『一時はね、お昼ご飯を食べ終えて、診察も終わって、ほっと一息つける時間なの。一人にしてって言ってあるから、誰も入ってこないわ』
少し前、リンは笑顔でそう語っていた。
だが、今目の前に広がっているのは──
「リンお嬢様、大丈夫ですか!?」
「早く、早くお医者様を……!」
苦しそうに胸を押さえるリンと、その周りにいる数人の使用人たち。
突然の光景に頭が真っ白になる。思い出すのは今までの対象者。苦しい、痛い、助けて──時には泣きながら、時には怒鳴りながら言っていた。死神は産まれた時は感情がなく、生活をしながら身に付けていく。その光景から連想されたのは、もう見たくないと、見るのは苦しいと、仕事をしながら身に付いた感情──『辛い』。
今度こそ、次こそ、楽に、苦しませずに……何度思っただろうか。
「……大丈夫、だいぶ治まったわ」
その声で思考が中断された。リンの顔を見ると、なるほど確かにさっきよりは落ち着いているようだ。
「少し疲れたから寝るわ……お医者様は呼ばなくていいから、一人にして」
その言葉に戸惑いながらも、「何かありましたらすぐ呼んでください」と言い残し、使用人は部屋を出て行った。
「ごめんなさい、待たせて」
リンは弱々しく微笑む。
「いや……それより、大丈夫?」
リンの元に近寄る。出会った頃より、体が細く、肌は青白くなっている。市場に買い物に行けたのが奇跡だったのだと思えるぐらいに。
「だいぶ辛そうだった、ね」
リンも今までの人間と同じように、泣きながら死にたいと懇願するのだろうか。出会った時と違って、切羽詰まった表情で、縋るかのように腕を掴みながら。そんなリンは、見たくないと思った。
「大丈夫よ」
リンはそんな考えを見透かしているようにクスっと薄く笑いながら、「心配なんかしないで」と言った。
「思い出したくないんだから……」
弱々しく呟かれたその言葉に、また胸を掴まれた感覚がした。
最期の時を、何の未練もなく安らかに迎えてもらう。仕事ではないが、それも死神の役目であると思う。
「……リン。何か言いたいことがあれば、言っていいよ」
リンの手を優しく握る。
「友達だから、さ」
友達という言葉の使い方がわからなかったが、どうやら間違ってないらしい。リンは少し目を見開いてから嬉しそうに「ありがとう」と答えた。
「でも、そんなたいした話じゃないの。伯爵の娘だからって理由で、私の意見なんか聞きもしないで、勉強とピアノとバイオリンばっかりやらされた。……昔から両親は私自身に関心はなかった。遊んでもらった記憶も褒めてもらった記憶もないし、私に向かって笑ったことなんて多分一度もないわ」
だからね、とリンは遠くを見ながら語り続ける。
「大丈夫? なんて言葉、嘘にしか聞こえないの。どうせ心配してるのは私自身じゃなくて、自分の家系がどうなってしまうのかでしょう。……大丈夫と聞かれるたび、両親のことを思い出す。私の嫌いな人達を」
「……」
「心配されるたび、それが形だけなんじゃないかって。私自身のことを心配してないくせにって。だから、心配されるの、嫌い」
「リンが苦しんでるのを見てると辛い」
ピクリと微かにリンの手が動いた。
「今まで人とは必要最低限しか関わらなかったから、正直、他人を『心配する』っていうのはよくわからない。……でも、リンには苦しんでほしくないし、市場に行った時みたいにずっと笑顔でいてほしい。……そう思われるのも嫌?」
リンは暫く無言でいたが、何度か瞬きしたあと、はらりと涙を零した。
「え、……ごめん、何か気に障ること言った?」
「違うの。人はね、時には嬉しくても泣くものなのよ。……嫌なわけないわ。レン、ありがとう」
──『ありがとうって言われたら、どういたしましてって言うのよ』
少し前、リンに言われた言葉が頭をよぎる。
「どういたしまして」
リンは涙目ながらも微笑んだ。
その後、取り留めのない話を少しし、リンは「ごめんね、ちょっと疲れたから寝るね」と目を閉じた。
「わかった。じゃあ、また、明日」
この言葉が言えるのはあと四回。
命は儚く、あっけない。対象者に会う度、鎌が魂を刈り取るのを見る度にそう思った。どれだけ死にたくないと、生きたいと思ったって、それは無力で、抗うことも逃れることも出来ずに、死んでいく。
「……明日の一時に、リンは死ぬ」
死神が死期を伝えるのは前日と掟で決まっている。何故だろうか、絞り出すような声しか出なかった。
「そう……。じゃあ明日は使用人を早めに追い出すことにするわ」
おどけて言ったその言葉とは反対に、リンの様態は目に見えて悪化していた。
「明日でレンと会えるのも最後ね。お別れの言葉は死ぬ少し前に言うことにするわ。楽しみに待ってて」
どうして。どうしてそんな笑顔でいられるのか。
この数日間もそうだった。出会ってから変わらない笑顔と受け答え。早く死にたいと怒ることは初対面の時にあったものの、あの日以降、死にたいと言うことももっと生きていたいと言うこともなく、毎日を受け入れ、淡々と過ごしている。
自分の運命を受け止められる芯の強い人間でさえ、死ぬときは死んでしまうのだ。──儚く、あっけなく。
「……死ぬことは、怖くないの?」
ほぼ無意識にその言葉は漏れ出ていた。リンはじっとこちらを見つめる。思わず目線を下に逸らした。
「……そうね、少し怖いかな。でも、この温もりがあるから。レンがそばにいてくれるなら、大丈夫なような気がするの」
「どうして」
口から勝手に言葉が出てくる。こんなことは初めてだ。……何故なのだろう。
「それはね、きっと、私がレンを愛しているからよ」
弾かれたように顔を上げ、リンを見る。少し照れくさそうに微笑んでいた。
「いきなりごめんなさい。恋なんてしたことないけど……でも、レンのことが大好きって胸を張って言えるわ」
病人ということを一瞬忘れるほど、リンの顔はハッキリと、その言葉に嘘偽りがないことを伝えていた。
「……好きって。愛してるって、何」
そんな感情は身に付いていない。言葉の意味は知っているが、感じたことなんてない。
「うーん……難しいわね。……私は、レンと話していると凄く楽しくて、一緒にいられると嬉しくて、また遊びに行きたい、もっと話したい、早く会いたいって……そんなことを思ってる。レンといると満たされるの。それが、恋なのかなって」
「楽しい、嬉しいって感情さえ、わからない。ごめん」
きっと、この仕事をしていく中で、身に付くことは一生ないであろう感情だ。
「そう。……レンは、私といるの嫌い?」
嫌い──これはわかる。首を横に振った。
「私といると辛い? 苦しい?」
「……リンが弱っていくのを見ているのは辛くて苦しい」
喜怒哀楽をハッキリと表すあの表情で、元気に過ごしていてほしかった。
「私が死んでも平気?」
「死んでほしくない」
胸の底にあった、自分でさえ認識していなかった思いが引きずり出されていく。
「私と何かしたいこと、ある?」
──ああ、わかった。
「もっと、話したい。一緒にいたい。どこかに出掛けて、いろんなことを話したい」
──リンと同じなんだ。
「……嬉しい、楽しい。まだ、この感情はよくわからないけど。好きとか、愛してるって感情がわかったかもしれない」
そっと、リンの手を握った。
「手を繋ぐと、手だけじゃなくて、胸の辺りも温かくなる。──きっと、これが、満たされるってこと。そして、ずっとこうしていたいと思うことが、愛するってことだろう?」
「……そうよ、その通りよ。……レン、ありがとう」
──『人はね、時には嬉しくても泣くものなのよ』
リンの目からは、あの日と同じように、涙が零れていた。
もしかしたら、今、自分は嬉しいかもしれない。
自分の頬に、一筋の涙が伝った。
「お前は俺の監視下にあることを忘れるな」
その日の夜、鎌は部屋に来るなり、そう告げた。冷たい目だった。
「対象者の情報は死神を経てしか得られないが、死神の行動自体は把握してるんだよ」
「今日の事は掟を破っているのか?」
「破ってはねぇよ。ただ、しねぇとは思うが、『現実逃避』はするなってことだ」
回りくどい言い方だ。仕事を放棄することを危惧しているのだろう。
「……ちゃんと魂は刈らせる。連れて逃げたりなんかしない」
「ならいい」
あんな目を向けておきながら非常にあっさりしている。楽で助かるが。
「……死神が生き物を殺せない理由、知ってるか」
ぽつり、聞こえてきた言葉は、予想外のものだった。
「それが天界の掟だからとしか聞いたことがない」
「私情によって、殺してはならない者を殺したり、殺すべき者を殺さなかったりしては困るからだ」
さっきとは違う、強い意志を持った目。『今のお前みたいな奴が現れたときの対策のことだ』ということを暗に伝えていた。
「死神も人の心を持ってしまうかも知れないと、偉い神様が考えたのかもな。──それが今のお前にとっては脅かす諸刃の剣となっているわけだが」
強い風が吹く。鎌のローブが膨らんだ。
「……何にせよ、明日はお前と一緒の行動を取る。お前が伯爵の家に着くのと同じぐらいに向かう」
身を翻し、窓枠に立ち上がり、此方を少し見た後に飛び降りた。哀れんでいるかのような顔だった。
「……お前の言いたいことはわかる。どうすることも出来ないと言いたいんだろう」
吐き出した言葉は誰の耳に入ることもなく、暗い部屋に溶けて消えていく。
「仕事はちゃんとやる。でも……願うことは勝手にさせてくれ」
今日は新月。沢山の星が瞬いている。
「……貴女と共に星になりたい」
死神が誰かを愛しても、最後は悲しい結末しかない。
朽ちないこの身が、憎かった。
「こんにちは、レン」
いつもと変わらない笑顔がそこにはあった。とても今日死ぬとは思えないほど、清々しい、綺麗な笑顔。
「あら、……見慣れない顔があるわ。窓枠に腰掛けているのは誰?」
「へえ、本当に冷静なんだな」
鎌は感心したように頷き、「俺は『鎌』。お前の命を刈るものだよ」とさらりと告げた。
「そういえば、死神は人を殺せないのだったっけ。代わりに貴方がやるのね」
何を見ても動じないで受け入れる。本当に、芯が強い人間だと思う。
「あと15分。……もう少し早く来てくれてもよかったんじゃない?」
「ごめん。当日は15分以上一緒にいてはならないって規則があるから……」
「──死神様って融通が効かないのね」
出会った時に言い放った言葉。過ごした期間は短いが、懐かしさが込み上げてきた。
「なんてね。冗談よ、許してあげる」
おどけた言葉も、いつもと同じ。でも、リンはあと少しで死ぬ。
「お別れの言葉を、言うわ」
表情が強張るのが自分でもわかった。リンは微笑みながら、それを和らげるかのように、手を握ってくれた。
「まず、ありがとう。私のわがまま、沢山きいてもらった。市場に連れて行ってもらって、毎日来てもらって……それと、最初、酷いこと言ってごめんなさい。あの時は本当に早く死にたかったの」
リンの目が段々と潤んでいく。それと逆に、手を握る力を少し強めた。
「私は孤独で悲しい存在だったから。……でも、レンと過ごせたから、私は幸せになれたの。毎日を楽しく過ごせた。明日を楽しみに眠れた。……それが、嬉しかった、の」
リンの目から、涙がはらりと零れていく。
「リンと過ごせたから、いろんなことを学べた。人間にはあって自分にはないいろんなものを。こちらこそ、ありがとう。リンと会えて良かった」
「ふふ、嬉しいわ。……そうだ、あともう一つ。最後のお願い、きいてくれるかしら」
カチリ。時計の長針が、11を指した。
「あの時買ってくれた首飾り。肌身離さず付けていたのだけれど……私が死んだら、きっと捨てられるかしまわれてしまう。だから、レンに持っていてほしいの」
リンは付けていた首飾りを外し、自分の首に巻いてくれた。小さなト音記号が、ゆらり、首もとで揺れた。
「これをリンの形見だと思って、大切にして。これで、私達は孤独に戻らないで、ずっと一緒にいられるわ」
「……ありがとう。似合ってる?」
「ええ、とても」
二人でくすくすと笑い合った。きっと、これが幸せというものなのだろうと思った。
「そろそろ時間だ」
「手、繋いだまま死んでも大丈夫かしら?」
「……別に、構わないが」
死ぬ直前とは思えないほど、最初と違って手は温かかった。
「レン、今までありがとう」
「リン、今までありがとう」
午後一時を示す鐘がなった。
「愛しているわ」
「愛しているよ」
鎌が心臓がある位置を触る。
「……神のご加護があらんことを」
──そして、全てが終わった。
「……晴れやかな死に顔だな」
「そうだな。リンらしい笑顔だ」
「……仕事は終わった。これから天界に行って報告だ」
「わかってる。……ああ、ちょっと待て」
もう声が聞けることも、手を繋ぐことも、会うことも出来ないのだと、リンの閉じている瞳は雄弁に語っていた。
「リン。貴女のその笑顔、決して忘れはしません」
そっと、頬に手を置く。
「永遠に、──この世界の果てるまで」
身を翻し、窓辺へ向かう。
リン、約束しよう。貴女の記憶を永久に守ることを。ずっと一緒にいることを。
──もう、寂しくない。
首飾りが太陽の光を受け、きらりと光った。
鎌を持てない死神の話【後編】
投稿してから、会話文が一字下げられていないことに気がつきました\(^o^)/
読みにくいかもしれません、ごめんなさい……
だいぶ先になってしまうかもしれませんが、いつか直します!!
本家様→https://www.nicovideo.jp/watch/nm6630292
この作品はピアプロ・キャラクター・ライセンスに基づいてクリプトン・フューチャー・メディア株式会社のキャラクター「鏡音リン・レン」を描いたものです。
PCLについて→https://piapro.jp/license/pcl/summary
1229 追記
前編は文字数の関係で直せませんでしたが、後編は修正しました!
20190121
会話文は一字下げないのが基本なので、元に戻しました。
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