「夢みることり」を使ってファンタジー小説を書いてみた [4]
「おいしかったね、あのお茶」
「ああ。マルディン用のも、楽しみだな」
蛍屋の印の押された、茶色の紙袋を抱えて、二人は街の石畳をあるいてゆく。
緑色の外灯が、道に光を落として、ぼんやりと光る。
「って、雪、降ってないか?!」
「うわ。本当だ。道理で冷え込むと思った」
リリスが空に手をかざすと、ひら、ひら、と細かなものが舞っていた。
「雪だ……」
緑の外灯に照らされた視界に降ってくる雪は、風に流されて生きているように二人をとりまく。
「蛍みたいだな」
「アークの天気予報、当たったね」
リリスが、ちいさくくしゃみをした。
「魔法、唄うか?」
道に人通りはない。風よけの結界を張っても、邪魔にならないはずと、アークは提案する。リリスは、首を振った。
「いい。このままで。なんか……泣きたいくらい、きれいだから」
ふっと、リリスが、アークを見上げた。
「歩いて、帰ろう?」
「ああ」
アークは、頷く。行きの道をたどったときのように、リリスの背をかばうように立つ。と、リリスがさっと立ち止まった。
「大丈夫。あたし、並んで歩きたい」
アークは、思わず視線をそらした。やばい、これは。
惚れそうだった。
今日、たった半日で、リリスの強い顔、弱い顔、大いに見せ付けられた気がする。
リリスの手が、アークに触れた。
冷たい感覚が。
アークが握り返すと、リリスは、笑った。
「すごい、冷えてるよ、アーク」
リリスこそ、と言い返したかったけれども、アークの咽から声がかすれた。
「ね、アーク。研修に入るちょっと前にね、ゼルの間で流行っている歌があったの」
歌の話題を振られて、アークは幾分かほっとする。
「アークも聞いたことあるかな。ちょうど、こんな雪の中で、石畳を歩いていく情景がね、似ている気がして」
リリスが、す、と息を小さく吸い込んだ。
小さく、ゆっくり吸い込んだ息を、やわらかい声に乗せて吐き出す。
それは、複雑に旋律の絡み合う歌だった。
これは、怪物を前にして命がけで魔法を唄う、真剣に訓練を積んだゼルでないと無理だ。
そう、アークが思うほどの、難しい歌だった。
しかし、たがいが上になり、下になり紡いでゆくその歌は、美しい。
「ゼルって、共に戦う仲間をすごく、大事にするんだよな。この唄が流行ったことも、解る気がする」
どちらも主旋律。どちらも、相手を支えている。どちらが欠けても、成り立たないこの曲。リリスは、その二つのパートを唄いきった。
静かに、舞う雪の量が増えてゆく。
小さくてやわらかいが、自身の、そしてアークの知らない誰かの命を支えたリリスの声は、芯を揺らがせることなく、ろうそくの煙のように雪闇の空に立ち上って消えた。
「きれいな歌だな」
アークが、きゅ、とリリスの手を再び握った。
「ね、アーク」
ふう、と、息を吐いて、リリスが歌の続きのように、言葉を続ける。
「あのお店で、アークが言ってた、マルディンさんのこと、だけど」
うっ、とアークが立ち止まる。
「ごめん……リリスは、マルディンのこと、尊敬しているんだよな。その……尊敬している奴のこと、いろいろ言いたい放題言ってしまって、悪かった」
たしかに、普段業を煮やしていた分を一気に吐き出してしまったと自覚しているあたり、アークはつらかった。
自分があんなふうにマルディンを思っていたのかと、言葉にしてみて初めて知り、恐ろしかった。
「ううん。違う。アークを責めたいんじゃないの。アークのおかげで、あたし、納得がいったことがあるの」
雪が、静かに降り積もり、夕闇とぼんやりとした灯りの中で、石畳を隠してゆく。
「マルディンさん、あたしたちに、いろいろ隠しているわ」
「うん。そうだろうな」
アークが、外灯が導く前方の暗闇を見つめながら言った。
「もう四十年近くも、この国は、毎年二回、春と秋に、ルディに襲われている。農村も都市部も、だいぶやられたからな。
マルディンの歳が、ちょうどルディの出始めのあたりだろ。
でかくて魔法の攻撃も効かないような獣に、何の対策も整っていなかった時代を知っているんだとしたら、そりゃあ、俺たちに隠したくなるような悲惨なことも、あったんだろうな」
「うん。それはね、そうだけど」
リリスが口ごもる。
「ルディ退治を職業にする人は、そういう被害に遭った人が多いけど、でも、マルディンさんのは、それとは別に……何か、あるような気がする。
こう、執着する強さが、ううん、違う。たぶん、執着の質が、あたしの見てきたゼルたちとは、違うの。
何か、上手くいえないけど、遠く離れた誰かを慕っているような……
遠くの街に住む人とか、そういう遠さじゃなくて、時間が離れている過去、とか、心が離れた人、とか……何か、もう届かないと解っていて、それでも、求めているような、そんな、気がするの」
アークは、再び歩き始めた。
リリスも、無言で追いつき、並ぶ。
「リリス……」
リリスが、静かに泣いていた。
「凍るぞ。……鼻水が」
笑わせようとした言葉が、むなしく消えてゆく。
アークは、コートのポケットからハンカチを出して、そっと差し出した。
リリスは、受け取らない。自分の服の袖と、冷え切った手で、零れ落ちる涙をぬぐってゆく。
「ああ、もう!」
アークは動いた。
リリスの背を押し、ずんずん歩く。手近な外灯の柱に、肩を掴んでリリスの背を押し付けた。そのまま、戸惑うリリスの両手を、強く自身の胸に抱きこむことで封じる。
静かに灯りがゆらめき、光が舞い踊った。
ふたりに挟まれた蛍屋の紅茶の紙袋が、カサリと鳴った。
「アーク……」
リリスの唇に、アークの紅茶の残り香がふわりと移された。
風に冷えた皮膚の冷たさが、ふたりの間から逃げていく。
息苦しさを感じたところで、アークがやっと唇を離した。
「……あいつ。マルディン。ぜったい、いつか、泣かしてやる」
ばさっと胸に抱きこまれて、リリスの世界から音が消える。
「リリス。マルディンがどんな過去を持っていようと、俺たちは、俺たちに出来ることをやるしかないと思う。あいつに付き合い、研修をこなして、一人前になる。それだけ、じゃないか?」
リリスの頭から、アークは雪を払う。リリスが、灯りのなかで顔を上げるのを、アークは美しいと思った。
「……うん。そうだね。そう、だよね」
ほい、と、アークが、ハンカチを差し出す。
「ありがとう」
やわらかな灯りの中で、リリスは涙に腫らした顔で微笑み、受け取った。
そっと、体が離れる。
「ちゃんと、洗って返すから」
「気にしなくていいのに」
自分のハンカチが、リリスの涙をぬぐい、彼女のコートのポケットにしまわれるのを見つめながら、アークは奇妙な高揚感を味わった。
「行こうか」
「うん」
アークが差し出した手を、リリスが握る。
今、互いを支えるのは、互いだけだ。その思いが、躊躇いも無く二人の手をつながせた。
舞い落ちる季節はずれの雪が、二人を包んでゆく。
石畳の上の薄い雪に、二人の足跡が続いていく。
両側の建物から漏れる街の明かりが、冷たい景色を温かく彩る。
ふと、アークが、息を吸った。
低く深く歌った歌は、先ほどリリスが歌った歌だ。
石畳。雪の中。揺れる光。歩く二人。
「すごい……一回で覚えたの」
「二回目に歌ってくれたパートだけ、だけどな。
リリスの歌が、きれい、だったからさ」
リリスが笑ったので、アークは続く言葉を飲み込んだ。
俺、リリスのことが、好きなんだ。
アークは、少しだけ口をつぐみ、その告白を飲み下す。
今はもっと、この場面にぴったりな、違う言葉がある。
「なぁ。あわせてみるか?」
ぱっ、と、リリスが笑顔を向けた。
「うん!」
そして、二人のオクターブの響きが、雪の中にしっとりとしみこんだ。
風はいつしか収まり、薄くかかった雲の向こうから、月明かりが朧に覗いている。
積もった薄い雪が、月明かりを吸い込んで、しっとりとやさしく照り返していた。
内側から輝くような、淡い雪景色。蛍のように舞い散る雪。
明日の朝には、跡形もなく消えてしまうだろう。
景色を照らす、蛍色の外灯が、二人の行く道を導いてゆく。
ゆらめきながら、二人の旋律が、二人の影と共に流れていく。
街の人が、歌に気づいて、窓から二人をみつけ、ほほえましく見守る。
リリスが、建物の人影に気がついて、恥ずかしげに音量を落とした。
「遠慮せずに聞かせてやんなよ」
アークが、少しだけ音量をあげて微笑むと、リリスも声を落とすわけには行かない。
アークが楽しそうに微笑み、リリスも真っ赤に照れながら微笑む。
時々、アークがリリスに引っ張られてしまう。
リリスは笑って、その旋律の最初から、と繰り返す。
ふたりの響きが、声を重ね合わせるごとに絡み合い、歩みを進めるうちにひとつの響きとなって洗練されていく。
つながれた手が、いつの間にか温かくなっていることに、どちらとも無く気がついた。そして、二人に近しい、共通のある人への思いと感情を伴って、歌は朧の空へ、薄雪の地平へと響いていった。
やがて建物はまばらになり、外灯は途絶えた。
街の石畳が途切れて、闇に消える。
そこから先は、山道となるのだ。彼らの家路へ続く道。
「……遅くなっちゃったね」
「まぁ、ゆっくり寝かせてやるのも、たまにはいいんじゃないか」
湿った黒い土と、葉に積もる薄い雪をかきわけて進む。
長い道のりをゆっくりと辿って、二人は宿舎にたどり着いた。
「雪だけど、あったかかったな。」
口に出してみようと思ったアークだったが、やはり黙っておくことにした。
* *
……[5]へつづく
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