「今日が最後だ、リヨン。くれぐれも処分のことは洩らさないように。態度も変えるな」
「分かってます。……あの、処分って、どうやって?」
「知りたいか?」
「……やっぱりいい。……僕、せめて最後までニースのそばにいたいな」

長い渡り廊下を歩きながら、僕は職員に言ってみた。
彼は少し考えたあと、答えてくれる。

「そうだな。じゃあ、今日は砂時計は渡さないことにしよう。雨が降り始める前に迎えに行くよ」
「……雨……?」

病院と研究所との間を往き来するのに、屋外は通らない。
それなのに、なぜ雨が関係あるのだろうか。
彼にそう聞いても答えてくれそうになかったので、僕はこれからニースと話すべきことについて考え始めた。





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「リヨン、どうしたの?なんか今日は元気ないみたい」
「そんなことないよ」

態度を変えるなと言われたばかりなのに、僕の纏う空気の微妙な差異がニースには伝わってしまうらしい。
僕はわざと明るく振る舞った。

「僕、ニースについて考えたんだ」

低い丘のようになったところで寝転び、僕たちは語り合う。
頭上には大きな木が枝を繁らせていて、ちょうど陰のようになっている。

「ニースは、もうニースじゃないんじゃないかって思うんだよ」

ざわざわと音を立てる枝葉を見上げていたニースは、僕の方を向いて首を傾げてみせる。

「どういうこと?」
「今のニースは、ニースを超えたニースなんだよ。お父さんは、前のニースに帰ってきてほしかったから、ニースの性格や見た目をこんなにも忠実に再現してる。でも、有り得ないことかもしれないけど、君は成長してるんだ。プログラムを超えて。僕のことを好きだって感情も、だから生まれたんじゃないかな」
「私……リヨンを好きだって思うと、なんだか新鮮な感じがするの。お父さんに頭を撫でられたり、お母さんと手を繋いだりした時にも同じような気持ちになったけど、それはどっちかっていうと懐かしくて……」
「うん、やっぱり、きっとそうなんだよ。君は、僕の双子の妹っていう殻を破り始めてるんだ」
「じゃあ、お父さんの研究は失敗だったの?」
「うーん……そういうことなのかなあ……」
「……お母さんに、今の私は前の私とは違うんだって教えてあげられたら良かったな。そうしたら、私がリヨンを好きだって聞いてもあんなにショックを受けなかったかも」
「でも、お母さんにはニースが必要だったよ」
「そうだね……難しいなあ」
「……うん、すごく難しい」

この温室は地下にあるはずなのに、ここには日の光が射している。それも人工のものなのだろう。ニースと同じで。
それは枝葉がゆらゆらと揺れるのに合わせて僕たちを照らし、お揃いのプラチナブロンドを煌めかせた。

「私、生き返って良かったのかな」
「……僕は、悪いことだとは思わない。ニースが死んだ時、すごく悲しかったから。生き返ればいいって何度も何度も思った。ニースが帰ってきて、お父さんもお母さんも嬉しかったと思うよ」
「でも、みんながみんなそれをいいことだとは思わないんじゃないかな……」

ニースは核心を突いていた。
それは、自分の処遇に関する不安を思わせる言葉。

「リヨンはもうすぐ退院でしょ?私はどうなるの?私は、まだここにいなきゃいけないの?ここにいても、いいの……?」
「ニース、」
「私、生まれてきて良かったの?」
「ニース、生まれたことに罪はないよ!」

ニースに罪はない。けれど、生み出した者には罪がある。
罪があるのは、禁忌を犯したからだ。してはならないことをした。
その結果がニースだ。
倫理に、秩序に、摂理に逆らう存在。

「……リヨンは優しいね。やっぱり、大好き」

どうして笑顔を浮かべていられるの?
聞かなくても分かっていた。
ニースは知らないからだ。
自分がもうすぐ、消えてしまうこと。

「私、リヨンとずっと一緒にいたいなあ」
「……一緒にいるよ、ずっと」

どんな君でもいい。
君がすごく大事なんだ。

「今日は砂時計を持ってないんだね、リヨン」
「うん、今日はいいんだ」
「じゃあ、お昼寝する時間もあるよね。なんだか眠くなっちゃった」
「うん……僕も」

柔らかな風が、花の香りを運んでくる。
ゆったりと全身を包まれて、夢の中にいる気分だ。
僕たちはどちらからともなく手を繋いで、そして同時に目を閉じた。





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「リヨン、ニース。起きなさい」

僕たちを目覚めさせたのは、白衣の職員だった。

「もう時間だ」

目を擦りながら、ニースはぼんやりとした顔で僕を見た。

「リヨン、明日も来てくれる?」
「……来るよ、ニース」
「じゃあ、また明日ね」
「うん、また明日」

職員に促され、僕は立ち上がる。
手を振って、ニースに別れを告げた。
一度だけ振り返ると、ニースは笑って、また手を振った。
僕は、叫び出したくなるのを、泣き出したくなるのを唇を噛んで堪えて、歩き出した。



エレベーターに乗り込む直前、歌声が聞こえてきた。
この箱庭のどこかで、ニースが唄っているのだ。

「この歌……どうして……」
「リヨン?どうかしたのか?」

それは、母がよく唄ってくれた歌だった。
僕とニースが大好きだった、あの歌だ。

「覚えてないって言ってたのに……!」

走り出そうとした僕の腕を、職員が掴んで引き留める。

「だめだ、リヨン。もうじき雨が降る」
「雨って……ここに……?」
「そうだ。濡れてはいけない」

その言葉で、「雨」がどんなものなのか、僕には分かってしまった。
ニースは、雨に融かされ、消えてなくなるのだ。
残酷なのか、残酷でないのか、どちらだろう。
僕は引きずり込まれるようにして箱に乗った。
透明なそれが上昇を始めると、霧のように細かい雨が温室に降り注いでくる。
取り残されたニースは、間違いなく雨に濡れてしまうだろう。
涙が止まらなくて、僕は箱庭から遠ざかりながら声を張り上げて泣いた。
離れたくないのに、失いたくないのに。
ニースの歌声が途切れる瞬間を聞きたくなくて、はやくはやくと心の中でずっと叫んでいた。

歌声は、僕の知らないところでぷつりと切れた。



「Loop loop in the miniature garden……

Loop loop in the rainy day……

Loop loop in the miniature garden ……

Loop loop in the rainy day ……

Loop loop in the miniature garden ……

Loop loop in the rainy day ……

Loop loop ……」



ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

あめふるはこにわ3

6月分の「あめふるはこにわ」続きです

閲覧数:174

投稿日:2011/06/30 21:41:14

文字数:2,856文字

カテゴリ:小説

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  • 日枝学

    日枝学

    ご意見・ご感想

    1と2含めて読みましたよー! 1の時は「どんな話なのかな?」となり、2で話の方向性が見えてきて、3の最後で読み手を緊張させるこの展開が良いですね
    個人的には、2の途中の地の文、
    >ニースの悲しみは、絶望は、後悔は、僕の想像が追い付かないほど深いのだろうと思った。
    の表現が好きです。特に「追いつかないほど」というフレーズが、こういう場合に使われる他のフレーズより、より読み手を想像させるように感じました
    3で「雨」が何か分かってから歌声が途切れるまでの描写も良かったです
    執筆GJ!

    2011/07/01 01:54:01

    • 牛飼い。

      牛飼い。

      メッセージありがとうございます!
      「あめふるはこにわ」を担当したサイダーです。

      詳しい感想を頂けて本当に嬉しいです。
      書き始めた時は、こんな設定でいいのか…?という感じだったもので…。

      日枝さんのお話も読ませていただきました!
      「深海少女」がすごく好きです…^///^
      いいですね!ていうか文章お上手です!

      こんな話を読んで下さり、メッセージまで下さり、本当にありがとうございました!

      2011/07/01 06:09:29

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