ただひたすらに続く闇の世界、見えることのない光の世界。白い闇と黒い光、黒く染まった海の上にたたずむ紅い月、白く死んでしまった珊瑚に青い光が落ちた。美しい中に怪しげな表情を魅せる海、闇夜の紅い月に浮かぶ魚たちがきらきらと輝きながら海のそこへと堕ちていく。
夢でありながら夢でないようにリアルな幻想に世界の中、レンは立っていた。辺りは暗く自らさえもわからなくなってしまいそうな深い闇に紅い月の光が照らしだす辺りは、見たこともないような砂浜だった。
堕ちる、意識。
眠る、海。
これから、月の世界が始まる。太陽はなく、赤々と自らを主張するような紅さをもたらす月だけがただ、その世界をゆっくり、平然と見下ろす、闇の世界。月の世界。
消える、感覚。
薄れ行く、記憶。
かすれ行く、視界。
全部、何もかも、知らない世界。むしろ、知っていてはいけない世界のような気がする。
感覚すらない、ひたすらの闇に紛れて消えてしまいそうな、不思議と不安にかられ、レンは辺りを見回した。青い大きな瞳にうつる世界は酷く劣化し、異様だった。
声は出ない。息すらも止まってしまいそうな月の威圧感と海の静けさに、レンは動かなくなっていた。
本当に夢ではないように、潮風すらも感じられるような波打ち際、何をしにここへ来、なにをしたのか――。
「――…ん、レン、おきて、レン?」
揺さぶられ、レンはやっと目を覚ました。無理に目を開き、声の主を確認してからレンはその手を振り切るように寝返りを打った。
「…今、何時」
「今?えっと…夜の十時」
「あっそ、十時…。十時?」
「うん、十時」
「寝すぎたっ!」
がばっと起き上がり、レンは辺りを見た。海などない。月は青白く美しく光っていた。
やはり夢――。夢でよかったと思う反面、なぜあんな夢を見たのかは依然謎のまま、ただの無意味な夢だったのか、あるいは何か意味のある夢だったのか――。
しかし、そんなことを考えているうち、リンがレンのほうをにらんで不満そうな顔をした。驚いて少し後ろに下がって、レンは聞く。
「な、なんだよ?」
「…ううん、なんでもない。レンは、ヴァンパイアなのに血を吸わなくても大丈夫なの?」
珍しく的をいたリンの質問返しに、レンは枕に顔をうずめて答えた。
「大丈夫」
「本当?具合、悪そうじゃない」
「大丈夫だって。心配しないでいいから。…なんか食べるもんあるかな…」
もぞもぞとベッドから出て、リンに案内されながら移動し、リンが厨房(大きすぎるキッチン)にいる何人かのコックたちに言う。
「夜食なの。さらさらっと食べられて、お腹にたまって、腹持ちがよくて…」
適当に注文をしてコックたちがそれをおやすい御用と言わんばかりに受け入れると、リンは満足げにレンがいる部屋に戻っていって、レンの隣に座った。そろそろ、リンは眠くなってきたが、レンにあわせて起きている。当のレンはまったく眠そうでなく、さすがヴァンパイアというか、確かに夜行性なのだろう、目はパッチリと開いて星を数えている。
星の数を指を折りながら、レンはぶつぶつと何かを呟く。ふと、レンが言った。
「…寝てもいいけど?人間は夜、起きていないほうがいいらしいし」
「大丈夫だよ。私、夜更かしはなれてるから」
そういった先から、リンは大きなあくびをした。呆れながらレンが笑う。つられてリンも笑った。そのとき、料理が運ばれてきた。
おかゆやら魚やら、いろいろな料理が運ばれてきたが、おそらくリンたちの夕飯の残り程度作られているのだろう、量はそこまで多くない。それをみて、レンは特に感想を言うわけでもなく、ただ一言、
「いただきます」
とだけ言って、料理に手を伸ばした。量は多くないといっても、流石は一国の王が住まう城、普通のバイキングの倍ほどはくだらないだろう。見る見る間に減っていく料理を見て、リンは、ああ、やはりお腹が減っていたんだ、と思って勝手に関心していた。
案外大食いなのか、普通では食べられないような量も難なく平らげ、まだ腹八分目といった表情である。
「…食べる?」
「夜、ものを食べると太るんだよ」
「ヴァンパイアは夜行性だから大丈夫だよ」
「私ヴァンパイアじゃないんですけど」
「気にしない、そんなこと」
そういって、反論はさせないというようにリンの口に料理を押し込んだ。「むんぐ」とおかしな声を出して、リンは少し驚いたような表情をしていたが、すぐにその料理を口の中でもぐもぐとやって、一気に飲み込んだ。
「これで太ったらレンのせいだからねっ!」
「濡れ衣ですよ、お姫様―」
皮肉のようにリンをお姫様と呼んで、レンは料理を運ぶ手を早めた。
「――ふぁ…。いけませんね、こんなことでは」
独り言であったが、その言葉は自分自分を一喝するようだった。
「…寝ろって、いってんだろ?」
「アカイト。…いえ、寝るわけには行きません。王子がいない分、仕事が」
ドア越しにアカイトが声をかけた。廊下側からドアにもたれた。その声だけでアカイトだと判断したキカイトは、書類に記入する手を少し止めた。
「王子サマがいたって同じだろ。脱走するだけ」
「まあ、それもそうですが」
「…昔から、お前はそうだったな」
「はい?」
怪訝そうな顔でキカイトがドアの向こうへと聞き返す。
「長いものに巻かれろ、短いものは切り捨てろ。…そうだろう?」
「…アカイト、黄色とは弱い色なのです」
「は?」
「赤に混じれば橙に、青に混じれば緑に、黒に混じれば黒一色になってしまう。その場に対応していかなければ、生きていけないのです。それは、この世界も同じでしょう?」
「…」
答えなかった。
得意げな表情などどこにもなく、キカイトは書類に記入する手をもう一度動かし始めた。
アカイトは苦虫をつぶしたような顔で、その場を立ち去った。
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