恋と歌の処方箋 ~鏡音レンver.~
ボーカロイド。
人形じゃない、けれど人間じゃなくもない。
じゃあ、何?
人間の愛を詰め込んだ究極の歌い手。
それが、ボーカロイド。
化学の限界を超えて作られた生まれながらの歌い手、ボーカロイド。
生まれた場所はひとつだった僕らが再会したのは、数ヶ月前だ。
ただ違うのは、僕とリンだけは一緒だったってこと。
僕らは双子だ。
「レン、ジュース~」
ボイスレッスンを終えて部屋から飛び出してきた瞬間、僕の背中から抱きついてきたのは、僕の双子の姉、鏡音リン。
サラサラの髪と、少しだけ膨らんだ胸が背中にあたってドキッとする。
……くっ。
「ちょ、リン。なんだよ、自分でやりなよ。それくらい」
「えー」
唇を膨らませながら、リンはぶーぶー言ってる。
確かに冷蔵庫はすぐそこだし、グラスもきちんと洗って並んである。
リンだって自分でやった方が早いのはわかってる。けれど、絶対に僕に頼むのだ。
僕はそれを嫌がりながらも、とても嬉しく思う。
だって、リンがそうやって甘えられるのは、唯一僕だけ、だから。
「だって、レンのいれてくれたのが美味しい気がするのー」
ほら、こうやって嬉しい言葉を言ってくれるじゃん。
ジュースなんだから、誰がいれたって同じ味がするんだけどさ。
僕は、火照りそうになる顔を必死にこらえる。
「わかったよ、わかったから離せって」
「やったー、ありがと。レン」
双子なのに、リンにはリンの香りがする。
リンは手を放したけど、残り香が残って、鼻につく。
本気で僕は病気なんだと思う。
だって、本当の姉に恋してるなんて。
「あ、カイト!」
リンが待合室のソファに座っていると、別のレッスン場からカイトが出てきた。
カイトもボーカロイドの1人で、僕らより少し年上だ。
「お疲れ、リン、レン」
カイトの声はとても優しい響きをもっている。
リンはいつもそれを褒める。
カイトの声は男らしくて、かっこいいし、優しい声ね、って。
リンはカイトに近づき、お疲れさまぁ、と返した。
僕はカイトの方は見ず、リンのためのオレンジジュースを準備する。
「カイト今日はもう終わり?」
リンの声が少し浮かれてる。
僕にはそんな声出さないくせに。
イラっとして、思わず握り締めたグラスが落ちそうになって、あわてて持ち直す。
このグラスは、リンのお気に入りなんだ。
割ったら、怒られるだけじゃすまないだろうな。
もしかしたら、一週間は口を利いてくれないかもしれない。
でも、そうなっても、最初に口を利いてくるのは、リンだと思うんだ。
リンは結局、僕がいないとだめだから。
そう思うと、少し面白くて、クスっと笑ってしまう。
「リン、ほら、ジュース」
「レンありがとー」
リンの視線がカイトから離れ、僕に向いた。
よし!
まだリンは花より団子みたいだ。
子供みたいな僕のお姉ちゃん。
でも、僕にとっては1人の女の子だ。
誰にも渡したくない。
「僕は終わりだよ、リンとレンは?」
「あたしたちは――」
「僕たちはこれからデュエットの練習だよ。ほら、『下克上』の」
我ながら大人気ないと思うけど、リンとカイトが2人で会話をするのは、許せない。
ムスっとしながら、カイトにも一応ジュースを差し出す。
カイトが嫌いなんじゃない。
カイトは僕の兄貴分みたいなもんだし。
ただし、リンがカイトといるのは許せないんだ。
僕って心狭いかなー……。
「おっつかれさまー」
そんな僕らの雰囲気をぶち壊して入ってきたのは、初音ミク。
彼女もボーカロイドで、ボーカロイド界永遠のアイドル……らしい。
本人曰く。
歌っている時はかっこよかったり、綺麗だけど、普段はとってもポエポエしてる。
視聴者のみんなはこんなミクの姿を知らない。
詐欺だ!
むしろ萌え?
うーん、わからん。
「なになに、なんの話してるのー」
「ミク姉、遅刻?」
「ち、違うよ。今日はPVの方の撮影に行ってたの!マスターと一緒だったもん」
僕らはマスターと呼ばれる人たちに歌を作ってもらい、それを歌う。
売れ行き次第ではPVが出たりする。
いまのところやっぱりミクが一番出演率が高いのかな。
「ミクは本当にマスターの事が大好きだな」
カイトが少しため息混じりに言った。
「うん!でも、リンちゃんもレンちゃんも、カイトもメイちゃんも、みーんな好きよ」
そういうと、ミクは緑色の長い髪をふわりと動かしながら、リンを抱きしめた。
ミクは天然なのか、計算なのかよくわからないところがある。
カイトはそんなミクを見て、少しだけ笑った。
報われないな、アイツも。
ま、他人のことはどうでもいいんだ。
僕のリンに手を出さなければ。
カイトがリンに急に何かをするとは考えにくいけど。
男の僕らから見ても、カイトはヘタレだ。
僕は、視聴者やマスターからショタやらヘタレやら見られがちだけど、本当は違う。
本当の僕は、リンが好きで好きで好きでたまらなくて、今にも襲ってしまいそうなほどの欲望をもった、獣。
ギリギリのところで、今の僕がある。
「欲求不満?」
みんなの輪の外にいた僕の耳元で急に声が聞こえ、僕は飛び跳ねる。
「だ、メイコ……っ」
「誰がメイコよ、メイコ姉さんでしょ。メイコ姉さん!」
「……メイコねぇ……」
「ま、良しとするか。少年」
真っ赤な髪と衣装が印象的な、ボーカロイド初期シリーズ最後の歌い手メイコ。僕らやミクよりも年上だけど、年齢は絶対教えてくれない。
「仲良くしましょうって、言ってるでしょ。まだまだこれからよ大変なのは」
そう、僕らがこうやって一緒の場所で練習したり、暮らしたりし始めたのはつい最近の話だ。
でもそのときに決めたことがある。
『私たちは同じ使命を担っている。仲良く協力していきましょう』
言い出したのはミクだ。
そう、まだまだこれからなのだ。
先走って、焦ってはいけない。
わかっている。わかってはいるんだけど。
「今まで僕とリンは2人でいたのに……」
「外の世界に触れることは必要なのよ、少年」
メイコは年上だからか、僕らよりずっと大人で、言葉に説得力がある。
「わかってます」
「なら、まずは仲良く、ね」
仲良くしたいよ。
ミクともカイトとも、メイコとも。
でも、ヤキモチは、どうしても沸き起こるのだ。
僕のリン。かわいいリン。閉じ込めて、僕だけの世界にいればいいのに。
「レン、あたしコーヒーね」
「はいはいはい」
僕はぶっきらぼうにインスタントコーヒーをメイコカップに注ぎ、お湯を入れる。
すると、ミクと一緒に来たのだろう、マスターがその部屋に入ってきた。
「やあ、みんなお疲れさま」
「お疲れさまです。マスター」
マスターは僕たちのすべてを手のひらで操る、まさにマスター。
しかし、その素性は結構知られていない。
マスターはみんなにそれぞれ挨拶をしたあと、僕の前に進んできた。
「お疲れ、レン」
「お疲れさまです。何か問題でもありましたか?」
「いやいや、ボイスレッスンの調子も良いって聞いてるよ。がんばってるね、レン」
「あ、ありがとうございます」
正直、褒められるとやっぱり嬉しい。
笑ってお礼を言うと、マスターはデモテープと楽譜を差し出した。
あ、これって……。
「し、新曲ですか」
「そう、今度はレンにこの歌を歌ってもらおうと思って」
新しい歌が与えられるっていうことは、ボーカロイドにとって至極の喜びだ。
だって、生きる意味を与えられるってことだから。
「ありがとうございます!」
僕は受け取って楽譜を見る。
「レン、どんなの?どんなの?いいなぁ~!マスター、今度はリンの作ってね」
リンが僕に駆け寄ってきて、ひょいっと楽譜を覗き込む。
そんなリンの反応にも僕はリアクションが取れず、固まったままだ。
え?なんでかって?
「……マスター、何このタイトル……」
「え?『ヤンデ恋歌』だよ」
……ヤンデ恋歌……って。
「え、レン、ヤンデ……って何?」
僕はあわててリンの耳を塞ぐ。
「マ、マスター……」
「ん?君の今の状況を歌にしてみたんだけど、どう?」
ニヤニヤとマスターに見下ろされ、僕は口が聞けなくなる。
くそぉ……。
「な、なにー。レン、なんなのー」
リンにこんなの聞かせられるかよぉっ。
でも、マスターにもメイコにもばれるくらい、今の俺はちょっとヤバイって?
僕は楽譜とマスターテープを握り締め、ついでにリンの耳は閉じたままで、マスターを睨む。
「歌ってくれるよね、レン」
「……イエス、マイマスター」
今の僕には薬が必要みたいだ。
でも薬なんかで安らぐだろうか。消えるのだろうか。
いや、そんなことはない。
だって、恋は富山の薬でも、草津の湯でも……、だろ。
「もー、なんなのよー、レン。離しなさいよー」
でもこの愛しい人は僕のものだ。
歌でもなんでも歌ってやろうじゃないか。
その代わり誰にも渡しはしないからな。
僕はマスターを睨みつけながら、覚悟を固めた。
完
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