高校生活最後の冬といえば、普通は受験だ就職だとピリピリしているもんだろう。だが、俺は未だに緊張感もなく、自分の進路に漠然とした迷いを持っていた。
 大学に行ったところで特にやりたいことがあるわけじゃなし、かといって就職したいわけでもない。惰性で受験勉強を続けているが、俺の本音は「自分がどうしたいのか分からん」というものだった。
 だから、12月の期末テストを終えた後の授業など、身が入らないのも当然というものだ。俺はアクビをしながら、ノド仏の下の痣のあたりをポリポリと掻いた。
「いいかぁ。今や近代史は理系の大学でも必須科目だからな、気を抜くなよ。特にこの2031年の世界同時毒ガステロは・・・・」
 80年前に起きたテロ事件のことを、気の抜けた声でセンセが説明する。
 当時、世界で同時多発した毒ガステロは、日本だけでも数万人の人間を植物状態にしたそうだ。ほぼすべての病院がパンクし、新規入院患者など到底受け付けられない。困窮した政府は打開策を発表し、賛否両論のなか、それは実行されたのだ。
 俺は腕時計を見て、昼メシまであと15分と確認する。
 なんとなく昼メシ代の安否が気になって財布の中身を見ると、小さな紙片が目に付いた。一昨日の夕方、幽霊を探しているときに旧校舎の図書室で拾った、謎の紙切れだ。
 これにはこう書いてある。
『・・・・の満月の夜、月見草の上にゆらめいた。白いモヤの>>>見え>>>れは、プールに反射し>>>>を受けると・・・・』
 ところどころインクが滲んで読めなくなっているのと、始めと終わりが破れているせいで意味が分からない。一見して、ただのメモ書きか何かの本を写したノートの切れ端、と普通の人は判断するだろう。拾った場所も図書室だしな。
 だが、オカルト研究部部長の俺は、このメモには何かがあると踏んだ。長年の勘、というやつだ。
 科学部部長の乃木坂コルクにさっそく連絡し、次の満月の夜に合同研究をする約束をした。
 そして満月の今夜、オカ研と科学部の合同研究が行われる。
 フフッ。今度こそ本物の幽霊を科学部の連中に見せてやるぜ。

 時刻は22時。
 静まった空気をその透明な光で凍らせながら、満月が徐々に昇って行く。
 オレとコルクは何故か男2人きりで、旧校舎のプールサイドにしゃがみ込んでいた。
 あちこちでひび割れているプールサイドはいかにもな雰囲気を作り出し、引っ張ってきたホースから出る水が、音を立ててプールに溜まっていく。水は夕方から入れ続けているから、月が昇りきる夜半ごろにはいっぱいになるだろう。
「エイジ。もう一度確認させてくれ。オマエの考えでは、この花の上に何かが現れるんだな?」
「今日こそは見れるさ。間違いない」
 俺は力強く頷く。
 メモからわかるのは満月とプールと月見草ということだけだが、ここに来たときから感じる痺れるような既視感が、俺に何かの存在を強く訴えている。
 俺の横では、夕方に買ってきた無季性(むきせい)プランター入りの月見草が、季節外れの冬に花を咲かせている。
 月見草は日が沈むと白く小さな花を咲かせ、夜が明けるころには黒紅色になって凋むらしい。それを知って、ますます俺はゾクゾクした。なんとも、俺好みの花じゃないか。
「おい。ここまでして何もなかったらどう責任とるつもりだ? 勝手にプールに水まで張っちまって」
 ガタガタ震えながらコルクが愚痴った。怖いわけではない。寒いのだ。白い息を吐くたびに、コルクのメガネが少し曇る。
 俺はわざとおどけた風にして、
「寒いのは、科学部のカワイコちゃんたちをオマエが連れてこなかったせいだろ? いれば盛り上がったのにさ。自業自得だ」
「あのな。年末間近の夜に部員1名のオカ研に付き合って幽霊研究なんて、誰がしたがるかよ!」
「部員は5名だ。間違えるな」
「オカルト部で幽霊部員が4人って、なんだそれ? シャレのつもりか?」
「まぁまぁ。アメ食べる?」
「くっ・・・・。ああ」
 口を尖らせてコルクはアメを受け取り、溜め息のあと口の中に放り込んだ。
 コルクは物理に異常に強く、それだけで大学も推薦で受かった。同じ大学を普通に受験する俺からすればうらやましい限りなのだが、同時に、当然の結果とも感じている。
 こいつの夢は、人類初のタイムマシンの開発に成功し、さらに時間旅行をすることなのだから。そして俺は、こいつならやってのけると信じているのだ。
 話すのをやめると、プールに注がれる水の音以外に何も聞こえなくなる。俺たちは体育座りをして縮こまり、雑談を続けた。
「今年中には間に合わなかったな。時間跳躍理論」
「エイジが本気になって手伝ってくれれば、できたかもしれんぞ」
「いや、俺はそんなに難しいことはわからないって。俺が手伝ったりしたら、どうせまた周りから笑われるようなこと言ってバカにされるだけさ」
「それでいい」
「は?」
「周りの奴らが笑うような、誰も思いつかない発想力こそがオマエの、楠木(くすのき)エイジの強みだからな」
「なにそれ。褒めてんの貶してんの?」
 コルクは少しだけ笑い、
「褒めているのさ。人に笑われるくらいでなけりゃ、独創的な発想とは言えない。今の行き詰った科学には、オマエのような科学者が必要なんだ」
「へーいへい。そーですか」
 コルクは時々こんなことを言う。褒められるのは嫌いじゃないが、どうもからかわれているような気がしてならない。
「それにしても、寒いな」
「ああ」
 完全防寒してきたつもりだったが、冷え切ったプールサイドに体育座りをしていると、足の裏と尻から冷えてくる。俺たちはたびたび立ち上がって伸びをしたり足踏みしたりして、寒さに対抗した。

 月が上昇から下降に転じ、徐々にその位置を低くしていく。プールの水が月光を反射させて妖しく輝き、水に浮かぶ満月が俺たちの視界にゆらりと入ったとき、それは起きた。
「おいっ! エイジ!」
 隣で叫ぶコルクの視線は俺の頭上を指し、俺はその視線を追って逆隣のプランターの上を見る。

『満月の夜、月見草の上にゆらめいた』

 まさにその言葉のままに、白いモヤが月見草の上にふわりと現れ、たちまちに女性の姿を形作る。まるでモヤに生命が吹き込まれるように、徐々に肌や頬、瞳にあたたかな色がついていく。
 制服? この学校の昔の女子のものか? いや、それよりも・・・・。

 俺は、こいつに会ったことがある。

 綺麗に揃えられた、肩の上で揺れる黒髪。大きくはないが穏やかな目に、右目の下の泣きボクロ。薄い唇、しとやかな指先、華奢な体。
 でも、あるハズの足は途中で消えていて、代わりに月見草が揺れている。
 突然、彼女の整った顔に悲しみが浮かび、透き通るような頬を涙が伝う。
『たすけて、エイジ。たすけて・・・・』
 立ち上がり向かい合う俺に、俺の名を呼んで、苦しそうに彼女は両手を差し出した。
『殺したくない・・・・』
 ほぼ無意識に彼女の手に触れた瞬間、周りの景色が変わった。


 生温い風が吹き抜けるプールサイドを、沈みかけの赤い満月が不気味に照らす。
 フェンス際に並べられたいくつものプランターの中に、ひとつだけ月見草が咲いているものがあった。
 季節は夏。濃い塩素のにおいを放つプール、熱帯夜、そして、手にカミソリを持った彼女。

 ネムリに呼び出されてここへ来たとき、すでに彼女は正気を失っていた。彼女のしぼり出す一言一言が、俺の肺腑を抉る。
「どうして?! エイジは助かるって言ったじゃない!」
 彼女・・・・加賀ネムリは自分の首にカミソリの刃を当てて叫び、泣きながら俺を責める。
「もう、やるしかなかった。もう、殺すしかなかったのよ! 助けたかった。助けたかった、助けたかったよぅ・・・・。」
 ネムリは自分の判断で、家族を殺した。このときは、そうするしかなかった。
「おかあさんも、おとうさんも・・・・。まだ小学校に入ったばかりの弟だって、全員私が! 私が殺したんだ!」
 もし俺が、ネムリに「絶対助かる」なんて気休めを言わなければ、ここまで彼女は自分を責めなかっただろう。
 もう何を言っても、俺の言葉はネムリに届かなかった。
 赤い月に照らされた彼女の顔は涙に濡れ、そこには悲しみと悔しさと、絶望しかなかった。
「死んじゃダメだ、ネムリ! やめてくれ!」
 言葉は虚しく空に消え、ネムリは自分の首を切り裂く。
 走り寄ってくずおれる彼女を抱きとめると、首から吹き出す温かな血が俺の肩に当たって弾けた。
 死なないでくれ、お願いだ、死なないでくれ・・・・・・。
 無我夢中で彼女の首を押さえても、切り口からあふれる血はまるで意志を持ったように止まろうとしない。
 彼女の血を全身に浴び、彼女の心臓の音が消えるまで、俺は華奢な体を抱きしめていた。
 例えようのない悔恨(かいこん)と絶望。
 俺の一言が、ネムリをここまで追い詰めた。「絶対助かる」なんて、ただの気休めにしかならないのに。その言葉が彼女を迷わせ、苦しめた。
 自分が憎い。
 憎い、憎い、憎い。
 何故俺は泣いている。それが贖罪とでも言うのか。
 何故呼吸している、何故ここにいる、何故、生きている。
 ネムリを苦しめた俺が、何故。
 後悔は自分への憎悪に変わった。
 徐々に熱を失うネムリの手からカミソリを取り、憎しみを込めて深く喉を切り裂く。
 刃が骨にあたる鈍い音がしたあと、腐臭を放つような汚く、赤黒いものが、俺の喉から噴き出した。


「エイジ!」
 コルクに肩を引かれて我に返ると、同時に月見草の上に現れた加賀ネムリは音もなく消えた。
「大丈夫かエイジ。得体の知れないものに気安く触りやがって、無謀すぎるぞ!」
 頭の中についさっきまでの映像が焼き付いている。赤い月、月見草、泣き叫ぶネムリと、何もできない俺。後悔、絶望、憎悪。
 全身に鳥肌が立ち、震え、俺はしゃがみ込んで自分の体を抱きしめた。
 あれは・・・・。俺の、前世の記憶だ。
 体の震えが止まらないまま、信じるかどうかなんておかまいなしに、俺はその記憶の中の出来事をコルクに話した。

 2031年の世界同時毒ガステロ。
 俺は広田エイジという高校生で、加賀ネムリとは恋人同士だった。ネムリの家族は不運にもテロに巻き込まれ、ネムリを除く全員が植物状態になってしまった。
 家族が入院している病院でネムリを励ましてやりたくて、ろくに考えもせずに、言ってしまった言葉。
「大丈夫、絶対助かる」
 でも使用された毒ガスは未知のもので、数万に及ぶ被害者を救う手立てはなかった。
 どこの病院もいっぱいで医療機関はマヒし、事実上救急医療は身動きできなり、人々は早急な対処を国に強く求めた。
 追い詰められた政府は「被害者の回復は不可能」と断言すると同時に、親族に責任を転嫁する方法をとる。
 それは、親族同意の上での、安楽死の許可だった。
 もともと、生命維持装置の稼働には大金がかかる。
 家族でたった一人生き残った高校生のネムリにとって、国が言うそれは「家族を殺せ」と言われたことと同義だった。
 担当医からも安楽死をすすめられ、満足に考える時間も与えられずに、ネムリは頷くしかなかった。
 それ以降、ネムリの心は壊れていったのだ。両親と弟を「私が殺した」と、責め続けて。

「前世の記憶・・・・か」
 俯く俺に、コルクがつぶやくように話しかけた。
「科学部のコルクには信じられないだろ? まぁ、気にするな。誰かに話したかっただけさ」
 俺は無理やり笑ってみせる。コルクは計算式を解くように冷静に、
「いや、信じよう。オマエの喉の直線状の痣は、綺麗に頸動脈の上を通過している。前世や生まれ変わりがあると仮定すれば、辻褄が合うと言えなくもない」
「信じるのか? こんな突拍子もないことを」
「フッ」
 薄く笑う。
「俺も見ちまったしな。幽霊か何かわからんが、オマエの前世の恋人ってやつを」
 コルクの言葉に、気持ちが軽くなっていく。
「エイジ。確か、あの毒ガスの中和剤は事件の2年後に開発、治療法は10年後に確立されていたな? 両方とも、現在から見れば過去の出来事だ」
 そう言ったあと、コルクは少し照れるようにして、
「助けに行くんだろ? 俺とオマエが開発する、タイムマシンで」
 小さく微笑んで、俺に手を差し出した。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

月光に咲く花

オカルト部部長楠木エイジは、旧校舎の図書室で幽霊探しの最中、謎のメモを拾う。
満月に科学部と合同調査することになったが、当日、エイジは思うわぬものを目にすることになる。

閲覧数:114

投稿日:2011/01/13 20:59:12

文字数:5,093文字

カテゴリ:小説

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