1.


お昼になった。
予定では駅前に戻ってレストランで昼食ということになっていたのだが、ミクが屋台村に興味を引かれて「ここで食べたい」と言い出したので、2人は会場の南側にある屋台村へ来ていた。
しかし丁度昼時ということもあり、大変な混雑ぶりであった。

「妹君、こちらへ」
「はーい……むぎゅ、わ~~~」
「妹君ッ!」

ミクが人ごみをうまくかわし切れず、いずこへともなく押し流されて行く。
がくぽはとっさに手を伸ばし、ミクの手首を掴んで引き戻した。

「ご無事ですか」
「はい、すみません~。ここまで人が多いなんて」
「昼飯時ですからな。みな考えることは同じというわけです」

ミクはがくぽの胸に両手を沿え、彼の懐に収まる格好になる。
満員電車と同様の密着状態であった。

「うう、すみません。私がここで食べたいなんてワガママ言ったから……。がくぽさんの言う通りに駅前のお店に行けば良かったかもです」
「なんのなんの。妹君のご所望をことごとく果たす事こそが、本日の我が使命にござる。むしろ拙者の力が及ばぬために、妹君にこのように不快な思いをさせてしまったことを詫びねばならぬ所。拙者にお気遣いは無用ですぞ」

はぐれないように寄り添い、がくぽは腕や自分の体でミクをかばいながら、ソロソロと進んでいく。
息苦しい人ごみから逃れるように2人は広場へ出た。野外テーブルや椅子がいくつも用意され、飲食スペースとなっている場所だ。
当然ここも人で溢れていたが、何という幸運か。丁度タイミングよく食べ終わった人達がいて、野外テーブルと椅子2つの席を確保することに成功した。
椅子に体を滑り込ませ、ようやく人心地つく。

「まさに天佑ですな。この人だかりの中で座れるとは」
「はい、本当に良かったです」

それからがくぽは、すぐに立ち上がって言った。

「妹君はここでお待ち下され、拙者が食料を確保して参ります」
「え、そんな悪いですよ。自分が食べる分くらい自分で」

ミクは腰を浮かしかけるが、がくぽはそれを手で制した。

「2人で行ったのでは、その隙にここを誰かに奪われてしまいます。そうなれば2度と座ることはできなくなりましょう」
「あ、そっか……」
「ここは我らの陣地。妹君には陣地防衛という重要な役をお願いしたいのです」

陣地防衛。
なにやら格好いい言葉に、ミクは目を輝かせる。

「そうですね、分かりました。どんなことがあっても、ここは私が守り通して見せます」
「その意気ですぞ。妹君だけが頼みでござる。絶対死守でお願い致します」
「絶対死守!」

食べたいもののリクエストを取ってから、「それでは御免」とがくぽは人ごみの中へ突撃して行った。それを見送り、ミクは椅子に座り直す。
今、ここを守っているのは私だけだ。私がやられたらおしまいなんだ。がんばらなきゃ。
使命感に燃え、ミクは1人でフンスと気合を入れる。実際はただ座って待ってるだけなのだが。
携帯が短く着信音を鳴らす。
見ると、グミからのメールだった。

『ミクちゃん、兄さんとのお出かけはどう? 兄さん何かアホなことやらかしてない?』

大丈夫だよグミちゃん。がくぽさんは色々と良くしてくれてるよ。そして私もがんばってるよ。
友人に自慢するつもりで、ミクは誇らしく返事を送った。

『絶対死守なう』

メールを送信して満足したミクは、携帯をしまって改めて眼前の人ごみを眺めた。
それにしてもすごい人出である。
こうして安全地帯から眺めてみるとよく分かるが、まるで洗濯機の中みたいだ。この安全地帯から1歩でも外に出れば、たちまち巻き込まれ、もみくちゃにされ、どこか知らない場所に押し流されてしまうだろう。
なんとなく洗濯されて真っ白になった自分を想像していたミクは、そこで気がついた。

あれ? もしがくぽさんと離れ離れになったらどうしよう。

よく考えたら私、帰り道知らないや。来た時は「がくぽさんについて行けばいい」と思って安心しきっていたから、道なんて覚えていない。
この人ごみで、がくぽさんとはぐれてしまったらどうしよう。大変なことである。洗濯されてそのまま放置なんて嫌だ。
携帯を取り出して電話帳を確認する。がくぽの番号は登録されていなかった。知り合ってもうずいぶん経つのに、未だに連絡先も貰っていなかったのかと自分で驚いた。

「良かったー、早めに気がついて。がくぽさんに番号聞いとこっと」

しかしミクは慌てなかった。
知らないのなら今のうちに本人に聞けば良いのだから。
将来起こりうるトラブルに対して、事前に手を打つことができた。いいね。今の私、すごく格好良いんじゃないかな。
こういうの何て言うんだっけ? 転がる先の杖。あれ、転がった先に杖があっても、もう手遅れなんじゃ。

「お待たせ致しました」

あれこれ考えているうちに、がくぽが戻ってきた。
どこかのB級グルメらしき、色んな具が乗ったうどんに焼きおにぎり。ミクがリクエストしたチョコバナナクレープ。あと団子やらお饅頭やら。おやつも一緒に買って来たらしい。

「ありがとうございます。その前にがくぽさん、電話番号を教えて下さい」

忘れないうちにと、ミクはさっそく切り出した。
対してがくぽは小さく首を傾げる。

「はっ。むろん拙者にお教えできる事であれば、包み隠さずお教えする所存でありますが……でんわばんごう、とは?」
「だから、がくぽさんの携帯の番号です。あ、それともがくぽさんスマホですか?」
「すまほ」

おうむ返しにがくぽは呟く。
ちなみに彼は、「すまほ」とはどこか地方の特産品の、漬物か何かだと思っていた。
明らかに話が通じていない様子に、ミクも首を傾げる。

「もしかして、持ってないんですか?」

こういうやつなんですけど、と自分の携帯を取り出して見せる。
がくぽは神妙な顔をしてうなずいた。

「主上がそれを使われておるのを、拝見したことはございます」
「自分では持ってないんですか?」
「以前は持っておりました。が、主上が使われるのを目にする前であったため、そういった道具であることを知らず。ゴミかと思って、庭で焚き火をした時に焼いてしまいました」
「わあ、もったいない」

それでグミに散々怒られたらしい。
その時のことを思い出しているのか、がくぽは顔をしかめながら言葉を続けた。

「なに。そのようなものが無くとも、用事があれば直接出向けば良いだけのこと。道具に頼り過ぎてはロクな人間にならぬと言うのに、我が愚妹めはそれを理解しようとしませぬ」
「でもやっぱり、あった方が便利だと思いますよ? それに……困ったな」
「何か不都合でも?」
「いえ、こんなにたくさん人がいるじゃないですか。がくぽさんとはぐれちゃった時、携帯で連絡が取れれば安心だなって思ったんです」
「む……」

ミクに言われて初めてその可能性に気がついたらしく、がくぽは腕組みする。
しばし考える。
しかしアナログ人間は頑固だった。あくまで携帯の利便性は認めず、アナログな代案を提示してきた。

「ならば、こうすれば宜しい」

そう言って手を差し伸べてきた。
ミクは一瞬意味を測りかねたが、すぐに手をつなごうという提案なのだと気がついた。
そっか、そういえばそうだ。簡単なことだった。子供が迷子にならないように、お母さんは手をつなぐじゃないか。
名案だとばかりに、ミクは笑顔で応じようと手を伸ばす。
が―――― 。

「わあっ……!」

がくぽの手を握った瞬間、ミクは小さな悲鳴を上げてその手を振り払ってしまった。

「? いかがなされた」
「あ、ご、ごめんなさい。何て言うか、その……びっくりして」
「びっくり、でござるか?」

不思議なことを言うミクに、がくぽは首を傾げる。
今の流れのどこらへんに、びっくりする要素があったのだろう?
ミクは顔を赤くしてうつむいた。
実を言うと、ミク自身も驚いていた。自分が何をそんなに驚いたのか、うまく説明できない。
ただ―――― そう。
敢えて言うのなら、がくぽの手が思ったより大きかったから驚いた、というのが一番近い気がする。
だけどそれを口に出して言うのは躊躇われた。何て言うか……恥ずかしいから。

「お気に召さぬのでしたら……はてさて、どうしたものか」

手をつなぐのは嫌なのだと解釈したがくぽが、手を引っ込めて悩み始める。
ミクは慌てて首を横に振った。

「大丈夫です! 手! 手つなぎましょう!」

そう言って今度は自分から手を差し伸べる。
がくぽは色々と理解できない顔のまま、「はあ、では」とその手を握り返した。
やっぱり大きい。それに力強い。本人は力を込めているつもりなど全くないのだろうが、それでもミクからすれば十分に力強く、頼もしかった。

「ひゃ~……」
「ひゃー?」
「んーん、何でもないですっ!」

ミクはごまかし笑いをしながらパッと手を離す。がくぽは最後まで分からない顔をしていた。
ええと、何か別の話題を探さなくちゃ。別の話題……。
テーブルを見下ろして、ミクは声を上げた。

「大変だー」
「何事にござる?」
「がくぽさん、このままじゃうどんが伸びちゃいます」
「なんと。それは一大事!」

そして2人は急いで両手を合わせ、「いただきます」をしてからズルズルうどんをすすり始めた。







OK、クールに行こう。
私は物事を冷静かつ理論的に分析できる、理性的な大人の女だ。
あの人ごみである。がくぽとミクがあれだけピッタリ密着しちゃうのは仕方のない事だ。
不可抗力―――― そう、不可抗力である。
ミクにピッタリひっつかれて、あのへっぽこ侍が「うお、柔らかい」だの「良い匂い」だのと思ったとしても、それも不可抗力だ。副次的なことである。そんなのは大した問題ではない。
それよりも、あの危険な人ごみの中で自分の体を張ってミクを守ったがくぽは、称賛されて然るべきであろう。
特にミク、あの子なんてボーッとしてるから、あの凄まじい人ごみに1人で巻き込まれていたら大ケガをしていた可能性だってある。
当然、ミクの姉である私は、そのことについてお礼を言って然るべきである。「妹を守ってくれてありがとう」と。
そう。
私ががくぽに向かって与えるべきはお礼であって、断じてグーのパンチではないのである。
分かっている。大丈夫。オッケー、私は冷静だ。

「私はがくぽを誉めるべき……誉めるべき……」
「ルカ姉ぇ、なにブツブツ言ってんの? タコ焼き落ちるよ?」

リンの声で我に返る。
見ると、口に持って行きかけて途中で停止していたタコ焼きが、今にも爪楊枝の先から落ちそうになっていた。急いで口の中に入れる。
ルカ、リン、リリィの3人は、がくぽとミクのテーブルから少し離れた木の陰に隠れて昼食をとっていた。
ベンチも空いていなかったので立ち食いである。

「ミク姉ぇたちが駅前のレストランに来なかったのは想定外だったけど、見つかって良かったよね。GPSって偉大。やっぱ時代はハイテクだね」

リンは焼きもろこしをかじりながら満足げに言う。
予定では、あの2人は駅前のレストランで昼食のはずだったので、先回りして待っていたのである。ところが待てど暮らせど来ないので、GPSを頼りに再び戻って来たのだ。

「困るのよねぇ……こういうの。ちゃんと予定通りの行動を取ってくれなきゃ。最初の予定を不用意に変更すると、それで迷惑を被る人が必ずいるんだから」
「まあまあルカさん、見つかったんだから結果オーライですってば。きっちり予定通りに事を進めようとするのは、余計なストレス溜めるだけですよ」

文句を言うルカに、リリィが割り箸に巻いたお好み焼きを食べながら、笑って言う。
ちなみに3本目である。さらに左手に下げたビニール袋には、カップ唐揚げや焼きおにぎりの数々が待機中。相変らずよく食べる子である。

「次の予定は何だったかしら」
「ん~と、ちょっと待って下さい」

お好み焼きを口にくわえ、片手で携帯を操作する。

「ひはんはへばっははへふおふひはーへふへ」
「……悪いけど人語でお願い」

リリィは携帯を閉じてお好み焼きを口から引き抜く。

「いやー、めっちゃ熱かった」
「知らないわよ。それで予定は?」
「3時から例の女子高生バンドのステージがあるじゃないですか。時間まで雑貨屋で過ごすみたいですよ」

雑貨を持ち寄った店が集まるスペースは、確か北の海側のスペースだったはずだ。
がくぽやミクが行く前に先回りして、またカイトとレンが出没していないかチェックしなくては。
……てか、いつの間に私、こんな黒子みたいな役回りになってるのかしら。

「そういや雑貨屋行くつもりで、すっかり忘れてたね」
「そういやそうだっけ。何か掘り出し物あるかなぁ。私、あれ欲しいんだ。グミのねんどろ」
「まだ発売すらされてないと思うけど。グミさんのねんどろ買ってどうするの?」
「いや別に。スカートだけ脱がして玄関前に飾るだけ」
「グミさん泣くよ」

リンとリリィはお気楽な様子でそんなことを言っている。
それから何気ない様子で後ろを振り返ったリンが、急に身を乗り出して素っ頓狂な声を上げた。

「ああーーーっ!!」
「な、何!?」
「ちょっ、ルカ姉ぇあれ! 見てあれ!」

指差しているのは、がくぽとミクだった。
昼食はもう終わりなのか、立ち上がっている。
そして何と、さも当然のような顔をして2人は手をつないだではないか。

「て、て、て、手ぇつないじゃってるよ、あの2人!?」
「マジだ……なんで? うどん食べてる間に、どんな新密度アップのイベントがあったわけ?」
「来た来た来た、これは来たよぉー!? 私はこういうのを待ってたの! さあ盛り上がって参りましたー!」

大はしゃぎのリンに、驚きながらもニヤニヤを満面に浮かべるリリィ。

「急いで先回りしなきゃ! ほらルカ姉ぇ、いつまでもタコ焼き食べてないで! 行くよっ!」

喜び勇んで雑貨スペースを目指す2人。
一方、ルカはと言うと。

「OK、クールに行きましょう。手をつなぐという行為に深い意味を求めるのは、傍観者の欲求の投影であり、当事者にとって必ずしも深い意味があるとは限らないのよ。これはフロイト以降に見られる無意識の心理学において……」


タコ焼きを爪楊枝の先に刺したまま、一人でブツブツ言っていた。


ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

桜と藤の雨四光(8)

閲覧数:1,006

投稿日:2012/03/09 23:13:49

文字数:5,928文字

カテゴリ:小説

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  • sunny_m

    sunny_m

    ご意見・ご感想

    ミクの日投稿お疲れ様です!

    それにしてもミクさんとルカさんが可愛らしくてどうしましょうか!!
    ミクさんががくぽと手をつなぐくだりでは、一緒にときめいてしまいました。
    か、可愛い。
    そして携帯の番号交換のあたりでは、もー、おのれがくぽ!って感じで。
    ここまで来て、やっぱりルカさんか!でも一途だから良し!!(笑)みたいな。
    そんな2人を物陰から見つめて悶々とするルカさんも可愛くて仕方がありませんでした。
    悶々としているルカさんも可愛いのですが、最後の、ふーん、ほー、とか言ってる瞬間の可愛さと言ったら、どうしよう!!

    可愛らしさの方向性は違うけど、どちらも可愛い!どうしよう選べない!!いっそのこと2人とも我が家にお嫁においで!!!(笑)
    もー、かなりテンションが急上昇してしまいました。

    レン君とカイトさんは相変わらずのクオリティでほっとできたしw
    何気にリリィさんが最強で面白かったですww
    その安全ピン抜いちゃだめだから~!!w

    なんだかお仕事が忙しそうですが、無理せず頑張ってください~!
    それでは!

    2012/03/12 20:50:40

    • 時給310円

      時給310円

      遅れに遅れ、今年初投稿がミクの日になってしまいましたw お読み頂きありがとうございます!

      かわいく書けてましたか! それ聞いてホッとしました。執筆のとき何に苦労するって、ミクとかルカとか女性陣を、嫌味なく可愛く書くことなんで。でも僕はsunny_mさんのばあちゃんマスターのルカさんがかなり好きなんですけどねw ぽやぽやしたお姉さん最強説。

      カイトとレンは……まあいつも通りということで。でもこの2人が登場するシーンが、毎回一番書きやすかったりします。やっぱり僕ぁ可愛い女の子書くより、野郎同士のアホ話書く方が向いてるんだなぁとしみじみです。

      年度末で仕事は激化しておりますが、がんばって続けて行きたいです。不定期で申し訳ありませんが、よろしければこれからもお付き合い下さい! 今回もありがとうございました!

      2012/03/14 23:40:09

  • jptm

    jptm

    ご意見・ご感想

    本年一本目、まずはお疲れ様でした!
     
    待ったかいがあったと言わんばかりの出来だったと私は思います。
     
    特にがくぽの侍的一途さ、
    ミクの「お姉ちゃん、ですか~~~…」
    この台詞、こういう心情に私弱いんですw

    あそこまで上げておいて落としますか、みたいな。
    天真爛漫なミクだからこそのグッとくるものがありました。

    そしてルカさん、冷静を装ってはいますがラストのわかりやすさww

    なんだかこの話の最後にはルカ好きになってそうで怖い
    いや、悪いことではないですが。

    とにもかくにもホントお疲れ様でした!
    そしてGUMIのねんどろ出たら走って買いに行きます(`・ω・´)

    2012/03/10 11:39:47

    • 時給310円

      時給310円

      たは?、レス遅れまして申し訳ありません! いつもコメありがとうございます!
      当初のプロットでは、単にルカがヤキモキするだけの回にするつもりだったんですが、書いてみたらあんまり話に動きが出なかったので、ミクにちょっとだけ積極的になってもらいましたw
      (僕の脳内では)ミクはめげない子なので、そのうちもう一波乱くらい起こせたらいいな?、と思ってます。あくまでこのシリーズなんで、ドロドロしないコメディ色で。
      ルカ好き良いですね! なりましょうよ、さああなたもこちら側へ! ←
      あと、グミのねんどろって確か発売決定したはずですよ。どこかでチェックしてみては?

      先の見えない、行き当たりばったりなこのシリーズですが、次回も頑張ります。
      今回もありがとうございました!

      2012/03/14 23:27:59

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