第十七部 嫉妬
青の国第十七王女、ユリーシャが黄の国に来た次の日の夜。まだ期間にして丸二日も経っていない二も関わらず、アズリの精神状態は最悪を極めていた。
「また、夕飯さぼられた」
寝る仕度を済ませてしまってから、苛々と吐き捨てて自室のベッドに潜り込む。そんなに長い時間付き合わないと言っていたのに、蓋を開けてみればレンは午後からずっと異国から来た王女様と一緒に居る。昨日に引き続き夕飯を一人で食べる羽目になって、早くも決めたはずの覚悟が崩れ始めた。
朝食時には顔は見られるものの珍しく何事かを悩んでいるらしく、声をかけづらい。昼食は午後からの時間を作るために執務室で食べているらしい。
最愛の恋人が何を思い悩んでいるのか、考えたくもないのに考えてしまう。そして答えは実際考えるまでもないだろう。誰だって自分に相応しい相手を欲しがるものだ。
今日の昼に初めて見かけた、青の国からの王女様。セシリアと同じ髪の色で、そしてタイプは違うものの美しい少女だった。端正な顔立ちのレンと並ぶとやはり絵になる。
「不公平だ。神なんかこの世に居るもんか」
鏡をちらりと見やる。あんな情景を目撃し、平凡な己の顔を見てどうして嘆かずにいられようか。
信用はしている。レン本人にもそう言ったのだが、その意味合いは心配しても仕方が無い。という諦念の元にあると言っても過言ではない。
元黄緑豚と間違いなく美青年であるレンが釣り合わないのは、アズリ本人が認める事実なのだ。彼が他の、もっと容姿や能力共に高い女性を改めて好きになったとしても、それを責めることなどできないだろう。
無論、アズリ個人が納得できるかは別としてだが。
どれだけ不満を零そうが枕を殴ろうが、全てはレンの意志次第だ。だからせめて一週間が過ぎるまでは何も考えないようにと、何度自分に言い聞かせても効果は無い。
人生でこれ以上重要なことなどあり得ないのだ。
「別れるのは嫌だよー」
涙が目尻から滲み出たが、ベッドに潜っているため掛布にすぐに吸い込まれていく。この不毛なむかつきも、同じように消えて無くなればいいと本気で思う。昨日も夕食後ずっと泣いていたものだから、目の周りは炎症を起こしていて塩水が沁みた。
イルかセシリアに相談しようと何度も思ったのだが、結局言いだせない。どんな形でレンに知られるか分かったものじゃないからだ。
今のアズリの胸の内に溜まる感情は、どう取り繕った所で結局嫉妬だ。そんなものをレンにだけは絶対に見せたくない。これで別れることになったとしても、一緒に休みを取ると言ってくれた時の記憶が最後になるのが一番だ。下手に抵抗して、冷たい軽蔑の目でも向けられたら死にたくなる。
「王宮から追い出されたりは、しないよね」
この部屋からは出て行かざるを得ないだろうが、仕事まで奪われる事は無いだろう。幸い今の直属の上司であるディーの執務室はかなり遠いから、私室さえ変えれば顔を合わせる頻度はそう多くないはずだ。
脳内世界でどんどん別れる方向に話が進んで行くが、何故か精神状態は少しましになった。悟りを開いたと言っても良いかもしれない。
「仕方ないさー。仕事に生きるのさー」
ぼそぼそと呟いた所で、レンの広間から続く扉がノックされた。数秒前の悟りは何処へやら、瞬間的にベッドから跳ね上がる。
「今開けます!」
慌て過ぎていて自分で開けた扉に額をぶつけた。衝撃によろめくが、愛しい恋人が訪ねて来てくれた事に狂喜しているので痛みはほとんど感じなかった。
しかし金髪の麗人は驚いたようで、ぎょっとしてアズリの赤くなった額に触れた。
「痛!」
「何やってるんだよ。そんなに急がなくても良かったのに、って、もしかして寝てたの?」
起こしちゃった? と申し訳なさそうに言われ、最大戦速で首を横にぶんぶん振る。
「いえ、ちょっと布団に入って瞑想していただけですから」
頭を撫でられてその感触に世界の全てがどうでも良くなったが、麗人の指が腫れた目元をなぞり、走る痛みにびくりと身体が震えた。
「泣いてたの? ……今日だけじゃないね」
ほとんど断定的に言われ、羞恥心に俯いた。格好悪い。つい数日前にちゃんと納得したのに、結局大人しく時間が過ぎるのを待つことすらできないとは。
言い訳もできずにそのまま無言でいると、手を引かれて広間のソファに座らされた。
「薬持って来るから待ってて」
そう言い置かれて、レンは自分の寝室に行ってしまった。アズリは恋人の寝室に入った事は無いのだが、聞いた話によると寝室から繋がるウォークインクローゼットを調剤室に改造しているらしい。
レンは数分で戻ってきて、アズリの隣に腰を下ろした。
「こっち向いて」
逆らうなど思いもよらない。言われたとおりに身体の向きを変えて顔を上げた。
「こんなに腫らして、化膿して顔に傷でも残ったらどうするの?」
かつてこの鬼上司下で働いていて、失敗を指摘された時と同じ冷たい声が浴びせられた。しかしその元凶に怒られるのはどうにも理不尽な気がして、少し自棄気味な謝罪が口を突いて出た。
「すいません。でも夕食まで一緒に食べられなくなるとは聞いてなかったから、寂しかったのでつい泣いてしまったんです。それに今更傷の一つや二つ気にしません。もともと大した出来でもないですから」
偽らざる本音だ。この数ヶ月間、レンに嘘を言った事は何度かあるのだが、全て見破られているのだ。それも思いもよらない方向からばれていると悟らされるので、彼相手に作り話をするのが馬鹿らしくなった。
本当の事を言ったはずなのに、レンの目がすっと細められた。手に持っていた薬瓶がテーブルに置かれ、両手で顔を包まれる。決して乱暴な動作ではなかったが、硝子玉のような目に内包されている冷気に息が詰まった。
「君の顔ね、僕が気に入ってるの。だから傷を付けるような事はしないで。分かった?」
がくがくと頷くと、恋人は満足したようににっこり笑って再び薬瓶に手を伸ばした。中身は軟膏の類らしく、白い薬が少量指に移されてアズリの目の周りに伸ばされる。無意識の内に目を瞑った。
好都合と言わんばかりに、遠慮なく麗人の指が瞼を撫でた。
「痛いです」
ものすごく沁みる。それは塩水を固形化したものかと問いたくなるが、もちろん訊けない。
「我慢」
抗議も即座に却下される。泣き過ぎて目を擦って炎症を起こしているのに、その治療薬で泣かされるのは酷い。しかしすぐに薬の刺激に慣れて心地よくなり、むしろ目元をなぞっている指の感触がくすぐったい。
そして雰囲気を怖がって内容を噛み砕かなかった、ついさっきの言葉が頭の中で再出力された。
『君の顔を気に入ってるの』
余りにも不自然なので、嬉しさに口が笑いそうになるのを何とか堪える。嘘かもしれないが、疑った所でアズリにいい事は一つも無い。嘘をつくことを諦めたのと全く同じ理由で、レンの嘘を見抜く努力も完全に放棄していた。
「はい、終わり」
薬瓶が閉じられる音が聞こえ、ようやく目を開けた。
「ありがとうございます」
我ながら単純だとは思うが、ずっと沈んでいた気分は嘘のように晴れやかで、上機嫌な笑顔でお礼を言えた。が、当の恋人はそれで済ませてくれる気が無いようだった。
「で、僕が君を捨ててユリーシャ王女に乗り換えるとでも思って泣いてたの?」
図星を指されてぎくりと身体が強張る。
「はい、そうです」
「三日前に話したことを忘れたわけじゃないよね?」
「そうですけど、一日二時間くらいって言ってたのに食事返上してでも午後ずっと王女様と一緒に居ますし、夕食まで二人で食べてるじゃないですか」
言っている内に燻っていた不満がぽろぽろ出てきた。確かに信用していると言ってこの有様は申し訳ないが、話が違うのはお互い様でもある。
「今日、偶然中庭でお二人をお見かけしたんですよ。ものすごい美人だったので、元黄緑豚としては無性に不安になるんです。レンさんのような綺麗な人には無縁のものでしょうが」
言った瞬間後悔した。最後の一言はあまりに醜い僻みだ。しかも自分の科白に惨めになってまた涙が出てきたとなっては救いようが無い。
呆れられる。今度こそ捨てられるかもしれない。
どんなに鬱陶しそうに突き放されるかとびくびくしていたが、レンは隣に座っているアズリを引き寄せてくれた。のみならず、ハンカチで涙をそっと拭いてくれる。
「せっかく薬つけたんだから、また泣かないで」
困ったように笑われながらまた世話を焼かれる。それに安心して、また泣き止めなくなった。
「すいません」
「謝るのは僕の方だよ。ごめんね。少し状況がごちゃごちゃしてて、それに下らない感傷も加わって考えること多くてね、君のこと考えられてなかったみたいだ」
思いもよらない優しい言葉に我慢できなくなって、愛しい恋人に抱きついた。
「感傷ってなんですか?」
ごちゃごちゃした状況というのも気になるが、そちらはどうせ訊いても教えてくれないだろう。
「ユリーシャ王女の言動と話し方、そして何より声が良く似てるんだ。リンにね」
「リンネア王女様に?」
頷かれ、身体に回されているレンの腕にほんの少し力が籠る。
「詳しく言えないんだけど、彼女がいる状況って今かなりまずいんだね。完全に自業自得なんだけど、できれば穏便に事を済ませたいと思ってるんだ」
今聞いたのは幻聴か? 冷血鬼と渾名されるこのレン=ハウスウォード宰相兼外務大臣が、事もあろうに『穏便に済ませる』? そんな語彙を知っていること自体に驚きだ。
もっとも、最愛の妹に似ていると言うのだから当然と捉えるべきかもしれないが。
「済ませられるといいですね」
何か手伝えればいいのだが、駆け引きやらに縁が無いアズリができるのは祈るくらいだ。
そう思う本人は与り知らぬ事だが、表向き犬猿の仲である冷血鬼宰相と無愛想総務大臣の悪巧み二人組の、貴重な伝書鳩となっている。今朝もレンから一つの指示がアズリの持ち歩く書類入れを通して渡されたのだが、これも知る由が無かった。
「これも詳しくは言えないんだけど、ユリーシャ王女の事は気にしないでいいよ。君が不安に思っているようなことは絶対に起こらないから」
きっぱりと言われて、ようやく不安が払拭された。
「わかりました。もう大丈夫です」
「良かった」
そしてそれ以上に安堵したらしいレンが愛し過ぎて、もう一度ぎゅっとひっつく。
「はい、離れて。僕も寝る準備しないと」
やんわりと身体を離そうとされ始めた。
「もう少しこのままでいて欲しいんですけど」
時刻もまだ遅くないのだから、もう少し付き合ってくれたっていいじゃないか。頬を膨らませて控えめな抗議をすると、端正な眉を顰められた。
「一応訊いとくけど、君は今自分がどういう格好してるか自覚してる?」
ぐっと言葉に詰まる。確かに、想い人相手とはいえ褒められる姿ではないのは分かっているが、服装にそれほど興味の無いレンは気にしないと思っていた。
「は、はしたないのは知ってますけど!」
「そういう意味じゃないよ。その格好の君に抱き付かれてるのは、僕が生理的に辛いの」
少しの間何を言っているのか分からなかったが、意味を飲み込めた瞬間顔が沸騰した。離れようとしたが、見計らったかのように今度はレンに腕を引っ張られる。
至近距離で覗きこむことになった金色の瞳には、意地悪い光が灯っていた。
「お兄さん二人いるって割には、君は異性に無防備過ぎ。この三カ月、僕は自分でも褒めてあげたいくらい我慢してるんだよね。その努力をむげにしないで欲しいな。襲って欲しいなら別だけど?」
そこまで言われて意味が分からない程無知じゃない。そういえば、つい先日セシリアにも『まだ』ということに驚かれた。お互い多忙というのが主な原因だが、実年齢以上に精神が幼い事は自覚しているので、レンは気を使ってくれているのだろう。
茹であがった顔のまま俯いていると、その沈黙をどう捉えたのか愛しい恋人はそっと立ち上がった。
「お休み」
彼が自分の寝室への扉に手をかけた音を耳が捉えた時、アズリは立ちあがって後ろから金髪の麗人の麗人に飛び付いた。
「僕の話、聞いてた?」
ぴたりと動きを止めた恋人から怒ったような疲れたような声が放たれるが、これ以上困らせるつもりは無い。
「はい、襲って欲しいなら別、ですよね?」
今まで特に意思表示されていなかったから何もしなかったけれど、明確に突き付けられて躊躇する理由は何処にもない。
腕を離されて向き直られる。見定めるような金色の瞳に映る感情は読めないけれど、恐怖は全く感じない。挑むような目で見返す事ができた。
無言のまま踵を返して寝室の扉が開けられた。さっさと入ってしまった恋人に着いて入室するが、それ以上どうすればいいか分からず立ち止まった。ベッドにどっかと座ってネクタイを緩めたレンがこちらを見据え、ドアを指差した。
「自分で扉を閉めて、鍵かけて。それをするまではまだ逃げてもいいよ」
裏を返せばその後は後退不可だが、もう覚悟は決まっている。勢いよく扉を閉めて施錠した。
満足そうに頷いて手招きされる。近づいて行くと、立ちあがったレンにひょいと身体を持ち上げられてベッドの上に押し倒された。
心臓が爆発しそうだ。でもここまで来てもやっぱり怖くは無かった。
「大好きです、レンさん」
そういうと、上から慣れ親しんだ唇が降って来た。長い接吻の後、耳元で囁かれる。
「僕も愛してるよ」
覆いかぶさられて愛しい人の体重を感じながら、これ以上ない幸福感にアズリは満たされた。
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