マスターは私を見てため息をついた。
「飲みに行く?俺の奢りでいいよ、めーちゃん。」
私はマスターに手を引かれて、部屋を出た。
大好きな居酒屋で、いらつく気持ちに任せていつもよりもさらに何本も飲む。
マスターは金持ちだからたまにはいいだろう。
「あんの……バカっ……ちきしょ、バカイトぉ、めぇっ……」
ビールの空のジョッキが10杯を軽く越えていた。
ろれつが回らない。
畜生。畜生。畜生。畜生。畜生。
カイトの馬鹿。あんなにグミちゃんのこと好きそうなのに、てか絶対好きなのに。
振るなんて。振ったなんて。何がしたいんだよ。
しかも私を理由にして振るなんて。
せっかく、グミちゃんと両想いになれそうだから、カイトが初めて誰かを好きになれそうだから、頑張って諦めたのに。告ることすら、バカイトを惑わすから諦めて。
なんであんな奴を好きだったのかわからない。でも一度でも好きになっちゃったから。
グミちゃんに嫉妬しないように必死で諦めて、気持ち押さえ込んで。
それなのに私みたいなのが好きって言ってグミちゃん振るとかマジであり得ない。
「梅酒のグラス下さい。……あぁ、はい、ロックで。」
マスターが、私の今ちょうど飲みたかった物を注文してくれる。
……でも一番あり得ないのは、その一言をほんの少しでも嬉しいって思っちゃった私だ。
めーちゃんはとうとう酔いつぶれた。……30杯近くのジョッキと、日本酒のボトルと、梅酒のグラスを数本空けて。
泣き上戸じゃないのに泣き続けて、そのまま机に突っ伏して眠りはじめて。
ずっと話していたのは、カイトのことについて。
「ったく……そんなに泣くなよ……なぁ……」
ため息まじりに独り言を呟くと、めーちゃんはこっちに顔を向けた。寝ぼけているらしい。
「バカイト……?」
俺は多分、はっきりと刺された顔になったと思う。
カイト、カイト、カイト。めーちゃんはそればっかだ。
それを支えるという役割に徹しているのは俺だけど、……ちょっとぐらい、報われたって。
「あ……マスターか……」
めーちゃんは俺を認識すると、いつもとは全然違う、弱々しいけど安心したような、子供のような笑みを浮かべた。
「マスター……好きぃ、ありがとぉ……」
そのままめーちゃんは俺に寄りかかり、眠そうな声で話し出した。
「ずるいよぉ……グミちゃん、ずるいよぉ……カイトだってグミちゃんのこと好きになっちゃうし……カイトのこと諦めたと思ったら……マスターもグミちゃんグミちゃんって……なんで私の好きな人は……みんなグミちゃんのこと……好きになるの……?」
……それって。それってつまり。
めーちゃんは今俺のことが好きってことで。
「別に俺……グミちゃんのことが好きなわけじゃなくて。グミちゃんは可愛いけど、面倒見てあげたくなるけど、恋愛対象として見てる訳じゃないから……」
高鳴る鼓動を押さえてそう言うと、めーちゃんは涙で濡れた目をこちらに向けた。
「ほんと……?ほんとに?グミちゃんのこと、恋愛対象として見てない?」
「ん……」
「じゃあ……誰が好きなの……?」
俺は一瞬固まった。
……どうせ明日の朝起きたら覚えてないんだろうな。
「めーちゃん」
めーちゃんの顔がパッと輝いた。俺にぎゅっと突然抱きつく。
「え、ちょ、」
「嬉しい……マスター……大好きぃ……好き……」
「…………っ」
言葉にならない。
「マスター……」
我慢の限界が切れた。
めーちゃんを力一杯抱きしめ、自分の唇を無理矢理めーちゃんのそれに重ねる。
「んっ……マスター……っ」
緩んだ唇の隙間から舌を滑り込ませ、口全体を犯していく。
「マスター……部屋……つれてってぇ……」
そうできたら、どんなにいいだろう。
でも今めーちゃんは酔っている訳で、そんな状態でするのは嫌で。
俺は首を横に振ると、泣きそうな目をしためーちゃんに向かって笑いかけた。
「もし、明日の朝覚えてたら、明日ね。」
俺はしばらくしてまた眠りこんでしまっためーちゃんを背負って、寮の部屋に向かった。
「うー……頭痛い……」
朝、頭を押さえながら部屋に入ってきためーちゃんを見て、俺はため息をついた。
「昨日ジョッキ30杯分ぐらい飲んでたから当然だろ。」
そう言って笑うと、めーちゃんはぎょっとした。
「え、本当ですか!?うわ、ごめんなさいごめんなさい!昨日の記憶なくて……」
……やっぱり、な。
一体いつになるのやら。
ま、でも、好いてくれているみたいだから。
今までのことを思えばいつまでも待てるよ。
私はマスターに頭を下げると、急いでマスターの部屋を出た。
「……やっぱ、無理、言えない」
覚えているとか。たとえ酔っていたとは言え、自分でマスターを誘ったことを覚えているとか。あの唇と舌の感触を今でも鮮明に思い出せるとか。
恥ずかしすぎて言えるわけない。
それとも、夢……だったのかな。昨日のこと。
マスターが好きな人が、私って。
あの腕の、唇の、舌の、マスターの感触も。
ふと前を向くと、カイトがやつれた顔で、しかしどこか嬉しそうな顔をして立っていた。
「あ……めーちゃん」
「おわ。どうした?」
カイトは苦笑いを浮かべた。
「一昨日から昨日まで食べ物を何も食べてないことに今更気がついた……朝から夕方までだと思ってたのが一日越してたんだよ……めーちゃんお腹空いたよー……」
「道理で朝早いわけね。……前には進めそうなの?」
それだけ聞くと、カイトは黙ってVサインを返してきた。まだ僅かに心が疼く。
「そう言えば。」
カイトは唐突に口を開いた。
「マスターがね、『めーちゃん覚えてないよな……』とか言ってたよ。さっき会ったとき。何があったか知らないけど、頑張ってね?めーちゃん。」
私は真っ赤になった。
「この……バカイトっ!」
カイトに回し蹴りを決めると、私はその場を立ち去った。
……マスターがカイトとグミちゃんの面倒を見なくていいようになったら、言わないと。
私もいい加減、前に進まなきゃだしね。
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B 潮風を背に歌う 波の音とボクの声だけか響いていた
S 潜った海中 静寂に包まれていた
空っぽのココロは水を求めてる 息もできない程に…水中歌
衣泉
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