【 Monocle's Earl ~ 片眼鏡伯爵 ~ 】


第三話 僕の許嫁


「お早う御座います。皇太子殿下」

朝を告げる声が、僕を深い眠りから引きずり覚まそうとする。

だけど、僕の体はそれに応じようとはしなかった。

無理もない。昨夜は羊泥棒を捕まえるのに、遅くまで掛かってしまったのだから。

泥棒を捕まえた後も、101匹目の羊がなかなか柵に入らず、僕は朝まで泥んこまみれの格闘を余儀無くされたんだ。

だから、あと五分。いや、せめて四分三十秒でいいから、寝かせて欲しい。

ただでさえ、最近片眼鏡が事件を示す事が多く、寝不足なのだから。

だが次の瞬間、僕は侍女の一言に飛び起きてしまった。

「今日は、アンネマリー様がお見えになられる日ですよ」

「あ、アンネが?」

僕のあまりの変わり様に、侍女たちは笑いを堪えている。

「いや、えっと・・・」

全てを見透かされたようで、なんだか恥ずかしい。

僕は下を向いて、シーツをくしゃくしゃに丸める。

アンネは、僕と同い年の幼馴染で、親が決めた許嫁だ。

王族の血を引いている事もあり、その容姿は僕とすごく似ていて、小さい頃は、よく間違われた程である。

いや、服装とかを変えたら、きっと今でも。

彼女は、昔っから僕の面倒をみてくれて、いつもそばにいて守ってくれた。

そのせいか、今でも頭が上がらない。

僕は、そんなアンネが大好きだった。

ほんと、今の関係で出会えた事が、幸運だと思う。

だって、もしアンネがお姫様で、僕が召使なんかだったら、きっと声さえも掛けて貰えないもの。。。

ただ、最近ちょっとすれ違ってきているのが、心配なんだけど。


支度の整った僕は、侍女達と共に会食用の食堂へと向かう。

国王である父は、月に数回は臣下と共に朝食をとる時間を設けており、その際は僕も同席するのが常だった。

今回、アンネの両親である侯爵夫妻が招かれており、もちろんアンネも一緒に来ている。

僕は服装の乱れを確認すると、侍女が開ける扉を待てずに、自ら扉を開いて入室したのだった。

するとそこには、偶然アンネが立っていたのである。

「あら、お早う御座います。皇太子殿下」

「あっ、あはは。お早う、元気そうだね」

いつからだったろうか。アンネが僕を名前ではなく、殿下と呼ぶようになったのは。

そして、優しかったその表情も、それに合わせいつしか挑戦的なものへと変わっていった。

それは、アンネに馬上槍の競技で負けた時からだったか、それとも二人で野犬に追われた時、彼女をおいて逃げ出した時だったからか。

切っ掛けはよく覚えていないが、ここ数年アンネは僕に突き放したような態度をとる様になり、その冷たさが僕には少し寂しかった。

アンネが会釈をして席に戻るのをみて、僕も自らの席へと着く。

その距離は近いようで遠い。僕は料理の味も分からなくなり、ただ口へ運ぶのだった。

「陛下、今夜は舞踏会。よろしければ、我が娘に皇太子殿下の相手を務めさせますが?」

侯爵が発した思い掛けない言葉に、僕とアンネは同時にフォークを皿へと落としてしまう。

食器が奏でる耳障りな音色に、行儀作法に煩い執事長が聞こえる様に咳ばらいをした。

舞踏会ではオープニングセレモニーがあり、婚約している王侯貴族はそこで舞踏を披露するのがしきたりになっているのだが、まだ僕には経験がない。

ましてや、今日が舞踏会である事をすっかりと忘れており、ろくな練習もしていなかった。

社交界デビューした時の、あの悪夢がよみがえる。

そんな僕の心配をよそに、父はその案を二つ返事で了承し、侯爵は満足そうに頷いていた。

だが、僕はアンネの顔を直視する事が出来ないでいたのだった。


食後、僕は舞踏用のドレスに着替えると、しぶしぶ舞踏室へと赴いた。

そこには、既に舞踏用のドレスに着替えたアンネが待っていたのだった。

「さぁ、いつでもいいわよ。で・ん・か?」

アンネが挑発的な瞳で、僕を見つめる。

しかし、こうして二人っきりになれば、昔ながらに話してくれる。

僕にはそれが嬉しかった。

「お、お手柔らかに・・・」

気圧されながらも、エスコートを始める。

僕は、自分の顔の赤さを容易に想像できていた。

想い人との舞踏。本来であれば、夢の様な時間であろう。

しかし、僕にとってはまるで、拷問であった。

小一時間の間に、一体何度アンネの足を踏んだであろうか?

両手の指の数を越えてからは、覚えていない。

「ごめんねアンネ。また踏んじゃった」

だが、アンネは気にする素振りも見せず、優雅に舞い続ける。

そんな姿に僕の心は折れてしまい、途中でステップを踏む事が出来なくなってしまったのであった。

「・・・殿下」

「ちょっ、ちょっと休憩しようか」

僕はアンネに背を向け、距離をとる。

「もう、舞踏会の事は聞いてたんでしょ、練習していたの?」

「・・・、うん。ちょっと忙しくってね」

「そうやっていつまでもクローゼットに閉じ籠もってちゃ、何の解決にもならないわ」

物心付いた時から、何か嫌な事がある度に部屋のクローゼットへ閉じ籠もるのが、僕の悪い癖だった。

流石に今ではしないけど、アンネは、内向的な僕を揶揄する時、時折この表現を使うのである。

でも、そのおかげで地下道への隠し通路を見つける事が出来たんだ。

クローゼットの裏板が外れ、隠し通路に転がり出た時は、ほんとびっくりしたけど。

だけど、あの通路は僕だけの秘密。胸を張ってそれを自慢する事は出来ない。

「私達、もう14歳ね」

「えっ?」

アンネが急に声のトーンを変えたので、僕は驚きを声に出した。

「父上達は、私達が成人を迎えたら、直ぐにでも結婚させるつもりのようよ」

「う、うん」

「今夜の舞踏会で、その事を大々的に社交界へお披露目したかったみたいだけど、この様子じゃ、皇太子殿下に恥をかかせてしまうだけのようね」

「ごめん、もっと練習するから」

「いいわ、今夜の舞踏会へは、誰か別の人に誘ってもらうから」

その言葉に、僕の心臓は一瞬止まりそうになった。

そして、ようやくしぼり出した言葉は、なぜか本心からはかけ離れたものになっていたのである。

「そうだね。その方が良いよ、うん・・・」

その言葉に、アンネはより冷やかな表情を見せる。

そしてー

「もう少し私に相応しい人になってから、迎えに来て頂戴」

そうきつく言い残すと、アンネは踵を返し、部屋を出て行ってしまった。

「ちょ、ちょっと待って」

扉に伸ばした腕が、空しく項垂れる。

僕はしばらく立ち尽くすと、失意のまま自室へと引き返したのだった。


「まったく、何を考えているのかしら」

そう自分とアンリに言い聞かせたアンネは、ひとり帰り支度を済ませると、待機させていた馬車へと乗り込んだ。

「屋敷へ戻って頂戴」

「お嬢様、舞踏会はよろしいので?」

「構わないわ。皇太子殿下の許可も頂いているし」

「何があったかは存じませんが、折角のドレスが勿体のう御座います。皇太子殿下に気兼ねして、お誘い出来ないでいる青年貴族は山ほどおりますれば・・・」

「・・・、・・・」

しかし、アンネは窓の外に顔を向け、何か思いにふけっている様子である。

今日この日の為に、熱心に舞踏を練習してきた自分が、馬鹿らしくさえ思えていた。

「今からであれば、如何様にもお取り次ぎ出来ますが?」

「・・・、聞こえなかったの?屋敷へ戻って頂戴」

良かれと思い声を掛けた従者であったが、低気圧の様に沈んだ声で返され、一段と平伏して手綱を引き始めたのであった。

アンネを乗せた馬車は、そのまま加速すると、音を立てて城を後にする。


だが、それを邪に見つめる存在がいたのであった。


一方その頃、アンリは一人、自室へと閉じ籠もっていた。

布団に潜り込み、自分の不甲斐なさを悔いている。

「はぁっ・・・」

ため息をつくアンリ。それは深海よりも深い呼吸であった。

だがその時、秘密のクローゼットから、突然青光が漏れだしたのである。

アンリは慌てて飛び起き、クローゼットを開いた。

そして、片眼鏡を装着すると、そこに見えたものは・・・。

「アンネっ!」

それは、許嫁であるアンネマリーが、今まさに誘拐されようとしている場面であった。

アンリはひと呼吸整えると、スイッチが切り替わったように精悍な顔を見せ、身支度を整えると、クローゼットの中へと消えていったのだった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
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【ボカロ小説】片眼鏡伯爵*第3話*

【Monocle's Earl~片眼鏡伯爵~】第3話「僕の許嫁」です。今回の話しでは、アンリ(鏡音レン)とアンネ(鏡音リン)の初絡みが出てきます。よろしくお願いします。

閲覧数:98

投稿日:2012/01/15 20:41:56

文字数:3,554文字

カテゴリ:小説

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