とても暗い闇の中、紫色の霞が立ちこめ
荒れ果てて真っ赤に染まった大地に
大きな大きな門が建っていました。
大きな大きな門の前には
いつも長い行列が出来ていました。
そこには、覚悟を決めて今か今かと自分の順番を待つ者や
この先待ち構える恐怖から逃れようとおびえる者が並んでいました。
大きな大きな門の先は罪人を裁く、とても恐ろしい地獄が待っているのです。
そんな地獄の門の入り口には、ある一匹の獣が住んでいました。
3つの首をもち、恐ろしい地獄から逃げ出そうとする者を常に見張る姿から
獣は「地獄の番犬ケルベロス」と皆から恐れえられていました。
ある晩のことでした、いつものように退屈そうに行列を眺めていると
大勢の大人の中に黄色い髪の少年が並んでいました。
左の首がそれに気付き、真ん中の首を起こし言いました。
「おい、あれは子供ではないのか?」
それを聞いた右の首も振り返り言いました
「確かに子供の様だが、何故子供が紛れ込んでいるのだ?」
真ん中の首も不思議そうな顔で言いました。
「俺にも解らぬ。何かの間違いではないのか?」
ケルベロスは3つの首をかしげて少年の姿をじっと眺めました。
黄色い髪の少年は、曇った瞳で、ずっと下を眺めたまま、ただ呆然と自分の順番を待っている様でした。
右の首は言いました
「間違いない、アレは人間の子供だ」
真ん中の首は言いました。
「バカな?何故このような場所に子供が居るのだ?」
左の首が言いました。
「解らぬが、ともかく、ここを通す訳にはゆくまい?」
少年が聳え立つ地獄の門に手を掛けた瞬間、ケルベロスが牙をむき
少年の前に立ちはだかり言いました。
「待つがよい小僧、このような場所にキサマのような幼い子供が一体何の用だ?」
すると少年は小さく薄暗い声で呟きました。
「僕は人生に疲れたのです、いっその事地獄に落ちればいいと思いココにやって来ました。」
それを聞くと、真ん中の首は少年を鼻で笑い言いました。
「ふんっ!子供が人生に疲れただと?大人にも成りきらず一体何に疲れるというのだ?」
少年は光の無い瞳で言いました。
「僕には生きる資格なんてないんです、僕は何も出来ない自分が嫌いなのです。だから僕には大人になってやりたい事なんて一つもありません」
少年の周りをグルグルと歩きながら、鋭い眼差しで右の首が言いました。
「では小僧よ、ポケットの中のそれは一体なんなのだ?」
それを聞くと少年はポケットの中に手を入れてましたが
その手のひらには何もありません。
左の首は飽きれた顔で言いました。
「まったく、輝く夢の明かりを持ったまま、暗黒の地獄にこようとは、なんと浅はかことか。」
少年は開いた手のひらを唖然とながめると、ケルベロスに言いました。
「でも、夢なんて幾らあったって一生叶いはしないし、僕にはそんな勇気なんてありません」
すると真ん中の首が言いました
「全く愚かなものの小僧よ。では、その首に下げているものは一体なんなのだ」
それを聞くと、少年は首元を手で探りましたが、やはり何もありません
左の首は言いました
「まだ燻る勇気を持ったまま凍える地獄へ堕ちようとは、罪人どもを愚弄する気か?」
少年は何も無い首元をさすりながらケルベロスに言いました。
「でも、勇気なんてあったて、僕には何も出来ません。
それに僕には後悔するものなど何もありません。」
すると右の首は恐ろしい形相で言いました
「ではキサマから伸びる影は一体なんなのだ?」
それを聞くと、少年は振り返り、足元から伸びる影をみました。
そこには少年の足元から伸びた影しかありません。
真ん中の首は言いました
「己を罵倒し、未練を残したままの心で地獄へ堕ちようというのか、まったく救い様のない愚か者よのう」
少年は振り返りケルベロスに向かい言いました。
「例え希望や夢が残っていたとしても、僕には必要がありません
だから、きっとこの世の中で悔いを残したことなんてありません。」
それを聞くと右の首はうんざりした顔で言いました。
「では、その背中に背負った大きな物は一体なんなのだ?」
それを聞き少年は背中を手で探りましたが
やはりそこには何もありません。
左の首が大地に木霊するような低い唸り声で言いました。
「多くの魂に託された生きようとする想いを背負い
孤独の海の広がる地獄の門を叩くとは飽きれて物も言えぬわ。」
少年はケルベロスに言いました
「それでも僕には生きる資格なんてありません、どうかお願いですココを通してください。」
するとケルベロスは、1本のナイフを咥え、少年の足元に放り投げました。
「小僧よ、本当に地獄に落ちたいのであれば、今すぐにそのナイフで心の臓を貫き、命を絶つがよい。」
少年は足元に放り投げられたナイフを手に取り、ナイフの刃を胸に突き立てました。
・・・ ・・・ しかし、少年にはそれ以上の事はできませんでした。
すると左の首が言いました。
「そのような小さな覚悟で地獄に堕ちようというのか?帰るがよい、ここはキサマのような者が来るべき場所ではない。」
少年は悔しそうに瞳から涙を零し、喰らいつくようにケルベロスに言いました。
「何故そこまでして僕を地獄から遠ざけるんですか!
僕は地獄にすら見捨てられたという事なんですか!?」
涙を流し叫んだ少年に、真ん中の首は、今までに無い、恐ろしい声で言いました。
「いい加減にせぬか!貴様の戯言など聞き飽きたわ!
貴様には見えぬのか!?
光輝く夢や、まだ燻る勇気、傷つけた自分の心への後悔
多くの魂の託した想い、しまいには己の命を断ち切れず
生きたいと思っている心があるではないか!
帰るのだ、ココは貴様のような未来と希望を持ち合わせた者が
来るべき場所などではないわ!」
それを聞くと少年は止らない涙をぬぐいケルベロスに言いました。
「解りました・・・ ・・・僕は・・・もう一度だけ生きてみようと思います。」
それを聞くと、ケルベロスは背を向けて言いました。
「・・・ ・・・それでいい。貴様とは二度と会うことも無かろう。」
それを聞き、少年は輝く瞳で前を見て、ゆっくりと歩いて来た道を戻っていきました。
真ん中の首が眠たそうにアクビをして言いました。
「全く、人間とはいつの時代もわからぬものだ」
真ん中の首につられる様に左の首もアクビをして言いました。
「全くだ。己の内に秘めた輝きすら見えず、己を無力だと思い込んでいる。
つくづく人間とは厄介なものだ」
見張り番をしていた右の首も言いました。
「まぁ、あの背中を見る限りでは、小僧とは二度と会うこともなかろうて。」
遠ざかる少年の後ろ姿を見送り、ケルベロスはいつものように門の端にしゃがみこむのでした。
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