第四章 始まりの場所 パート3

 「ちょっと、原理を説明してよ。」
 錯乱したような声が午前中、通勤ラッシュもひと段落した山手線内に響き渡った。その声の主は金髪蒼眼の少女、リンである。
 「電気で動く馬車といえばいいかしら?」
 困った様子でそう答えたのはリーンである。電車というものをリンに説明するにはどうやればいいのだろうか。せめてリンが蒸気機関のある時代に生まれていればまだ説明もしやすかったのだろうけれど、とリーンは考えた。そもそも、山手線に乗車するまでだってリンは眼を丸くしっぱなしだった。改札口へと向かうエスカレーターの前で硬直し、自動券売機では機械の構造が分からないとばかりに切符のつり銭口を覗き込み、自動改札では通り抜けるタイミングを誤って警報とともに自動改札の扉が無情にも閉められた。そのたびにリーンと、同行している寺本がリンをフォローしていたのだが、リンは山手線という名称らしい、車体に緑色のラインが記されているこの巨大な鉄の塊が動き出したことにとうとう我慢ができなくなったのである。
 「次は目白、目白。」
 追い討ちをかけるように次の停車駅を周知する自動音声が車内に流れた。その無機質な女性の声色にびくりと肩を震わせたリンは不安そうに車内を見渡した。そろそろ周囲の乗客の視線が気になってくる。ただでさえこの日本という国では珍しい見事な金髪を持ち合わせているというのに、まるでど田舎から訪れた旅人のような様相を示しているのだから、その注目度も尋常ではなかったのである。
 「この様子じゃ、飛行機に乗ったら失神しかねないな。」
 呆れた様子でそう言ったのは寺本である。
 「飛行機?」
 リンがその言葉に不審そうな表情でそう言った。
 「空を飛ぶ機械だよ。」
 寺本が軽い調子でそう告げる。その言葉にリンはもう一度その透き通るような瞳を理解できないという様子で瞬かせた。
 「ミルドガルドにもある機械よ。実用化されたのは20世紀に入ってからだけど。」
 ミルドガルドではレフト兄弟が史上初の飛行に成功したのだけど、とリーンが記憶を思い起こしながらそう答えた。
 「馬鹿なことを言わないで。人間が空を飛べる訳がないじゃない。」
 リーンの言葉に対して、強い調子でリンはそう告げた。苛立つような足踏みをしたせいで藍原からほぼ譲り受けたに等しい純白のワンピースの端が小さく靡く。寺本はリンのその様子を見て僅かに苦笑すると、リンを宥めるようにこう言った。
 「とにかく、乗ってみればわかるさ。」
 「乗ってみろって言われても。」
 不信感が拭えない、という様子でリンはそう言った。そのリンに対して寺本は彼にしては珍しく柔らかな笑顔を見せると、リンを納得させるようにこう言った。
 「飛行機に乗れないと札幌には行けないからな。」
 その言葉にリンは思わず息を飲み込む。
 「飛行は案外、快適なものさ。」
 寺本が言葉を続ける。その言葉にリンは僅かに頷いた。あたしはレンに会えるなら何でもすると宣言したはずだ。それなのに、ヒコウキとかいう空飛ぶ機械を恐れていてどうするのか。寺本の言葉にリンはそのように考え、少しばかり自身の言葉を恥じたのである。
 その時、次の停車駅である高田馬場への到着を伝える車内放送が山手線内に響き渡った。
 
 「大きな空港ね。」
 真っ赤な車体を持つ京浜急行線から降り立ち、改札口を越えて羽田空港第二ターミナルへと降り立った直後にリーンは感心したようにそう言った。上空へと伸びる巨大なエスカレーターは旅行客や出張へと向かうサラリーマンで満ち溢れている。
 「日本の基幹空港だからな。」
 リーンに対して、寺本は落ち着いた様子でそう答えた。立英大学への受験のために初めて一人で羽田空港へと降り立った時はその巨大さに驚愕したものだったが、札幌との往復を重ねているうちにその景色も見慣れたものになっていたのである。
 「リン、大丈夫?」
 続けてリーンはリンに向かってそう尋ねた。最早トレードマークと表現しても差し支えのないホットパンツにノースリーブのシャツという格好である。
 「ん、大丈夫、よ。」
 そう答えたリンの表情には軽い疲れが見え隠れしていた。まるで収穫祭でも行われているかのような人手の多さに流石のリンも辟易し始めていたのである。過去のミルドガルドを旅していた時はリーンの方が長期の徒歩旅行に文字通り疲労困憊していたが、今のリンは精神的な疲れが見えはじめている様子であった。
 「何か飲む?」
 「ん・・。」
 小さくリンがそう答える。その言葉に力強く頷いたリーンは、寺本に向かってこう言った。
 「寺本君、近くにいいお店はないかしら?」
 「コーヒーフラペチーノでも飲むか。」
 確か羽田空港の二階にスターバックスがあったはずだけど、と考えながら寺本はそう答えた。
 「こっちの世界でも人気なの?」
 少し驚いた様子でリーンはそう答えた。数年前にミルドガルドにできた某コーヒーショップが新しいスタイルのかき氷というスタンスで販売を開始して以来、ミルドガルド中で高評価を得ているドリンクであったからである。
 「どこも考えていることは一緒だな。」
 リーンの言葉に寺本は呆れた様子でそう答えると、続けてリンに向かってこう言った。
 「リン、いいものをご馳走するよ。」
 「いいもの?」
 当然と言えば当然だが、リンはフラペチーノという存在がどのようなものか全く想像できない、という様子でそう答えた。リンに向かって寺本は軽く頷くと、続けてこう言った。
 「二人ともついて来て。」
 その言葉が終わると、寺本は三名の内で唯一持ち歩いているキャリーバックを引きずりながら二階の出発ロビーへと直通しているエスカレーターに足を踏み入れた。その後ろにリンとリーンが続く。
 「先に搭乗手続きを済ませてくる。」
 二階に到着すると、寺本はリンとリーンに向かってそう言った。記憶が確かならスターバックスは出発ロビーの中にあったはず。出発までの時間もそれほど残されていないし、と考えながら寺本は二人にその場所から動かないように指示を出すと手早く搭乗手続きを済ませることにしたのである。それと同時にリンとリーンの分の航空券も受け取る。続けて手荷物を預けた寺本はリンとリーンと合流すると保安官のチェックのために出発ゲートへと向かった。リーンはともかく、リンが何かにひっかかると相当面倒だな、と寺本は僅かにひやりとしたが、金属探知機は何事もなかったかのようにリンのロビーへの入場を許可した。金属探知機を通過するときに、何の目的でこんなゲートがあるのか分からないという様子できょとんとした表情を見せたリンに安堵した寺本は、自身が持ち歩いていたペットボトルの検査だけを済ませるとリンとリーンを連れて動く歩道を乗り換えながら目的としているスターバックスの店舗へと向かうことにしたのである。
 「リーン、リンの分も決めてくれ。」
 スターバックスで愛想のいい店員に注文を求められると、寺本は少し困ったような表情でそう言った。リンに好きなものを、と伝えても理解できないだろうと考えたのである。
 「このダークモカっておいしそうね。」
 楽しげな表情でリンはそう言った。
 「これでいいか?」
 寺本が続けてそう答える。
 「ええ。」
 「それじゃ、これ三つ。」
 寺本が店員に向かってそう告げる。サイズをすべてミディアムにするように注文を終えた寺本は、その時になって何も手土産を購入していないことを思い出した。実家と、あとみのりに何か買ってやらないといけない。寺本はそう考え、三人分のフラペチーノを受け取ると、リンとリーンを出発ロビーの空いている長椅子に座らせてから土産物屋へと向かうことにした。一通り眺め回した後に気に入った土産を購入し終えて寺本が時刻を見ると出発まで残り二十分という時間であった。
 「ね、寺本君、これすごく美味しいね。」
 寺本がリンとリーンを待たせていた場所へと足を運ぶと、リンが嬉しそうな表情でそう言った。王宮でレンがいつも運んでくれたおやつよりも、もしかしたら美味しいかも知れない。特に真夏で氷が食べられる経験はリンにとって貴重な経験の一つでもあるのだ。
 「気に入ってくれて嬉しいよ。」
 まだ時間があるし、と考えて寺本はリンの隣に腰を下ろした。リンに預けていたフラペチーノを受け取り、一口啜る。程よく溶けた氷の具合が却って丁度いい。すぐに飲むと口の中が凍るような感覚を味わう羽目になるからだ。
 「まだ出発には時間があるの?」
 リンから見て右隣に腰を落としていたリーンが、フラペチーノを飲み下しながら寺本に向かってそう言った。
 「次の便だ。あと十分くらいで搭乗開始になると思う。」
 「ありがと。」
 寺本に向かってリーンはそう答えると、隣にいたリンでも判別できない程度に小さな溜息を緑色のストローに向かって吐いた。果たしてレンと出会って、そして一体何が起こるのだろうか。なぜあたしは過去のミルドガルドに呼び出されたのか。そして今日本と言う国でレンと再開して何を成すと言うのだろうか。あたしの知る歴史では過去のミルドガルドで近い将来に革命戦争が行われる。そしてその発端はレン。『レンの反乱』と呼称される反乱によって勃発した革命戦争によりミルドガルド帝国は滅亡を迎え、新たに民主主義国家であるミルドガルド共和国が誕生する。だけど、既にレンはミルドガルドにその生を持たない。そもそもこの世界にいるレンはミルドガルドに存在していたレンなのだろうか。常識から言うと考えられない。レンはリンの目の前で処刑されたのだから。だけど、非常識な存在という意味ではあたしも同じ。あたしは時間旅行を成し遂げて、そして今はミルドガルドとはまるで異なる世界にその身を置いている。レンもまた、何かの理由でこの世界へとその身を移したのだろうか。あたしとリン、そしてレンが出会うことで何かが起こるのか。あたしとリンはこの後何を成すのだろうか。レンと共に過去のミルドガルドへと戻るのだろうか。それともこの世界に残るのか。あたしはハクリの元には戻れないのか。
 考えても、何が起こるかわからない。そのような結論に達してリーンが先程よりも大きな溜息を漏らしたとき、寺本がリーンを促すようにこう声をかけた。
 「搭乗開始のアナウンスだ。行こう。」
 そう言い切ると寺本は立ち上がった。それに続いてリンも長椅子から腰を上げる。とにかく、行けるところまで行くしかないか、とリーンは考えて、そして少し重くなった腰を振り切るように立ち上がった。搭乗口はその場所から近い場所にあり、既に行列ができている大勢の搭乗者の一員となって順番どおりに機内へと案内されることになった。座席を探すのに一苦労しそうだとリーンは考えたが、寺本がすばやく指定された座席を発見するとリンとリーンに着席するように促す。窓際からの三席が与えられた席らしい。
 「奥、座って?」
 少し緊張した表情でリンはそう言った。どうやらこの機械が空を飛ぶらしい、とはリンも理解している様子だったが、窓際で直接飛行状況を見ることになんとない恐れをなしたのだろう。リーンはそう考え、リンが促すままに窓際の席へと腰を落とした。その隣にリン、一番通路側に寺本という順である。その寺本は慣れた様子でシートベルトを着用すると、リンに向かってシートベルトの着用方法を丁寧に解説し始めた。その様子を眺めながらリーンもまたシートベルトに手を掛ける。無事装着されたことを確認し終えたリーンは、手持ち無沙汰である様子で窓の外の景色を眺めた。外には駐機している航空機が数機見ることができる。様々な色を持つ航空機を眺めているのも案外楽しいものね、とリーンが考えていると、リンが興味深そうにこう尋ねてきた。
 「本当にこれが空を飛ぶの?」
 その言葉にリーンは少し引きつった笑顔をリンに向かって見せた。まだ先程の暗澹たる気分から開放されていた訳ではなかったのである。
 「飛ぶわ。」
 短くリーンはそう告げた。その言葉にリンはまだ信じられない、という様子で頷いてみせた。そのリンの様子を見ながら、気絶しなきゃいいけど、とリーンは思わず考えた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

小説版 South North Story 52

みのり「お待たせしました~二週間も遅れてすみません!第五十二弾です!」
満「今月に入ってから忙しくて更新する暇がなかった。すまん。」
みのり「とうとう時間はリンの初飛行機ね!」
満「どうなるやら。」
みのり「さてさて、ではでは次回もお楽しみください!」

閲覧数:254

投稿日:2010/12/19 14:36:17

文字数:5,038文字

カテゴリ:小説

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  • wanita

    wanita

    ご意見・ご感想

    レフッ……っと、っとっとと^^☆ コペルレイさん以来の衝撃が!!
    matatab1さんのコメントがなければ素通りするところでした。
    ライト兄弟のつづりは、頭にワールドのWを冠したWrightだったよ……と思い返しつつ、
    やっぱりミルドガルドは鏡の世界と位置づけて「W(orld)Left」とつづるのかなと考えてしまいました。鏡の世界で、「鏡音」が鍵になるという意味を含めて。

    伏線を張り巡らせる物語が好きなせいか、深読みが止まりません☆
    今後も楽しみです。
    まだまだ続く世界を、楽しみに読みすすめていこうと思います。

    2011/07/03 23:32:19

    • レイジ

      レイジ

      ごめんなさい。

      ライト兄弟の綴り今知ったおwwww
      (無責任投稿。)
      そうか、Wrightなのか・・。そうなのか・・。ははは・・。

      いろいろ考えていただいたのに適当ですみません。。

      と、とりあえず面白い、深い話になるようにこれからも頑張りますw
      コメント、本当にありがとね♪

      2011/07/04 21:54:13

  • matatab1

    matatab1

    ご意見・ご感想

     こんにちは。忙しい中更新お疲れ様です。
     始めて飛行機に乗る事になったリンの不安はよーく解ります。
     私も始めて飛行機に乗り、飛び立つまでは
    「こんな鉄の塊が本当に飛ぶのか、飛べるのか。もし落ちたらどうなるんだ。うぁぁ」
     と、機長や乗務員が聞いたら怒られる、もしくは笑われるような事を本気で思ってました。
     行きは不安でしたが、帰りの時は早く飛ばないかなとむしろ楽しみになっていましたが(笑)

     本文にあった『レフト兄弟』の元ネタは、やはりライト兄弟からでしょうか? ライトは右だから逆のレフト、つまり左の様な。

     ライトの綴りは『R』ight、レフトは『L』eftと、リンとレンの頭文字とも同じなのでそこも引っかけているのかなぁと感じました。

    2010/12/19 15:18:23

    • レイジ

      レイジ

      早速コメントありがとうございます!

      初めての飛行機って怖いですよね?。
      ちなみに俺は今も飛行機にどうも慣れませんw
      飛行の理論は理解できても感覚で納得できませんよね!
      あんなでかいのが飛ぶわけがない(笑)

      レフト兄弟の元ネタはおっしゃるとおりライト兄弟ですよ?

      でもRとLは想定してなかったです^^;
      なるほど、そういう解釈もできるなぁと逆に感心しました^^

      ではでは、今後もよろしくお願いいたします!

      2010/12/19 22:27:19

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