第八章 04
さらに三日が経過した。
「そろそろ弾圧が始まるじゃろう。余をかくまっておる民は重罪人じゃとな。あ奴らの思考を読むのは容易い。余が見つからぬ現状に業を煮やした奴らは、余が姿を表すまで無辜の民を殺し続けると言いかねん」
常に移動を繰り返していながらも、なんとか起き上がる事が出来るほどに回復した焔姫は、民から街の様子や近衛兵の様子を聞いて、ぽつりとこぼす。
そのさらに二日後、焔姫の言葉は現実となった。
「た……大変だ!」
また違う民家の一室で、寝台に横たわる焔姫の元へと家主があわてた様子で駆け込んでくる。
「あわてないで。落ち着いて下さい」
寝台の横に座り込んでいた男が、家主をなだめる。
家主は落ち着き払っているように見える男に思わず怒鳴りそうになり……何とかこらえた。焔姫が寝台で静かに寝ていたからだ。
「それで……何があったのですか?」
男は、家主が落ち着くのを待ってから静かに問う。その目元には、深い隈が出来ていた。焔姫が倒れてから、男はほとんど寝ていないのだ。
少しでも危険を察知すれば焔姫を連れて移動し、身を隠すため、常に気を張り続けているのだ。
男には、自らの半身に等しかった弦楽器を失った事を悔やむ余裕すらないままだった。
「そ、それが――」
それから、家主は見てきた事を話しだした。
それは、焔姫の予測が当たっていた事を示す内容だった。
毎朝、新たな国王となった宰相は広場の上にあるバルコニーで訓示なるものを述べており、そこで先代国王の事実と反する愚行を吹聴したり、新たな税や罰則の追加を告げるのだという。
そこで今日、宰相はこう告げたという。
「未だ、恥ずべき先代愚王の血脈に連なる者が、この街に息を潜めている。皆も知っておろう。あの傲岸不遜な元国王の娘だ。愚かにも、何者かがかの者をかくまっているとの噂もある。我らは、そのような者どもには屈さぬ。彼らの悪行の数々を知ってなお、元国王の娘をかくまう者は、我ら王宮への反逆の意思があると見なさざるを得ぬ。我らは、徹底的にやる。元国王の娘の味方をする者には、死罪が下るものと思うがいい」
そう言って、宰相は近衛兵に一人の男を連れてこさせたそうだ。
牢獄で拷問を受けたのだろう。やせ細った身体に、げっそりとした顔はいたるところが腫れていた。
その人物は、焔姫が凶刃に倒れたその日、焔姫をかくまい、包帯と薬を調達してくれた人だった。
「それで、彼は……?」
家主がそこまで話したところで、男は我慢出来ずに口を挟んでしまう。
内心では聞かずとも分かっていた。その人物がいったいどうなったのか。それでも、聞かずにはいられなかった。いや、男は自らの想像を否定して欲しかったのだ。
しかし、男の望みもむなしく、家主は沈痛な顔でうつむく。
「……サリフ殿は『愚かにも元国王の娘をかくまい、我に歯向かった者の末路を見るがいい。皆、ゆめゆめ忘れるでない』と言い……」
家主は悔しそうに歯噛みする。
「……彼の首を、落としました」
「……くそっ」
「最期、彼は『焔姫、万歳!』と叫んで……逝きました」
「……」
「……」
二人とも、それ以上何を言えばいいのか分からなかった。
現状は、限りなくきびしい。
にも関わらず、そのきびしさは日を追うごとにさらに増していく。その過酷さを、男はまざまざと見せつけられていた。
だが――。
過酷であればあるほど、誰かが焔姫を助けてやらねばならない。そしてそれは、やはり自分しかいない。そう男は覚悟を新たにする。
「……余が生きておるせいで、罪なき民が死んでゆくのか」
焔姫がそうつぶやいたのは、家主が部屋から出ていったあとの事だった。
「聞いて……いらっしゃったのですか」
焔姫の声に驚いてその顔を見ると、焔姫は寝台に横になったままぼんやりと宙を見つめている。彼女は、男の方を見ようとはしなかった。
「生きている事が、こんなにも苦痛になってしまうとはの……」
「姫……」
焔姫の言葉は、か細かった。
「大人しく殺されに行った方がいいやもしれんな……」
「姫、気を強くお持ちください。姫が、この国唯一の希望なのです」
男の言葉に、焔姫は自嘲気味の笑みを浮かべる。
「その……希望とやらのせいで、民は殺されていくのじゃ。一人目は、単なる始まりに過ぎぬ。すぐに大勢の民が殺されてゆくじゃろう。それでも余は、誰一人助ける事が出来ぬ。これで、いったいどこが希望だというのじゃ……」
「……」
男は、焔姫の言葉に何も返せない。下手ななぐさめでは、焔姫の心をさらにえぐってしまうだけだった。
「……余を、置いてゆけ」
「何を!」
悲痛な言葉に、男は声をあらげてしまう。だか、焔姫はそれでも男の方を見ようとはしなかった。
「余に関わり続ければ……なれも殺される」
「構いません。姫を見捨てるくらいなら、死んだ方がマシです」
「……だからじゃ」
焔姫は強く拳を握っていた。その手は、細かく震えている。
「……?」
「余がどうなろうと……それでも、余はなれに死んで欲しくはない。余のせいで……死ぬな」
「姫……」
焔姫の横顔には、悲愴に彩られた、けれど奇妙な美しさがあった。
「どこか……余の知らぬ異国の地で、『焔姫』を歌い続けるのじゃ。十分に長生きして、老いか病で静かに息を引き取るその時まで、心の片隅に余の記憶があればいい。それだけで、余は満足――」
「私はここを離れません。何を馬鹿な事をおっしゃっているのですか」
「ただの……冗談じゃよ」
そこでようやく、焔姫は男を見て笑う。だが、そのむなしそうな笑みを見る限り、男には先ほどの言葉が冗談とはとても思えなかった。その琥珀の瞳からも、光が失われかけているようにも見える。
「姫……」
男は焔姫の手を取り、握りしめる。強く、強く。
「私が、姫のそばにおります。私が……姫をお守りします。ですからどうか――」
――置いてゆけなどと、悲しい事をおっしゃらないでください。
そう続けようとした。だが、そんな男の言葉は、扉が開いた事でさえぎられてしまう。
「……。貴方は――」
握りしめた手を離し、扉の外に立つ人物を見て男は声を上げる。
そこにいたのは、平服に身を包んだ穏和そうな細身の男だった。
「……近衛隊長殿」
「アンワル……汝も無事じゃったか」
彼はお辞儀をして、うすくほほ笑む。
「姫。無事で……何よりです」
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