もしもあの時こうしていれば。
今ここにいたのは、本当に私だったんだろうか。
涙の数は後悔の数。
私は、誰よりもずっと、損をした人生だった。
<<【カイメイ】後悔の雨に【音を失った少女に】>>
今までずっと、特別な人生なんて送れないと思ってた。
ただなんとなく生きて、なんとなく誰かと一緒になって、平々凡々でありきたりな日常を過ごす。
それが私の一生なんだと信じて疑わなかった。
だから中学生になる頃、病院で私が大人になるまで生きられるかわからないなんて聞かされた時は、それはそれは驚いたものだ。
でも、これはきっと、なんとなく生きてきた罰なんだなと思った。
なんの目標もなく全ての出来事をやり過ごし、善も悪も意識せずに生きてきた。
無気力だったから、神様が怒ったんだ。
それからは、やりたいことを見つけて生きるようにした。
未来のことを考えるようになって、少しは目標ができた。
大人になってお酒を飲んでみたい。
女の子らしく恋の話とかもしてみたいし、恋もしてみたい。
最近読み始めた小説も、新刊が出るのは数ヶ月先だ。
未来を望むために生きる。
それだって、私から見ればきちんとした目標。
それから無表情をやめて、笑顔の練習をした。
毎日笑顔でいれば、きっと毎日が楽しくなるに違いない。
そうすればみんな程長く生きられなくても、大人にはなれるかもしれない。
いくつかの目標を持つ。笑顔を保つ。
自分自身で決めたルールを引っさげて、私は中学生活に挑んだ。
結果は成功で、昔よりも上手く友達が作れた。
輝いて見えるようになったその教室で。
無気力な瞳で席に座る一人の少年が、どうしても気になった。
初めて彼を見た時、どこかで彼を見たことがある気がしたのだ。
よく考えて、気づいた。
あの無気力な瞳は、以前の私にそっくりだということを。
鏡を見ているようだった。
私はその生き方を知っている。
彼の瞳に興味の色が浮かぶなら、それはいったい何に対してなんだろう。
無気力な人間を変えるのが難しいことは、私自身が一番良く分かってる。
彼にしてみれば余計なお世話かもしれない。
それでも私は、なんでもいいから、彼に興味を持ってほしかった。
先日まで無気力人間だった私にとって、長く会話をすることはすごくハードルが高い。
気まずくても、新学期特有の「あなたのこと知りたいオーラ」を出して頑張るのだ。
この学校は男子と女子でまとめて番号を振るのではなく、全て完璧に五十音順で番号が割り振られている。
出席番号が一つ違うということもあって、彼は私の一つ後ろの席だ。
それを利用して、彼に積極的に話しかけた。
席が近いこともあって、彼は口数こそ少ないものの、私と話してくれた。
そっけない返事ばかりだったけど、私は彼がきちんと答えてくれたことが嬉しかった。
「芽莉紗?」
「そう。メリサ。なんでこんな名前なんだか、私もよくわからないけど」
「ふーん。なんでもいいんじゃない?本人が気に入っているなら」
「変な名前って思わないの?」
「別に」
一か月くらいで結局彼は病院へ移ってしまった。
彼はどうしているだろうか。
私は、中学校生活を送るのに忙しくて、しばらく彼のことを思考の隅に追いやり、忘れてしまった。
しばらくして、私は何かの病気で入院することになった。
両親は、きっとすぐによくなるとだけ言って、私に病名や病気の説明をしてくれなかった。
疑問に思ったけど、そんなことは、衝撃と共に吹き飛んだ。
私が入院する隣の病室。
そのネームボードに、「始音 和人」の名前があった。
私のクラスメイトだった人。
後ろの席で、無気力な瞳に海よりも深い色を宿していた人。
何の因果か、彼と隣同士になってしまった。
せっかく隣になったんだ。話がしたい。
でも病院で、しかも長時間話すなんてすごく迷惑だ。
そして閃いた。手紙を書けばいいんじゃない?
手紙なら、うるさくて迷惑がかかることもない。
彼と、たくさん話ができる。
看護師さんに無理を言って、彼に手紙を届けてもらった。
書いたのは「これからよろしく」とか、深く突っ込まないシンプルなもの。
届けてもらってから気づいたのだけれど、あの何にも興味がない人に、手紙の返事をもらうなんて無理なのではないか?
そもそも私のことを覚えてもらっていない気もする。
失念していたことが多々あり、私はすっかり気分が沈んでしまった。
だから翌日に返事が来るなんて思っていなくて、私は真実を疑ってしまった。
彼に少しでも興味を持ってもらえたのだろうか。
相変わらず、その口数と同じように、数行の短い手紙ではあったけど。
記す言葉の一つひとつに気をつけて、私はまた手紙を書き上げた。
今日私が書けば、明日は彼の番。明後日はまた私。
最近読んだ本。雑誌で見た憧れのお菓子。病院で起きた出来事。
いろんな話をしていくうちに、彼からの文章も少しずつ増えた。
数回目の私の番の日、初めて家族以外の人がお見舞いに来てくれた。
でもそれは嬉しいことではなかった。
クラスメイトが二人亡くなったらしい。
そのうちの一人は音が聞こえない女の子で、彼女を追うかのように今朝もう一人が屋上から身を投げたらしい。
確かにあの二人は仲が良さそうな印象だ。
でもなんで後を追う必要があるのだろう?
聞いた話では、二人とも両親が家に不在で、彼女の生活を支えるために幼なじみの男の子が一緒に住んでいたんだとか。
詳しい理由はわからない。
でもそうなら、男の子は彼女の死を間近で見ていたはず。
わざわざ、翌日学校で死ななければいけない理由があったのだろうか?
彼に手紙を書くと、こんな言葉が返ってきた。
『よく覚えてないけど、女の子のことを邪魔に思ってた人はたくさんいた気がする』
その文を見て記憶を探る。
うちのクラスはみんな仲が良いはずだ。
私にも優しくしてくれて、忘れ物をすれば貸してくれて、彼女にはみんな…
「…あれ」
そこで違和感に気づく。
私がその時気にしていなかっただけで。
確か、彼女、いじめられていたんじゃないだろうか?
また数日経ってあの先生がやってきて、いろいろ話をしてくれた。
何かが学校に出るようになったらしく、それでクラスメイトが騒いでいるらしい。
でも大したことじゃないんだって。
生徒の噂話が加速しただけで、どうせすぐに収まるんだからと。
相変わらず話が長すぎる先生は、少し面倒そうな顔をしていた。
夜中に廊下が足音でうるさくなる日が続いた後。
クリスマスイブの日、いつもの看護師さんが暗い顔で一通の手紙を差し出した。
「本当は昨日渡すつもりだったんだけど…」という言葉を無視して、私は手紙の中身を見た。
『君の言っていた本を読んだ。
たまには読書も悪くないね。
僕もオススメの本ができるといいな。
君の話のように、きっと世界は優しいんだろうね。
それでも僕の望みは叶わない。
さよなら。今までありがとう』
その内容に、なぜか胸が痛くなる。
思わず内容の意味を問うと、看護師さんからはとんでもない一言が飛んできた。
「和人くんね、昨日亡くなったの」
亡くなった?
なくなったって、何が?
隣の病室のネームボードは何も書かれていなかった。
扉を開けても、そこに暮らしていただろう彼の痕跡らしきものは一つもない。
まるで世界が彼を隠したかのように。
彼が生きていた証拠が、全てなくなっていた。
文通が途絶えて、私はぬけがらのように、何もしなくなった。
今までそこにあったはずの日常が、知らない世界のようだった。
私が入院して1ヶ月近く経つのに、家族や先生以外の誰も見舞いに来ない。
音の聞こえない彼女を陰で嫌っていたように、私も最初からみんなと仲良くなんてなれていなかったんだ。
私が勝手に仲間意識を持っていただけで。
誰も私を必要としていない。
上辺だけの優しさを振りまいて、手にしたのは捨てたはずの「無気力」。
これが因果応報ってやつだろうか。
なんでもいい。どうせ私は大人まで生きられない。
ならば今だけの人間関係なんて、大事にする必要なんてない。
ふと気がつくと、机の上に何かが置かれていた。
いつの間にか誰かが来ていたらしい。
それは一冊のノートだった。
引き寄せられるように手を伸ばして、中身をぱらぱらめくる。
誰かの日記のようだ。
中身はとりとめのない、灰色の日々の話。
『僕はひどい病気にかかってしまったらしい。
長くて五年、短くて半年しか生きられないらしい』
『どれだけ強く願っても、叶わないものは叶わない。
だから、この人生に意味はない』
私はこの文章を知っている。
この文字を知っている。
『手紙を読むとなんだか嬉しくて、元気になったような気がした』
『僕ももうすぐ死んじゃうのかな。せっかく、あの子と仲良くなれたのに』
知らないこともたくさん書かれていた。
全部に興味がないんじゃなくて、実際は感情を心の奥に隠していたこと。
『希望の手紙をありがとう』
そして、私の手紙が希望になっていたこと。
最後の日のページを読み終わって、あの日流れなかった涙が頬を伝う。
もう何もかも遅い。私はいつだって気づくのが遅かった。
最初から何もできてないわけじゃなかったんだ。
彼はもう一人の私だ。
その運命から、生き方に至るまで、私によく似ている。
…泣いてたから、誰かが入ってきたことに、私は気づかなかった。
消灯が迫っていて、こんな時間に誰かが来るなんておかしいと、どうしてすぐわからなかったんだろう。
首筋に走る鋭い痛み。
その方角に目を向けると、私の主治医が注射器を持っていた。
「せんせい…それ、何?」
「うちの新作でね、ちょっとした毒薬さ」
毒薬?
痛み止めとかじゃなくて?
「もう必要なデータは取れた。処分の許可が降りたからね。君はもう用済みだ」
「……?」
せんせいは何を言っているんだろう?
徐々に薄れる視界に、せんせいが首から下げているIDカードの記述が、やけに気になった。
『ーーー結月心理学研究所ーーー』
*
…長い間、終わりのない夢を見ていたような気がする。
病院の外に立っていて、小雨の降る中、ベンチに誰かが座っているのを見た。
彼は私を見つけるとこちらに手招きをした。
「僕らが失くした未来の話をしようか」
彼の隣に座り、私は問いかける。
「あなたの日記を読んだわ。でもいろいろわからないことがあるの。どうして隣の病室なのに一度も会ってくれなかったの?」
「身体があまり動かなくてね。日記は気が向いたものを書いていただけだし…君に読まれるなんて思ってなかったけど」
初めて話した時よりも多い口数。
「僕からも話をさせて。僕は薄々死を悟ってたけど、君はそうじゃない。思い出して。君は病気でここに来たんじゃないでしょ?」
「うん。私、せんせいに…研究者に毒を打たれて、今こうして夢を見てるんだと思う」
「そう。君は気づいていないけど、君が眠って数ヶ月経ってるんだ。無理に命を奪われかけた君は、誰にも何も伝えられずに消えようとしてる。僕は君の意思を聞きに来た。…君はやり残したことは?」
彼の言葉に、涙がこみ上げてくる。
「私は…私は、もっと楽しく生きたかった。普通に友達と遊びに出かけて、本当の笑顔で生きたかった!私がしてきたことは全部無駄で、空回りでしかなかったんだ。今、やっと気づいた。私の祈り。人生をやり直したい。今みたいに後悔であふれないように……」
今まで押し込めていた分、堰を切ったように感情が溢れ出す。
この雨は私の涙だ。
後悔の数だけそれは地に降り注ぐ。
「でもやり直しても、全部忘れて生きていくんだと思う。私が無気力な人生を過ごしたことも、今見てるこの夢も、何もかも」
私が生きた証拠がどこにもないまま、やり直す意味なんてない。
「じゃあ僕は、君に会うために生まれ変わろう」
その言葉に、耳を疑った。
「君が忘れたって、僕は覚えてる。だから君は安心して眠りにつくといい」
「…え?」
「約束するよ。無気力だった僕の、最初で最後の祈りだ。君ともう一度会いたいからね」
「待って。どうして私のために、そんなことを祈ってくれるの?」
「僕は正直、人生なんてどうでもよかった。でも君のことを考えたら、不思議と生きたいと思えた。だから君を何年、何十年だって待ち続けよう。それくらいの覚悟があれば、今度は無気力になんかならないだろう?」
すると、彼はこちらに微笑みかけた。
それは、初めて見た彼の笑顔だった。
私は彼が感情を表したことを見たことはない。
笑うのがきっと苦手なんだろう。その不器用な笑顔に、もうほとんど動かないはずの心臓が、高鳴った気がした。
ああ、ようやくわかった。
私はこの不器用なひとに、恋をしていたんだ。
「本当に誓えるの?途中で投げ出さない?」
「何度だって言うさ。芽莉紗、君に会いに行く」
「…わかった。いつまでも待ってるから、必ず来て、和人」
小指を絡ませ、初めて互いの名を呼び合う。
彼を変えることができた。それだけが、私の生きた証。
形が残っていなくても、彼と私が覚えていればいい。
薄明かりの満月の下で、ゆっくりと目を閉じる。
今夜からやっと、いい夢が見れそうだ。
この後悔の雨が止む、その時まで。
おやすみなさい。
【タイムリミットまで あと4人】
【希望の手紙】後悔の雨に【音を失った少女に】
「その手紙だけは光を失わなかった」
【CASE4 : 咲音 芽莉紗】
3年ぶりくらいの「音を失った少女に」更新です。
めーちゃんは一番希望がある終わり方をしてます。
字数オーバーに引っかかったのでかなり削りました。
このシリーズをやらないとMemoriaが進まないことに気づきました\(^o^)/
今後書く予定のものを含めると、memoryシリーズは総数50話を超えそうです。
それだけ思い入れが強いシリーズです。
次回は多分リンちゃんだと思います。
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