「実際、ルカさんは今、何をしてるの?」
さっきまでカイトと小声で何か話し合っていたメイコさんが、不意に割って入った。そう訊かれても、飛び出してからのことはわからない。
「それはなんとも……俺も突発的に飛び出してきてしまって……」
メイコさんが、隣のカイトを見た。カイトが口を開く。
「……これは僕の意見だけど、ここでガクトさんだけから話を聞いて物事を決めてしまうのは、フェアじゃないと思う。カエさんもルカさんのことが心配みたいだし、ルカさんのことがはっきりしないと、安心してミカちゃんを預かれないんじゃないかな」
全員がまた俺を見た。言われることはもっともなのだが……。
「だからって、姉さんをここに呼ぶの?」
きつい声が飛んできた。……ハクさんだ。明らかに嫌そうだ。どうしてそこまで、ルカのことを嫌がるのだろうか。異母姉妹からだろうか? だがリンちゃんは、ルカに対してこんな感情は見せなかった。
「呼ばなくても、電話という手もあるし……」
カイトがもごもごと口ごもる。電話か……。俺はポケットから携帯を取り出した。気は進まないが、かけてみるしかないだろう。電源を入れる。
「かけてみます」
登録してある、ルカの携帯の番号を呼び出す。しばらくコール音が鳴り響いた後、留守電に切り替わってしまった。携帯の電源が入ってないのかもしれない。一度切って、自宅の電話にかける。
「もしもし」
出たのは、お手伝いさんだった。俺がガクトだと言うと、お手伝いさんは堰を切ったかのように喋りだした。
「あ、旦那様! 大変です、お嬢様の姿が見当たらないんです!」
うん? 妙な反応だ。
「ミカなら俺と一緒にいる」
「そうでしたか、良かった……」
お手伝いさんの口調は、明らかに安心したものになった。
「ルカから何も訊いてないのか?」
もしかして、ルカも出かけてしまったのだろうか。それなら、気を揉むのもわかるような気もする。
「あの、そのことなんですけど」
お手伝いさんの声のトーンが落ちた。自然と俺も緊張する。
「どうしたんだ?」
「奥様、様子がおかしいんです」
「おかしいって!?」
「おかしいというか……私が買い物から戻りました時、お嬢様の姿が見えなかったので、奥様に『お嬢様は?』と訊いたのですが、『知らない。それよりお昼の支度をしてちょうだい』と言われてしまったんです」
俺は唖然となった。……なんだその受け答えは。俺が連れて出たのは知っているはずなのに。
「幾らなんでもお姿が見えないのは変だと思ったので、家中探したのですが、どこにも見つからなくて、旦那様に連絡しようかと思い始めていたところで……」
……眩暈がしてきた。一体何がどうなっているのだろう。
「とにかく、ミカは俺と一緒にいる。今日は仕事が早く終わったんだ。ところで、ルカを電話に出してくれないか」
お手伝いさんは「はい、ただいま」と言って、電話を保留にした。やがて、電話から聞きなれた声が聞こえてくる。
「ルカです。ガクトさん、帰宅はいつ頃?」
平然とした声でそう答えられ、俺はまた絶句した。……俺が家を出る前のことを、憶えてないのだろうか。
「ああ、えーっと……」
「お夕食のこともあるし、お手伝いさんに指示は早めに出しておかないと」
問題は夕飯のことではない。俺が家を飛び出した原因のことだ。
「ルカ、何が起きたのかはわかっているか?」
電話の向こうで、ルカが一瞬沈黙した。だがその次に続いた言葉は、完全に俺の予想の範疇外だった。
「何かあったかしら?」
……ルカは健忘症にでもなったのだろうか。俺は携帯をきつく握り締めると、言葉を続けた。
「俺が家を出る前の話だ。ルカ、お前がミカをロフトに閉じ込めて、それで俺と揉めたんじゃないか」
「ミカは悪い子だから仕方ないの」
ルカは平然とした口調で、先ほどと同じ主張を繰り返した。
「あれはミカのせいじゃない!」
思わず声を荒げてしまった。このままだとまた堂々巡りだ。と、その時。俺の携帯がひったくられた。
携帯をひったくったのは、ハクさんだった。唖然として反応もできない俺の前で、ハクさんは携帯に向かって話し始めた。
「あのね、そっちの厄介ごとをうちに持ち込まないで! あたしは迷惑してるの!」
話すというより、怒鳴っているという感じだ。……押しかけてきたのは悪かったと思うが、そんなに怒らなくてもいいのではないだろうか。
「ええ? 誰かって? ちょっと姉さん、妹の声も忘れたの!? あたしよ、ハクだってば! ……長い間話してないから声なんて憶えてない!? 喧嘩売ってんの!?」
喧嘩を売っているのはハクさんのような気がする。
「あの、携帯を……」
返してもらえないだろうか。そう言おうとしたのだが、ハクさんには聞こえていないようだった。携帯に向かって叫び続けている。
「そうよね、いつだってそうだったわ。姉さんはあたしなんて眼中になかった。あたしはできの悪いみそっかすの娘で、姉さんはなんでもできる優等生で。あたしのことなんて、どうせ生きている価値もないとか思ってんでしょ! そうよね、姉さんはお父さんの自慢の娘で周りに祝福される結婚して、何の不満もない結婚生活するはずの人だもんね。あたしの苦労なんてわかりもしないんだわ。とにかく、あたしはこっちで、カエさんとなんとか人生立て直そうとしてんの! 邪魔しないでよ! もうあたしの人生に関わらないで!」
「ハク、落ち着けって!」
アカイがそう言って、ハクさんから俺の携帯を取り上げた。ハクさんは興奮しすぎたのか、荒い息を吐いている。
「そうやっても何もいいことないからさ……ほら、深呼吸深呼吸」
「冷静さを失ったら負けよ、ハクちゃん」
最初のはアカイ、後のはマイコさんだ。アカイが俺に携帯を返してくれたので、俺はまた携帯に話しかけた。
「もしもし、ガクトだ」
……返事はなかった。通話が切れたのかと思ったが、まだ続いている。
「ルカ? どうした?」
「……なんでそこにいるの」
こちらを咎めるような冷たい声が聞こえてきて、俺は一瞬ぎくっとなった。いや待て、俺は別にやましいことをしているわけではない。そりゃ確かに、ルカが距離を置こうとしていた義母と、会ったりはしていたが。
「なんでって……ミカのことをお義母さんに頼もうかと……」
少なくともまだ娘のはずだし、孫のはずだ。
「あなたまで私を裏切る気? 私はいつだって、言われたとおりにちゃんとやってきたのに」
「はあ!?」
ルカの言い出したことがあまりに意外だったので、俺は間の抜けた声をあげてしまった。
「ちょっと待てルカ、裏切るとは何の話だ」
ルカは電話口で何か呟いたが、声が小さすぎて聞き取れない。
「ルカ?」
突然、電話が切れた。あわててもう一度かけてみる。……出ない。ルカの携帯の方を呼び出してみたが、同じだった。思い余って、お手伝いさんの携帯にかけてみる。……今度は出た。
「ルカはどうしてる!?」
「旦那様、何があったんですか!?」
俺が言い終わるより早く、お手伝いさんが訊いてきた。何がどうなっているんだ。
「どうもこうも、いきなり電話を切られてしまって……」
「……切ったのは電話じゃありません。電話線の方です」
「電話線を切ったって……なんで」
電話線なんて簡単に外せるはずだ。いや、問題はそこじゃない。
「で、ルカは?」
「お部屋にお戻りになられてしまって、声をかけても返事がないんです。旦那様、戻ってきていただけませんか。もうどうしたらいいのかさっぱりわからなくて……」
お手伝いさんの声は困惑しきっていた。俺はため息をついた。どうやら、一度戻って直接話をするしかなさそうだ。
「わかった、すぐ戻る」
そう言って、電話を切る。顔をあげると、義母とマイコさんがこっちを見ていた。アカイとメイコさん、カイトはハクさんの方についている。
「ガクトさん、ルカはどうしたのですか?」
心配そうな表情で、義母が訊いてきた。
「なんだか様子が妙なので、一度戻って様子を見てきます。お義母さん、ミカのこと頼めますか。もしかしたら、明日になるかもしれませんが」
「え、ええ……ガクトさん、ミカちゃんの着替えや寝巻きとか、お気に入りの玩具とかは?」
俺は鞄を開けて、ミカの着替えを義母に渡した。玩具に関しては、例のぬいぐるみがあれば大丈夫だと言っておく。
「それじゃ頼みます。……本当にすいません、こんな時に厄介ごとを持ち込んでしまって」
今日はハクさんのお祝いだったはずだが、俺のせいでなんというか、ぶちこわしになってしまった。……横目でハクさんの様子を伺う。まだ機嫌が悪そうだ。
「それはそうと、ちゃんとカエさんに経緯を報告しなさいよ」
またマイコさんが口を挟んだ。思わずそっちを睨みそうになる。……が、ミカを預かってもらうのだから、義母に不義理するわけにもいくまい。
「ちゃんと後でまた連絡しますから」
マイコさんの方は見ず、義母の方を向いて、俺は答えを返した。義母は何か言いたそうだったが、結局何も言わず、俺を玄関口まで見送ってくれた。
車を走らせて、自宅へと戻る。鍵を開けて中に入ると、お手伝いさんが奥から飛び出してきた。
「あ、旦那様! ……お嬢様は?」
「ミカなら預けてきた」
俺は、目の前のお手伝いさんの顔を見た。俺より一回りくらい年上のお手伝いさんは、そわそわと落ち着かなさげにしている。……と、そうだ。
「一つ教えてくれ。俺の鞄にメモを留めたか?」
お手伝いさんが困った表情になった。……やはり彼女のようだ。
「このことで咎める気はない。むしろ、事実を把握できてほっとしている」
俺の答えを聞いたお手伝いさんは、まだためらっていたが、やがて頷いた。
「いつからだ?」
「……半年ぐらい前からです」
声を潜めて、お手伝いさんは答えた。ルカに聞こえるのを懸念しているのだろう。
「具体的には?」
「ぬいぐるみを捨てたり、絵本を破ったり……」
やっぱりルカがやっていたのか。納得すると同時に、心が寒くなる。ルカは一体、何を考えているんだ?
「一体どうしてだ?」
飛び出す前に確認をすべきだったのだろうが、あの時はショックでそれどころではなかった。ルカの考えが、俺にはさっぱりわからない。
「わかりません……」
お手伝いさんは、途方にくれた表情になった。わからないのは俺だけではないことにほっとする。いや、いいことではないのだが。
「ルカは今、どうしてる?」
「お部屋から出て来られません……」
俺は深く息を吸い込むと、ルカの部屋へと向かった。ドアをノックするが、返事がない。少しためらったが、ドアを開けて中に入る。
ロミオとシンデレラ 外伝その三十九【家族の定義】その四
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