第六章 遊覧会 パート7
細波の声と、木々を揺らす風の音だけが耳を打つ。周囲に人はいない。いるのは一人、カイト王だけであった。闇夜の為に湖畔を見通すことは出来なかったが、湖に映る月明かりを見ながら暫くの間カイト王は余った時間を過ごすことにしたのである。そろそろ、ミク女王が来てもおかしくない時間ではあったが、まだその姿は見えない。良い返事を頂けると良いが、とカイトが考えていると、唐突に砂を踏みしめる音が細波に交じってカイト王の元へと届いた。ようやく来られたか、と振り返ったカイトの瞳に映ったのは月光に反射する長い緑のツインテール。吹き荒れる風にその髪を持ち去られないように軽く右手で髪を抑えたミク女王に向かって、カイト王はこの様に声をかけた。
「お待ちしておりました、ミク女王。」
「お待たせして申し訳ありません。」
僅かに距離を取るように身をよじらせたミク女王に向かって、カイトは一歩踏み出し、そしてミク女王の傍にまで歩いて行った。暗闇に隠れた顔が僅かに怯えている様に見える。
「夜分に突然呼び出して、申し訳ない。」
「・・いいえ。」
声も固い。どうやら緊張しているようだ、とカイトは考え、ミクを安堵させる為に微笑むと、続いてこう言った。
「せっかくですし、少し散歩をしませんか?」
「・・構いませんわ。」
ミク女王は固まった表情のまま頷いた。その意思を確認してから、カイトはゆったりと歩き出す。その後ろを、ミク女王が付いて来ていた。そして無言のまま、暫く湖畔を歩く。数分その様にただ歩き続けてから、そろそろ頃合いか、とカイトは考え、無為に動かしていた足を止めてからミク女王に振り返ると、唐突に口を開いた。
「お返事を頂けますか?」
「その前に、カイト王の真意をお尋ねしたいと思いますわ。」
成程、誰かに入れ知恵されたか、とカイトは考えた。強い意志を持って真っ直ぐにカイトの瞳を見つめるミクの姿を見つめながら、さて、どう答えるかとカイトは考えた。そして言葉を放つ。
「真意とは?」
「黄の国のリン女王との婚約を破棄するというリスクを負ってまで、私に求愛する理由です。」
最早引く気は無いらしい。決死の覚悟を定めた女は怖いものだな、とカイトは考え、そしてこう答えた。
「ミルドガルド大陸が三か国に分離してからというもの、常に戦の歴史でした。」
黙したまま、ミクは頷く。カイトはミクの動作を確認してから、再度口を開いた。
「特に青の国と黄の国は宿敵として長い間抗争状態にあった。青の国と黄の国で戦が開かれる度に村は焼かれ、罪のない民衆は殺され、そしてその隙間を縫うように山賊団が跋扈した。その状態を防ぐために打ち建てられた策が俺とリン女王の婚約です。」
「おかげで、戦争はここ数年発生しておりませんわ。」
ミクがそう答える。現状を維持すればいい。それだけの話ではないのか。
「それでは不足していると思いませんか?」
「どういうことです。」
「統治者は絶対的な力を持ち合わせていなければならない。権力という意味だけではなく、優れた人間のみが統治を許されるものだと考えております。それを踏まえるに、リン女王の実力はどれほどのものでしょうか。リン女王が統治を始めてからというもの、天災という事情はあったとはいえ、内政は荒れ、多くの民衆が明日食べる物にも困窮しているという状態です。それに対応するための人材は豊富に存在すると言うのに、尚。よって、俺はこう考えました。」
そこでカイトは一旦言葉を止め、同意を促す様にミクの瞳を見つめて、悲しげにその瞳を歪めた。その態度に瞬き一つしながら頷いたミクは、カイトの次の言葉を待った。そして、カイトが口を開く。
「リン女王に統治者としての資格なし。打倒すべき必要がある、と。」
「再び戦火を開かれるおつもりなのですか?」
耐えきれなくなった様に、ミクはそう言った。
「そうです。但しそれは黄の国の民衆を救うため。正義の戦いです。」
「その後、どうするおつもりなのです。黄の国を滅ぼすというのですか?」
語気を強めて、ミクがそう訊ねる。それに対して、力強く頷いたカイトは自説を力説するかのように右手を僅かに掲げ、胸のあたりで強く握りしめた。
「そうです。民衆達はより優れた指導者に統治されることで安寧した生活を送ることができるのです。」
「黄の国の滅亡後、カイト王はどうされるつもりなのですか?」
「黄の国を青の国へと編入します。しかし、ここまでの巨大な国家を一人で統治出来ると考えるほど俺は愚かではありません。その為には、ミク女王の力が必要だ。」
「私には何の力もありませんわ。」
もうすぐ、カイト王の真意を引き出せる。そう考えながら、ミク女王は一歩引いた。
「それはご謙遜というものです。ミルドガルド大陸を統治する力が貴女にはあると考えている。」
「最終目的は、ミルドガルドの統一でしょうか?」
「そうです。もちろん、ミク女王が俺との結婚を承諾して頂き、青の国の傘下になることを緑の国が同意して頂けた場合、の話ですが。」
「結局、政略結婚にすぎないのね。」
ミクは視線をカイトから逸らせながら、そう告げた。対象がリン女王から私に移っただけ。リン女王がそれなりの統治を行っていたならば私でなくとも構わなかったはずだ、と考えると一人の女性として悔しくなったのである。そのミクの様子に気が付いたのか、カイトは瞳を細めると、続けてこう言った。
「違います、ミク女王。俺がこの策を考えたのは昨年の遊覧会でミク女王に初めてお会いしてからのことです。」
「何を・・。」
ミクはその言葉から逃れる様に、僅かに身をよじった。吹きすさぶ風に心まで飛ばされるような不安定な感覚に陥ったミクに、カイトの言葉が襲う。
「貴女と結ばれる為ならば、たとえ強大な黄の国との戦になっても構わない。両親が決めた婚約者など、興味がない。どんな状況になっても俺は貴女を守って見せます。正直、ミルドガルド大陸の統一ですら貴女と結ばれるという目的に比べれば些細な目的です。ただ、貴女と結ばれる為に最上の策が偶然にもミルドガルド大陸の統一であった。それだけのことです。」
強い言葉で求愛を求められている。それをミクは否応なしに理解した。先程の冷静に戦略を分析するカイトの姿はもうそこには存在しない。一人の若い男性として愛を告げられている。でも、私はカイト王の求愛に応えるべきではなかったし、そして一個人としてもそのつもりが無かった。しかし、カイトは有無を言わずに口を開く。次にどんな言葉が出てくるのか容易に想像がついたが、その時ミクが救いを求めて思い浮かべた人物は、グミでも、ネルでも、ハクですらなく。
先日出会ったばかりの金髪蒼眼の少年の姿であった。
「少し風が強いわ。」
ようやく挨拶の切れ目を見つけたリンが、レンを連れて別荘を抜け出したのはレンが酔いを訴えてから三十分程が経過したところであった。酔いの為に顔を真っ赤にしているレンの姿を見て、僅かに笑顔を見せながらリンは続けてこう尋ねた。
「少しは気分が晴れたかしら。」
「お陰様で。」
苦笑するように、レンはそう言った。双子みたいに良く似た少年。記憶する限り生まれた時から一緒にいるけれど、私は王女として、レンは召使として育てられた。王族と平民が同じ立場にいることはあり得ないという理由からだった。本当の兄妹だったら良かったのに、という話は幼いころは良くしていたが、最近はめっきりしなくなった。既に他界している両親がその話題を持ち出す度に僅かに眉をひそめることが嫌だったからだ。
「ねえレン、少し散歩する?」
月明かりが照らし上げるレンの蒼眼を見つめながら、リンはそう言った。リン自身も心地よい酔いが回っていたせいだろう。いつもよりも上機嫌になっていることを否応なく自覚しながら。
「構いません。」
レンが笑顔でそう答える。それに対して、リンは一つリクエストを出した。
「なら、湖畔に行きたいわ。湖に映る月が綺麗なのでしょう?」
「ええ。とても綺麗です。ぜひ黄の国に戻られる前にご鑑賞ください。」
「それなら今日しかないわ。」
リンはそう言うと、軽いステップを踏むようにレンの前に立って湖畔へと歩き出した。その道はレンにとっては既に慣れた道となっている。ミク女王に会いたいと言う一心で毎晩通い続けた道であったからだ。そして、レンはほんの少しだけ、期待を込めてその道を歩いた。今日で最後になるけれど、最後にミク女王に会えるかも知れない、という根拠のない期待だった。やがて森に囲まれた道が途切れ、砂浜へと二人は踏み出す。砂を切る音を二つ三つ立てたリンが湖に映る月を見つめて、わあ、本当に綺麗、と笑みをこぼした時、信じられない言葉が二人の耳に、強すぎる風に乗って届いた。
「俺がミク女王の事を愛していることは、紛れもない事実です。」
その声は、リンの良く知る人物から発せられたものだった。そして、リンは瞳を見開き、呆けたように塞がらない口元を震わせながら、その方角を見つめた。遠くにいるせいか、その二人はリンとレンに気付いた様子もない。だが、月明かりに照らされたその二人の姿はリンとレンには良く見ることが出来た。
カイトと、ミクだった。
信じられない、という様子で息を飲んだリンは、今までの心地の良い気分がいつの間にか吹き飛び、一瞬で心を黒いタールが覆い尽くしたことを理解した。裏切られたのか。嘘をつかれたのか。そんな思考を持つことさえままならぬ錯乱した思考の中でリンが手に入れた感情はただ一つ。自身を焼くほどに、そして傷めつけたくなるほどに強い怒り。そしてリンは怒りのままに一つだけ、言葉を紡いだ。風と細波の音に紛れる程度に小さく、しかし傍に控えていたレンを突き刺す程の強い調子を持って。
「許さない。絶対に、許さない。」
嵐が来る。そのことだけはレンにも理解できた。
ハルジオン23 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】
みのり「ということで続いて第二十三弾です。」
満「黒い話になったな。」
みのり「どうしてもこのシーンは必要だから、仕方ないのだけど、カイトはなぜあんな事を言ったのかしら。」
満「昔は政略結婚が横行していたからな。結婚=同盟という意味だったから、恋愛感情なんて無視した結婚だらけだったんだよ。」
みのり「カイトはそれに反発したのね。」
満「ああ。それから、一応カイトをフォローしておくと、カイトがミクに力説した優秀な統治者が統治をすべき云々の話は独裁政治を合理化する手段としてよくつかわれる言葉だ。ただ、カイトは純粋にそう考えている様子だけど。」
みのり「でも、独裁は良くないと思う。」
満「レイジもそう考えているけど、今の日本の政治状況を見るとな。」
みのり「確かに酷いけど。」
満「それでもなお、というメッセージが今後展開する。ま、続きを楽しみにしてくれ。」
みのり「ここからは悲惨な話しか出てこないけど、お付き合い頂ければ幸いです。今日も朝早いし、何本か投稿出来ると思います。それでは☆」
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