第十一章 リグレットメッセージ パート9

 そういえば、ルータオの街へと出かけるのはこれが初めてだな。ハクとウェッジの二人と一緒に歩きながら、リンはその様なことを考えた。先日から降り続けているパウダースノーを踏みしめる感触が何とも心地が良い。外気に晒されている頬が寒さの為に痺れる様な痛みを訴えていることを自覚しながら、リンは着込んだ外套の襟を閉じて、そして口元を隠す様な位置でマフラーを巻きつけることにした。ハクとウェッジは修道院を出ると、そのまま運河の方向へと歩いている様子だった。煉瓦造りの情緒溢れる家屋が並ぶ街は、リン達と同じように祭りを楽しむ住民たちで溢れている。今年は戦争続きだったから、今年の締めくくりくらい楽しく迎えたい。そのような雰囲気を醸し出している住民たちとすれ違いながら、リンは前方を歩くハクとウェッジの会話を小耳にはさんで苦笑する様な吐息を漏らした。いい関係だとは思うけど、一体いつになったら二人は結ばれるのかしら、とリンは考えたのである。大体、ハクは本当にウェッジの心境に気が付いていないのだろうか。修道院にいるときよりも楽しげに見えるハクの様子からは、ウェッジに対して心を開いているようにしか見えない。あるいは、ウェッジか、もしくは自分の過去に引け目を感じているからだろうか、とリンが無粋な推測を楽しんでいると、ハクがとある屋台の前で立ち止まり、そしてリンの姿を振り返りながらこう言った。
 「マリー、温かいものでも飲む?」
 そのハクの言葉に促される様にリンが屋台を覗きこむと、営業スマイル全開の中年の女性が即席の竈でスープらしい食物を煮込んでいる様子であった。香りからしてコーンスープだろうか、と考えながら、リンはハクに向かってこう答える。
 「おいしそう。でも。」
 そう言えばお金を持っていなかった、とリンは考えたのである。考えてみれば、王宮にいた時から財布を持ち歩くと言う風習がない。王宮から逃れてからの金銭管理はルカに任せきりだったし、とリンが考えていると、ハクが得心したように懐から小銭入れを取り出し、そしてリンに向かってこう言った。
 「まだマリーは給与が支給されていないものね。今日はあたしが支払うわ。」
 その言葉に意外そうな表情をしたのはリンである。修道女に、給与が。労働をしているという意識がなく日々の務めをこなしていたものだから、あの生活でお金が貰えるということがどうにも想像できなかったのである。そのリンと、ハクに向かって一つ咳払いをしながら会話に割り込んできたのはウェッジであった。
 「女性に支払わせるのは男の名折れです。ここは私が支払いましょう。」
 格好付けているのか、それともこの言葉遣いが素なのか。それを判断するには難しいウェッジの態度ではあったが、その屈強な体つきからそれなりの訓練を積んでいる人間であることはリンにも想像が出来る。今は用心棒だというが、それにしては傭兵の様な粗野さが欠けている様な印象をリンは受けたのである。例えば、傭兵として黄の国の王宮を訪れたガクポはまるで飢えた獣の様な瞳をしていたけれど、ウェッジにはそのような感触を覚えない。どちらかというと、メイコやアレクと同じような空気を感じながら、リンはどうしようかと考えてハクの瞳を眺めた。どちらに支払わせるにしろ、他人のお金だ。過去に散々他人から絞りとった自分が考えるセリフでもないとは自覚していたが、だからこそ余計に遠慮がちになっていたのかも知れない。そのリンの態度に、ハクは一つ頷いて、そして笑顔でウェッジに向かってこう言った。
 「ありがとう、ウェッジさん。でも、悪いわ。」
 「なに、修道女といえども薄給でしょう。幸い私の稼ぎは悪くないですから、ここは一つ。」
 力強くそう述べるウェッジに対して、ならお任せしますわ、とハクは述べて屋台から一歩退いた。典型的な貢がされる男性ね、と過去に自身が観察してきた宮廷劇からウェッジの性格をそう判断したリンは、それでも素直にウェッジに向かってこう言った。
 「ありがとう、ウェッジさん。」
 これはこれで嫌味なのかも知れないけれど、とリンは思ったが、当然その様なことは口には出さなかった。寧ろウェッジもそれで胸のつかえが取れている様子だし、とリンは考えて、三人分用意されたコーンスープを一つ受け取ると、静かにそれを口に含んだ。濃密なコーンの香りと、舌を舐めるどろりとした感触が口内に広がる。粗野な味だが、悪くはない。なにより、冷えた身体を温めるのに十分な温もりをもつそのスープはこの場においては美味の部類に属しても構わないだろう、とリンは考えた。そのスープを飲み終わり、紙コップを屋台の端に設置されていた即席のゴミ箱に投函し終える頃には、そろそろ日が落ちる頃合いとなっていた。この時期のミルドガルド大陸北部の日没は相当に早い。極地に近い為に、地球と同じように冬の日照時間がかなり限られるのである。実際、まだ四時を回った程度の時刻に過ぎないが、早くも太陽は水平線の奥へと隠れてしまったのである。日が落ちると、途端にルータオの街は幻想的な空間に包まれる。明かりとしては弱いが、生誕祭の為にふだんよりも多く点灯されている蝋燭の明かりが街を暖かい色で包んでゆく。そして、人の流れも変わりだした。皆一様に、運河へと向かって歩き出したのである。
 「私たちも運河へ向かいますか。」
 その様子を眺めて、ウェッジはそう言った。その言葉に頷いたハクに向かって、ウェッジは更に言葉を続ける。
 「その前に、小瓶を購入しなければ。」
 「小瓶?」
 ウェッジのその言葉に聞き返したのはリンである。一体、小瓶を何に使うというのだろうか。そう考えたリンに向かって、ハクが丁寧な口調でこう答えた。
 「あたしも実際にやったことはないけれど、この街には言い伝えがあるの。願いを込めた羊皮紙を小瓶に入れて、海に流せばいつの日か想いは実るでしょう、という言い伝えなの。」
 「と言っても、最近は羊皮紙が手に入りにくいから、紙で代用することが多いが。」
 ハクの説明を補足するように、ウェッジがそう言った。想いが、実る。それはどのような意味だろうか。そう考えながら、リンは二人に向かってこう尋ねた。
 「そのお願いは、何でもいいの?」
 それに対して、ハクが優しくこう答えた。
 「なんでもいいわ。」
 「・・今日じゃなくても?」
 「いつ流しても効果は同じだと言われているが、今日は生誕祭だからね。ルータオの民衆は年に一度、この日に流すことが風習となっているんだよ。もちろん別の日に流しても構わない。寧ろ、沢山の小瓶を流せばそれだけ想いが実る可能性が高くなると言われているからね。無論、神が診断を下すから、やましい願いが実ることはないけれど。」
 次にそう答えたのはウェッジ。地元の人間であるせいか、流石に詳しいわね、と考えながら、リンはウェッジに向かってこう言った。
 「あたしも、小瓶を流したい。」
 その言葉に、ウェッジは力強く頷くと、こう言った。
 「もちろん、マリーも好きな願いを小瓶に入れるといい。」
 そうして三人は運河へと向けて歩き出した。途中の屋台で三人分の小瓶と紙を買い求めたウェッジは、そのままハクとリンを連れて運河へと歩いて行く。その運河の脇に点灯するのは、ルータオの街の人たちが丹精込めて作り上げたかまくらと、その上に備え付けられた一万にも及ぶような小さな蝋燭の光。漆黒に浮かび上がる、海水で満たされた石造りの運河を照らし上げる、静かで幻想的な景色だった。まるで空に浮かぶ星座のように瞬く、飴色の蝋燭の灯り。そしてその蝋燭に照らされる、銀箔の白い雪。寒さを忘れる様な、温かい幻想的な景色にリンは思わず息をのみ、そして軽く上気した心持ちでウェッジとハクの後について運河の脇に用意されている遊歩道を歩きだした。割合深く積もっているらしい雪を踏みしめながら、リンはのんびりと蝋燭が作り上げる芸術作品を堪能することにしたのである。その静かな灯りに照らされた遊歩道が切れるところ、大きなランタンが掲げられている地点が運河の終点らしい。静かに響く波の音を耳にして海岸に到達したらしい、と考えたリンに向かって、ハクが温かい声でこう言った。
 「リン、これで想いを書いて。」
 手渡されたのは万年筆。男物らしいその万年筆はウェッジのものだろうか。そう考えながら、リンは先程ウェッジが購入してくれた紙に向かって、さらさらと自身の想いを記載した。他の誰かに見られれば大変なことになるという自覚はあったから、すぐに書いて、折りたたみ、そしていそいそと小瓶に詰める。この暗さなら誰の目にも止まらないだろう、と考えながらリンが万年筆をハクに戻した時、ウェッジが二人を促す様にこう言った。
 「じゃあ、準備が出来たなら小瓶を流して。」
 その言葉に導かれる様に、リンは背を屈めると小瓶を波の上に載せた。ランタンの灯りに照らされて宝石のように輝いた小瓶は、引き潮に乗せられてみるみるうちに沖合へと旅立って行った。その小瓶が沖合に隠れて見えなくなるまで見送ったリンは、僅かに瞳を細めながら、暫くの間タールの様な漆黒に包まれた海を眺め続けていた。リンの髪を撫でる、冷たい海風がリンの頬をもう一度痺れさせたが、それを気にすることなく、ずっと長い間。

 その日以来、リンの日課にもう一つの行為が加わった。
 いつか想いが実るかも知れない。それは不可能なことだとは十分に理解していたけれど、それでもリンは毎日のように海に向けて小瓶を流し続けたのである。時刻はいつも同じ、午後三時。リンの大切な人が命を失ったその時間に、リンは大切な人の為に小瓶を流し続けたのである。雪の日も、風の日も、吹雪の日であっても、一日も怠ることなく、毎日、毎日。その様子をいつものように眺めていたカモメが、ある日ふと思い立ってリンが流したばかりの小瓶へと羽を広げて飛んでゆくと、自身が海に落下しないように十分に注意しながらその小瓶を黄色いくちばしで二度つついた。一度海の底へと沈みかけた小瓶は自身の浮力によって浮かび上がった後、再びカモメの視界へとその姿を現す。小瓶の中に封入された一切れの紙に記載された文章をカモメが読めたとは到底思えないが、それでもそのカモメは悲しげな声でくぇ、と喉を鳴らす様な囀りを放つと、途端に興味を失ったかのように陸地へと向けて飛び去って行った。
 『もう一度だけ、レンに会わせて。』
 その紙には、その様な文が記載さていたのである。
 愛悼の(リグレット)手紙(メッセージ)。遥か彼方に消えて行った小瓶を見つめながら、リンが寂しげにそう呟いたことには、そのカモメであっても気付かなかったけれど。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハルジオン72 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】

みのり「第七十二弾です!」
満「ウェッジの重要な役割終了のお知らせ。」
みのり「終わりなの!?」
満「ん・・まあ、今後のストーリーも考えているけど、本当にレイジがウェッジに課したかった役目はリグレットメッセージについてリンに教えることなんだ。」
みのり「だから地元民という設定なのね。」
満「それから、今回の生誕祭は実はモデルとなる祭りがある。」
みのり「それがこちらです。『小樽雪あかりの路』」
満「本当は二月のイベントなんだけど、今回は作品の都合から十二月にしました。内容は本文とほぼ同じで、小樽運河沿いに蝋燭を灯して幻想的な空間を醸し出す祭りだ。」
みのり「あたしが満に告白したさっぽろ雪まつりと並んで、有名なイベントです☆是非ご来場くださいませ♪」
満「・・さりげなく凄いことを言うな。。」
みのり「だって本当だし。」
満「そうだけど。あと、一点注意事項。」
みのり「作品の最後に出てくる『愛悼』と言う言葉。これはレイジさんの造語です。実際には使えないから気をつけてね!」
満「リグレットという言葉は英語で、本来は哀悼とか、後悔するとか、遺憾とか、悲嘆とか、そう言った意味合いの言葉だ。」
みのり「でも今回は特定の人に対するメッセージだから、哀悼という言葉では不足しているような気がして。やっぱり、リンはレンを愛していたんじゃないかな、でも二度と会えなくて、後悔している・・。そう考えて『愛悼』という言葉を作りました。」
満「賛否あるかもしれませんが、ご了承くださいませ。」
みのり「ということで、次回分もご期待下さい!」

閲覧数:446

投稿日:2010/05/23 20:16:05

文字数:4,422文字

カテゴリ:小説

  • コメント3

  • 関連動画0

  • sukima_neru

    sukima_neru

    ご意見・ご感想

    あれ?ウェッジってあのウェッジでしたか。
    初めはビックスいつ出るのかなーと思ってましたが、出ないので関係無いのかと思っていました。
    あの二人組は探すとFFのいろんな作品にいますね。毎回良い味だしてますよね。

    2010/05/25 00:56:13

  • sukima_neru

    sukima_neru

    ご意見・ご感想

    こんにちは。

    えっ、ウェッジのターンもう終わり?まあ、それはそれで2828ですが。
    それにしても愛悼・・・いいですね。

    この小説読んでたら、小樽に行きたくなりました。
    しかし、学生だと辛い。金銭的にも時間的にも。
    でも、「小樽雪あかりの路」いつか行きたいですね。

    2010/05/24 15:24:17

    • レイジ

      レイジ

      お読みいただいてありがとうございます☆

      というかウェッジにここまで人気が出るとは思いませんでしたww
      名前なんてファイナルファンタジーの雑魚キャラから取ったのに・・^^;
      ビックスでもいいかななんて思っていたくらいなのに・・w
      とりあえず重要な役目は終了ですが、ウェッジはもう少し活躍してもらいますか・・。
      ちょっと考えてみます☆

      >愛悼
      ありがとうございます☆
      文章家として、いつか造語を作ってみたいと考えていた中で跳び出した新しい言葉だったので、皆さんに評価して頂いて本当に嬉しいです♪
      自分でもお気に入りの言葉なので・・☆

      >小樽
      是非、一度訪れて頂ければと思います。金銭的には確かにしんどいですね・・。
      東京からなら二泊三日くらいで10万近く跳びますし^^;
      (その殆どが食べ物に消えるという、ダイエットには大敵のエリアですが^^;とにかく北海道は飯が旨い!)

      ただ、「小樽雪あかりの道」に行かれる際は防寒には本当に気をつけてくださいね。
      普通にマイナス10度以下になりますので・・^^;
      慣れると、案外耐えられますけど。
      俺も暫く北海道に行っていないので、そろそろ行きたいですね・・。

      2010/05/24 23:23:15

  • tio

    tio

    ご意見・ご感想

    今回もとっても素敵でした!!

    ウェッジがんばれ!とか密かに思ってたけどあんまり頑張れてなかった…(-ロ-;
    まぁ、そこがまたイイんですけど☆
    ハクが気付く日は来るのでしょうか…?(笑


    もうそろそろ大詰めの予感…お仕事大変なようですけど、無理のないように執筆活動を続けて下さいね!

    では(・∀・)ノ

    2010/05/23 21:08:26

    • レイジ

      レイジ

      ありがとうございます☆
      コメントが僕にとっての一番のカンフル剤です!
      どしどしコメント下さいませ☆

      ウェッジ本当に人気ですねww
      ここまで応援されるとは思ってなかった・・(^^ゞ
      うん、もう少し苦労してもらおう、と意地悪いことを考えるのは俺の悪い癖なのかも知れません。
      (でも最後は良いお話として纏めたいと思います☆)

      作品もそろそろ終わりが見えてきていますが、最後まで宜しくお付き合いください☆
      ここまでの大作をかけたのも応援して下さる皆様のおかげです!

      それでは次回も宜しくお願い致します♪

      2010/05/23 22:20:19

オススメ作品

クリップボードにコピーしました