2.

Side-B -松本幸一-

街を夕陽が朱(あか)く染め始めていた。
ひと気もまばらな大通りに長く伸びる影を落として、私と鈴木君はトラムを待っていた。
「さて……」
私は徐(おもむ)ろに口を開いた。
「鈴木君は今のどう見た?」
隣に立つ鈴木君は「そうですね」と応じて少し考えた。錆を含んだ声だった。
「あの男、何か知ってますね。隠している……訳ではなさそうですが、裏がありそうです」
私も同意見だ。
「鈴木君にもそう見えたか……。一度ケツを洗った(前科を調べた)方が良いかもな」
鈴木君はうなずいたようだ。

もうコンビを組んで10年近くになるが、ようやく鈴木君のペースがつかめるようになって来た。無口この上ない鈴木君に最初は苦労させられたものだ。
私は続けた。
「あと、少し気になることもあってね」
「気になること?」
鈴木君の興味が動いたようだ。
「え……? あ、いや。ごく個人的というか、下らんことだがね」
私は頭をかいた。
「いや、あの初音ミク、すごい調律だったなぁと。どういうパラメーターなのか聞いておけばよかったなぁ~と思ってね」
鈴木君は眉間に出来た皺を指でつまんだ。
「これだからボカロ廃は……」
呆れたように溜息をつく鈴木君に反論する。
「いやいやいや、ボカロは良いモノだよ? 特にCVシリーズは癒されるんだ。うん、まあ、それはいいとして。
私もミクとレンを買ったクチだからボカロがどういうものか多少なり知ってるつもりだが、あのミクはちょっと規格外れの調律なんだ」
鈴木君は肩をすくめたようだ。
「私にはその辺はよく判りませんね。ロボ公には興味ありませんし」
吐き棄てるようにそう言った鈴木君は、そういえば奥さんと息子さんをロボットの暴走事故で亡くしていたのだったっけ。
これは失敗したな。
彼がロボットだけでなくヴォーカロイドも毛嫌いしていて不思議はない。私は軽い後悔の念に駆られながら応じる。
「うん、鈴木君がボカロに興味ないのは判る。が、ちょっと待ってくれ。あのミク、何か変じゃなかったか?」
「変?」
少しだけ鈴木君の語尾の調子が上がった。
「そう。なんて言うかな……。表情がありすぎるんだ。確かにボカロは感情モジュールによって人のような行動を取る事があるが、あのミクは明らかに……そう、異質だ。あれではまるで……」

私は言葉を切った。
趣味が絡むとやたら熱くなるこの性格は治さんといかんな。
やれやれだ。
大体異質だったら何だというのか?
特別な初音ミクを狙って悪の秘密結社が店に灸を据えた(放火した)とでも?
バカバカしい。改めて自分がこの新しいガジェットに対する期待と希望に拘泥(こうでい)していることに気付いて苦い笑みを頬に刻んだ。
確かに鈴木君の言うとおり私情私見が多分に含まれていたのかもしれない。私見が混じっていては正しい判断を下せなくなる。

だが――
それでもあのミクは気になる存在だった。あの表情はありえない。
何より法的執行力を持つ警察官に反抗できるロボットなど、この世にあってはならない筈だった。
しかしあのミクはごくごく自然にマスターである雑賀誠人を守ろうとした。
あの瞳の光が作り物だと言うのか。あの決意はプログラムのなせる業なのか。
だとしたら、雑賀誠人とはどれほどのスキルを持っていると言うのだろう。
命なき物に息吹を込めるプログラムとは一体如何なるものなのか。
それほどの手練ならばネットでも取沙汰されて然るべきではないのか。

『ボカロのSNSならば何か手がかりがあるかもしれない』
私は携帯を取り出してネットにアクセスしようとしたちょうどその時、常にマナーモードにしてある携帯が震えて着信を知らせた。
ディスプレイには「部屋」と表示されている。
「刑事(デカ)部屋」のことで、この場合は捜査本部のことだ。何か解ったのかも知れない。
私は受信ボタンを押した。
「はい、松本です」
『松本君か? 篠田だ』
篠田警部は本件の担当捜査官となっている、私の直接のボスだ。
『例のホトケの検死結果が出たぞ。直接の死因は一酸化炭素中毒だが、二人からバルビツール系睡眠薬のチオペンタールが検出された。眠らされた(殺された)可能性が高いな』
バルビツールと言えばその昔は自白剤にも使われた睡眠薬だ。なかなかきな臭い話になってきたじゃないか。
『また、火元はB-4地区の廃材置き場で出火時刻は午前9時30分前後。ところがその時刻の5分ほど前から一帯の防犯カメラが止まっていてデータがない。また、10時前後に工場区の防犯カメラが不審な車を撮影している』
何だ、真っ黒じゃないか。
『本日16:00をもって本件は放火事件として正式に捜査本部を置くことになった。事件の全容解明に引き続き当たってもらいたい』
「了解」
私は通話を終了した。
「おブケ(警部)ですか?」
鈴木君が訊いた。
「ああ。検死結果が出たよ。二人から睡眠薬を検出したそうだ。防犯カメラも止まっていたらしく、放火事件として捜査本部が立ち上がったよ」
鈴木君は無精髭の生える顎に手をやった。
「なら、ヤツを任同(任意同行)かけますか?」
彼の言う『ヤツ』とは雑賀誠人のことだ。私は首を横に振った。
「いや、もう少し泳がせておこう。ゲソ(足)を出すかもしれん。ヤサ(住居)に戻るぞ」
私は踵を返し、鈴木君と雑賀誠人のマンションへ足早で戻ったのだった。

ライセンス

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存在理由 (10)

閲覧数:150

投稿日:2009/05/20 09:52:43

文字数:2,231文字

カテゴリ:小説

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