《地下水道》……そう呼ばれたこの風景は、まさしく見たままの風景だった。
足下には水溜まりが一面に広がっていて、水深はかなり浅い。1センチ程度だろう。
その水は薄暗い天井から滝のように流れ落ちてきていて、下流には網目の格子があってそこから階下へ流れ落ちているらしい。
壁も天井もコンクリート造りで空気はなんとなく湿っぽい。
水は下水みたいな汚い感じではなく、上水らしい透明感がある。
滝のせいか水煙が上がっていて遠くは見渡せないが広さは縦横共に数十メートルくらいはありそうだ。
「そういやさっき、戦いがどうのとか言ってたっけ……?」
「そうです。私たちはここで……、っ! 来ますっ!」
瞬間、激しい水煙が上がり、俺とミクは顔を手で覆って、様子を窺っていた。
やがて、その煙の向こうから声が聞こえる。
「……みーつけた! 先手必勝っ! 『色は匂へと 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ……』」
それはよくある魔法物の詠唱のようだった。
これは……いろは唄……?
「まずい……! 回避しますッ!」
ミクが回避行動を取るのと同時に、少女のハスキーボイスが響き渡る。
「遅い!! 術式《いろは唄》発動! 燃え尽きろ!!」
ミクが飛んだ直後、その足下の水面から火柱が上がった。
あと一瞬遅ければ直撃だった。
「ミク!!」
「だいじょうぶです! こちらも反撃します! マスター、指示を!」
ミクはいきなりそんなことを言った。
「指示、つったって、どうすりゃいいんだよ!?」
「単純な指示でも良いです! 攻撃か、回避かそれだけでも構いません!!」
そうは言われても、良く分からん。
そもそもゲーム性次第で、どちらが適しているかなんてコロコロ変わっちまう。
回避が有利なゲーム。攻撃が有利なゲーム。そんなものは枚挙に暇がない。
だが、切羽詰まっているのも確かだ。ここで二の足を踏んでいる余裕はなさそうだし。
「分かったッ! ミク、攻撃だ! 《ハピネス・ポップ》を使え!!」
「了解です、マスター! 『聖夜に響け 極彩色(ごくさいしき)の灯籠(とうろう)……』」
その溜めの隙を突くためか、対する少女もマイクを掲げ、詠唱を始める。
「《ホーリー・スター》発動!」
「行くよ! 《メランコリック・フレア》!!」
ミクが放ったのはキラキラ輝く星の雨だ。それを相手がオレンジ色の炎で煽り返す。
衝撃がぶつかり合い、暴風が吹き荒れる。
俺は吹き飛ばされそうになりながらも、その衝突から目が離せなかった。
「フッ、やるじゃない、ミク姉。一度敗退した身にしては」
「関係ないよ……。私を求めてくれるマスターがいるなら……、ううん、今のマスターのためなら私は……。何度だって蘇ってみせる!!」
ミクが珍しく敬語以外で、そして裂帛の気合いをもって相手に応じていた。
俺にはさっぱり状況が読み込めないが、これこそがミクたちが今まで繰り広げていた戦いなのだろう。
そして俺はこの戦いのマスターとして選ばれたらしい。
《マスター》。その意味は知れない。恐らくは《指示者》あたりか。
ミクの台詞を聞く限り、俺は、伊達や酔狂でマスターに選ばれたわけでもないのだろうか。無論『なんとなく』なんかでもなく、ミクはちゃんと選び、そして戦っているらしい。それがゲームだからって馬鹿にすることは、さすがにない。何故なら俺はこう思うからだ。ゲームだからこそ人は真剣に何かを求められるのだと。いつになってもスポーツに熱中する人間の所作は変わらない。それと同じだ。ゲームの本質はやはりそこにあるのだ。ならば、俺がすることは一つだ。
楽しもう。このゲームを。
いまだ分からないことは多いし、役に立てないこともあるだろう。
だが、ミクと一緒にこのゲームを楽しもう。目一杯楽しんでやろう。
俺はそんなふうに思った。
そうして俺は、メニューウインドウを開いた。
そこにはいくつもの項目が存在していた。その中で俺は、《通信》コマンドを選択する。
対象は《初音ミク》。
《通話ON》と表示されたディスプレイに恐る恐る声を掛けてみる。
『……聞こえるか? ミク』
『え!? マ、マスター……。《通信》コマンドですよね? ……どうかしたんですか?』
ミクの声には少し緊張感がある気がする。攻撃中だから当然と言えば当然なんだが。あまり余裕はなさそうだ。
しかし交戦中にも拘わらず、通信にノイズは混じったりしない。少し違和感を感じながらも、俺は対話を続ける。
『なぁミク……。大丈夫か? 余裕はなさそうか?』
確認の意味を込めて、そう聞いたのだが、
『……あ、マスター……! いえ、余裕です! 大変余裕ですッ!!』
なんだかその声は実に嬉しそうだった。必要とされることに喜びを感じるタイプなのだろうか。難儀な性格だな……と思いつつ、悪いがそれを利用させてもらうことにする。これだけ高度なAI、もしくは高度なアクセスをしている人間なら、その精神状態の影響はゲーム内にも強くフィードバックされるはずだ。武装の威力も、彼女のテンションに影響している一面も少なくはないだろう。もし仮にそうであるならば、乗せたほうが効果的なはず。
『だったら、お遊びはここらで終わりにしようか。本気でいっていいぞ、ミク』
『はいッ!! マスター!』
言うが早いか、どうっ! と光が強まり、オレンジ色の炎は押し返されてゆく。そして大量の星がゴスゴスと地面に突き刺さる。
なんというか……、予想以上に効き目があった。プラシーボ効果か何かだろうか。単純な奴ほどよく効くと言うが……。ミク……、お前ってひょっとして……馬鹿?
目の前で轟々と星たちが積み上がってゆく。
「きゃあああああッ!!」
その向こうでは、そんな未成熟な少女の悲鳴が轟いていた。
積み重なった星々の残骸の上にとん……、と柔らかく着地したミク。その手には《ネギ・ブレード》が握られている。
『……強いのか? それ……。見た感じ、まんま長ネギなんだけど……』
『こう見えて高周波ブレードを積んでいますので、ダイヤモンドでも斬れますよ』
ミクは朗らかに言ってのける。つーか怖えよそんなネギ。
『あと、お味噌汁に入れても美味しくいただけます』
入れんな、そんな物騒なもん。
などとミクと《通信》で会話していると相手がよろよろと起き上がり始めた。
今まで水煙が立ちこめていて、姿が見えなかったのだが、ようやくお目見えといったところか。
相手のほうは、やはりというかなんというか、これまた美少女だった。
見た目は14歳くらいだろうか。金色の髪を短くカットした頭、その頂点に白くてでっかいリボンがあり、前髪にはヘアピンが差されている。服装はミクと同じようなノースリーブに黒い腕袋。ただしこちらはシャツの代わりにセーラー服型となっている。そしてこれまた黄色くてでかいリボンが胸元を彩り、下へ視線を向けるとそこにはボーイッシュな短パンがあった。
その黄色い少女は服に付いた砂埃を払いながら立ち上がると、吊り目を更に吊り上げて激昂した。
「許せない……! マスターの前で恥掻いちゃったじゃない! いくらミク姉でも許さないんだからッ!!」
言うと、その黄色い少女は右手に持っていたスタンドマイクをロックバンドのボーカルパフォーマンスのように振り回し、抱き込むようにスタンドを掴んで身構える。
「『今 撃ち付ける 狂鐃(きょうどう)の鉄槌…… 輪廻に根差せ 天弦(てんげん)の旋律……』」
詠唱……!
そう気づくより早く、ミクが動く。
「マスター!」
ミクも迎撃の姿勢を取り、詠唱を始めていた。
判断は俺に任せるということだろうか。迎撃するか、回避するか。だが、ミクには既に実績がある。そう簡単には敗れはしないはずだ。俺はそう読み、
「そのまま行け!」
と指示を出す。ミクはそれに頷いて答える。
そのすぐ後のことだった。
詠唱を終えたらしい黄色少女の術式が発動する。
「潰れろォッ!!《戦樂・神楽(せんがく・かぐら)》ァァアア!!!」
黄色少女の真正面に煉獄の炎が渦巻き、凄まじい勢いでミクへと突進してゆく。
黒々と燃えるその炎は周囲に残っていた水を瞬時に蒸発させ、中空を走り抜ける。
息も張り詰めるその猛攻を、ミクは歯を食いしばって見つめている。
あわやその一撃が身を焼き尽くすか、といったタイミングでミクの詠唱が間に合い、吹き荒れる旋風が灼熱の業火を受け止める。
瞬間。衝突した力の余波がコンクリートの地面と壁と天井を砕き始める。
俺は思わず腕を盾代わりにしてその荒れ狂う暴風を受け流そうとする。が、その威力は凄まじく、地面に屈み込むように伏せることで必死に耐えた。
ミクと、相手の少女はそれだけのエネルギーの奔流を間近で受けているはずなのに、その場で耐えしのいだだけでなく、放った術へと力を送り続けていた。
なんつー奴らだよ。俺はただ耐えるだけで精一杯だってのに。その上相手に攻撃をし続けているだなんて。
良く分からんが、彼女たちが戦い続けているこのゲームの過酷さを改めて思い知った。
俺に出来ることなんて……あるのかよ……。
沸き上がったのは無力感だ。それも途方もないくらいの。
ゲームを始めた瞬間なんてのは、大体そんなものかもしれないけどさ。やっぱり結構、打ちのめされるものがある。
ミク……。どうしてお前は、俺を選んだ……?
どうして俺だったんだ……?
俺ならお前に、何がしてやれる……?
やがて爆風が晴れ、傷だらけになった二人が姿を現した。
「ハァ……ハァ……」
「……はぁ……はぁ……」
二人が互いに肩で息をしている。今の衝突で相当に疲弊したらしい。ここが正念場だろうか。
だが、いまだに分からない。俺には何が出来る……?
こんなになってまで戦うミクのために、俺は何かしてやりたいのだ。労ってやりたいのだ。ネギだけに。……って、つまんない冗談が思いついちまった。アホか俺は。
だが、不意に背筋を寒気が走る。
やばい。そう思うと同時に俺は駆け出していた。
俺の視界の外で、黄色い少女がハスキーな声で告げる。
「甘いよミク姉……。あたし一人にしか意識が向かないなんてさ……」
それを合図にしたように、ミクの背後で影が動く。
「久しぶり、ミク姉……。忘れちゃダメだよ。オレとリンは二人で一人なんだからさ」
少女と同じような黄色い恰好の少年がミクの後ろでピストルを構えていた。
俺は少年とミクの間に立ちはだかるように滑り込む。
そして、ピストルが甲高い銃声を響かせた。
銃弾は間違いなく俺の胸へ突き刺さり、なのにそのままするりと『通り抜けて』ミクの背中に突き刺さった。
なんで――!
そう嘆く俺の目の前で、ミクはゆっくりと地面へその身を預けた。
俺は魂が抜けてしまったみたいに呆然と、その光景を、ただ馬鹿みたいに突っ立って眺めていた。
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