扉の開く音に、メイコは居住まいを正した。
「待たせて申し訳ない」
「いえ・・・、こちらこそ、こんな所まで押しかけてすみません」
立ち上がりかけたメイコを片手で制し、部屋に入ってきた青年は小さなテーブルを挟んだ向かいの椅子に腰を下ろした。貴族らしい鷹揚な振る舞いだが、幾分乱れた青い髪や精彩を欠く表情に、心痛によるのだろう疲れが伺える。
緊張気味に背を伸ばし、メイコは落ち着かない気分でお茶を淹れてくれる侍女を横目に見やった。目が合うと、侍女がにこりと微笑んだ。静かにメイコの分の何度目かのお代わりと青年の分の紅茶を淹れ、部屋の隅でお辞儀をすると音もなく退室していく。
メイコはひっそりと溜息をついた。使用人すら、この品の良さだ。無我夢中で追いかけてきたとはいえ、自分の場違いさに肩身が狭い。手持ち無沙汰に紅茶に口をつけてみるものの、見るからに高価な茶器では味などわかろうはずもない。
「君が彼女を見つけて衛兵を呼んでくれたそうだね」
青年の確認に、メイコは頷いた。ここへ通されるまでに何度かした説明を繰り返す。
「私、彼女と待ち合わせをしていて。いつになく遅いから、近くを探してみたの。それで、あの場所でミクを見つけて、助けを呼びに・・・。衛兵が上の人を呼ぶより先に、あなたが駆けつけたみたいだけど」
「私もすぐ傍まで来ていたから、その騒ぎで気付いた。・・・ミクと待ち合わせを?」
億劫げに肘を付いて額を支えていた青年が、顔を上げた。メイコを見つめて、合点がいったように頷く。
「ああ、あなたが『お友達』か」
「ええ、そう。あなたが、ミクの『お兄様』ね」
無礼にも思えるだろうメイコの物言いを気にするでもなく、青年は頷いた。
或いは、気にしていられる余裕すら、ないのかもしれない。その表情には深い後悔が刻まれていた。
「本当なら私が一緒にいるはずだった。私の予定が押してしまって、約束の時間だからとミクだけ先に行かせてしまった。こんなことなら・・・」
「ミクは・・・」
大丈夫なの、とは続けられなかった。
目を落としたメイコと青年の間に沈黙が落ちる。
「――・・・ミクが飲んだのは、我が家に古くから伝わる毒だ。その気になれば人も殺せるが、違う使い方も出来る」
青年が静かな声で告げた。
「加減によっては、一時的に限りなく死に近い状態を作ることも出来る。・・・一時的といっても、その後すぐに適切な処置を施せばの話だが」
「・・・生きて・・・いるの?」
「正直、あと少し遅かったら危なかったかもしれないが。・・・すぐに連れて来れて良かった。我が家の医者はあの毒の扱いに慣れている。体調が回復するまでは時間が掛かるが、もう命の危険はない」
「ああ・・・」
メイコの瞳が潤んだ。天に感謝するように、手が祈りの形を組む。
「そういえば、ここまでよく追って来れたな。ミクに聞いて?」
思い出したように青年が尋ねた。
隣国に最も近い離宮とはいえ、ここはすでにボカリアの領内だ。
国境を越えるだけの距離を追って、一介の平民が王族を尋ねてくるなど並大抵のことではない。
「いいえ、家の名前とかは聞いてなかったの。でも結婚間近なことは聞いていたし、話をしているうちに何となくわかったわ」
目元をぬぐい、メイコは小さく笑みを浮かべた。
「あなたの話もずいぶん聞いたわよ、『お兄様』」
「そうか。・・・失礼、カイザレ・ボカロジアだ」
「私はメイコよ。たいそうな家名はないわ。シンセシスの劇場にいるの」
今更のような遅い自己紹介に、お互い苦笑する。
「歌を生業に?」
「ええ、そう。あの国へ仕事を探しに来て、彼女が口ぞえをしてくれて劇場に入れたの。恩人なのよ。――・・・ミクには会える?」
「すまないが、まだ遠慮して欲しい。命に別状はないとはいえ、未だに目を覚ましてはいないんだ。意識が戻って、もう少し体力が回復すれば」
「・・・それじゃ、しょうがないわね」
メイコが肩を落とした。
続きを言うのを躊躇うように指を組みかえる。
「実は、国に戻ろうと思っていたの・・・。その前に会えればと思ったんだけど」
意外そうな顔をしたカイザレに気付いて、メイコは慌てて手を振った。
「ずっとじゃないのよ。ミクには結婚式の後の宴に来ないかって誘われたんだけど、あの日は歌手の一人が体調を崩して、急遽、代役で舞台に立っていたの。今期の公演では代役だけだけど、来期の公演からは私に役が貰えることになったわ。だから、今の内に郷里の父を迎えに帰ろうと思って。こんなときに私事で申し訳ない話だけど・・・」
「事情は人それぞれだ。ミクのことはもう心配ないから、気にせず行くと良い。どちらかといえば、早く行って、早く帰ってきてもらったほうが、あの子が喜ぶ」
穏やかに青年が取り成した。
座していた椅子から立ち上がると、メイコに片手を差し出す。それが当たり前のような自然な仕草だった。
「そういう事情なら、眠り姫の顔だけでも見ていくかい?」
「良いの?本当は、まだ誰とも会わせたくないんでしょう」
貴婦人のようにその手を取るわけにもいかず、戸惑い顔で本音を伺うメイコに、彼は気付いたように手を引き、やっと唇の端に微かな笑みを浮かべた。代わりのように、その手で扉を示す。
「だからといって、せっかく国境まで越えて見舞いに来てくれた友人をそのまま追い返したら、後で私がミクに怒られてしまう」
容易に目に浮かぶ光景にメイコも笑い、先に立つ青年に続いて扉を潜った。
「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【第6話】中編
後編へ続きます。
http://piapro.jp/content/x2147umoq5jemaev
めーちゃんとお兄様、初対面。姉馬鹿と兄馬鹿で、きっと気が合うか張り合うかのどっちか。
お兄様は素でレディーファーストが標準装備されていれば良いと思う。
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