その白い姿に、神威がくぽが気づいたのは、偶然だった。
そうでなければ車道を挟んだ反対側にある、フラワーショップから出て来たただの客として、視界の端へと流してしまっていただろう。
晩夏の日差しにも眩しい、ベージュのダブルのスーツは、見た目涼しげな麻の生地。
目深にかぶった白い帽子の下からは、シルバーフレームの眼鏡が光る。
きっちりと結ばれた亜麻色のネクタイに、白い靴を履いた、等身の高いすっきりとした立ち姿。
白一色のなかで、腕に抱えた花束のピンクが鮮やかに映えている。
ただがくぽの視線はしっかりと捕らえた。
シルバーフレームの奥の、優しげな青い瞳。
帽子の下からわずかに見える、癖のない青い髪。
ピンクの花束の隙間から垣間見える、青く染めた爪。
どんなに『青』を封印しようとしても分かる。
店から出てきたのは、間違いなくカイトだった。
そんなカイトの後を付けたのは、どこまでも好奇心から。
更に言うなら、次の仕事まで中途半端に時間が空き、買い物でも……と思って外に出た時で、時間に余裕があったのも、尾行をしてしまった理由かも知れない。
トレードマークである『青』を隠し、あまりの白さと姿の良さに、別の意味で目立ってはいたが、カイトであることを隠そうとするカイト。
そこまで自分を隠して、どこに行くつもりなのか?
誰にも知られたくない場所なのか? 誰にも知られたくないことをするつもりなのか? 我ながら子供じみた好奇心だと思ったが、付いていかずにはいられなかった。
花束を大事そうに抱いて、カイトは真っ直ぐに進んでいく。
大通りに出ると、角を左に曲がり、また少し歩いてから、二つ目の信号の前で立ち止まる。
がくぽは少し離れた店の影に身を隠した。
信号が変わり、カイトが渡ると同時に、ガードレールを跳び越え、横断歩道のない所から道を横切る。
カイトは道を渡りきると、再び左の方に歩き、とある建物の中に入っていった。
そこは病院だった。
「見舞い……か?」
ボーカロイドが病院の世話になることはない。
かといって、マスターやスタッフの見舞いに行くと言うこともほとんど無い。
なぜならマスター達とは、仕事の上での付き合いのみ。
親しくなれば一緒に飲みに行ったり、相手の家に泊まりに行ったりと言うこともあるが、それも仕事が終わってからの延長だ。
病気や怪我、仕事の多忙などで、仕事の依頼をして来なければ、ボーカロイドとマスターの関係はそれっきりになる。
スタッフに至っては、仕事があわなければ、さらにそれっきりだ。
かと言って、用もないのにボーカロイドの方から、外部の人間の消息を尋ねても、スケジュールや仕事の依頼を取り仕切る事務方は、まず教えてくれない。
それでも個人的に携帯の番号やメールアドレスをやり取りする間柄なら、連絡も取れるだろうが、入院してしまうとそれも難しくなるはずだ。
それでもカイトが病院にやってきたと言うことは、どういう経緯か分からないが、知人の入院を知ったからだろう。
外来診療時間外の病院は、閑散としていた。
見つからないように距離を保って、カイトの動きを見つめる。
カイトは相変わらず帽子を深くかぶったまま、エレベータに乗り込んだ。
扉が閉まると、がくぽはエレベーターに駆け寄り、階数表示を見守った。
四階で止まる。
歩いて上がれる階数だ。
がくぽはすぐ側にある階段へと、歩を進めた。
階さえ分かれば、部屋を探すのは簡単だ。
ボーカロイドの耳は、人間の物よりも性能が良い。
その気になれば、部屋の中の声はちゃんと聞こえる。
ゆっくりと廊下を歩きながら、病室の中の声に聞き耳を立てる。
掠れた老人が咳き込む声。
言い争っているらしい、中年女性の低めの声と、まだ若い不安定な男の声。
階段の所から三つめの個室の前で、がくぽは足を止めた。
中から聞こえる女性の、明るい笑い声。
カイトの優しく穏やかな声音。
扉の脇に掛かる名札を見たが、知らない名前だった。
P名やHNで活動することの多いマスターのこと、よほど親しい間柄でないと、マスターの本名をボーカロイドが知ることはまず無い。
恐らく病人は、比較的古参の女性カイトマスター。とがくぽは当たりをつけた。
なぜ、あそこまで変装をしていたかはまだ分からないが、カイトの目的地とここに来た理由は分かった。
もう、いいだろう。
がくぽは扉の側を離れようとした。
その時、中からカイトの歌声が聞こえた。
聴いたことのない、無伴奏の曲。
中にいるマスターの作だろう。
大らかで優しい、流れるようなメロディは、カイトの声に良くあっていた。
透明感のあるカイトの声が、そのメロディを更に自由に広く響かせる。
この世界を愛し、慈しみ、見守ろうという意の歌詞が、深く胸に染みこんでいく。
こんな病室でのこと、調声も何もないだろう。
それなのに歌はどこまでも美しく、柔らかく爽やかに、がくぽの耳に届いた。
カイトの為にマスターが作った、風のように自由な歌。
マスターの為に歌う、優しさと慈愛に満ちたカイトの声。
歌に込められ、広がっていく、マスターとカイトの思い。
扉から離れることが出来ず、がくぽは立ち尽くしていた。
歌は静かに、繊細なビブラートを響かせて終わった。
たった一人の大きな拍手。
「ありがとう、カイト。ありがとう……」
泣いているのだろうか?
女性の声が静かに震えている。
がくぽは足音を殺して、扉の前を離れた。
我ながら尾行なんて、下世話なまねをしたものだと、がくぽはなんだか落ち込んでしまった。
話の内容をしっかりと聞いたわけではない。
それでもあの歌から、ボーカロイドとマスターの絆という物を、十分すぎるほど感じてしまった。
自分もマスターと、あのような絆を築けているだろうか?
いや、必ず、自分とマスターの間にも、強い繋がりがあると信じたい。
そんなことを考えながら、がくぽは病院の外に出た。
日差しはまだまだきつく、思わず手を目の上にかざす。
次の仕事まで少し時間がある。どこかでお茶でも飲んでスタジオに戻ろうか……。
「がっくん」
病院を出て少し歩いたところでの、背後からの声。
思わず凍り付く。紛れもなくカイトだ。
振り向く間もなく、カイトが駆け寄ってきた。
「やっぱりこの格好は暑いなー」
帽子を取り、浅く阿弥陀にかぶり直してから、ネクタイを緩めて、上着を脱いだ。
眼鏡はまだ掛けたまま。
きっちりとしたスーツ姿も様になっていたが、着崩した格好も妙に似合う。
寧ろ今の方が、カイトらしい。
「み、見舞いはもういいんですか?」
ゆっくり歩き出しながら、焦って適当に聞いてみた。
「うん、看護師さんが来たからね。俺もまた仕事だし」
言葉に詰まる。
「義兄者……俺が付けてたこと……」
「知ってたよ。がっくん目立つし、オーラがだだ漏れだし」
やっぱり……。
この義兄相手に尾行なんて、自分には十年早かった。いや、この兄じゃなくても、自分に尾行は無理だった。
「他の誰かならまいたけど、がっくんならいいかなって思って、知らないふりしてたんだ」
「見舞いに行くことを知られたくなかったんですか? 誰に?」
「見舞いに行くことについては、あまり大っぴらにはしない方がいいからね。ボーカロイドとマスターの関係上。特に知られたくなかったのは、うちのお姫様達」
シャツのボタンを外しながら、カイトが応えた。
「それでその変装ですか?」
「そう。スタジオの外で着替えたんだ。気づかれないと思ったんだけど」
「目立ってましたが、最初は気がつきませんでしたよ。気づいたのは偶然です。それでなぜメイコ殿達に知られたくないと?」
「うーん、なんとなくかな」
応えたくないのか、本当に何となくなのか。がくぽには計りかねた。
「見舞いの相手はマスタ-?」
「そう。俺の昔からの」
そう言うと、カイトは眉をひそめた。
「お悪いのですか?」
「ちゃんと治療さえすれば、命を落とすことはない病気だって。ただね……治るには時間が掛かるみたいだ」
カイトがため息をついた。
「マスター……ずいぶん痩せてた。治療は辛いだろうね。病気と無縁の俺たちには分からないことだけど」
それだけ言うと、カイトは立ち止まってしまった。
「義兄者?」
がくぽも慌てて足を止めて振り返る。
カイトは上着を握りしめ、俯いていた。
「マスターや……俺の、いや、俺たちの歌や声を聴いてくれて、楽しんでくれる人達が、みんな元気で、幸せで、毎日楽しく暮らしていてくれたら、どんなにいいだろうね……」
振り絞るように言うと、カイトは顔を上げた。
「でもまあ、そうはいかないよね。世の中そんなに甘くないし」
少しおどけたような言い方が、妙に浮いて聞こえた。
「それでもそうあって欲しいって……。みんなに幸せでいて欲しいって……俺はそう思ってしまうんだ」
シルバーフレームの眼鏡の縁を、軽く押し上げる。
光が反射して、がくぽからカイトの目が見えなくなる。
「なのに俺は歌うだけの存在で、俺を大切にしてくれる人達に何も出来なくて、失敗作なんて言われた俺を、歌わせてくれた恩人に何も返せなくて……」
再び項垂れてしまった。
さっきは『なんととなく』と言っていたが、もしかするとカイトは、病みやつれたマスターを見て気弱になる自分を、メイコたちに見せたくなかったのかも知れない。
言葉を詰まらせるカイトの肩に、がくぽは思わず右手を置いた。
「それでも! さっき俺が聞いた、義兄者のマスターの声は幸せそうだった。義兄者に贈った拍手は、病人とは思えないくらい力強かった」
「がっくん……」
「俺たちは確かに歌うだけの存在でしかない。けれど義兄者の声は、あのマスターを十分力づけていました。少なくとも俺にはそう聞こえた」
我ながら下手な慰めだと思った。
それでもカイトは少し照れたように笑って、肩の上のがくぽの手に、自分の右手を重ねた。
「ありがとう。がっくん」
カイトが手を離すと、がくぽも手を下ろした。
「行こうか。また仕事だ」
カイトが眼鏡を外す。
いつものカイトの、優しい笑顔がそこにあった。
「ええ」
二人が再び、並んで歩き始める。
一つの季節が終わろうとする晴れた日の午後、二人は街の雑踏へと消えていった。
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