断ち切りし因縁

「何事ですかな。王子殿下」
 白々しい挨拶を述べるスティーブに舌打ちを堪え、レンは玉座から宰相を見やる。慇懃無礼の態度が酷く癪に障るのは、故意に火災を発生させておきながら王宮で安穏な生活を貪っていた事実を知ったからか。
 爪が食い込ませて拳を固め、レンは腹の底に渦巻く感情を抑えつける。
「黄の国宰相スティーブ。お前に火急の話がある」
 あくまで冷静に切り出す。皮肉を込めてやったが相手は気付く事は無いだろう。事実、スティーブは嫌味ったらしい口調で答えた。
「王子殿下から私に話があるとは珍しい。しかし、火急とは穏やかではありませんな」
 呼び出しは心外だと言う様子を隠そうともしない。己の身の程をまるで自覚していない態度がレンの堪忍袋をつついて刺激する。気を抜けば暴れ出す激情を胸で押し留め、レンは淡々と告げた。
「文字通り火急だ。初期消火をすれば大きな火災は防げるからな」
 三年前の火事に対しての当て付けだったが、スティーブは叛意を疑われていると勘違いしたようだ。
「何をおっしゃっているのか分かりませんな。王宮のどこに火種があると?」
 王子は大火災の真相を知らないと思っているのか、平然としらばっくれて被害者面をしている。
 レンは握り締めた両手を震わせる。たとえ火事の一件が無くても、宰相の言動には苛立ちしか覚えない。六年間蓄積された怒りは爆発寸前まで膨れ上がっていた。
「その火種は貧民街を焼き払った。大勢の人が住んでいるのを知っていて、わざと火を付けたんだ」
 あえて護衛を置かず一人で待ち構えていた事。わざわざ宰相を呼び付けて話をしている事。そして大火災について言及し、意図的に引き起こされたと断言した事。状況を考慮すればレンが何を言っているかを察するのは難くない。
 ここで罪を認めれば王子の怒気が僅かだけでも治まったものを、スティーブはこの期に及んでも保身を図った。レンを侮り臆面も無く言い放つ。
「あの火災は火の不始末が原因でしょう。放火であったとして何の益があるのですか?」
 貧民街が焼き尽くされたのは好都合。そうとしか聞こえない言葉に思考が停止し、レンは全身の血が沸騰したような感覚に襲われた。熱くなる体とは裏腹に頭は冷静で、不意にある可能性が思い浮かんだ。
「お前まさか、リンを巻き込む為に火を放ったのか? 追放した王女を貧民街もろとも消すつもりで火災を起こしたのか!?」
 火事の巻き添えで大勢の人が犠牲になった。ましてや火の不始末が原因であれば、特定の誰か狙っていたと疑う者はいない。混乱した情勢や現場であれば尚更だ。どさくさに紛れて疑いを逸らし、証拠をでっち上げる事ももみ消す事も容易だろう。
 レンの怒号を嘲笑で受け止め、スティーブは勝ち誇った口調で返答する。
「王子殿下は乱心してしまったようですな。何を証拠に私が火を放ったと申すのか」
 レンは無言で耳を傾けている。それを都合良く解釈した宰相は得意になって語り出す。
「全て推測、あるいは妄想に過ぎないではありませんか。そもそも、黄の国王女が三年前に病気で亡くなられているのは王子殿下もご存じのはずです。狂ってしまわれましたか」
 黙って聞いていたレンが目を細める。王子への侮辱は当然だが、スティーブは聞き捨てならない台詞を吐いて墓穴を掘った。
「ほお……。言ったな」
 玉座から立ち上がり、王子は絨毯を踏みしめて宰相へ近付く。緋色の道を一歩一歩進んで足を止め、目前の大人を睨みつける。
「スティーブ。お前らがリンを追放したのは六年前。俺と姉様が八歳の時だ」
 そこで一度区切り、レンは剣の鞘を右手で押さえる。さり気ない動きに気が付いていないスティーブへ続きを叫んだ。
「そして、黄の国王女がこの世を去ったのは五年前。……お前が言った三年前は、大火災が発生した年だ!」
 少年の声が玉座の間に響き渡る。次の瞬間にはレンの左手に剣が握られていた。真実と共に刃を突き付けられたスティーブは狼狽して後退する。
「俺ははっきり聞いたぞ。『黄の国王女は三年前に亡くなった』と。随分おかしな話じゃないか。五年前、リン・ルシヴァニアを死んだ事にしたのはお前らだろう?」
 レンは剣を向けたまま歩を運ぶ。矛盾を突かれたスティーブが目を泳がせ、無意味な言い逃れを口にした。
「私を斬ればどうなるか分かっているはずだ! 貴族達が王子に従わないのは、貴様自身が理解しているだろう! 黄の国を滅ぼす気か!」
 動揺の余り敬語が消えている。未だ己の罪を認めようとしないスティーブの発言はレンの逆鱗に触れ、限界まで抑えていた怒りを解放させた。憂いの言葉が静かに通る。
「……もういらないんだよ。お前らも、この国も」
 剣が音も無く揺れる。レンは刃を振り下ろして相手の足を斬り付けた。
「ぐおっ!」
 スティーブが顔を歪めて腿を押さえる。痛みに呻く声を無視し、レンは両手で構え直した剣を払った。一閃と同時に宰相の右肘から先が分断され、血を滴らせて床へ落下する。
「ぎゃああああああああ!」
 耳をつんざく絶叫にレンは眉を寄せ、スティーブは短くなった片腕を掴む。噴き出す血が絨毯の緋色を更に濃くさせた。
 金髪の少年は至って落ち着いていた。服や頬に跳ね返った血を拭おうともせず、悲鳴を上げる大人を冷たい目で眺める。
「なあ。生きられないと承知していたから、リンを貧民街に追いやったんだろ? それなのに放置して三年間も経ってから火を放ったって事は、何かきっかけや口実があるはずだ。教えろよ」
 蹲るスティーブは激痛に喚き散らすだけで答えない。レンはしばらく返答を待っていたが、耳障りとばかりに溜息を吐いた。
「うるさい」
 顎を蹴飛ばして相手の顔を仰向けさせる。宰相を強制的に黙らせて喉元へ剣を突き付け、王子は先程と同じ質問をぶつけた。
「答えろ。でなければ左腕も短くなるぞ」
 ひっ、と息を飲み、腰を抜かしたスティーブは恐怖に青ざめた表情で目を見開く。
「言います! ですから命だけは……」
「さっさと言え」
 切っ先が刺さるか否かの位置まで狭まる。レンから逃げようと体を後ろへ引きずらせながら、スティーブは早口で捲し立てた。
「あそこには王宮へ反乱を企てる者共が潜んでいたのです。貧民街に広く紛れ込んだ者達を全て捜し出すのは困難であり、根城もまとめて一掃する為、ゴロツキに金を渡して火を付けさせました!」
 馬鹿馬鹿しい。レンは内心で吐き捨てる。よくそこまで体の好い弁解が出て来るものだ。
「ふーん。要するに『国の為』って訳か?」
 王子が被せるように言ったのを慈悲と捉え、宰相は引き攣った笑みで同意する。
「そうです! ご理解頂きましたか!」
「……だから?」
 王子の切り返しが一瞬にして空気を冷え切えらせる。言葉を詰まらせたスティーブを見下ろし、レンは若干離れた間合いを詰めた。絨毯に滲んだ血が靴を汚す。
「お前の言う国の為とは、自分達が権力握って好き勝手する事か? 国民からむしり取った金で手前が贅沢三昧する事か? 騎士団を私物化して腐らせる事か?」
 父と母がこの世を去ってから黄の国はおかしくなった。誉れ高き騎士団は愚かな貴族共の溜り場となり、甘美なだけの装備だけが取り柄の金食い集団へと変貌した。
 貧民街は昔から存在していたけれど、住人の数は現在よりも遥かに少なかった。国王夫妻が亡くなってから人が急に増えたと生き残った人達から聞いたし、資料を見ても疑いようが無い。つまりはスティーブ一派が政治を行うようになってから貧民街の人口が急増した事になる。
「事故に見せかけた火災を起こして、大勢の人達を巻き込む事か!」
 放火をした事を認める言動。スティーブからそれを白状させる為に、レンはいたずらに脅しをかけて話を投げかけていた。火を放つきっかけや口実を聞くのは別に後回しで構わない。最も重要なのは、宰相が火を放ったと言う明確な証拠を得る事だ。
 怒声を浴びせられた宰相は悪あがきに吠える。
 「まっ、待て! 王女は生きている! リンベルと名を変えて王子殿下の傍にいます!」
 見苦しい命乞いをする老害に、二十歳にも満たない王子は嘲笑を浮かべた。
「知っている。リンベルと始めて会った時から分かっていたさ。俺が姉様に気が付いていないとでも思っていたのか?」
 ふとレンはある事を思い出し、期待をせず駄目で元々の気分で問いかける。
「そのリンベルが行方不明だ。一昨日の夕方に出掛けたきり王宮に帰ってない」
 些細な心当たりでもあったら話せ。追い詰められたスティーブは楽になりたい一心で自白を始めた。
 リンベルの秘密を握り、青の王子を暗殺するよう脅迫した事。その為に騎士団が出立する前に青の国へ行かせ、あわよくば帰る前に戦争に巻き込んで死なせようとしていた事。
 青に混乱を引き起こして侵攻を容易にする為、リンがカイト王子と知り合いであるのを利用した。悪辣卑劣な所業がレンの腸を煮えらせる。
 額に青筋を立てて剣を震わせ、レンは絨毯を強烈に踏みつけて鈍い足音を鳴らす。
「お前……っ、どこまで腐ってるんだ!?」
「青の国を滅ぼす事は王子殿下が望んでいたはずです!」
 スティーブはなおも責任転嫁を繰り返し、リンやリリィ達へ一言も謝罪を口にしない。呆れすら感じたレンは激昂して雄叫びを上げる。
「ふざけるな!」
 風切り音を伴って剣を向け、黄の国王子は打って変わって厳かに宣告した。
「スティーブ。今を持ってお前の宰相の地位ならびに貴族の位を剥奪し、この場で処刑する」
 死罪。王子から言い渡された判決に驚愕し、スティーブは床に転がる右手を一瞥して叫ぶ。
「話が違うではありませんか! 全部話せば命だけは助けると」
「俺がいつそんな事を話した? お前が勝手に思い込んでいただけだ」
 男の言葉を遮り、蒼の目に憎悪を宿した少年は穏やかな顔つきで語る。
「リンを追放し、殺害の為に大火を発生させて大勢の人を巻き込んだ事。……俺個人として許せないし、王子として許す訳にはいかない」
 スティーブを殺した所で、リンやリリィ達が負わされた心の傷は消えない。六年前と三年前から続いていた因縁と事件がようやく終わる。ただそれだけだ。
 空いていた手を柄へ伸ばし、レンは両手持ちにした剣をゆっくりと持ち上げる。今なお助命を願う声には耳を貸さず、最後だ。と呟く。
「栄華を極めて散々良い思いをしただろ。……充分すぎる程にな」 
 

 静寂が包む玉座の間には、全身を赤く染めた少年が一人。手にした剣からは血が滴っており、足下には片手を失くした男が倒れている。その場所だけ絨毯の色が他よりも濃い。
 扉が開かれる音。半ば茫然自失していたレンはびくりと肩を震わせた。
「レン様!」
 正面の扉へ目を送る。リリィが玉座の間に入って来ていた。やや遅れてトニオとアル、更に近衛兵隊の面々も姿を現わす。まだ意識がぼんやりとしているレンは、何故皆がここへ来たのか疑問でならない。
「リリィ……? どうして……?」
 思いついた事をそのまま述べる。自分の独り言を耳にし、レンは現実を認識した。
「あ……」
 鉄臭い匂い。返り血にまみれた王族衣装。目の前に転がる死体。早足で寄って来るリリィと離れて付いて来る形の近衛兵隊。
 事態に気付かない内に侍女は遠ざけた方が良い。即刻この場から去るよう伝えるより、リリィが発言する方が早かった。
「一体、何が……」
「来るな!」
 レンが声を張り上げた時には既に遅く、リリィはスティーブの近くで立ち止まっていた。絨毯に落ちた手と首から胸を大きく斬り裂かれた死体を見て数秒。青ざめた顔で背中から倒れて行く。
「しっかりしろ! 気を確かに持て!」
 駆け寄ったアルが片腕で危うく受け止める。何度か呼びかけをしたが、リリィは気を失って反応が無い。
 気絶したリリィはとりあえずアルに任せ、二人の脇を通り抜けて進み出たトニオは疑問をぶつける。
「殿下。一体何が起こったのですか?」
 王子自ら宰相を処刑したのは明らかだが、経緯などの説明を求めずにはいられない。しかし王子は首を横に振って質問を拒否した。
「……見ての通りだ。説明は後でちゃんとする」
 だから今は何も聞かないでくれ。レンは近衛兵全員にそう頼んでから、まずはリリィを医務室に運べと命令を下す。
「アル以外は死体の片付けを。悪いが、俺は少し休む」
 スティーブの服で剣を拭って鞘に納め、レンは玉座後方の扉へ向き直る。トニオとアルを除く近衛兵達は動揺していたが、やがて指示通りに動き出した。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

蒲公英が紡ぐ物語 第35話

 レンの怒りがとうとう大爆発。ここだけだとどっちが悪人なんだか……。

 形はどうあれ八年前からの因縁は決着し、リンレンにとって一区切り付いた感じです。

閲覧数:387

投稿日:2012/12/13 16:49:54

文字数:5,170文字

カテゴリ:小説

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