第八章 02
「早く、中に入んな」
「……申し訳ありません」
男は焔姫とともに民家に入る。
家主は外の様子をうかがい、誰にも見咎められていない事を確認すると戸を閉めた。
「……何言ってんだ。この国の人間なら、誰だって姫様の味方だ。謝る事なんてねぇよ」
「すま……ぬな。……恩に切る」
焔姫が荒い息をつきながらそう言う。
「めっそうもない! 姫様は安静にしてくだせぇ」
「この方の言う通りです。早く手当をしなければ。――寝台を借りても?」
「聞くまでもねぇ、使ってくれ。包帯と……くそっ。薬がねぇな」
男は部屋を抜け、奥の部屋の寝台に焔姫を連れていく。家主はばたばたと室内を引っかき回し、しばらくしてから包帯の代わりになりそうな布を持ってくる。
男が包帯を受け取ると、家主は薬を探しに家の外へと出ていってしまった。
焔姫を寝台に座らせると、男は室内にあった調理用の短刀を手に取る。
「姫……傷口を見ます」
「……」
焔姫は言葉を発さず、こくりと小さくうなずいた。
それを確認して、男は焔姫の背中にまわり、無残に切り裂かれ鮮血に染まった衣服に短刀を入れる。
切った衣服を脱がせると、焔姫の小麦色の裸身があらわになる。
裸身という事よりも、その大きな傷に目を背けてしまう。
「うっ……」
焔姫の背中には、なめらかな素肌を右肩から左わき腹へと続く、袈裟がけの刀傷がついていた。
男はまず、清潔な布で血をぬぐう。
「……右腕が上がらぬ。骨は……折れてはおらんようじゃが」
焔姫は苦鳴をあげる事なく、冷静にそう告げる。
「肩は……」
傷口の生々しさに男は口ごもってしまうが、そんな態度にも焔姫は動じなかった。
「気づかいは無用じゃ。……話せ」
「……。肩の傷は、深そうです――」
覚悟を決め、男はそう傷の具合を告げる。
骨は折れていない、と焔姫は言っていたが、それでも鎖骨と肩甲骨には傷が入っているのだろう。右腕が上がらないという事は、靭帯が切れているかもしれない。肩より下の大きく斜めに入った傷は背骨に当たっているものの、幸い背骨や内臓を損傷させるにはいたっていないようだ。
少なくともすぐに処置をすれば致命傷にはならないだろう。
だが、戦う事はしばらく出来ない。靭帯が切れてしまったのであれば、右腕は使い物にはならないかもしれない。
男がそう伝えると、焔姫はため息をついた。
「まぁ……そうじゃろうな」
それっきり、押し黙ってしまう。
焔姫の内心でどのような思いが交差しているのか、男には推し量れなかった。
ただひとつ分かるのは、戦えないという事は男が考えているよりもショックだろうというくらいだ。
本当ならすぐに国王を助けに、そして王宮を取り戻しに行きたいと思っているはずなのだから。
「……包帯を、巻きます」
男はおずおずと言うと、焔姫は素直にうなずく。男は出血を抑えようと、焔姫の上半身を強くしめつけるように布を巻きつけていく。
目をそらそうとするが、どうしても焔姫の肌に目がいってしまう。
将軍として幾多の戦を経験している割に、焔姫の身体にはほとんど傷がついていない。たぐいまれな俊敏さと目の良さが、これまで怪我を防いできたのだろう。
だが、しかし。
この傷が治っても、焔姫の背中にはみにくい痕が残ってしまうのはどうにもならない。
「――とりあえずは、これで安静になさって下さい。薬と……医者が見つかればよいのですが」
焔姫は寝台にうつ伏せに横たわる。巻かれた布は、早くも真紅に染まりだしていた。
「医者か……。そう都合よくはおらぬだろうな」
「……。とにかく今は休んで下さい。体力を消耗します」
「……ああ」
平然とした態度ではあったが、実際にはかなりつらかったのだろう。か細い返事のあと、焔姫は意識を失ったかのように眠りにつく。
時折苦しそうに顔をゆがめて寝苦しそうにしているのを見る限り、やはり相当の我慢をしていたのだろうと男は思う。
こんな時に何も出来ない自分が、男は歯がゆかった。
寝台で眠る焔姫の隣で、男は強く拳を握りしめた。
焔姫 35 ※2次創作
第三十五話
この三十五話と次の三十六話で、微かに医学っぽい話があるのですが、その辺の知識がまったくといっていいほど無いので、結構苦労しました。
さらに言えば、この当時の年代の医学というものがどれほど発展しているのかまで調べきれなかったので、余計に。三十六話では傷口の縫合がどうとか書いているのですが、当時、そもそも縫合技術がどれほど発達していたのか検証できていません。
そのあたりの事は、なんとなくスルーして頂ければ幸いです(苦笑)
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