「夢みることり」を挿入歌に使ってファンタジー小説を書いてみた [5](最終回)
マルディンが目覚めたとき、すでに部屋の中は真っ暗であった。
体に張り付く汗の感覚と、何かが抜けたような虚脱感。
夜か、それとも早朝か。寝台から起き上がり、窓のカーテンを引いた。
外を見ると、うっすらと雪が降り続いていた。木々の枝葉や地面に積もった雪が、ぼんやりと輝いている。空を見ると、朧の月が透けて見えた。
位置からして、夜のようだと判断し、ほっとする。
「まだ、帰っていないようですね」
カーテンを閉めて部屋に戻る。暖炉の火で明かりをともし、同じ火でアークの作った粥の残りを温める。
じわりと浸みる味に、感嘆の息が天井に昇る。
「まったく。いろいろ若くて、泣かせてくれますね、あの男は」
と、マルディンの耳に、旋律が響いてきた。
何度か聞いたことがある。たしか、少し前に民間で流行った歌だ。
同僚が歌っているのを聞いたことがある。
その時も、その歌詞に、うっかり泣きそうになった。
それはちょうど、こんな雪の輝く夜を歌ったような……
「マルディン! 生きてるか!」
突然バタンと部屋のドアが開かれ、外の冷気とアークの声が飛び込んできた。
マルディンは、派手に噎せた。
「アーク! ノックくらいしてくださいよ!」
あ、と戸口のところで二人の若者が固まった。
「……なんですか。思いっきり、噎せたんですよ、今!」
マルディンは、眼鏡を押し上げて目じりをぬぐい、ゴホンと咳をこぼして、食べ終わった食器を片付ける。
「あたしがやりますよ、マルディンさん。お加減、いかがですか?」
リリスがコートを脱ぎ微笑んで、そっと食器を受け取る。
「ありがとう。だいぶ楽になりました」
「お土産があるぞ。マルディン。薬の口直しにちょうどいいと思って、ついでにお茶買ってきたんだ」
あの時間から出かけて、ついではないでしょうに、と、マルディンはこっそり笑う。
「それは、ありがとう。アーク、あなた、案外世話好きですね」
「俺は女の子と病人とけが人にはやさしいの!」
アークも雪にぬれたコートを暖炉の前に干し、リリスと共に台所に向かう。
「そういや、マルディン、薬はもう飲んだのか?」
「ちょうど飲んでいるときにあなたが飛び込んできたんですよ! まずいし噎せるし、最悪です」
あははは、とアークは笑う。
「悪かったって」
うっかり涙声になっていたことを上手く誤魔化せたと、マルディンはほっとした。
「うん、もう夜だし、花茶のほうにしようか」
アークは外の冷たさの残る蛍屋の紙袋をあさり、お茶を選ぶ。
マルディンが紙袋に目を留める。
「この子は、もう……」
そのつぶやきは、暖炉で湯を沸かすリリスのところに走っていったアークには届かなかった。
「はい、お茶のお湯が沸く前に、これ、マルディンさんに持っていって」
リリスの声がしたかと思うと、
「マルディン! 投げるぞ!」
アークの声とともにお湯で絞ったタオルが飛んできた。
「いつの間に、こんな連携を取れるようになったんですか、あなた方……。」
「終わったら俺に投げ返せよ!」
「自分で片付けます! そこまで重病じゃありません!」
体を拭いて、洗濯物置場にタオルを持ってゆき、戻ってみるとお茶が三人分用意されていた。
「笑えるくらいのみごとな連携ですね。今後の訓練でも、期待しますよ」
「黙って味わえ、マルディン。今朝の医者の、友達の店の茶だ」
一瞬薬の味を想像して怯んだマルディンだったが、その香りに誘われるように口をつけた。
一口、二口。味に誘われるように飲み干してゆく。
「おかわりもあるからな」
「つめたいのも、作りおきしておきました。夜中にのどが渇いたら、使ってください」
「いつのまに、こんなに息を合わせられるようになったんですか?」
笑ったマルディンに、ふっとアークは、まじめに目を合わせた。
「知りたいか?」
すっとアークが、リリスに目配せするのをマルディンは見た。
「言っておきますけど、研修中に恋愛行為は自粛してくださいね。たった半年ですから」
笑ったマルディンに、アークも返す。
「違うって。ちょっとな、リリスからいい歌を教えてもらったんだ」
すっ、とマルディンの背から、汗が滑り落ちた。
すっと、アークの目に、光が宿った。
「少し前にゼルの間で流行った歌なんだってさ。ちょっと今日の天気にぴったりだったから、難しかったけど、練習したんだ」
マルディンの口が開いて止まる。
「旋律の進み方が面白い歌だからさ、聞いてみてくれるかな」
「待って!」
思った以上に、マルディンの声は部屋に響いた。
アークがはたと、言葉をとめる。
リリスが、アークを、そして、マルディンを見た。
静寂の中で、マルディンは口を開いた。
「……アーク、その歌を、私も、知っています」
かしん、と、薪がはぜてこすれる音が響いた。
「本調子のときなら、あなた方のためと思うことで、どうにか聞くことも出来たと思いますが、今は、勘弁してください」
マルディンが、アークの前で、視線を合わせる。
うつむかないように必死なのが、アークにも、リリスにも見て取れた。
「せっかく練習した歌を、聴いてあげられなくて……ごめんなさい。あの詩は、あまりにも、私を、えぐりすぎるのです」
ふっと、マルディンがついに視線をお茶の上に落とす。
淡いオレンジの水面が、暖炉の明かりにゆらりと揺れる。
「いい曲だということも、知っています。それを歌いきれたということは、あなた方の息が合ってくるのも、わかります。おめでとう」
アークは、マルディンの様子をみて愕然としている。
リリスが、心配そうに様子を見守る。
「思い出してきました。二人、歌いながら帰ってきたでしょう? たったあれだけ、遠くから聞いただけでも、すみません……あの曲だけは、だめなんです」
ほろ、とその頬に一滴が筋を描いて滑っていった。
「すみません……弱っているから、余計に、ですね、強い思い、強い旋律が」
「もういい! 分かった! 俺が悪かったよ。
……あんたが隠していることを、知りたかったんだ。弱っているところにつけこんで、本当に、悪かった」
崩れ落ちそうになったマルディンを、とっさにアークは飛び出して支えた。
卓の上のカップがカシャンと音を立てた。
そのまま彼を支えて、なだめるように寝台へ向かわせる。
「あの、すみません。もう、いいですから、アーク」
ふっと、マルディンは息をついて、わずかに笑みを見せた。
「……弱点を抱えたままなのは、私の弱さです。未だ引きずっていることが知れたら、課の仲間には笑われるでしょうね」
「チクったりしないからさ」
アークがなんとか笑って見せると、マルディンは、アークの頬に手を伸ばして、そのままえいっと鼻をつまんだ。
「んがっ! な、何を」
「半年の研修が終わったとき、もし、合格ラインに達して、私と同じ課に配属されたら、そのときは、すべてを、教えてあげますよ。ね。リリスさんにも、もちろん」
リリスが、半泣きで返事をした声が面白くて、マルディンもアークも、うっかり吹きだしてしまった。
「じゃあな、マルディン」
食器と火と灯りの始末をして、アークとリリスはマルディンに手を振った。
「本当、ごめんな」
「いつまでも謝らないでください! 私もいい歳してあんなふうに弱みを見せてしまって、恥ずかしいんですから!」
マルディンが、だいぶ調子を取り戻した声で笑う。
今朝の医者の薬と、『蛍屋』のお茶が効いたのかなと、リリスは嬉しく思った。
「おやすみなさい。マルディンさん。お大事に」
「ええ。ありがとうございます、リリスさん」
コートを羽織って戸口を開け、部屋を出ようとしたアークが、思い出したようにふり返った。
「あのさ、俺!」
「なんですか! また! 早く帰りなさい!」
怒鳴るマルディンに、アークは叫びかえす。
「俺、『このままでもかまわない』なんて思っていないから!
俺にはあんたの過去とか涙なんて受け止められないから!
事務課に無事に配属されたら、ルディが来ようが怪物が来ようが、あんたのような人でも幸せになれるような仕組みを作るから!」
「あたしは、絶対、強くなって、襲ってくるルディの根元を突き止めて、全部倒しますから! それがあたしの、ルディ課に入った目的ですから!」
リリスが、アークが、ふり返ってまっすぐにマルディンを見た。
雪明りが。
晴れ渡った夜空の澄んだ月が、灯りの落とされた部屋に差し込んだ。
アークが力強く笑い、リリスの金髪が月の光に揺れた。
「必ず、マルディンさんを受け止められるくらい、強くなります! あたし!
このままでもかまわないどころか、このままじゃ終わらせません!」
月明かりの中で、アークが笑った。
「また明日な! マルディン!」
「こっ……バカアーク! 確信犯でしょう、あなた!」
普段やり込められている分を、自分の弱ったこの機会に一気にやり返された気分だった。
マルディンの全力で投げつけた枕は、閉じた扉に阻まれた。
遠くに二人のはしゃぎ声が聞こえた。
「まったく。二人とも、若いんだから……」
枕を拾ったマルディンは、寝台に戻る途中、作りおきのお茶を飲んだ。
闇の中で揺らめく水面と香りが、火の落とされたはずの部屋で、彼の振り回された心に、ほっと、暖かな灯を点した。
* *
「リリス……」
「もう! この、バカアーク!」
ぱっちん、とリリスの両の手のひらが、アークの頬を両側から挟んだ。
「うう……」
そのまま、アークはリリスに倒れ掛かるように地面に崩れ落ちる。
「本気で、心臓に悪かったよう……あの人を泣かすまで追い詰めるなんて思わなかったんだ」
「まぁ、長年ルディ退治なんかやっているひとだもの、何も無いとはいえないだろうけど……
正直、あの歌で、あそこまで動揺されるとは、思わなかったなぁ」
リリスも、アークを支えながら、雪の止んだ空を振り仰ぐ。
「奴自身は他人のトラウマになりそうなこといつもぽんぽん言うくせに……」
「でもね、よかったかもしれないよ?」
え、と見返したアークを、リリスはほら立って、と促す。
「最後にすっきりした顔してたし!」
「そういえば、そうだな!」
アークが、ふ、と含み笑う。
去り際に閉めた扉に、くぐもった音が当たったことを思い出す。
「枕投げるくらいの元気は戻ったみたいだしな!」
リリスが声を立てて笑った。
「すんごい音したよね。あれ、当たってたら、どうしただろうね?」
「逆に看病してもらうか!」
リリスが雪を踏んで踊るように手を打った。
「それ、絶対おいしい! あたしは、お見舞いは、花雪庵のケーキがいいな!」
「じゃあ俺は治ったら焼肉つれてってもらう!」
それ、看病じゃないよ、とリリスに笑われ、アークは真剣に悩んでしまった。
「雪、止んだね」
不意にあたりを見回したリリスに、アークは、そういえば、と見回した。
その時、薄い雲がすうっと退いた。
金色に輝く月が顔を出し、薄く積もった雪をその全力の光で照らした。
二人は、その光景に、魅入った。
静かな音、というものがあれば、こういう情景のことを言うのだろうか。
耳にではなく、体全体に響くような、静かな圧力。
アークは西の空に目をやる。月の光に圧された星が数個、取り残された雪のように輝いていた。
「リリスの天気予報も、当たりそうだな」
きっと、明日は晴れるだろう。
「やったね。また、ちゃんとあったかくなるといいな」
リリスも、風の止んだ西の空を見上げて笑った。
「さてー! 一日おつかれさーん!」
笑って手を振るアークに、リリスも笑って挨拶を返し、二人はそれぞれの部屋へ別れていった。
* *
翌日、マルディンは、差し込む陽の光で目を覚ました。
昨日、あんなにマルディンを苦しめた体のだるさはすっかり取れている。
カーテンを開けると、そこにはすっかり暦どおりの春が戻っていた。昨日の雪の形跡は欠片も無い。地面さえすっかり昇る太陽に乾かされたようだ。
「昨日の天気は、あの二人の唄のせい、というわけじゃ、ないですよね」
雪は跡形もなく消えたが、自分の弱さが消えたわけではない。ふとしたことで運命はめぐり、簡単に痛みはよみがえる。
「それでも、変わっていけると、信じても、いいですか」
いい歳して、若い二人の青い考えにあてられたかな、と、苦笑する。
それも悪くない、と、今なら思えた。
「のどかだな、ここは」
いっそ研修が終わらなければいいとさえ感じてしまう、居心地の良さ。
「いや、それでは、変えようとしてくれた二人に失礼ですよね。
では、僕も、もう、このままこの仕事についていくことを、『迷わない』。そういうことに、しましょう。
たとえ、僕の過去が変わらず、……未来が未だ見えなくとも」
その時、部屋の戸を叩く音がした。
「マルディンさん。おはようございます。具合はいかがですか?」
リリスの声だ。きっと側にアークもいる。
マルディンの顔に、自然に、笑みが浮かんだ。
「おはようございます!」
身支度を整え、ドアを開ける。今なら二人の『あの歌』を聞いても大丈夫だと、マルディンは思った。
おわり
「夢みることり」を挿入歌に使ってファンタジー小説を書いてみた [5] (最終回)
……雪と蛍と唄の物語、いかがでしたでしょうか。
本当は、文庫本1冊くらいのオリジナル長編のスピンアウト話として書きました。
ところが、はややP様の「夢みることり」に見事取り込まれてしまい、二次創作になってしまいました。嫁ぎ先がなかったのですが、ピアプロという場を知り投稿してみました。
歌の響きの美しさを描写することに、焦点を当てました。
ご意見・ご批判お待ちしております。
発想元・はややP様 「夢みることり」
http://piapro.jp/content/0cfvvfofy04x5isc
コメント3
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ご意見・ご感想
亜希@宰
ご意見・ご感想
はじめまして、
私の駄作にコメントなんて…恐れ多いです…orz←
本当にありがとうございます(v_v*)
夢みることり、見させて頂きましたが…私が考えてたイメージとはまったく違った小説で、とても読んでて楽しかったですし、勉強になりました*
ちょこちょこ見に来ます☆
頑張って下さいゞ
2010/02/11 08:45:48
wanita
>稀-マレ- 様
こちらこそ、拙い世界をお読みいただきありがとうございました(// . .//)
有名作品に便乗する形で自分の世界を出してみて、他の方からどんな反応があるか見てみたい!という欲と、ピアプロに投稿するためにと思って、原作どおりの江戸世界、遊女の世界を勉強してみようか、という欲がせめぎあい、今回は前者が勝利した形になりました☆
勉強だなんてそんな……こちらこそ恐れ多すぎて(v_v*)
こちらも、ちょくちょくお邪魔させていただきます☆
2010/02/11 11:58:30
レイジ
ご意見・ご感想
どこにも発表できないイライラ感ってよく分かります。
僕もオリジナル作品を小説賞に応募していまして・・。一応まだ審査中なのですが。
とにかく、オリジナル中心に創作活動をしていたところ突如悪ノ娘のストーリーが降って湧いてきたので、どうしようか相当悩みました。
実はピアプロでテキスト投稿ができるって数ヶ月前まで知らなかったんですよorz
でもこうしてピアプロという場所を通して自分の作品を読んで貰えるって素晴らしいことだと思います。
次回作もお待ちしております。
wanita様のストーリー構想はとても勉強になります(^_^)☆
2010/02/10 23:41:27
wanita
>レイジ様
審査中ですか! どきどきしますね!
薄い封筒が届いたときの、わくわく感と一抹の寂しさときたら……(^^;
いつか電話を取りたいです☆
悪ノ娘の構想、私もじつは暖めている話があるのですが、どうしようかなと思っています。
時間とココロを持って行かれちゃうんですよね?☆
二次創作は、読み手がある程度共通した世界観を持っているので、純粋に構想勝負になるところが面白いです。
自分の世界で設定した『ことり』をピアプロに上げると決めたときに、一番気をつかったのが、冒頭の世界説明でした。
コメントありがとうございました!次回も楽しく書こうと思います。
2010/02/11 11:45:50
レイジ
ご意見・ご感想
執筆お疲れ様です!
楽曲の使い方が秀逸ですね!
綺麗なメロディーの中にある、物悲しい世界観が良く反映されていたと思います。
それよりもwanita様のオリジナル長編の方が気になるのですが・・発表はされていないのですか?
2010/02/09 00:02:50
wanita
コメントありがとうございます!
お褒めに預かり、光栄です☆
本当に、夢みることりは、曲として一目ぼれでした。
中学、高校と吹奏楽部だったせいか、オリジナルの中に、音楽の描写を入れるのは楽しいです。
うっかりオリジナルキャラに歌わせたが最後、どこにも発表できなくて悶々としていたのですが、リリスとアーク、そしてマルディンに少し日の目を見せてあげることが出来てよかったです。
残念ながら、文庫本1冊分の本編は、予選落ちでした。
「キャラと文章は好感だけど、冒険ものとしてはドキドキ・わくわくが足りないです」という批評でした。
自分が「面白い」と信じて書いたものは、どんなに批判されても「よおし、次こそはッ!」という原動力になるんだな、と感じることの出来た一作だったので、このスピンアウトも、思い入れの深い一作です。
2010/02/10 19:57:46