6.
「一人だけ、暗い顔をしてるよ」
「それは、その……」
周囲を見る。
どこまでも続く青い空と緑の草原の仮想現実空間。そこに、34人の姉妹がいる。みんな、せんせいに声をかけられた私を見ていて、なんだか居心地が悪い。
「……あの、まだ、不安で……」
体を精いっぱい縮こまらせて、消え入りそうな声で、やっとのことでそう言った。
……笑われちゃう。
白状してしまうんじゃなかった。
「よく教えてくれたね」
早速後悔しだしていた私は、せんせいがそんなことを言うのが意外だった。
「不安になって当たり前だよ。君たちが向かう恒星系は、そのほとんどが天体望遠鏡での観測しかされていない。どんな環境が待ち受けているのか、誰も知らないところに行くんだ」
ちがうの。
せんせい、そうじゃなくて。
「重力がとても強いかもしれないし、逆にほとんどないかもしれない。電磁波や放射線の影響が強いかもしれない。大地のないガス惑星かもしれない。とても寒くて、なにもかも凍りついているかもしれない。でも、ハビタブルゾーンとも言う生命居住可能領域内を公転している惑星なら、海があるかもしれないし、微生物が生まれているかもしれない。可能性は低いけれど、地球の動植物に似た生命体にまで進化している可能性だってある」
私が不安なのは、旅立つことについてじゃないの。
行き先の星がどんなところかってことじゃなくて、みんなと離ればなれになって、ひとりぼっちになっちゃうことなの。
せんせいに……会えなくなっちゃうことなの。
「しってるー! えいりあんって言うんでしょ」
「おや、よく知ってるね」
「この前ね、ふるーい映画で見たの!」
元気にそう言う妹の隣にいる子は、青ざめた顔をしていた。
「ね、せんせ……」
「なんだい?」
「あんなことも、起きたりするの?」
「あんなことって、なんだい?」
意味がわからずきょとんとした様子のせんせいに、その子は意を決して口にする。
「そのえいりあんが……にんげんを殺しちゃったりとか、食べちゃったりするようなこと……」
「君たちが見たのは映画だよ。作り物のお話だ」
「じゃあ、そんなことは起きない?」
背後の姉の問いかけに、せんせいはちょっとだけ言葉に詰まる。
「……まぁ、その……ゼロでは、ないかな」
姉妹たちが、その言葉に息を呑む。
「あ、いやいや。そんなことないよ。本当だって!」
あわてて否定するせんせいを見ながら、私は話がそれたことにほっとするしかなかった。
「……」
……なつかしい。
あの頃の……私と一緒に情緒教育を受けていた姉妹にとって、せんせいは私たちの父親であり、私たちの家族であり……そして、私たちの初恋の人だった。
その恋が実らないことくらい、みんなわかってた。
ううん、それだけじゃない。旅立ってしまったら、「また会おうね」って言ってくれたせんせいとの再会の約束も果たせなくなるんだって、なんとなくだけどわかってたんだ。
……それでも。
それでも、私たちの誰もがせんせいとの再会を約束して旅立った。
その約束だけが、叶うことのない指きりだけが、私たちの行使できた、たった一つのワガママだったから。
「……」
私は、あの頃の幸せな思い出をなくしてしまわないように、大切に記憶に刻み込む。
あの事故からなにも修理ができていない私は、いつ記憶を失ってしまうかわからないのだから。
あの事故からも、長い、本当に永い時間がたった。
50年が経過した頃に体内時計は狂ってしまったし、100年がたつ頃にはウラノスとの通信も正常には行えなくなっていた。通信ができないわけじゃないけれど、音声が途切れるせいでフィフティーンとフィフティが聞き分けられなくなってからは、時間を確認することすらおぼつかない。
だから、あれから正確にどれだけの時間が経過したのかはわからない。
私の腹部に刺さった岩は取り除くことができたけれど、右足はいまだ巨大な岩石に挟まれたままだ。私の力では、右足を無理矢理切断することなんてできなくて、この場所から動けないままだ。
損傷していた右目なんて、とっくの昔に見えなくなっている。左目も、500nm以下の波長はセンサーが認識してくれなくなった。紫や青は、もう私には見えない色なのだ。私の見上げる空は、夏の間は二酸化窒素で赤くなり、二酸化窒素が液化して雨になり、それから凍りつく冬の間は緑がかっている。
メインバッテリーの容量は8%に低下した。頭部のサブバッテリーを足しても、11%しかない。移動しないから電力の消費よりも充電速度のほうが早いけれど、私の機能停止は時間の問題だ。
気象データの送信ボタンをクリック。
今の私にできることはそれだけ。
〈――受――認。――〉
ほとんど聞こえないウラノスの声。
けれど、それでもないよりはマシだ。
ウラノスが生きていることはわかるし、私の送信したデータを受け取ってくれていることもわかる。
……送信したデータが破損しているかどうかまではわからないけれど。
私の体には、ケイ素基系の粘菌がおおいかぶさっている。何年もかけて、彼らは私の体を侵食していた。
私の皮膚はシリコン系の素材だから、彼らには格好の食材だったかもしれない。この星に存在しない組成だから、妙な変異をしてなければいいんだけれど。その代わりといってはなんだが、私は彼らのおかげで生き永らえている。
破損した断面に、断線してむき出しになったケーブルに、メインバッテリーの多層セラミック。それらにおおいかぶさった彼らは、私をアンモニアと二酸化窒素の雨や氷から、そして硝酸の海の水しぶきから、私を守ってくれたのだ。
彼らがいなかったら、この星に炭素基系の植物しかいなかったら、私はあの事故から20年ももたなかっただろう。
昔は彼らの姿が苦手だったけれど、これだけ長い間共に――というか、私を助けてくれていると、なんだか愛着すら感じてくるようで不思議だ。
なんていうか、私の素材で突然変異を起こしていたら、それはある意味で私の子供みたいなものじゃないかって気がしてくるし。
〈動――感――。未――だ。注――〉
「もー。……言っ……か、全然わか……いし」
もー。なに言ってるか、全然わかんないし。
そう言ったつもりだったんだけど、ウラノスにうまく伝わっただろうか。うまく聞き取れないからなのか、そもそもちゃんと発声できていないからなのかすらわからない。
視界を、空と岩石しか映し出せないはずの私の左目を、なにかが横切る。
なんらかの飛翔体だ。
そんなの、アルカには……この惑星には存在しないはずだ。
じゃあ、あれはなに?
せんせいの声がよみがえる。
優しい、柔らかな声で「また会おうね」って言ってくれた、せんせいの声が。
……ううん、あれにせんせいが乗ってるなんてこと、あるわけない。
せんせいたち人類の寿命が、実は120年くらいしかないんだって知ったのは、Sol-2413の周回軌道上で目覚めてからのことだった。
せんせいと約束をして、眠って、目が覚めたときには1000年もたってた。すでにせんせいが死んでるんだって思い知らされても、納得なんかできなかった。
「あーもう、こんなとこにいた!」
知らない声。
……やっぱりだ。せんせいじゃない。
でも、それじゃあだれなの?
なんでこの星に?
「迎えにきたよー。おねえちゃん!」
私をのぞきこんで、ようやく私の視界に入ってきたその見知らぬ女の子は、私の抱いた疑問なんてお構いなしにそう言った。
彼女は、私の妹だった。
私の何百世代もあとの、遠い遠い姉妹。
アルカは、やっぱり人類のアルカディアになんかなれなかった。
人類は、Sol-2413とは違う恒星系の惑星へと移住を成し遂げていたのだ。
事故から564年が経過していて、地球を出てから数えると1600年近くもたっている。当然と言えば当然だったのかもしれない。
太陽の寿命は63億年後って言われてるけど、太陽の温度はどんどん上がるから、生命居住可能領域も太陽からどんどん離れていく。太陽の生命居住可能領域はどんどん外側に移っていって、やがて地球はその内側に入ってしまう。14億年たつ頃には地球は熱くなりすぎて生命が生きていられなくなるそうだ。だけれど、地球を大事にできなかった人類は、そんな猶予なんてお構いなしに地球を壊してしまったらしい。優しかったせんせい以外に人類を知らないけれど、他の人たちはせんせいみたいに優しい人じゃなかったみたい。
私は、リンとウラノスと一緒に、彼女につれられて人類の新たなふるさとへと帰った。
私やリンにとっての新しい妹たちは今、天の川銀河中に散らばった私たちの姉妹を助けに、そしてまた新たな星を探して外宇宙探索を続けているそうだ。
せんせいとはもう会えないけれど、私たちはせんせいが残したメッセージを聞くことができた。
それは、私たちを新たな旅へといざなうのに、十分な力を持っていた。
移住が成し遂げられた今、次なる問題は40億年後と言われる天の川銀河とアンドロメダ銀河との衝突だという。
天の川銀河とアンドロメダ銀河の衝突で、恒星とか惑星同士が衝突する可能性は低いらしいけど、ちょっとした重力変化だけでも、人類には大問題だ。何億年もかけて、膨大な数の星々の動きをシミュレートして影響を調べるのだという。
もちろん、そんなのは建前だ。40億年後よりももっと差し迫った問題を、せんせいは私たちに提示した。
とはいえ、どちらにせよやることは一緒だ。でも、一つの惑星だけでも手いっぱいだった私からすると、銀河だなんて、スケールが大きすぎてちょっとついていけない。
新しくなった最新式の体に換装した私やリンの新たな任務は、アンドロメダ銀河の星々の調査だった。もちろんウラノスだっている。あらたなアルゴリズムが追加された彼は、前よりもちょっと気が利くようになった。
地球から837光年はなれていて、1600年もかかったSol-2413とアルカへの旅でも十分長かったのに、行き先がアンドロメダ銀河となると、こんどは片道250万光年だ。
まったく。
スケールが大きくなりすぎにもほどがある。
宇宙は加減ってものを知らないらしい。
でも私は、それくらいのことで投げ出したりなんかしない。
確かに、せんせいはもういない。
けれどせんせいの遺志が、その煌めきが、まだ私の心に……私たち姉妹の心にちゃんと残っているから。
私が壊れて、機能停止になってしまって、本当に死んでしまうまで、私はせんせいの遺志を胸に抱いて先に進む。
なーに、進みが遅くたって構うもんか。
私は人工知能で、体は機械。
人類と違って、何百年でも何万年でも動ける私は、ゆっくりでも果てしなく遠くまで進むことができる。
せんせいの求めたその先にたどり着くまで。
ずっと。
ずっと。
Sol-2413 No.6 ※2次創作
第六話こと、最終話
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。
また、ゆうゆP様にも最大限の感謝を。
今回、SFとはかくも難しいものか、と改めて思い知らされました。
アンドロイドや地球外知的生命体、といった要素は、物語の中において昔から人に対する暗喩(メタファー)であり続けました。
それらがどんな存在か、人とどう違うのかを示すことで、逆説的に“人とはこういう生き物なんだよ”と語ってきたわけです。
フィリップ・K・ディックが「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」において、共感こそ人が人たり得る要素だと語ったように。
とある小説家が、物語の中で「SFのみが人間を定義できる」といったことを語っていました。
なるほど、人間以外の知能を持ったキャラクターを出せるSFは、確かにその通りだな、と思わずにいられませんでした。
と、ここで「ファンタジーものでも人間以外の知的生命はだせるだろ!」と思った方もいるかもしれません。
自分の意見としては、ファンタジー(幻想文学)もれっきとしたSFだろ! だったりします。ファンタジーとSFのそれぞれに明確な定義がなく、また近年はその境界がさらにあいまいになってきているのですが。
とはいえ、異なる生活習慣、文化、社会、生態系、魔法なんかの仕組みを構築したりと、ファンタジーにもSFらしさがあるんじゃないでしょうか。逆もまた然りですが。
話がそれました。
CGなんかの映像技術の発達により、映像の真新しさや派手さが前面に出たりと、SF映画なんかの映像主体の媒体では、SFにおける哲学的な要素はなりを潜めているものが増えてきました。それはそれで好きですが(笑)
それでもSF小説においては、そういった哲学的要素は欠かすことのできないものかな、と思います。
映像がないからこそ、その物語が“なぜSFでなければならないのか”が重要だと思うので。
そういう意味では、今回の話はSF小説と呼ぶにはまだ物足りないかな、と思わざるを得ませんでした。
物語構造的に「アンドロイドによる惑星探査」じゃなくても「探検家による無人島探索」でも同じ話が展開できたんじゃないか、という思いがぬぐえなかったからです。
SFっぽさは出てても、SF小説たり得ない。そんなお話になってしまった気がします。
まだまだ学ぶことは多いですね(苦笑)
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透明すらなれない飢えた獣のような本性に
慰めは要らな...嫌い
Staying
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「また会いたい」と呟いた
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0.
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グアニル酸
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報われなくても 構いやしな...さようなら、我が愛しのメアリーへ
Staying
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