僕が目覚めてから4週間が過ぎて、ようやく外出の許可が下りた。
怪我の治りが見立てより遅くなったのは、精神的なダメージもあったからだろうとサヴォイア医師は言っていた。
ニースの処分まであと3日。
僕は今日、久しぶりに彼女に会いに行く。

「NIISは当初より随分落ち着いているが、処分のことを伝えないという方針は変わっていない。君も、うっかり口を滑らせたりしないように」

ニースのいる施設は研究所のようなところで、僕が入院している病院と共に、軍の管理下にあるようだった。
病院と施設とは、ガラス張りの長い長い渡り廊下で繋がっていた。
医師のように白衣を着た施設の職員に先導されながら、その廊下をひたすら歩く。

「NIIS…?」
「こちらでは、あれのことを生前のニースと区別するためにそう呼んでいるんだ。ボイスル氏の遺した資料に記されていた名だ」
「お父さんが……」
「ああ。……3年も学会に姿を見せなかったから、何をしているのかと噂になってはいたが……まさか彼があんなものを造っていたとは……」
「誰も知らなかったんですか?ニースのこと」

僕の前を歩いていた彼は振り返り、当たり前だとでも言いたげに僕を見下ろした。

「この国の法律では許されないことだ。しかし氏が亡くなられたので罪がどこにあるのか曖昧になって、今は皆NIISからあらゆる情報と氏の技術を引き出そうと必死だがね。……だから、君の御両親の死は事故死ということになっている」
「……うちでは、チューターもコックも庭師も、ニースが帰ってきたことを不思議に思ってなかったみたいだけどな」
「それは、彼らが君のお父さんからお給料をもらっていたからだ、リヨン。NIISの存在は表には出せない」

確かに、よく考えれば分かることだった。
いくら技術があるからといって、死んだ人間を取り戻しては摂理に反する。
父は禁忌を犯したのだ。だからニースは、軍の内部で片付けられる。

「ニースは、あの夜のことを覚えてるんですか?」
「覚えているから大変だったんだ。自分のしたことをひどく……何と言うかな、怖がっていたのかな、あれは。とにかく暴れてね。部屋をいくつも駄目にした。記憶を操作しようにも我々を近付けさせない。血まみれの手だって、事件から1週間経ってようやく洗えたくらいで……おっと、こういう話は聞きたくないか、君は」

彼はそれきり口を噤んだ。
それから少し歩くと廊下がやっと終わって、病院と同じく真っ白な場所に着いた。
今度はエレベーターで下へ下へ降りていく。
すると、地階に入った辺りで眼下に大きな温室が現れた。僕たちはその真ん中に向かって降りていく感じだ。
周りには青々とした植物が溢れんばかりに植わっている。

「リヨン!」

エレベーターのドアが開いてすぐに、ニースが駆けてきた。
箱が降りてくるのを早々に見つけていたのだろう。

「ニース……」

その姿を見て、僕は正直ほっとした。
それがニースの無事を確認できたからなのか、やっと知っている人物に会えたからなのかは分からなかったけれど。
飛びついてきたニースを受け止める。

「会いたかった、リヨン」
「ニース、目が真っ赤だよ。ずっと泣いてたの?」

尋ねると、ニースは表情を暗くして頷いた。
何と声をかけてやればいいのだろう。
ニースは、父と母を死なせてしまって悲しんでいるのだ。

「リヨン、この砂時計の砂が落ちきるまでが面会時間だ」

時間になったら迎えに来る、と言ってその職員はエレベーターに乗り込んだ。
渡されたのは、白い砂が入った小さな砂時計。

「リヨン、怪我したんでしょう?私のせいだ……ごめんなさい、私、あの時わけが分からなくなって……!」
「もう治ったよ、ニース。気にしないで」

そう言ってやるとニースは一瞬安心したような顔をしたが、それもすぐに引っ込んでしまう。

「でも、私、お父さんとお母さんを……!」

張りつめたような声。苦しそうな瞳。腕には力が入って強張っている。
ニースは僕を待っていた。
僕に懺悔を聞いてほしかったのだ。
僕はニースの体を抱き締めて、そのまま柔らかい芝生の上に膝をついた。

「ニース、もっと叫んでいいよ。もっと悔やんでいい」

このあたらしいおうちにいる人たちは、君の話を聞いてくれなかったんだろう。
彼らは君をただ見張っているだけだ。
背中を撫でると、ニースは大声を上げて泣き始めた。
脈拍が、鼓動が、速くなる。体温が上がる。涙が溢れる。
そのあいだ僕は、ニースという存在について考えていた。
こうして触れていると、ニースは確かに生きている。
今は情緒不安定かもしれないが、自分のしたことを悔やみ、嘆いている。感情を持っているのだ。
サヴォイア医師は、処分すると言っていた。
このニースを。
NIISとして。
それは、正しいことなのだろうか?
ニースは人を殺した。危険であることは間違いない。
普通の人間なら、法の裁きを待って、刑が執行されるのはそれからだ。死刑にしろ、終身刑にしろ。
しかし、ニースは罪を問われない。問われる間も無く、殺されようとしているのだ。
人間ではないから。
存在自体が許されないから。
僕は、このままニースを死なせてしまってもいいものか、分からなくなった。
泣き疲れたニースは、僕に体を預けたままでぽつりと言った。

「リヨン……私って人間じゃないみたいなの。私って、何?」

それは、僕には難しすぎる問いだった。

「……ニースはニースだよ」

ニースをニースだと思っていなかったのは僕なのに、そう言うしかない情けなさが、泣きたくなるほど押し寄せてきた。
思わずニースの体に回した腕の力が強くなる。

「私……どうなるの……?もう、リヨンと離ればなれになりたくないよ……」

自分の存在意義について、ニースはそれとなく気づいているようだった。
この箱庭にいつまでもいることはできないということにも。
僕は知っている。これからニースがどうなるか。
しかしそれを口にできるはずもなかった。

「僕だって、ニースと一緒にいたいよ。ずっと」
「………大好き、リヨン。そばにいて……お願いだから……」

ニースがそう言い終わるか言い終わらないかの内にピー、と音がして、背後にエレベーターが降りてきた。
近くに置いた砂時計を見ると、上半分の膨らみはすっかり空っぽになっている。

「時間だ、リヨン」

先程の職員が箱から降りてきて、エレベーターのドアを手で押さえている。早く乗れということなのだろう。

「リヨン、行っちゃうの?」
「また明日来るよ、ニース」

寂しそうな顔のニースを置いていくのは心苦しかったが、ニースを刺激しすぎないようにと定められた面会時間だった。
守らないわけにはいかない。

「ニースの様子は?」

エレベーターの箱の中で、職員から質問を受けた。

「……これからどうなるのかって不安がってました」
「そうか」
「ニースは、どうしても処分されるんですか?」
「明日にはNIISのデータを取り終わる。本来ならもう処分しているが、何しろ貴重な個体だからな。……それでも、あれは存在してはならないものだ」

利用するだけしておいて、用済みになれば捨てる。
職員の言葉はそうとしか聞こえなかった。
ニースから得た情報は、禁忌を帯びているとは言えないのだろうか?
何かが矛盾していると僕は思った。
病院に戻ってから、サヴォイア医師にもニースの様子を聞かれたので、同じように答えた。
もう僕の方から質問したりはしなかった。
処分の決定が覆るとは思えなかったからだ。
その夜、僕は夢を見た。
雨の中で唄うニース。何度でもひっくり返る砂時計。
ニースが唄っているのは、彼女が忘れてしまったはずのあの歌だった。母がよく唄ってくれた、懐かしい歌だった。





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次の日、僕は約束通りニースの元へ向かっていた。
付き添いは昨日と同じ職員。砂時計も昨日と同じものだった。

「ニース、お待たせ」

ニースはこの日もエレベーターの前で待っていて、僕が降りていくと眩しい笑顔で迎えてくれた。

「今日はあっちに行こう?きれいなお花が咲いてるの」

ニースは僕の手を引いて、温室の奥へと進んでいった。
芝生を踏みしめて歩いていくと、ふわりと鼻をくすぐるような香りがして、白い花が地面いっぱいに群生している場所に着いた。

「きれいでしょ?」
「うん。すごいね、こんなにたくさん……」

座って、とニースが言うので、僕たちは花の絨毯の中に腰を下ろして話をした。

「リヨンは、私が何なのか知ってるの?」

ニースの話し方は、昨日よりずっと落ち着いていた。僕がニースに会いに来たことには、やはり大きな意味があったようだ。

「詳しくは分からない……けど、君よりは知ってると思う」
「じゃあ、教えてほしい」

隣に座ったニースは、真剣な眼差しをしていた。

「昨日一晩考えたの。私、どうしても自分について知っておきたい。どうしてあんなことをしちゃったのか、今のままじゃ全然分からないから」

サヴォイア医師も研究所の職員も、伝えるのを禁じたのはニースが処分されるという事実だけだ。
彼らは、ニースが自分は普通の人間ではないと気づき始めていることも関知しているのだろうが、もうすぐ処分してしまうのだから痛くも痒くもない、ということなのかもしれない。
僕は、ニースにありのままを話すことにした。





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「そっか。私、お父さんに造ってもらったんだ……」

僕が話し終えた時、ニースは穏やかに微笑んでいた。

「悲しくないの?ニース。……自分のこと」
「どうして?私がおうちに帰った時、お母さん、すごく喜んでた。お父さんも笑ってた。それから、前の私にはなかった気持ちが生まれて……リヨンを好きになった。私ね、リヨンのこと考えてるとすごく幸せなの。こんな気持ち、生まれ変わらなきゃきっと持てなかった。何も悲しいことなんてないよ。……あの夜のこと以外は」

ニースはそう言って目を閉じる。
自分の再生を喜んでくれた両親を自分が死に追いやってしまったのだと、再認識しているのかもしれない。
ニースの悲しみは、絶望は、後悔は、僕の想像が追い付かないほど深いのだろうと思った。

「ニース……」

瞳が隠れてしまっただけなのに、この距離感は何なのだろう。
ニースの存在が一層儚げになったようで、僕は焦ってしまう。

「本当は僕、君が帰ってきたとき、君のことをニースだとは思えなかった。最近までそうだった。でも、今は違う。君はニースだって、はっきり言えるよ。こんな話を聞いたのにそんな風に思えるなんて、僕の知ってる優しいニースじゃなきゃ無理なんだ」

瞼を持ち上げて、ニースは小さく「ありがとう」と言った。

ニース、君はいま何を考えてる?
ぜんぶ、君と分かち合いたいよ。
分かってあげたい。この世界で、僕だけは。

遠くから僕を呼ぶ声がして、砂時計の砂が全て落ちたことを僕は知った。



ライセンス

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あめふるはこにわ2

6月分の「あめふるはこにわ」続きです

閲覧数:118

投稿日:2011/06/30 21:39:09

文字数:4,813文字

カテゴリ:小説

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