新しい思い出

「王子とは言っても、俺はそこまで高い地位にいる訳じゃないんだ」
 梯子を脇に抱えたまま、カイトは隣を歩くリンに自分の立場を話す。
 上の兄達とはかなり歳が離れ王位継承権も低い。王宮に顔を出す事はあるが、それも年に片手で数えられる程度。何かと面倒な事の方が多い為、適当な理由をつけては王宮に行くのを断っている。
 この町で案内人として過ごすのが日常ではあるものの、たまに青の王子として他国に赴いたり、役人や貴族の応対をしたりする事があるそうだ。
「まあ、実際は自由に動けて都合が良いから、お前やってくれって感じだよ」
 お飾りでも王子であるのには変わらないから、とカイトは悪戯っぽく笑う。悲観的な所は微塵も無く、現状を素直に受け入れている態度だった。
 王族とは思えない程素朴で親しみやすいカイトに、リンはすんなり質問する。
「カイトさんは、黄の国に来た事がありますか?」
しまった、と言った直後に気が付く。今の自分は王女じゃなくてただの庶民。本来なら王族と気安く話して良い立場じゃない。良い意味で王子に見えないカイトにレンを思い出して、つい軽々しい口を聞いてしまった。
「失礼致しました。カイト様」
 リンが慌てて言い直すと、気にしなくて良いよとカイトは手を振る。
「様はいらないよ。あんまり畏まられるとこっちも困る」
 王子として扱われると案内人業がやりにくいと冗談交じりに言い、気楽にして欲しいとリンに告げる。
 安堵したリンは肩の力を抜く。青の国のおおらかさを体現しているカイトは、まさにこの国の王子様だ。身分しか取り柄のないどこかの馬鹿貴族は見習うべきだと思う。
「じゃあ、カイトさんと呼んで良いですか?」
「構わないよ。リンベル」
 本当の名前で呼ばれないのに一縷の寂しさを覚えつつ、リンは同じ質問をカイトにぶつけた。
「カイトさんは、黄の国に来た事がありますか?」
「ああ、あるよ」
「もしかして、レン王子に会った事がありますか?」
 青の王子として来た事があるのなら、黄の国の王子の事を知っているかもしれない。噂ではなく、直接レンに会った人から話を聞けるかもしれないと期待したが、カイトは首を横に振った。
「黄の国に行った事はあるけど、レン王子に会った事は無いなぁ……」
 そんな都合の良い事はないか、とリンは内心で落胆する。顔には出さないようにして足を進めている内に、最初の目的地である町役場に到着した。
「ちょっと待ってて」
 カイトはリンをその場に残し、借りていた梯子を役場の倉庫へ戻しに行く。間もなくして戻って来ると、リンに爽やかな笑顔を見せた。
「お待たせ。行こうか」

 あら? あれは……。
 賑う市場をユキと手を繋いで歩いていたミキは、別行動中のリンベルが役場前にいたのに気が付いた。傍には青髪の男性が立っているのも見える。こちらに気が付いている気配は無く、二人で何か会話をしているようだった。
 店数軒分は離れているので内容は分からないが、青髪の人にしつこく言い寄られている訳ではないらしい。もしそうならキヨテルと一緒に助けに行くべきだが、リンベルの様子を見る限り、割り込むのはむしろ野暮そうだ。
「どうしたの? ママ」
 下から呼びかけられて、ミキは娘へ顔を向ける。ユキはリンベルの事に気が付いていないようで、不思議そうに母を見上げていた。
 何でも無いとユキに言って、ミキは隣で複数の紙袋を提げたキヨテルに聞く。
「気が付いた?」
「何に?」
 含みを持たせたミキの問いかけに、キヨテルは軽く辺りを見る。幸か不幸かリンベルを見つけられず、その間に金髪と青髪の二人は雑踏に紛れて遠ざかる。
「何かあったか?」
「あ、ごめんなさい。私の勘違いだったみたい」
 ミキは適当に誤魔化して、あえてリンベル達とは別の方向に歩き出す。キヨテルは疑問を浮かべたが、それを話題には出さなかった。
 夫と娘にばれないように、ミキは嬉しさに顔を綻ばせる。
 家族には内緒で、気になる異性と一緒に過ごしたい。リンベルは背伸びをして大人ぶろうとしている所があるけれど、歳相応の女の子らしい所もあったんだ。良かった。
 別行動の理由を勘違いしながらも、ミキはリンベルの行動に喜びを感じていた。

「へえ。王宮で働くのか」
「はい。だから、レン王子はどんな人なのかが気になって」
 カイトに港町を案内されながら、リンは打ち解けた調子で会話を交わす。とりとめのない話で盛り上がっては、二人で笑顔を見せ合っていた。
 黄の国の港町で暮らしている事。船で銀髪の男女に出会った事。ひと月経たない内に王都へ出立する事。リン自身が驚くほど、カイトに気を許して話をしていた。
「レン王子はこの前十四歳になったって聞いたな……。リンベルとあまり歳変わらないんじゃないか?」
「そうですね」
 カイトの話にリンは素直に頷く。双子なので同じ日に十四歳になったのだが、当然それは伝えない。リンベルとして過ごすようなってからは、キヨテルの家に来た日を誕生日と言う事にしていた。
「もしかしたら、今度は仕事とかで会えるかもしれないね」
 その時にはきっと王子の格好だとカイトはおどける。きっと正装姿も似合うんだろうなと想像して、リンは思わず口元を上げた。
「見てみたいです。カイトさんの王子姿」
 絶対カッコいいはずだと断言する。嫌味の無い言葉を受け取って、カイトはありがと、と言って苦笑する。
「でも誰だか分からないかもなぁ。俺、私服と正装の雰囲気がかなり違うらしいから」
「そんなに違うんですか?」
「どっちかの格好しか知らない場合、もう片方の服装で会っても分からないみたいだよ。よく驚かれる」
 呆れと笑いが混ざった表情で溜息を吐き、カイトは一言付け加えた。
「もう慣れたけどね」

 日が傾き始めた頃、港町案内は終わりを迎えようとしていた。街の喧騒を遠くに聞き、二人は出発点になった公園を並んで歩く。
「これからどうする?」
「どうしましょうか?」
 リンは質問に質問で返す。宿に帰るにはまだ早い時刻。中途半端に余った時間を気にしてか、カイトはまだ付き合ってくれるようだ。
 どうしようと考えて、海と浜辺の景色が頭によぎる。その瞬間、リンは自分が何をしようとしていたかを思い出した。
「……あっ!」
「うおっ。何?」
 驚く声を耳に入れて、リンはカイトへ勢いよく振り向く。
「カイトさん。この辺りで小瓶を売っているお店ありますか?」
 あったら教えてと迫り、若干動揺された。
「あ、ああ。ちょっと歩いた所に雑貨屋があるよ。確か瓶も扱っていたはずだ」
 急にどうしたと言う問いには答えずに、リンはカイトを見上げて頼む。
「そこまで案内してもらえますか? やってみたい事があるんです」

 雑貨屋に足を踏み入れてから、約十分後。
「……小瓶を買いに来たんじゃなかった?」
 呆れたような、責めるようなカイトの口調に、別の商品に目を奪われていたリンは我に返った。持っていたリボンを元の位置に戻して、気まずい表情で言い訳をする。
「いや、目的を忘れていた訳じゃないですよ? 小物を見るのって楽しくて……」
 ちらりと机の上に視線を送り、そそくさと小瓶を探しに行く。カイトは小柄な少女が人と机の間をすり抜けて行くのを眺めて、リンがさっきまで手にしていたリボンに目を落とす。
「別に怒ってる訳じゃないんだけどな……」
 そして、何か考え事をしていた。

 小瓶と紙を購入し、リンはその場で願い事を書いた。紙を筒状に丸めて瓶に入れ、しっかりと栓をする。店の主人にペンと机の一部を貸してもらった礼を言い、さっきまでいた場所へと急ぐ。てっきりそこにいると思っていたが、カイトの姿は無かった。
「あれ?」
 ひょっとして帰ってしまったのか。不安に駆られて店内を見渡すと、入り口で立っているカイトと目が合った。人とぶつからないように早足で移動する。
「ごめんなさい。時間をかけてしまって」
「いいよ、気にしなくて。……それ、おまじないか何か?」
 カイトから尋ねられ、リンはとりあえず肯定で答える。
「おまじない……。確かに近いですね」
 正確には言い伝えだけれど、どちらも似たようなものだ。レンから教えてもらった、不思議で素敵なお話。
「海に着いたら話しますよ。行きましょう」
 一体何なんだと怪訝な顔をするカイトに、リンは悪戯っぽい笑みを向けて「まだ秘密です」と朗らかに言った。

 押しては引く波の音。夕陽に照らされる海岸に、大きさの違う足跡が並んで伸びていた。その足跡は波打ち際まで続いて、二人の人間の足下で途切れる。
 港から離れたこの場所には、現在リンとカイトしかいない。さざ波の音がはっきりと聞こえる静けさの中、リンは青の王子に語りかける。
「昔、ある言い伝えを教えてもらったんです」

 小瓶に願いを書いた紙を入れて、海に流すと願いが叶う。

 ありふれた言い伝え。本気で信じはしないけれど、想いを託すのは自由。リンはそう言って、腕を下から振って小瓶を海へ放り投げた。
 小瓶は一度沈んで水面に浮かび上がる。静かに流れて行く小瓶を見つめて、カイトは口を開く。
「初めて聞いたよ、その言い伝え。黄の国に伝わる話か?」
 分かりませんとリンは正直に答える。
「私も人から聞いただけなので、詳しい事は知らないんです」
 流れに乗ったのか、小瓶はほとんど見えなくなっていた。時折陽光を反射して位置を示していたが、それもやがて水平線へと消えて行った。
「カイトさん。今日はありがとうございます」
 お陰で楽しかったとリンは笑顔を見せる。穏やかな潮風が金髪を揺らした。
 青い髪とマフラーをなびかせて、カイトも笑みを浮かべる。
「俺も楽しかったよ。いつもはこんな風に自由な案内が出来ないからさ」
 たまには仕事じゃない案内も良い。そう呟いて、懐から小さな包みを取り出した。何だろうと視線を送るリンへと差し出す。
「これ、今日の思い出に貰ってくれないか?」
「え?」
 いきなりの贈り物に驚き、リンは目を丸くする。カイトと包みを交互に見やり、遠慮がちな、しかし喜びを押し出した表情になる。
「……ありがとう、ございます」
 夕焼けでは無い理由で顔を赤くして受け取る。カイトに一言断り、リンは胸を高鳴らせて包みを開いた。
「これって……」
 入っていたのは、雑貨屋で手にしていた黒いリボンだった。欲しいとは思ったけれど、時間の都合と自分には似合わないと思って買うのを止めた物だ。
 別に可愛い小物や綺麗な装飾品が嫌いな訳じゃない。だけど、王宮を追い出されて以来それらから拒絶されているような感覚がして、身につけるのが何となく苦手になってしまっていた。
 生きるのに必死で、女の子らしい格好をする余裕なんて無かったもんなぁ……。
 三年前まで自分が置かれていた環境を思い出す。目が熱い。
「カイトさん。本当に、ありがとうございます」
 頬を伝う涙を拭って、リンは潤んだ蒼い目で礼を言う。泣くほど喜んでくれた彼女を見下ろして、カイトは照れ笑いを浮かべた。
「どうしたしまして。きっと似合うよ」

 翌日の午前。
 停泊している客船の甲板から、リンは青の国の港を眺めていた。やや離れた所にはキヨテル一家の三人が同じように港を望んでいる。
 やっぱりいないか……。
 見送りや働く人で賑う港には、青髪の王子の姿は無い。海風に金髪と黒いリボンを揺らして、リンは溜息を吐く。
 当たり前か。カイトさんは仕事で忙しいんだし。と言うか、友達でもない旅行者の為に見送りには来ないよね。
 諦めてキヨテル達の元へ移動する。背伸びをしていたユキがこちらに気が付いて駆け寄って来た。
「おねえちゃん! 青の国、楽しかったね!」
 目を輝かせている妹に暗い顔は見せられない。リンは努めて明るく返す。
「うん。そうだね。お伽話の舞台になった所も見られたし」
 出航の合図が響く。ユキと一緒に船室に戻ろうと港に背を向け、足を踏み出そうとした瞬間。
「リンベル!」
 大声で呼ばれて肩を叩かれた。
「何ですか、ミキさん」
 不機嫌気味に振り返る。それを意に介さずにミキは腕を伸ばして港を指差す。
「あれ! あそこ!」
 リンは眉を潜めてミキの人差指の先へ視線を送る。
「え……!?」
 白い上着に青いマフラー、海と同じ色の髪を持った人が、港に立って大きく手を振っていた。
 リンは船縁へ駆け寄り、目を凝らして確認する。間違いない、あれは……。
「カイトさん!」
 見送りに来てくれたんだと、両手を大きく何度も振る。もう表情が分かる距離では無いのに、カイトが笑ってくれたように見えた。
 珍しくリンがはしゃぐのを見ていたキヨテルは、いつの間にかユキを連れて傍に来ていたミキに囁く。
「……随分と嬉しそうだけど、何か良い事あったのか?」
 ここ最近で一番ご機嫌だと断言すると、ミキは含み笑いで返した。
「さあねぇ……。女の子はちょっと見ない内に変わるものよ?」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

蒲公英が紡ぐ物語 第16話

 商品見るのが楽しくて、いつの間にか時間が経ってたって事ありますよね。で、時計を見てビックリする。

閲覧数:301

投稿日:2012/06/15 21:40:11

文字数:5,356文字

カテゴリ:小説

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