通報を受けてきた2名の警察官が、イアの住んでいるマンションのオーナーに問い合わせ、イアの家の住人全員と共に、管理人室で防犯カメラの記録を見せてもらうことになった。
「もっと早く教えてもらえるとよかったんですけどね」と、対応に着た警察官は言う。「まだ記録に残ってるかな…あ。これですか?」
早送りをしていた映像を一時停止し、警察官は画面を指さす。
リンとイアが確認すると、間違いなく先日の夜、この部屋のインターフォンを押した男達だった。
「間違いないです」と、イアは答える。
警察官は、映像の前後を見て、二人の男がドアを乱暴に叩いたり蹴ったりしているのを確認した。
「確かに、ドア叩いてますね。でも、ドアが壊れてないから、器物破損にも成らないしなぁ…」
警察官達は顔を見合わせ、ため息をついて頷く。
「一応、この辺りの見回りは強化します」
「私達は、実際犯罪が起こってからじゃないと、動けないんですよ」
「このマンション、防犯設備が良いですから、出入りの時に気を付ければ問題ないと思います」
警察官たちは口々にそう言い、管理人室から撤退して行った。
「警察って、案外頼りにならないね」と、リンが言う。
「犯罪の前兆があることは知らせられたから、なんにも言わないよりましかな」と、イア。「神威さんのほうは、『ストーカーとして訴える方法もあるかもしれないから、細かく記録を付けて』だって」
「ミク姉、あの映像見て何かわかった?」と、レン。
「あの人達、私達が此処に居るってことは知らない」ミクは言う。「イアさんが私達の家に居たことくらいは知ってるみたい。脅しをかけて『あぶり出そう』としてるのかも」
「なんにせよ、此処から離れないほうが良いわ。外出するときは、十分気を付けましょう」
イアがそう言って、少年少女達は同意した。
この日から、ミクの護衛にはリンがついて行くことになった。
レンは顔の洗い過ぎで、逆に顔面が皮脂を過剰に分泌し、額に一ヶ所ニキビが出来てしまった。その一ヶ所の腫れものは前髪で隠し、家の中で悶々と何か考えているらしい。
手を膝に置いて、人差し指でトントンと膝を叩いたり、座っていたソファから突然立ち上がって、リビングをノイローゼの熊のように歩き回ったり。
仕事から帰ってきたイアは、「何か落ち着かないことがあるんだろうな」くらいに思いながら、物憂げな少年に声をかける。
「レン君。夕食何か食べる?」
「要らない。ミク姉が持って来た食料、まだあるから」と、レン。
「育ち盛りなのに、カップ麺やパンじゃ、力尽かないわよ?」
イアはそう言って、冷蔵庫から卵を取り出す。
「私に遠慮してるんだったら、交換って事でどう?」
「交換?」と、レンは言葉の意味が分からず聞き返す。
「そう。今からオムレツ作るから、レン君はオムレツを食べて、私はレン君が食べようと思ってた食料をもらうの」
イアは明るくそう言い、卵をボウルに割って溶き始める。
レンは、どうにもイアにとっては不公平な交換じゃないかと思ったが、交換を言い出した本人がそれで良いなら、言葉に甘えることにした。
ミクのエコバッグの中から、なるべく大きめのカップ麺をとり出し、「こんなもんで良い?」と聞く。
「十分十分。じゃぁ、少し待っててね」と言って、イアは温めておいた大きなフライパンに、3個の卵を溶いた液を流し込んだ。
ミクの勤めるバーに付き添って行ったリンは、自分は女の子だから大丈夫だろう、と、夜の世界を甘く見ていた。
「やだ。カワイー!」と、バックヤードに休憩に来た女性が、リンを見て黄色い歓声を上げる。
「何々? 昨日の男の子のきょうだい?」と、その女性は迫ってくる。
「はい」とだけリンは答えた。
さっきの「カワイー!」に反応して、店の女の子達が次々にバックヤードに顔を出す。
「ほんと。人形みたい」
「ちょっと、髪つかんで良い? あ。似てる」
「うん、後ろ髪上げるとそっくり」
「いいなー。ミクって家族に恵まれて」
飛び交ってくる言葉に、「はい」「はい」と答えていたら、「店の服着てみる?」と言われ、つい反射的に「はい」と言ってしまった。
女の子達は、すぐさまリンを貸出し用の衣装のある部屋に連れて行き、美麗なドレスをリンにいくつか着せた。
「なんか様に成らないなー。あ。胸だ。この子、胸がない」と言われて、リンはカチンときたが、確かにリンの胸は、年齢にしては真っ平である。
「Aカップも無いのか…。しょうがない。服は諦めよう」
何がしょうがないのか、何を諦めるのか、リンには全く分からなかったが、着せられたドレスをすぽんと脱がされ、着てきた服をわざわざ着せつけられた。
「喉乾いてない?」と、ある女性が声をかけてきて、カフェラテらしきものを持ってきた。「コーヒー牛乳。甘いやつ」と言って、リンにグラスを渡す。
「ありがとう」と言って、リンは素直に「コーヒー牛乳」を飲んだ。喉が渇いていたので、一気にグラスを空けた。
その途端、リンの顏は一気に真っ赤になった。意識が吹っ飛び、座っていた椅子から頽れる。
その「コーヒー牛乳」が、カクテルの一種、「カルーアミルク」だったことは、ミクがバックヤードに戻ってきてから判明した。
24時前に早退させてもらったミクは、酔いつぶれてしまったリンを連れて、タクシーに乗った。店側も、事情が事情なので、罰金も無く早退を認めてくれた。
おまけにタクシー代まで出してくれた。たぶん、口止め料だろう。
さすがに、歩くことすらできないリンを引きずって、イアのマンションまで戻るほどの筋力は、ミクにはない。
レンの時より容赦がないなぁと思ったが、バーの女の子達として見たら、歓迎したつもりなのかもしれない。
事前にイアの家に電話を入れたら、「まだ起きてるから、すぐ帰ってきて」とのことだ。
酔いつぶれたリンは、タクシーの中でむにゃむにゃと何か言ってる。「らめらって。シトラスをコーンフレークに入れても蜜蜂には成らないんらよ」
一体、何の夢を見ているんだろう…そう思いながら、ミクはマンションの手前でタクシーを停めてもらった。
ミクは一通り周りを警戒してから、レンと一緒にぐでんぐでんのリンをイアの部屋に運び込んだ。
「やっぱり、バーに連れて行くには、あの子達は目立ちすぎるみたい」ミクは仕事着から着替えながら、イアに言う。「でも、私は護身術とか知らないし…困ったなぁ」
「護身術を知ってて、バーの女の子達に玩具にされない人なら良いの?」と、イア。
「うん。誰か、心当たりある?」
「あるわ。私の友達で、合気道やってる人がいるの。ルカって言うんだけど」
「その人、夜中に起きてても大丈夫なの?」
「ええ。彼女、蝙蝠女って言われるくらい夜型だから。彼女も、あのバーの常連だし、さすがに普段のお客さんにちょっかいは出さないと思うから」
ミクは、次の護衛はその人に頼むことにした。
その晩、カイトはメイコの残した情報を頼りに、ミク達の借りている平屋の家を訪れていた。
たぶん、この時間なら眠っているかもしれない。と、ミクの仕事を知らないカイトは思った。
下見だけのつもりだったが、なんとなく玄関の扉を開けてみた。鍵がかかってない。
中を覗いてみると、足跡があった。血で描かれた、素足の人間の足跡。大きさからして、女性だろう。
カイトは、まさかと思いながら家の中に入った。足跡を追って行くと、家の奥に続いている。
「何の用?」と、女性の声がした。見覚えのある茶色のボブヘアと、アンバーの目の女性が、暗い部屋のソファに座っている。足の傷の手当てをしたばかりのようだ。
「メイコ…。無事だったか」と、カイトは言った。「裸足でアスファルトを走ると、そうなるんだな」
「唯のかすり傷よ。それより、此処が分かったって事は、私の伝言は届いたのかしら?」
「ああ。子供達のことは、任せてくれ」カイトは言う。「きっと、彼等が安全に暮らして行けるような手段を探す」
「隠れて暮らしてても、安全は安全よ」メイコは痛む足の裏を床から離す。「彼等を殺したくてうずうずしてる連中の手が、届かなければね」
「僕は、出来れば、彼等を『外部』に順応できた適例として、発表したい」と、カイトは言う。「外の世界で生きることで能力をのばせるなら、研究所の頭の固い奴等も頷くさ」
「そう上手く行けば良いけど?」
メイコは至って冷淡だ。
「慣例ってものは、そう簡単には変わらないわ。今まで、伸ばし過ぎた能力を『使わせない』事で安心を得てきた連中が、今更悔い改めると思う?」
「なんだって?」カイトは聞き返した。「『伸ばし過ぎた能力』? どう言う意味だ?」
「知らないの? ミク以外の子供達も、研究所で『制御不能』になると判断されたから、処分が決まったのよ」
メイコは淡々と言う。
「子供達がいくら外の世界で能力をのばしても、『研究所』でコントロールできなきゃ、頭の固い連中には意味ないの」
「それじゃ…」と言って、カイトは言葉が続かなかった。
「見つかった子供達がどうなるかは、あなたも想像できる通りよ。それでも、私が一部の子供達を逃がし続けたのには、理由があるの」
そう言って、メイコはこう続けた。
「『革命』の戦力として、育てるためにね」
「君は…。子供達を、武器にするつもりなのか?」カイトはメイコを咎めた。
「勘違いしないで。正常な子供達の眼球を抉り出したり、耳や喉の機能を奪ったりしてるって言うだけでも、起訴するには十分よ。私が欲しかったのは、証言者と、実際に危機に遭った被害者の存在」
メイコは言う。
「だけど、あの施設で育った子供達は、目を抉り出されたり喉や耳を潰されることが、異常なことだって言う認識が無い。自分達を守る権利を知らない。
それを学ばせるために、私は彼等を外に逃がしてたの。『普通』の世界と、『普通』の人間に、触れてほしかったの。そして、機は熟した」
メイコは意志を灯した目で、カイトを見た。
「全面戦争を始めるわ。あの子達の『人間としての権利』を、勝ち取るのよ」
その言葉を聞いて、カイトは、自分の中に漫然とあった「妥協策」が馬鹿馬鹿しくなった。そして言う。「手伝わせてくれ。メイコ先生?」
メイコは、力強く頷いた。
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