「はい、めーちゃん」
「ありがと」
彼から手渡された赤いマグカップからは甘い香りが漂っていた。
息を吹きかけ、一口啜ると舌先にほのかな暖かさが広がる。彼が淹れてくれるココアは甘さも温度も丁度良くて、申し訳ないとは思いつつも作業中はついついリクエストをしてしまうことが常だった。
「終わりそう?それ」
「うーん、夕飯までにはってところかしら」
「そっか」
マスターも無茶言うよねぇ、と彼は呑気に呟いて、寒い寒いと言いながらこたつに潜り込む。中で触れた足が驚く程ひんやりしていて思わず悲鳴を上げてしまい、今日の寒さに今更ながら思い至った。

無茶、と彼が評した仕事はあともう一山といったところだ。マスターから依頼されたアルバムの歌詞チェックは思ったよりも手強く難航していた。先に出来上がっているメロディにほとんどキーワードしか並んでいない歌詞を結びつけていく作業はほとんど作詞に近い。出来たら明日まで、なんて気軽にこんなこと頼んでくれちゃって。思う所がない訳でもないが、それでもこれがマスターからの信頼の証だと思えば途中で放り出す訳にもいかず、今朝からずっと机に齧りついている。
「ミクたちは?」
「外で遊んでる」
「…元気ねぇ、寒いのに」
昨夜降り始めた雨はいつしか雪に変わったらしく、朝起きてカーテンを開けると別世界だった。リビングに面したガラス窓の向こうは真っ白。どこからか妹達の嬉しそうなはしゃぎ声が聞こえてきて、くすくすと彼が笑う。
「さっき、レンがおんなじこと言ってた」
「そのレンは?」
「勿論」
その指は外を指し示しており、可哀想に、と思わず本音が漏れてしまった。雪を見て張り切った下の妹二人に連行される姿が容易に想像がつく。
今は一旦降り止んでいるが今日の夜はまた雪の予報だ。明日もまたミクとリンの喜んだ顔と、レンのげんなりした顔が見られるだろう。ついでに言えば、クールな顔をして意外とルカも雪にはしゃぐ性質だ。

息を吐いて、もう一口ココアを啜る。どさ、と音を立てて屋根の雪が落ちた。




「――めぇ姉!カイ兄!」
瞬間、元気よくガラス窓が開いたかと思うと途端に冷たい風が吹き込んだ。思わず「さむっ!」と二人で身を縮こまらせる。
見遣ると開け放された窓の向こうでリンが呆れた顔で立っていて、もー、とため息をつかれた。

「二人ともお年寄りみたい!せっかく雪なのにー!」
せっかくと形容するものかどうかは分からないが、こんな日に外に出ないなんて理解出来ないと妹の顔にはハッキリ書かれている。そう言うリンは服も髪も雪だらけ、マフラーすら巻いていない首元は見ているこっちが寒くなりそうだ。
「ねぇねぇ、雪合戦しようよ!」
「…雪合戦?」
「あれ、さっきもしてなかった?」
「さっきのは白兵戦!二人が入ってくれたら銃撃戦になります!」
違いは分からないがどっちにしろ不吉な単語だ。
顔を見合わせて、同時にやんわりと首を横に振る。すると、リンが不満そうに呻いた。
「えーつまんないよぅ!大人数の方が楽しいのに!」
「お隣さんでも呼んできなさいよ、ユキちゃんとかリュウト君とか喜ぶでしょ」
「呼びに行ったよー、でもあたしたち以外は今日マスターのとこで合同合宿なんだってー」
そう言えばマスターがそんなことを言ってたっけ。退路を早急に断たれてしまった。

「ねー、やろうよー!レン、やる気ないからネギトロ組に負けちゃうよー!」
「……」
「ねーってばー!」


…さて困った。
可愛い妹の駄々は聞いてあげたいけれど、明日までとマスターから頼まれた大切な仕事がある。そして、もうひとつ。
――実は、外に出たくない理由があった。


「…あのね、リ」
「分かった分かった、おにいちゃんが行ってあげる」
「え?」
「ほんと!?」
私の代わりに応えた声。
穏やかに揺れる青い瞳がそこにあって、思わず目を丸くして右隣を見上げてしまった。
「絶対だよ!早く来てよ!リベンジマッチするから!」
「はいはい、ココア飲んだら行くよ」
元気良く言い捨てて庭へ駆けて行く小さな背中を見送る。


「……」
「なぁに、めーちゃん」

微笑む顔が憎らしい。
彼はさっきまで台所で洗い物をしていて、身体は冷え切っていて、今ようやくこたつに入ったばかりだった。
…自分だって、寒いのは苦手なくせに。いつだって彼は、いとも簡単に私のことを庇ってしまう。




雪は音を吸収するんだって、と教えてくれたのは誰だっただろう。
雪の結晶の隙間が音の反射を複雑にして、本来なら伝わるはずの音を閉じ込めてしまうのだと言う。
雪とは、綺麗で冷たくて儚くて、世界から音を奪うもの。
それ以来、なんとなくそのことを思い出して、雪の日は好んで外には出なくなった。我ながら考え過ぎだとは思うけれど、ボーカロイドとして『音を奪われる』という事実をそのまま受け流す事が出来なかったのだ。

雪が怖い、なんて子供じみたことを直接告げたことはない。
けれど、彼は雪が降ると必ずこうして私の隣に居る。何をするわけでもなく、ただいつも通りの顔でそこに居て、ココアを淹れてくれたり手を繋いだり。
時には一緒に遊ぼうと誘う妹たちのおねだりを一人で叶えてくれたりする。

それが憎らしくて、それ以上に嬉しくて、愛しい。



「…カイト」
「ん?」
「…外、私も行く」
「そう?」
「…気分転換したいから」
「うん」
「…うん」
「じゃあ、ココア飲んだら一緒に行こうか」
へにゃ、と微笑む顔と、差し出された左手。
外は白に閉ざされた静寂の世界だったけれど、家族の楽しそうな声が聞こえる。

こたつの中で重なる足はもう暖かくて、湯気のたった赤と青のマグカップ共々なんだかやたら幸せな気分になれた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【カイメイ】ゆきのひ

体調が芳しくなく、数日間カイメイから遠ざかっていましたが、精神衛生上良くないことが発覚したので通常運転に戻そうと思いました。

短いですが、ある雪の日の、家族…というかカイメイのお話です。
現パロじゃないカイメイ久しぶり!

めーちゃんは初代なのでボーカロイドとしての感性が一番剥き出し…というか敏感だといいなぁという妄想。
カイトはそんなめーちゃんのことを分かっていてもいいし、同じ00として自分も実はちょっと雪が怖かったりとかしてもいいとか思っています
なにはともあれカイメイ無限大

閲覧数:1,239

投稿日:2012/03/07 01:50:32

文字数:2,366文字

カテゴリ:小説

ブクマつながり

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