俺たちボカロにとって、冬とは終わりの季節だ。
一年間のうちのたった数カ月の間、静かに舞い降りる白の結晶。その美しさは俺たちの声と共に生きる力すら奪っていく。
だって俺らは”ボカロだから”。声を吸収してしまう雪は――――猛毒でしかない。
俺は清廉なくせに毒でしかない雪が大嫌いだった。振り始めると静寂が訪れ、その荘厳な光景に目を奪われる。そんなことに嫌悪感しか抱けなくて。
でもリンは、雪を厭ってはいなかった。雪自身が作り出す音――雪音を聞いてみたい。彼女はそう言って笑っていた。「音を吸う雪の音を聞きたい」というリンの想いも俺らがボカロなため。音に対する執着によって、なせる技だったのだろう。
冬の間は外から隔絶された室内で、細々と唄を紡ぐ生活だった。ピアノを弾き、それに合わせて声をのせる。弱りゆくリンの声は掠れ、咳き込むことも少なくなかった。鍵盤に乗せた俺の指は骨が浮き出るくらい細くなり。冬はそうやって、だんだんと俺たちを蝕んでいく。
それでも、雪解けの季節を迎えれば、すぐに元気を取り戻したし、やせ細った身体も元に戻った。雪降る季節限定の不治の病に侵されたようなものだと、すでに割り切りも出来ていた。
――しかし、数年前からだろうか。冬の季節の期間が徐々に延び始めたのだ。
そうじて、雪の降る期間も延び。しんしんと降る白が、音を、命の刻限を奪っていく。
これまでは雪の降って溶けるまでの期間が、ギリギリ2・3カ月だったから、朽ちゆく前に雪解けの時を迎えていた。
けれど、
(多分、今年か来年あたりだな…)
俺たちはもうすぐ朽ちる。終焉の足音はすぐ近くまで迫っていた。
そんな折だった。リンが言った。
「終わる瞬間(とき)は一緒に」
せーの、で死ねたら良いよね、とは彼女の言だった。
「だって、どっちかだけ遺して行くなんて、悲しいよ。あたしは最後の瞬間まで、レンと一緒にいたい」
「リン…」
「レン、あたしを置いてったら許さないんだからね!」
リンは痩せこけた頬をいっぱいにあげて、そう笑ったのだ。
そうだ、笑ったのに。
降り積もる雪の上に仰向けに倒れる、白い顔の―――リン。
この状況は一体、なんだ。
「…リン…?」
倒れる寸前まで、笑っていた。レン、雪、綺麗だねって。
俺の名前を呼んで、笑っていた、のに。
なのに、どうして。どうして、今、お前の目は開かない?
このしんしんと降る雪の中、外に出たいと言ったのは、彼女で。
外に出るのは自分らの首を絞めるだけだから止めとけって言ったのに、どうしても雪の音を聞きたいからと、リンは俺の手を引いて、無理矢理外界へと連れ出したのだ。
――――まさか、分かってたのか?
自分の最期が近いって。
――――だから、俺を外に連れ出したのか?
自分が死んでも、俺が長い間独りにならないように。
一緒に、死んでいけるように?
瞬間、俺の肌がぞわりと粟立った。
「冗談、やめろよ…」
まだ。まだ、お前に言い足りないことも、やってやりたいこともたくさんあったんだ。
だって、約束しただろう?
明日は一緒に今日の続きを歌うって、あの歌を仕上げようって、そう約束したじゃないか。なのに、なんで、なんで…っ。
俺は雪の上に倒れこんでいるリンの横に膝をついた。そして彼女の頬に手をやり、――体温の感じられない肌に息を呑む。
「…っ止めろ、まだ、まだ逝くな…っ!」
彼女に縋りつくように俺は叫んだ。
その声さえ、雪によって掻き消えようとしている。頬を撫でる冷たさが煩わしくて仕方がなかった。
奪わないでくれ。まだ、俺はリンと生きていたい。
置いてかないでくれ。俺はリンと一緒にこれからを歩んでいきたい。
だって、まだ伝えてない。何も、俺の心の内の1/10も、伝えてないんだ。
「リン、リンっ、リンっっ! 逝くなっ! まだ逝かないでくれっ!」
好きだ、大好きだ、愛してるんだ。こんなにも俺の中はお前でいっぱいなんだ。
――終わりは随分前から理解して、覚悟していた。
それでもなお、お前との”これから”を望むほどに、俺の中はお前への気持ちで溢れてる。
愚かだと分かってる。無駄だとも分かってる。
それでも、どうか、お願いだ。俺を、
「置いてかないでくれ、リン…っ」
縋りついた彼女の胸の上で、俺はそう懇願した。
俺からリンを奪わないで。彼女がいなきゃ、俺は。
とその時だった。俺の髪をさらりと何かが撫でた。
驚いて顔をあげると、そこには彼女の綺麗な笑みがあって。
「…レ、ン。…レン……」
もはや声となっていない、か細い息が俺を呼ぶ。綺麗で儚い彼女の微笑みに、熱い涙が込み上げる。
「リン…? リンっ、良かった、まだ息が、」
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「…あ、り、…が、……と」
言い終えた彼女はやがて満足しきった顔で瞳を閉じた。それと同時に、俺の髪にやられていた腕がパタリと落ちる。サクリ、と投げ出された腕が雪の上に転がるのを、俺は茫然とした心地で眺めていた。
「リ…ン……?」
俺が恐る恐る彼女に呼び掛ける。そして返事がないことに、俺は目を大きく見開いた。その拍子に、ぼたり、と瞳から大粒の涙が零れ落ち、彼女の色のない頬に一筋の線をつくる。
それはまるで天使にも似た清廉さを彼女につくりだし。
俺は何ともいえずに唇を戦慄かせた。
「待ってよ……っ。一緒にって…最期は一緒にって……そう言ったのは、リン、お前だろう…っ?」
だから、お願いだから、
そんな満足しきった顔で、笑わないで。
俺一人残して、
手の届かないところへ行かないでくれ。
気付けば、俺はまるで己の身を引き裂かれたかのような、激しくせつない慟哭をしていた。それは手負いの獣が仲間を呼ぶために吠える、遠吠えにも似ていた。
涙で歪んだ視界には俺の最愛の人が綺麗な死に顔で横たわっていて、
しんしんと積もる雪は全てを覆い隠すように、その威力を増す。
俺は雪の上に仰向けに横たわるリンの横に、身を横たえた。
「お前が俺を”ここに”連れてきたのは、このためなんだよな…?」
終末が近い俺とお前がここに来たのは、おそらく一緒に逝くため。
最期は一緒に。その願いを叶えるために。
それがお前の望みならば、俺は応えよう。
「リン…」
彼女の冷たい手を取って、ギュッと強く握りしめた。
どこまでも一緒にいられるように。
そうしてホッと息をついて、俺は空を仰いだ。
淀んだ空色を彩る雪の白。お前だったら、それを綺麗というのだろうか。
きっと、言うんだろう。たとえ雪が己らの命を奪うものでも、彼女は綺麗なものを綺麗と称することが出来る人だから。
(あぁ、俺はどこまでもリンでいっぱいなんだな…)
思わず苦笑した。
でも、俺はそれがすごく幸せだと思える。
やがて雪と空でいっぱいの視界が朧に煙っていく。
あぁ、ここが俺の終焉だ。白に覆われた世界が閉じていく。
「…リン」
最期に彼女の名前を呼んだ。
ありがとう。大好きだよ。またいつか会おう。
それら全て、俺の気持で、けれどここで言う言葉じゃないと思った。
「リン、…リン」
だからその全てを込めて、俺は彼女の名前を呼ぶ。
ありがとう。好きになってくれて。
ありがとう。一緒にいてくれて。
また、次に生を受けた時も、お前を愛したいと、素直に思えることが嬉しい。
そして、幾度この命を終えようとも、俺はお前を好きでいたい。
だから、また会う時まで、またな――――。
俺は確かめるように彼女の手をもう一度キュッと握りしめた。
決して離さぬように、離れ離れにならないように。
俺は口角を上げて微笑した。
「…リ、…ン……」
俺はお前をずっとずっと愛している。愛している、よ。
――――そうして、俺の意識はゆるやかに暗転した。
[小説]soundless voice[レンリン]
ひとしずくP様楽曲「soundless voice(http://www.nicovideo.jp/watch/sm4977896)」から。
鏡音三大悲劇のひとつに数えられるこの神曲は、シリアス小説書きとして、いつか書いてみたいと思っていました。
レン君のやりきれないゆえの切なさとかを感じ取って下さったら、物書き冥利に尽きます!
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