それから、しばらく平穏な日々が続いた。
短時間の宇宙観覧飛行なら、それなりの金持ちだったら申し込めるようになった時代だ。ミクとリン、レンが月に飛ぶのだって、そう難しいことじゃなかった。さすがに月面にステージを設置して、地球と同じ、もしくは月面ならではの音響効果を得るというのは相当実験的な試みだったらしい。ましてや、地球で行われるライブとリアルタイムのセッションを行うというのは異例の試みだった。
サンプリングされたデータは、いずれ月面に人類が移住する計画が現実となった時に、役立つことになるだろう。もちろん技術力の宣伝にもなるし、いずれライブの映像はディスク化されて市販され、興行利益も上がる。
僕らは毎日が充実していた。
日々進歩していく宇宙開発の最先端で、ありもしない永遠を信じかけるほどには。
僕らの居住区域からは、シャトルの発射台が建設されている現場が遠くに見えている。遥か蒼穹の向こう側を目指す塔。
人間は何故、宇宙の向こう側を目指すのだろう。機械の僕にはわからない。
空気も、水も、大地も、人間という命を包む全てのものを振り払ってまで空を越えていくのはどうしてだろう。
「どうして、空を飛ぶんだろう……」
「それは、可能性を信じたいからじゃないかな」
振り返ると、マスターが立っていた。いつになく、硬い表情で。
「文明レベルが高そうな生体反応のある惑星が、ついに見つかったそうでね」
マスターが手に持っていたのは、地球に良く似た青い惑星の写真だった。
それを、僕に差し出す。
「綺麗だろう? 百年も前に宇宙に旅立った無人探査船が送ってきた写真だ。撮影されたのは五十年前。俺が生まれるよりも前だよ」
「地球によく似ていますね」
「ついに我々地球人にも、異星人とのファーストコンタクトを図る時代が訪れたわけだな」
マスターは感慨深げに、そして少し悲しそうな顔をする。
百年前に旅立った機械が、五十年かけてたどり着いて、五十年かかって送られてきた映像。その機械は、まだ飛び続けているんだろうか。それとも全ての機能を失って漂うばかりのスペースデブリと化してしまったんだろうか。
僕にはわからない。
だけど、マスターがどうして世紀の大発見を前に、硬い表情を崩さないのかは想像ができた。だって、僕らは人間ではそう簡単に旅立てない場所にだっていけるように、作られているんだから。
「……その星に、僕が行くんですね」
「いや、まだ決まってない。誰がいくかも決まってないし……それにお前らは色々よくやってくれているから、別途に――」
「宇宙に飛ばされるためだけのヒューマノイドを作るんですか。クドリャフカみたいに」
マスターがはっとして、口を噤む。
ここで満ち足りた毎日を過ごす僕も、大した思いいれを持たれることなく永遠に戻れぬ旅をするためだけに作られるのであろうヒューマノイドも、同じ機械だ。
ただ、人間の役に立てればいい。それだけの機械だ。人間と同じような思考回路を有していても、僕らの役目は決まっている。
製造元の日本の言葉だけではなく、英語やフランス語、ドイツ語など、様々な国のライブラリを追加された理由も、様々な国の民謡や世界的な有名曲を教え込まれた理由も。何もかもわかっている。
人工知能の進化は、ヒューマノイドに人間のような感受性を与えてくれたけど、その代わりに互換性を奪った。学習の蓄積は複雑な計算の元に構築され、安易にデータをコピーしたところで、完全に同じ感性を持った個体は生まれない。簡単に自分の分身を作ることができないという意味で、ヒューマノイドはある意味人間と同じ個性を持った。
僕の替わりに生まれる「カイト」は別の個体だ。他の全てのヒューマノイドも、完璧にすり替えられる存在なんていない。だから――。
「僕が、行きます。こういうのは、男がまずいくべきでしょう」
僕は笑う。マスターは、申し訳なさそうな顔で頷く。
百年前の機械が五十年かけてたどり着いた旅路。今だったらもう少し早く行けるのかもしれないけど、宇宙は果てしなく広くて、現代の技術でも簡単に星間飛行ができるわけがない。
できれば、僕だってずっとこのセンターの片隅で、色んな歌を歌いながら空に飛び立っていく船を見送って過ごしていたい。
だけど、僕らはこの果て無き空を旅するために存在をしているのだから――それが、機械として与えられた意味なら、迷わない。
ミクはまだまだみんなの前で歌っていたいだろうし、リンとレンは隣のグミやいろはたちと仲が良くなって楽しそうだった。ルカもがくぽが気になっているようだ。メイコはマスターの世話を焼くのが好きでたまらないようだから、引き離すのはかわいそうだ。
だから、行くのは僕だ。僕は皆が幸せならそれで幸せだから。
「マスターは、僕がクドリャフカと同じだと思いますか」
少し考え込んで、かすかにうなずくマスターに、僕は微笑んだ。
「大丈夫です、僕らヒューマノイドは、電力の供給さえ続いていれば食料はいりません。電源が使えなくなっても、緩やかに休止するだけで、苦しむわけでも壊れるわけでもないですから。だからクドリャフカのようにはなりません」
少しだけ嘘を混ぜる。
マスターも、多分この嘘には気がついてた。
長く旅をする内に、宇宙線が、宇宙空間に漂う無数の塵が、船体を傷つけていく。
旅は永遠じゃない。いつかは船は――それに乗ることになる僕も、宇宙を漂う塵のひとつになる。
片道切符の旅の終焉は、決してハッピーエンドにはならないということ。
それでも僕は。
「五十年後に、異星人のメッセージと歌でもお届けしますよ」
精一杯の笑顔で、そう言った。
僕の役割を果たすために。そして――僕の大切な『幸せ』を守り抜くために。
■
――こんにちは、こんにちは、僕らは遥か彼方の青い星から来ました。
この声が聞こえますか?
この声は届いていますか?
最後にメッセージが来たのはいつだろう。地球時間を刻む時計から換算すると、三十年前だ。
マスターの訃報を告げるメッセージだった。
僕の返事はどれくらいで届くだろう。地球時間であと十年はかかるかもしれない。
目的地の星まで、あと十年。すでにその星にあてて通信を始めているけれど、まだ返事らしき電波はこない。
僕は船に抱かれて、ひたすら宇宙を流されていく。
ただ、ぼんやりと地球にいるみんなの幸せを願いながら。長い時を越えて届いた、いくつかの地球からのメッセージを、何度も読み返しながら。
「ねぇ、マスター。僕はクドリャフカとは違いますよ」
だって、僕はまだ覚えている。あの幸せの日々を。僕は知っている。泣きながら僕を見送った貴方が、行かないでと叫んだ家族のような僕の仲間たちが、空を見上げては僕の身を案じていてくれることを。
流れ星が、僕の船を追い越していく。ああ、そういえば流れ星は誰かの命を終えた時に流れるのだと聞いたことがある。
それなら、あの星の行く先にはきっと、マスターもいるに違いない。
そう思うと、不思議と暖かい気持ちになった。いつか教えてもらった歌を口ずさみ、録音してみる。そのデータを、報告メールに添えてみた。
「メッセージ送信完了いたしました」
アラームが、僕の音声データが地球に向かって旅立ったことを教えてくれる。
このデータがあの青い星に届く頃には、きっと僕が知る人は誰も残っていないのだろうけど。
「……届くといいな」
星の海を漂いながら僕は、そっと目を閉じた。
僕は忘れない。
遥か彼方の青い星を、あの星に置き去りにしてきた幸せを。
たとえ、時が僕の知る全てを消したとしても。
僕は忘れない。
きっとこの歌は、彼方を泳ぎきってあの星へと帰るだろう。
【終】
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