彼と出会ったのは、中学三年のときだった。
一つ年上で、髪を一つに束ねたどこかチャラい感じで初めて会ったときは、そこまで好きな人間ではなかったと思う。
向こうも向こうで、私の事なんて興味の無さそうな顔をしていた。
今日から一緒に住むことになるなんて言われても、はっきり言ってどうでもよかった。
私はその頃、ただひたすら最後の中学校生活を楽しんでいた。
学校が楽しかった。友人もたくさんいた。
部活もとてもやりがいがあって楽しかった。
なにより、親友と呼べる存在がいて、競い合うことが楽しかった。
勉強も部活もその子がいたからこそ充実していた。
私は高校はそこそこ偏差値の高いところを選んでいた。
その子も、同じ高校を目指して頑張っていた。
受験勉強は面倒だと思うこともそれなりにあったけれど、それもこれからの日々を充実させるためと思ってそれなりにやっていた。
彼との関係がだんだんと変わってきたのは、夏休みのときだった。
受験生だからという単純な理由で、私はずっと部屋の中に籠って勉強しているような人間だった。
今思うと、そこらへんの勉学に対する考えは大分お堅い人間だったのだろう。
この頃の私はそこそこ成績はいい方だった。
部活でもそれなりの結果を残していたから勉強中、両親にはたまに息抜きをしたらどうかと勧められていたけれど、友達はいても予定は無かったので何より蒸し暑いので家の中で過ごしていた。
八月中旬に入っても、私はそんな生活を続けていた。
それまでに出かけたのは親の里帰りに付き合って三日ほど田舎へ行ったのと、部活のメンバーとの勉強会くらいだった。
その日の朝、私は朝六時半くらいに起床して朝からパラパラと教科書をめくり、昨日やった範囲をぼーっと眺めていた。
思い出すとこの頃の中学最後の夏休みはもうちょっとくらい充実させてもよかったかなと思う。
そんな私のいる部屋のドアを、誰かがノックした。
最初は寝たふりということで完全に無視していたけれど相手はひるまずに何度も何度もノックをしてきた。
あんまりにもしつこいので、ついに折れて適当にそこらへんにあったTシャツと短パンに着替えてドアを開けると、髪を綺麗に束ねて黒いジーンズに黒のVネックのTシャツを着たあの男が立っていたのだ。
『朝から勉強してるのか?まあいいや、ちょっとつき合ってくれ。』
私はこのとき初めてまともに彼の声を聞いた。
彼は私の腕を掴むとそのまま庭まで連れ出した。
母親の趣味はガーデニングや庭造りで芝生なんかもとても綺麗に植えてあった。
外は少し風が出ていた。
青空で日差しが少しだけ強かったけれど、気持ちがよかった。
「晴れてるね。暑くなりそう…」
『んーいや、今日はこれから雨だよ。』
気づけば彼は芝生の上に寝転がっていた。
アリが服に入ってこないのだろうかと少しばかり疑問に思ったけれど何も言わないことにした。
「それ、天気予報で言ってたの?」
『そんなもん見なくても雲がああいう形してるから分かる。雨が降るよ。』
そう言って彼は空に向けて指を指した。
そこには、うろこ状になっている雲が浮いていた。
私が雲を確認したのを見ると、彼は手をおろして大の字になって空を眺めた。
「君はいつもこうしてるのかい?」
『いや、雨が降ってるときは流石に寝転がったりなんかはしないさ。あんまりすごい雨でもなければ傘さして出てくるけどな。』
「そんなに庭が好き?」
『ここの庭は綺麗だしそれなりに好きだけど、それよりも空が好きなんだよ。毎日見てて毎回思うんだよね俺。同じ空って、一秒として存在しないんだよなって。すげーよな!』
そういった彼はとても晴れやかな笑みを浮かべていた。
それを見てうっすらと思った。
………この人は、チャラいというよりどこかガキっぽいだけなんじゃないか?
『おい、おまえ今俺の事ガキっぽいって思っただろ。』
なんて察しがいいんだ。
『まあいいけどさ。実際、こどもですから?』
「君が言うとなんとなく皮肉っぽく聞こえるなぁ」
『気のせいだろ。』
「どうだろうね。」
この日からなんとなく、彼と私は打ち解けていったのだった。
夏休みがあと残り僅かになったあたりから、私は友人と出かけることが増えていた。
勿論勉強はその分ちゃんと続けていたから両親には何も言われていなかった。
そして、私はあの日彼に庭に連れ出された日から、毎朝彼と一緒に庭に行っていた。
少しずつ、本当に少しずつ。
私は彼に惹かれていった。
朝に庭に出る以外にも、彼は決まった時間にとある場所にいた。
夜7時きっかりに、彼は二階のベランダに出て空を見ていた。
中に居た方が涼しくないかと聞くと、空を見たかっただけだと言われた。
他になにか理由があるのではないかと思ったけれど言いたくないのなら聞かないことにしていた。
それから、彼はとてもあいさつを大切にしていた。
思い返せば、私が意識していなかっただけで一緒に住み始めた当初から、彼は「おはよう」や「いってらっしゃい」、「いただきます」といった言葉を私に向けてもちゃんと言っていた。
仲良くなってきてからは、私が出かけるたびに母親のように玄関まで見送りに来て「いってらっしゃい」と声をかけてきた。
私は面倒だなと思うときもあったけれど、それでも彼のあいさつに必ず返事をするようになっていった。
一度だけ私の親友が家に来たことがあった。
私は、その日初めてこいつがタラシだということを知った。
私を口説いたことなんて一度もないくせに…
いやまあひとつ屋根の下で暮らす身の上としてはそういうことされると色々問題があったからなのかもしれないけど。
このとき何よりイラついたのは私の目の前で初めて口説いた子が私の親友だったということだろう。
他の子だったならまだ穏便にすませた(?)かもしれないけれど口説いている相手が口説いている相手なだけに私は黒笑いのままブチキレてお茶とお菓子を運んでくると見せかけて彼の顔面目掛けてタルトを炸裂させた思い出もあった。
嗚呼、爽快だった!
それから私は彼と出かけることも少しずつ増えてきていた。
最初は夕飯の買い出し程度の外出だったけれど、カラオケやゲームセンターかなんかにも行くようになった。
そこでもやっぱり彼はタラシで、最初は止めていたけれど口説かれている相手がまんざらでもなさそうなときはほっといて帰ってくるときもしばしばだった。
夏休みが残り僅かになってきたあたりだった。
私と彼は一緒に、少し離れたところにあるプラネタリウムへ行くことになった。
唐突に彼から星を見にいかないかと誘われたのだ。
私の家からは星は見えない。
けれど夜遅くまでどこかへ出かけたり、泊りがけとなると両親も心配するだろうし後者は受験の事もあるのでといったらプラネタリウムということになったのだった。
彼からはよく空にまつわる話は沢山聞いていたからどれがどういった星で、どんな物語があったのか。
そういったことも濃密に聞かされて知っていたから行く意味はあるのかと思っていたけれど、本物でなくとも星を見たことに、とても感動したのを今でも覚えている。
プラネタリウムを見た後、私たちはプラネタリウムに隣接して建っている展望台へ向かった。
周りの景色が遠くまで一望できて、空がよく見えるとこだった。
日が少し傾いて、空はとても綺麗なグラデーションになっていた。
空色、紫、ピンク、黄色、オレンジ…とても、とても綺麗で一つの絵を見ているようだった。
身体の芯を震わせられるような感動だった。
まるで、女神の歌声を聴いている時のようで、息をするのを忘れるくらい見入っていた。
『すごいよな。高いところで改めてみる空は。時間的にも最高だったみたいだし。』
「うん…すごい。本当に来てよかった。連れてきてくれてありがとうね………がくと。」
この時初めて、私は岳斗の名前を呼んだ。
岳斗はすごく驚いていた。
『まさか、名前を呼ばれるとは思ってなかった…。』
深くうなだれるようにして岳斗はそう言った。
「嫌だった?」
『うん。』
即答された。
カチンと来たのでそのまま帰ってやろうとすると岳斗は私の腕を掴んでその場に引き止めた。
ふと庭に連れ出されたときの事を思い出す。
「なんなのさこの手は」
ちょっと不機嫌そうな顔で言ってやる。
『……奈々』
低めの声で、ぼそっと。
確かに岳斗はそういった。
あまりの不意打ちに、思わず胸が一度だけ、ドクンと高鳴った。
謎の恥ずかしさに思わず顔を背けてしまう。
『これで理由分かったろ…名前呼ばれたの嫌だっつか、なんか。なんていっていいかわからないけど』
私は顔を背けたまま無言で頷いた。
それからしばらく、二人で空を眺め続けた。
どこか落ち着かない、どぎまぎした気持ちで、お互いにお互いを見ないように必死だった。
たまに岳斗の方を盗み見ると、岳斗もこちらを見ていて目が合って、硬直してしまったりしていた。
でも、そんな空間でも嫌な気分はしなかった。
冷や汗はすごかったけどね…
そろそろ日が完全に落ちるだろうという頃になって、岳斗は突然私の手を取った。
ビックリして肩が反射的に跳ねしまう。
思わず岳斗の顔を凝視した。
『あ、わるい』
「いや……大丈夫、だよ」
大丈夫じゃないかもしれないけど。
『これやるよ。プレゼント。』
岳斗はカバンのポケットから小さな白い紙袋を出して、私の手の上に乗せた。
袋に張ってあるテープには、プラネタリウムの売店の名前がかかれている。
『綺麗だろ。俺も買ったんだよ。』
岳斗とお揃いのキーホルダーは今でも携帯についている。
青くて丸い、中に銀のストーンで白鳥座が描かれているデザインだ。
彼はまだ、あのキーホルダーを持っているのだろうか。
プラネタリウムに行ったこの日から、私は自分の中に湧きだした謎の感情と葛藤することになったのだった。
その感情、岳斗といると胸が暖かくなる。
たまに胸がどうしようもなく甘く疼いたりする。
岳斗のちょっとした優しさにドキッとする。
二人きりでいると、岳斗のことを必要以上に意識してしまう。
けれど恋なのか、というと違う感じがするのだ。
岳斗は、大切だ。
でも、好きの形がわからない。
付き合っても、それはそれでありかもしれないけれど、でもそれはどこか違う。
その関係ではきっと、いつかどうしようもなくなるほど関係が壊れてしまうだろうとどこかで分かっていた。
家族のような好きとも、友人のような好きとも、恋のような好きとも違う。
ただ、大切だ。今でもそう思う。
好きの形は分からない。
けれど一つだけ、ハッキリとしていることがあった
私は岳斗の大切になれたとしても、確実に岳斗の一番にはなれない。
それはただ単に岳斗がタラシだからということではない。
直感的にそう思うんだ。
私では、岳斗の恋人にはなれない。なれたとしても、恋人役くらいだ。
私にとっての岳斗もそうだろう。
私の大切にはなれても、一番にはなれない。
けれど、この複雑な関係を引きずれば引きずるほど、一歩間違えればお互いを壊してしまうだろうということを私たちは心のどこかで分かっていた。
しかしそれはもう、始まっていたのかもしれない。
触れてはいけない感情に私たちは触れてしまっていたのかもしれない。
この感情をもてば、誰もが壊れてしまうのではないだろうか。
私たちは、どこかで間違った何かをお互いに植え付けてしまったのではないのだろうか。
私たちは、本当になにも分からない無知な存在だった。
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