32.君に伝えたいこと ~後編~

 迫り来る命の危機の中で、ヴァシリスが告げた、レンカに伝えたかったこと。それは「島の女神像の対となる、王の像が大陸で発見された」ということであった。

「俺たちがこんなになってしまう前。リントが逃げてくる前に届いた、大陸の博物館の報告書に書いてあったんだよ!」

 思わずレンカの手が銃を取り落としそうになる。

「……は?!」

 レンカは、さきほどヴァシリスに愛の告白をしている。その続きの展開を、この切羽詰った時に、一瞬でも期待しなかったといえば嘘になる。

 ヴァシリスは、そんなレンカを振り向かずに言葉を続けた。
「偶然にも、リントの郵便飛行機が最後に落とした荷物で届いたんだ! そこにな、大陸で『王の像』が発見されたと書いてあったんだ」
 これにはレンカも驚いた。なにせ、伝説では女神を作ったのは『王』だ。王が像になって残る意味は、正直、『国の記念碑』以外の何物でもないと思える。
「だ、だからって、『愛の象徴』の伝説の女神とは関係ないかもしれないじゃない! 威厳のある立派な王が、誇り高く国を治めた、そんなところでしょ?!」

「それが、違ったんだよ!」

 ヴァシリスの声に熱がこもった。

「なんと、王の像は、崖の下の海中で発見された。崖の端に立っていたのが、どうやら海に崩れ落ちて、土砂に埋まっていたらしい。難破船を掘り出した際に見つかったそうだ」

 どくん、とレンカの心臓が脈打った。

「レンカ。君は、島の女神像の下の石版を解読して、調査をやめた。
 君の目標は、伝説と歴史の照合だった。その目標が叶わないから、失望したんだよな?」

 レンカはうなずく。

「……続きが、進められるかもしれないぞ。その王の像は、『島に向かって』『手を広げて立っていた』」

 どきん、とレンカの心臓が跳ね上がった。もう、周囲の音も、不快な汗の感覚も、太陽の暑さも感じない。聴こえるのは、ヴァシリスの強い声だけだ。
 海を隔てて、抱き合うように向き合う女神と王の像が、レンカの脳裏に描かれる。
 ヴァシリスの背中が、膨らむ。肺に思い切り息を吸っている。
 
「レンカ。覚えているか。島の女神の足元の海には、たくさんの石片が散らばっていた」
 忘れるはずがない。それは、レンカが拾い集めたものだ。
「……王の沈んでいた海底にも、おなじ石片が散らばっていた。こちらは、土砂に長く埋まっていたおかげで、はっきりと文字が読み取れた」
 ごくり、とレンカの喉が鳴る。ヴァシリスの広い背中に食いつきたい勢いで、レンカは言葉の続きを待った。
 ヴァシリスの声が、深く響いた。

「……ぜんぶ、愛の言葉だった。」

 キィン、とレンカの耳に、銃弾の掠め飛ぶ音が聞こえた。すかさずヴァシリスが応戦する。レンカの腕には、力がぬけたまま戻らない。

「あの石片はくだけて割れたのではない、もともと小さな欠片だったのだ。
 ……一度、俺とその大陸の博物館の人は、手紙のやりとりを行った。
 こちらの島でも、おなじような石片が発掘されている、と。そして、見解の一致を見た。
 石片は、大きな石板が割られたのではなく、もともと小さな欠片だったのだ。
 小さな石に、恋人達がひとことずつ愛を誓って……いいか、笑うなよ、ここからは、俺とそいつのある意味ロマンチックな仮説だ。
 交流の盛んな島と大陸であったが、争いも多かった。だから、島と大陸に引き裂かれてしまう恋人達も、当時から多くいたのだと思う。
 そんな恋人たちは、この海域に伝わる伝説に思いを託した。
 大陸の者は、王の像の元、島に向かって海へ。島の者は女神像の元で大陸に向かって放り投げた。
 だから、人間の腕力の届く海中に、石片は積み重なっている。そして、この風習は、わりと長く続いている。
 王の石像が海に落ち、女神の石像が、なんらかの原因で失われるまで」

「失われた?!」

 レンカは思わず声を上げた。

「だって、女神像は今でも、岬に」

「あれは、二代目だ」

 ヴァシリスの撃つ銃声が、レンカの耳に、まるで祭りの爆竹のように響いた。

「王の像が出来たのは、今の島の女神像よりもずっと昔だとの話だった。そして、石片に書かれた言葉は、王の像の足元のものも、島のものも、同じ年代で使われた言葉だ。
 王の像が海におち、何らかの原因で女神が失われ、その後に、島で女神像だけが建てられた。……そのころ、大陸の国は、国の形を保てずに、分解していたんだ」
 レンカが息を飲む。
「二代目となった島の女神は、建てられたとき、石板がつけられた。それが、レンカも一緒に読んだだろう、あれだよ。」

『国の守りとして、ここに像を建てる』『岬の端、大陸勢力への見張りとして像をここへ移す。島に女神の加護のあらんことを』

 これを解読した瞬間、レンカの遺跡への情熱は消えたのだ。この女神像は、戦争の象徴として作られたのであって、歴史と伝説の証人ではないと。
 誰かが伝説を利用するために作った偽りの女神だと感じ、調べ続けることがむなしくなってしまったのだ。
「あたし……」
 レンカが唇を震わせる。
「あたしは、女神像を調べることでは、歴史と伝説の真実を知りたいと思ったあたしの願いは叶わないと思った。だから、調べるのをやめたのよ」
 ヴァシリスがそうだな、と答えた。
「そうだな、あの二代目の石板と像がつくられたときはそうだったのかもしれない。しかし、思い出してほしい。女神像は、その石板を『踏んでいた』」
 あっ、とレンカが声を上げる。
「なぜ」
「たまに女神像が倒れることは、島の人なら皆知っているだろう。俺たちの知らない昔の世代のだれかが、立て直す時、石板をわざわざ女神に踏ませたんだ。……まぁ、『乗っている』という言い方もできるから、戦争ばかりしているこの島を守ってほしいという気持ちはあったと思う。
 当時は大陸の国もばらばらになるほどに荒れていたからな、島へのとばっちりもあったのだろう。女神が守ってくれるなら、守ってほしい。その気持ちは、今、俺は切実に共感できる」

 攻撃してくる敵を殺し、戦に勝つということは、自分の愛するものを愛しぬける保証だ。堅苦しい言葉、権力じみた言葉ではあるが、太古から続く人間の世界の真実でも、ある。
 そう、ヴァシリスはつぶやいた。
 泣くような音がして銃弾が飛んでいく。

「でも、その堅苦しく血なまぐさい文面は、今の時代には伝わらず、石像に恋した王と魂を得た女神像の伝説だけが島に伝わり広がった。
 ……なあ。人っていうのは、すごいものだな。
 大昔、愛を誓って、海を隔てて王と女神の像を建てて、愛を誓う恋人達が、それぞれの海岸で小さな石を投げ合ったんだ。
 ……奇跡がおこりますように、この愛が、奇跡を呼びますように。
 そして、この説は、レンカが必死で拾い集めた石片がなければ、生まれなかったものだ」

 レンカの眼から、ひとつ、涙がすべりおちた。
 埃に汚れて白くなった頬に、水のあとが流れてついた。それは、まるで石像に雨が伝うように。

「なあ、レンカ」

 ヴァシリスが銃を撃つ。その合間に言葉が響く。

「まだまだ、女神像の謎は残っている。消えた一代目の女神の行方も、島に広がる伝説の相違も、『踏まれた石板』の真の意味も、これから解釈するんだ。
 逃げてきたリントくんも、ずいぶん、手伝ってくれた。俺は、この成果を、無駄にしたくない」
「え、リントが、」
 レンカの眼が驚愕に見開かれる。
 たしかに、レンカが医院の仕事から帰ったとき、迎えてくれるリントは、かならずレンカの石片の前にいるか、資料の本をめくっている最中であった。

「ヴァシリスさん、リントは、」
「ヴァズだ。そう呼べ。……リントは、俺を手伝いながら、レンカに言いたいといっていた。俺も、同意見だ。レンカ、聞いてくれ。リントと、俺の思いだ」

 ヴァシリスは、くっと息を溜めた。次の言葉は、レンカの心を貫いた。

「レンカ。君の、海で過ごした五年間は、無駄じゃなかった」

 レンカの涙腺が崩壊した。

「無駄じゃ、無かった……?」

 ヴァシリスが声で肯いた。
「ああ」
「あたし、伝説の解明に、役に、立てた……?」
 ヴァシリスの声が、ふっと和らいだ。
「ああ。王と女神の伝説に、大きな一歩を残した」

 レンカは、ヴァシリスの名を、泣きながら呼んだ。手にした銃が、重く黒く、力強く握られる。レンカの声を背に受けて、ヴァシリスの声が優しくなる。

「……で、これは俺だけだが。今だから打ち明けるぞ。
……女神の岬から、言葉を彫った石を投げておいた。
レンカを、愛している。だから医院の仕事などではなく、俺のもとに、戻してください、と。……当時は恋人も家族も要らないと思っていたのに、本当に俺は勝手だな」

 レンカの顔が、くっと空を見上げた。
 空は、底抜けに明るい青を晒していた。白い太陽が天の端へとさしかかる。

「あ、あ、あああああああああああああ!」

 レンカの咆哮とともに、空から飛行機のエンジン音がとどろいた。黒い奥の国の飛行機が、轟音を響かせて島の上空を威圧していった。

 レンカの瞳に涙が零れては地面に落ちて消える。

「こっそり石を投げた朝は、綺麗な桃色の空だったな。女神にとっては、こうしてお願いされるのは何千年ぶりなんだろうなと思うと、研究者の血が騒いだよ」

 冗談めかすヴァシリスだが、レンカはその誓いの重さを肌で感じている。
 ヴァシリスは、レンカに言ったのだ。「すべてを捨てて島とレンカを守るつもりだから、いざとなったら悲しむような、家族も恋人も要らない」と。

 人を悲しませないために自分の思いを捨てる人だ。
 あたしの愛した人は、そういう人だった。
 やるせなくて悲しくて、愛しくて辛い。レンカの胸が熱くなる。海の味に似た塩辛い思いがこみ上げる。

 轟音がとどろく。上空を飛行機が駆け抜け、地上では銃声が激しさを増す。
 相手が勢いを強めて攻めてきているのがわかる。
 レンカは、銃をかまえようと腕を上げた。しかし、彼女の身体は、彼女の意思の通りには動かなかった。
 ヴァシリスの広い背中が、撃つ反動で揺れている。
 ……愛しい人のその背が、いつ、血に染まって倒れるか。もう二度と動かなくなってしまうのか。それが怖くてたまらない。

「ヴァシリスさん、ヴァシリスさん、……ヴァズ……!」

 人が走る音がする。包囲が狭まっていくのが嫌でもわかった。
 とても、とてもではないけど、島が勝てる見込みなど無い。
 でも、女神様、もし、いるのなら。奇跡をおこしてくれるのなら。
 大陸の王様。もし、女神様の力になってくれるのなら。あなたも女神の奇跡を願うのなら。

「助けて……」

 レンカの口が開く。

「奇跡、起こして、ください……!」

 このちっぽけな島のあたしたちに、太古の昔からかわらず争い、人を愛し続けるあたし達に、どうか、命を。
 いまひとつの、命を、与えて、ください……!


つづく!

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

滄海のPygmalion 32.君に伝えたいこと ~後編~

「この世に意味のないことなど、ない」

発想元・歌詞引用 U-ta/ウタP様『Pygmalion』
http://piapro.jp/t/n-Fp

空想物語のはじまりはこちら↓
1. 滄海のPygmalion  http://piapro.jp/t/beVT
この物語はファンタジーです。実際の出来事、歴史、人物および科学現象にはほとんど一切関係ありません^^

閲覧数:164

投稿日:2011/09/04 00:19:55

文字数:4,573文字

カテゴリ:小説

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