リンと妙なことになりかけた後、俺たちは日常に戻った。戯曲の改定の残りは、学校でやることにしたし。……周りに人の気配があれば、妙なことをする気にはならないだろう。そうでないと困る。
 そして、四月が終わる前に戯曲の修正は終わり、俺たちは練習に入れるようになった。学祭が終われば、俺たち三年は引退だ。否が応でも気合が入る。


 時間が流れて、五月になった。俺たちはデートで、都内の映画館に来ている。この前とは違う映画館なので、リンは珍しそうに辺りを見渡していた。
「リン、本当に『パンズ・ラビリンス』でいいの?」
 姉貴のお薦めってところが、ものすごく不安なんだよなあ。いや、俺も面白そうだとは思ったんだよ。アカデミーの撮影賞や美術賞も貰ってるし。けど、公開当時色々とタイミングが悪くて見に行けなくて、残念だなと思っていたら、姉貴が「まだやってるとこあるわよ」つって、ここを見つけてくれたんだ。ただ問題は、この映画、ホラーほどではないにせよ、かなりえぐい描写が入ってて、年齢制限もかかってるってことなんだ。なんつっても監督は、『ミミック』を撮ったデルトロだもんなあ。
「おとぎ話調のファンタジー映画だけど、どっちかっていうとダーク系だし、ホラーほどじゃないによせ、怖いシーンも多いって言うし」
 リンが初音さんみたいな反応をするとは思えないが、夜眠れなくなるような体験はあまりさせたくない。
「大丈夫よ」
 リンはそう答えたが、俺はやっぱり不安だった。リンが軽く首を傾げて、こう訊いてくる。
「映画の間、手を握っててもいい?」
 それくらいお安い御用だ。俺は頷いて、リンの肩を抱き寄せた。


 そんなわけで俺たちは『パンズ・ラビリンス』を見たのだが、実に重苦しい映画だった。と言っても、映画として駄目とかそういうことじゃない。むしろいい部類に入る。構成もしっかりしてるし、映像も演出もいい。キャストの演技も文句なしだ。ただ……話が、なんていうか……。
 いわゆるホラーとかの怖さとは、なんと言うか一線を画しているんだよなあ。確かに人を襲う化け物は怖い。でもこの作品では子供を食う化け物なんかよりも、えげつない残虐行為を繰り返す、主人公の女の子の継父の方が怖い。この人、軍人なんだが実に性格が歪んでいる。もちろん、こいつが終始好き勝手してるわけじゃなくて、終盤の方で手痛いしっぺ返しも待っているんだが。
 映画の間、俺はずっとリンの手を握っていたわけだが、時々びくっとするのか、ぎゅっと手をつかまれることがあった。その度に、俺は自分の方から手を握り返した。……大丈夫だろうか。怖くなったら、気にせず映画館を出ていいとは言っておいたけど……。
 映画の内容なんだが、この話では、主人公の女の子、オフェリアの前に「不思議な世界」が現れる。けどオフェリアが見る魔法の世界は、結局のところ、戦争という辛い現実から逃れるために生み出した空想の産物に過ぎない。それがまた、やりきれないんだよなあ。この子は自分の空想にはまりすぎて、あの世に行ってしまったのか。ある意味では、究極の現実逃避だ。これが平和な世の中での話なら「誰か止めてやれよ」って言えるんだが、これだけ周りが八方塞がりだと、まだ小さなこの子が、空想の世界に逃げ込んでしまうのも仕方ないという気にさせられるし……。
 単に化け物とかが出てくるだけの話なら「ふーん」で終われるんだが、こう来られると、さすがにずしんと来る。
 映画が終わって、館内は明るくなった。リンの方を見る。……げ、泣いてるよ。いや、この内容ならリンが泣くのは無理ないんだが……。
 俺はリンと繋いでいた手を離すと、その手を伸ばして、リンの肩を抱いた。リンがびっくりして、こっちを見る。
「リン、平気?」
「う、うん……」
 頷きはしたけど、あんまり平気そうには見えない。俺はリンをこっちに抱き寄せた。リンが自分の頭を、俺の肩に乗せる。
 そうやって、しばらくそうしていた。


「なんというか……救いの無い内容だったよな」
 しばらくするとリンが落ち着いたので、俺たちはロビーに出た。並んだ椅子に座る。話題は、さっき見た『パンズ・ラビリンス』だ。
 俺の言葉を聞いたリンは、怪訝そうな表情で首を傾げた。……え?
「救いはあったわ……オフェリアには」
 ちょっと考え込んだ後、リンははっきりそう言った。最後あのクズ継父に殺されたのに?
「リン、あの子は死んだんだよ」
「魔法の国に行くためには、死ななければならなかったのよ。パンもそう言っていたわ」
 いや……ありゃ、死に際のあの子が見た幻覚だろ。ある意味、あれが救いだったりするんだろうか。……そんな悲しすぎる救いは嫌だ。
「そんなものは最初から存在しないんだよ」
「しないって、何が?」
 リンがこちらを見上げ、二、三度瞬きする。
「だから、魔法の国とか、パンとか。全部存在してないの。あれはオフェリアの頭の中の空想の世界なんだってば」
 そう言うと、納得がいかないという表情をされてしまった……。う、うーん。リンは魔法を信じたいんだろうなあ。
「どうしてそう思うの?」
 どうしてって……。
「最後に迷宮の中で、パンがオフェリアに『弟を殺せ』って言うシーンがあるだろ。あの時、追いかけてきた大佐が見たのは、弟を抱いているオフェリアだけだった。つまり、あのパンは、オフェリアの空想の存在なんだよ」
 リンには気に入らない展開かもしれないが、あれはああいう話だ。
「大佐にパンが見えるはずないわ。だってあれは、オフェリアのように、それを信じている純粋な存在にしか見えないものなのよ」
 リンがあまりにもきっぱりとそう言い切ったので、俺は言葉が出て来なかった。そんな俺に構わず、リンは続ける。
「魔法が存在していないのなら、どうしてオフェリアのお母さんは、パンがくれたマンドラゴラで良くなったの? 具合が悪くなったのは興奮しすぎたせいだとしても、一時的とはいえ回復したのは説明がつかなくない?」
 確かにあのお母さん、短い間とはいえ回復したよな。マンドラゴラ燃やされた後に死ぬけど。
「いわゆる、一時回復って奴じゃないの? 人間は死ぬ前、ちょっとだけ具合が良くなるって言うし」
「そうだとしても、タイミングが良すぎると思うわ。それに、最後に閉じ込められていた部屋から抜け出したのだって、パンがくれた魔法のチョークが本物だったからじゃないの?」
 う……確かに、そこは魔法が存在していたって考えないと、つじつまがあわないな……。
 俺はため息をついて、リンを眺めた。夢見るような瞳をしているな。リンにも、見えるんだろうか、そういうものが。そしてきっかけがあったら、あっちに行ってしまうんだろうか。
 そんなことあるはずがない。けど、一瞬浮かんだその考えに、俺は背筋が寒くなった。
「……リン」
 思わず名前を呼ぶ。リンがびっくりした表情でこっちを見た。
「どうしたの?」
「リンは……ずっと、俺と一緒にいてくれる? どこにも行かないで、俺の傍にいてくれる?」
 バカバカしい考えかもしれない。でも、リンを見ていると時々怖くなる。俺の手をすりぬけて、ひらひらとどこかに飛んで行ってしまいそうで。
 リンは困った表情で、こっちを見ている。……俺を置いて、手の届かないところに行ってしまうのか?
「俺を置いて行かないでほしいんだ」
 リンにしか見えない世界になんて、行かせたくない。きっと俺はそこに入れないから。
「……行かないわ」
 しばらく思案していたリンは、静かな笑顔になると、そう答えた。腕を伸ばして、俺の背に回す。
「わたし、どこにも行かない。ずっとレン君と一緒にいる」
 リンは、はっきりとそう言った。
「……わたしからどこかに行くなんてことは、しないから」
 俺はリンを抱きしめた。俺の額を、リンの額に当てる。……リンは特別なんだ。絶対に離さないし、誰にも渡さない。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

アナザー:ロミオとシンデレラ 第五十八話【この世は辛いところ】

 このエピソードで二人が見ている映画『パンズ・ラビリンス』は、解釈の分かれる作品です。
 ご自分でご覧になって……と言いたいところですが、この映画、作中で言及されているように、年齢制限(PG-12)があるんですよね。しかも、国によっては上限がもっと上なところもあるくらいなので、若い人に手放しで薦めていいものかどうか、私にもわかりません。R-15が妥当だという意見の人もいるくらいなので。

 私自身は好きだし傑作だとは思うのですが。

閲覧数:842

投稿日:2012/03/27 18:53:35

文字数:3,270文字

カテゴリ:小説

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