っていた。
しかし皮肉にも、時間が戻るなどということは有り得ないのである。




ミクは俯いたまま、先のミクオの言葉を思い出す。歌を唄えるから必要。確かにそうだ。
けれど、自分以外にも『初音ミク』は沢山いる。マスターは自分を必要としてくれているかもしれないが、自分がいなくなったところで、売り出されていない『初音ミク』もいやというほど、それこそ山になるほどいるのだ。新しい『初音ミク』を買えばすむ。そんなことを考えていると、不安でしかたなくなる。
数十分前のレコーディングの時、マスターは言った。「やっぱりミクは調教しやすいな」と。
褒め言葉だろう、きっと。でもその言葉は『私』に対してか、それとも、『初音ミク』に対してか。
わからない。私は必要とされるのだろうか。
怖くなった。確かめたかった。必要だと、誰かに言ってもらって。どうして、ミクオに言ってしまったのだろう。
「歌が唄えるからじゃダメなのか?」
ミクオにしてみれば、唄えるだけで十分だと思うのだろう。自分の声を持たない亜種は、どう足掻いても歌うことはできない。その点、ミクはミクオに無いものを持っている。歌声を。

――彼ハ私ヨリモ必要トサレナイ。
声が、響く。私ではないけれど、私の声。

嗚呼、だから私はミクオに話したのか。歌声を持たないミクオを見下して。亜種よりは必要とされると驕って。
君は必要だと、そう言われたかったのなら、カイトやメイコやマスターや、他の人に話してもよかったのだ。皆優しいから、きっと言ってくれたはずだ。
汚い。汚い。醜い。醜い。
嫌いだ。こんな、自分。
ミクは目を潤すものが零れ落ちないように、空を見上げる。ミクの気持ちとは真逆に、空は晴れ渡っていた。雲ひとつない、快晴。日が沈むまでには、まだ時間がありそうだ。赤の色素は一つもない、真っ青。
空はなぜこんなにも青く、綺麗なのだろう。私のココロはこんなにも汚いのに。




「…じゃあ、アレだ」
ミクは視線を空からミクオへ戻す。アレとは何だろう。それよりも、クオは怒っていないのだろうか。無神経で汚い私を。
「ミク。お前、ネギ好きだろ?」
勿論だ。ネギは他のどの野菜よりも、いや、野菜なんて狭いカテゴリーではなく、他のどの食べ物より美味しいと思う。三食ネギでもかまわない。
でも、今までの話とネギに何の関係があるというのだろう。ネギは好きだが、今はネギさえどうだっていい。
「ネギのためにここにいればいいだろ」
そのミクオの言葉に、ミクは目を丸くする。何を言いたいのだろう。
ミクオは上手く思っていることを伝えるために、言葉を探しているようだった。
「必要とされるとか、されないとか。考えたらキリねぇし。ただお前はネギを食べたいからここにいて。それで、いいんじゃねぇの?」
上手く言えねぇけど、と付け足して、ミクオは空を見上げた。ミクもつられて空へと視線を移す。
「…そんなので、いいのかな?ここにいる理由が」
「なら、ちゃんとした理由が見つかるまでの繋ぎだ」
本当に、いいのだろうか。私はボーカロイドだ。唄うために造られた。そのボーカロイドのここにいる理由が『ネギ』だなんて。
…可笑しく思えてくる。ネギではなく、歌だとか、マスターが存在理由だと言えればよかったのだが。でも。
ミクはフフッと笑った。
難しく考えるより、ネギのために生きるほうが楽しそうだ。
「ありがとう、クオ。少しだけ、軽くなった」
「少しかよ」
折角相談にのったのにと、ミクオは不満そうな顔をする。
「それから…ごめんなさい」
卑怯で、ごめんなさい。見下して。おごって。そのミクの声はとても小さかった。
ミクオはやはり聞こえなかったようで、え? と聞き返した。ミクはううん、と頭をふる。
「ねぇ…」
声をかけるミク。しかし、別の元気な声がそのミクの声をかき消す。
「ミク姉ー!」
ミクが下を見ると、庭からリンが見上げて、肩が千切れるんじゃないかと思うくらいにブンブンと手を振った。そしてリンは不思議そうな顔をしてミクに問う。
「そんなところで一人で何してるの?」
ミクの中で、リンの言葉が谺する。

ソンナトコロデヒトリデナニシテルノ?
ヒトリデナニシテルノ?
――「ヒトリデ」

隣に目をやる。そこにミクオの姿はない。
違う。もともと居なかったのだ。だとすれば、今まで自分が話していたのは何だと言えばいいのだろう。
ミクは一瞬困惑する。そして、思い出した。

ああ、そうか――…。

リンは太陽のような満面笑顔で話す。リンちゃんはきっと「綺麗」だから、この空に相応しい表情ができるんだ、とミクは思った。
「あのね、レンに教えてもらってブリオッシュ作ったの。がく兄とルカ姉もレコーディング終わったみたいで誘ったんだけど…ミク姉も食べない?」
ミクは笑顔を作り、応える。そういえば、自分が笑顔を崩せるのはミクオだけだった。それだけ、気を許していた。他のボーカロイドたちに気を許していないわけではないが、自らの亜種でありミクオは、ミクの中で、何処か特別だった。
「ありがとう、リンちゃん。すぐ降りるね」
「うんっ!待ってるね!」
リンが家の中に入ったのを見届けると、ミクは誰もいない屋根に向かって声をかける。
「バイバイ、ありがとう。クオ」
涙は出ない。彼はもういない。
では、何と話していたのだろう。『会話』ができたのだから、『ミクオ』は初音ミクの亜種といえど『ミク』ではない。会話というものは、一人や一つの人格では成り立たない。
ならば、先のミクオは。記憶か。幻か。或いは――…

「虚像だ」

声が聞こえた。気が、した。聞こえるはずもない。そこにはいないのだから。
ミクは屋根をあとにする。屋根にはもう誰もいない。ここにはもう誰も来ない。
「虚像でも、確かにここにいたんだよ」
誰へと向けた、言葉だろうか。
それは誰にも届くことはなく、ただの空気の震えとして宙に消えた。




ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

卑怯な私と青い空【亜種注意】

5000字しか投稿できないのですが…5000字ジャストって・笑

こんばんは!ミプレルです。
い、意味不明だと言われるのは重々承知です…。いつか、クオとミクの昔の話も書きたいです。いつになることやら←

リンのブリオッシュ云々は言わずもがなかの神曲より。2人はボーカロイドですが、きっとレンは器用だと思います。リンに色々してあげるんだろうな…!

それでは、読んで頂いてありがとうございました!感想、アドバイス、誤字脱字の指摘等、お待ちしております。

12月13日改稿
1月31日更に改稿&改題
すみませんすみません誤字みつけると直したくなるんです…orz

閲覧数:405

投稿日:2010/01/30 23:58:58

文字数:4,740文字

カテゴリ:小説

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    Ж周Ж様

    こんばんは、ミプレルです。早速のコメントありがとうございますー!

    素敵だなんてとんでもない…後味の悪い小説になってしまって申し訳ないです。読んで下さってありがとうございました!

    いえいえっ!私も毎回悪戦苦闘です。心理描写は本当に難しいですよね。尊敬する方の小説を読みながら少しでも成長できればなと…!高すぎる理想も持つだけなら自由ですよね…!!

    だ、大丈夫ですか…?は、ハンカチどうぞ…!!クオはこの話では既に亡き人ですが、私自身クオが大好きなのでまた別小説で出てくると思います。…多分(ぇ

    ではでは、本当にありがとうございました!またよければ読んでやってくださいませ!

    2009/12/07 19:48:49

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