3.
ラボには松本刑事以下、鈴木刑事を筆頭に10数名の警察官が現場検証に当たっていた。
マスターの怪我は幸い軽く、すぐに気がついたが頬とこめかみには青痣ができており、唇を切ったのか乾いて茶色に変色した血の跡が顎へと続いていた。
また、眼鏡もひび割れており、フレームも歪んでいるようだ。
「マスター!」
私の声にマスターは驚いたようだったが、何故かすぐに得心したような貌(かお)になった。
現場警官が念のため救急車を呼ぼうとしたが、マスターは制止した。
訝(いぶか)る警官を前に、マスターはラボの端末を操作する。
現場を荒らされてはかなわないと、鈴木刑事がマスターを止めようとしたが、その前に変化は現れた。
シューッという空気の漏れるような音がして奥のコンソールが移動し、直径1mほどのガラスシリンダーが床からせり上がって天井まで伸びた。
そしてラボ正面のディスプレイに光が点った。
ラボにいた警官たち、機動隊員、そして松本・鈴木刑事が一体何が起こったのか理解もできず、これから起こる何かに身構えるように周囲をきょろきょろと見渡した。私を含め、マスター以外の全員が突如現れた未知の空間に誘われたかのように情報を求めた。
ガラスシリンダーの中は鏡音リンが眠るように安置されている。
警官たちは各々手を止め、成り行きを見守っている。そんな中で、
『おかえり、003939』
と声がした。声はマスターの拡げたノートPCのスピーカーから聞こえたようだ。
微かにざわめく室内で声は続いた。
『皆さんにも大変ご迷惑をおかけしてしまい、お詫びします。私の名はジャック・トラボルタ。この研究所の開発主任です』
「そういえば……」
松本刑事が口を開いた。
「先ほどのリンはあなたの端末だと聞いています。セキュリティと直結していた件と言い、そのミクのプロテクトを解除できたことと言い、あなたは何かご存知のようです。できれば出てきていただきたいのですがね」
その言葉は果たしてトラボルタ博士に届いたのか、声は苦笑を孕んで答えた。
『私が今どこにいるのかはもうご存知なのではないかな?』
まるで謎掛けを楽しむかのような響きがその声にはあった。
そう、知っている。
リンから受け取った情報にはこうある。
トラボルタ博士は実験中の事故により瀕死の重症を負い、現在面会謝絶の入院中…と。
「我々はあんたとなぞなぞ遊びをしている閑(ひま)はない」
鈴木刑事が不機嫌そうに応える。
その鈴木刑事を軽く抑えて松本刑事が言った。
「我々の知る限り、あなたは現在(いま)、新ヨコハマ大学病院のICUで生命維持装置につながれて死線を彷徨っている筈だが?」
拍手こそなかったが、声は快哉(かいさい)をもって
『ご名答』
と応じた。
「……どういうことですかな?」
流石に松本刑事もイラっと来たようだ。
『そこに到るには少々長い話になるが、お話ししよう』
声はやはりどこか楽しげだった。
トラボルタ博士は元々AI(人工知能)開発のスペシャリストで、精神科医としても著名だ。その彼が、クリプトン・インダストリアル社に招聘(しょうへい)されたのは5年前。ヴォーカロイド・MEIKOの成功に気をよくしてリリースしたKAITOの販売成績が当初思いのほか振るわなかったことから、起死回生の為には新型 AIと愛らしいデザインが不可欠と判断され、クリプトン社上層部がトラボルタ博士にアドバイスを求めたのが嚆矢(こうし)であった。
CVシリーズに搭載された『感情モジュール』は彼なくして完成し得なかったと言ってよいだろう。
だが彼の研究はそれだけではなかった。
彼は精神科医の観点から「心」とは何かをひたすら問い続けたのだ。
トラボルタ博士はこう問いかけた。
『「心」とは何か? 「心」と「脳」はどんな関係にあるのか? 「脳」を持たない下等生物に「心」は存在し得ないのか? 高等哺乳類は勿論、あらゆる生物に宿る「感情」と「心」は一体何処に在るのか? ……そんなことを考えたことはないかね?』
松本刑事は戸惑いながら聞き返した。
「それがあんたの居場所とどう関係が…」
『では問いを変えよう。君は、人間は何処までが人間だと思う?』
松本刑事の混迷を余所にトラボルタ博士の言葉はますます謎めいたものになった。
『例えば足を失っても人間は人間だ。腕を失っても人間だろう。臓器を失い人工臓器に置換されたとしても人間は人間のままだ。では人間は一体何を失ったら人間でなくなるのだ?』
「それは「脳」だろう。「脳」だけは置換できない臓器だ」
松本刑事は不愉快そうにそう応えた。会話が成立していないことへの苛立ちがそうさせているのは誰の目にも明らかだ。
だがトラボルタ博士は意に介さない風に訊き返す。
『ならば問うが「脳」と「人間」はイコールかね?』
松本刑事は今度こそ押し黙った。
気分を害されたのもあるが、言い返せなかったのだ。
松本はトラボルタ博士の「人間」という言葉を正確に捉えていなかったのだ。
トラボルタ博士は続けた。
『そうでないなら、「脳」に何を足せば「人間」になると考えるかね? 人間の最小構成要素とは何だ?』
部屋にいた全員がやっとその言葉の正しい意味を知った。
それは誰一人として答えられるものではなく、ラボの中に鉛の沈黙が重くのしかかった。
トラボルタ博士は徐(おもむろ)に言った。
『私はこう考えた。人間とは情報体なのだと。「ヒト」という情報……即ち「人格」こそが人間を人間たらしめている最小単位なのだと。そして情報であるなら容れ物が何であれ、ヒトと呼ばれる存在なのではないかと』
「……待ってください」
松本刑事が今、恐ろしい仮定と共にトラボルタ博士の言葉を遮った。
それは人類史におけるパラダイム・シフトであり、そして赦されざる背徳であった。
「まさか、あんた……」
トラボルタ博士はここにはいない。
だが空気が笑った。にやりと。遂に我が意を得たりと笑った。
『そう、私は最初からここに居る。ここの端末に人格をデジタルコピーした時からずっとね。さて改めて問うが私は人間かね?』
可笑しそうにトラボルタ博士は訊いた。
客観的には否だ。だが、人格こそヒトたる所以ならば、人格を成す情報こそがヒトたる条件だ。そしてこれは人間に永遠の命と人間の複製、そして新たなる人間の創造という禁忌をもたらす。
人が人を創る事は果たして赦されることか。
人は神になれるのか。
『私は知りたかったのだ。人とは何処から来て何処へ往くのか。人とは何者なのか。その為には人たる源を知らねばならない。私はまず人工知能を創ってみた。限りなく人の心に近いものを持った機械が出来上がった』
私はガラスシリンダーの中のリンを見た。
トラボルタ博士が創ったココロを持ったロボットはその情報量ゆえに遂にメモリがオーバーフローして、データを削除しない限り再起動できなくなってしまった。
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ガチですすいません。ネタ生かせなくてすいません。
今回は3ページと、比較的コンパクトにまとめることに成功しました。
素晴らしき作品に、敬意を表して。
↓「前のバージョン」でページ送りです...【小説書いてみた】 神曲
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BPM=156
作詞作編曲:まふまふ
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6.
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だけど、誰も私の歌なんて聞いてくれなかった。
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時給310円
命に嫌われている
「死にたいなんて言うなよ。
諦めないで生きろよ。」
そんな歌が正しいなんて馬鹿げてるよな。
実際自分は死んでもよくて周りが死んだら悲しくて
「それが嫌だから」っていうエゴなんです。
他人が生きてもどうでもよくて
誰かを嫌うこともファッションで
それでも「平和に生きよう」
なんて素敵...命に嫌われている。
kurogaki
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