家に帰ると、やけに静かだな、と気がついたのが日付の変わるギリギリ前。今日は今年はじめて蝉が鳴いた。
「KAITO、ただいま!」
主人である俺が名前を呼んでも返事がない。可愛いげのないやつ、と少し不機嫌になったが、音楽でも聴いていて夢中で気づいていないんだろうか。いや、普段と変わらない帰宅時刻のはずだ。自分がさっきまで聴いていたプレイヤーで時刻を確認する。
KAITOは眠らない。だから、いつも俺の寝顔をみるのが仕事だといいはっていて初めは不気味で仕方がなかったが、まぁ、そういうものかと受け入れていた。嘘だったのだろうか。のうのうと眠る自分も大概で、後々考えれば、財布の中身とか、もっと不味いのは携帯やパソコンの中身とかさえも見られるかもしれないのだ。
KAITOはロボットの青年だ。一体、どのくらいの力が出るのかも分からなくて、物騒だと思った。パワーがありすぎても困る。そういう仕来たりになっていて人間に危害を加えないとのことで、上司に押し付けられた最先端のロボット。もともと、音楽演奏用のための機械だったそうなのに、「それがいったい、何の役に立つのか?」と生産停止にされる危機に晒されたそうで。そんな残念な経緯を経て、介護用にカスタマイズをされて、うちへやってきた。普段は上京してきたミュージシャン志望のフリーターです、みたいな格好と態度で人を化かして馴染んでいる。そのへんのコンビニやスーパーへ使い走りにしてるが、誰も気がつかない。
そのKAITOがいないのだ。狭い俺の部屋の全てを見回しても、いなくなっていた。黒い合成の革のソファ、マットのしいてある上で座りながら使える小さい卓。仕事用と言いつつ、卓に存在感の負けている大きなデスク。おまけに押し入れ、トイレ、風呂、どこにもいない。
いなくなったところで俺は困るのか?そう考えた。元々、上司が何かの抽選に当たったと話していて、デジモノがそこそこに好きな俺がふんふん、と相槌を適当に振っていたら捕まって押し付けられたようなものだ。家事をしてくれるのはありがたい。ただ、女性型の方が生活に潤いというか、楽しそうという気持ちが湧くことは多々あるが、もしも女性型にしてしまったら最後、俺は結婚できるのだろうか、そんなに結婚願望があるわけでもないが、と自嘲気味に笑えてきた。
KAITOがいなくなったが、焦りが全く生まれない。とにかく、部屋にいないけれど、成人男性の形をしているためか妙な安心感がある。俺は一通りの自己紹介や、職場であったことをやつに話して段々報告するようになった。愚痴も言っていたかもしれない。あいつは恐らく、上司の元に戻ったのだろう。そして、今までの俺の暮らしぶりだとか、会社や世の中への恨みつらみ、つまんねぇプライベートの粒々を事細かに報告しているんじゃないかと思う。
終わった、という絶望的な感じはない。あぁ、そうなるのね、という風に受け入れてしまった。俺はKAITOに何かしらしてやったとも思わずに、軟禁状態で家においておいただけだ。大抵、疲れて寝るだけの家で、淡々と訥々と気まぐれに俺が話すと、あいつも、ふんふん、と適当に相槌を打っていたにすぎない。上司に見られても俺の生活はたわいもない、ごくごく平凡なものだ。気がつけば、家では「疲れた」「暑かった」「眠い」くらいしか話していない気すらする。
カーテンが揺れた。そうだ、エアコンがついている。「暑かった」と過去形になるには「涼しい」部屋が必要になるのは分かりきったことで、自分自身で空調が必要ないと下手したら真夏でも服装に頓着しないKAITOはエアコンをつけてくれていたのだ。
まるで証拠探しだな、と部屋を物色する。流しに洗い物はないが、ガスコンロや冷蔵庫を見ても作ってある料理はない。KAITO自体を探しているのではなく、行動の面影を探している。
風呂も綺麗で特にいうことはない。脱出ゲームのお宝探しのように、特別なアイテムが見つかることもない。KAITOの私物もほぼないのだ。いつも着てる服くらいか。
ますます、あいつがいてもいなくても何も大して変わらないんじゃないかと思いはじめてしまう。部屋は広くなるだろう。
どうして、いなくなったのだろう?寂しいとか怒りというよりは純度の高い謎だ。あまりの俺のつまらなさに離れていったのか。満更でもなさそうにヘラヘラ笑っていたところを思い出す。
さらに、カーテンが揺れた。俺は思わず笑い出した。なぜ気がつかなかったのか驚くほどだった。何を思ったか、高さのある洗濯物干し用の窓に無理して座っていた。カーテンをめくると、少し驚いた顔でこちらを見ていた。
「お前……何やってるんだ?」
「聞こえませんか」
「なにが」
「三味線の音が」
確かに窓を開けると三味線かどうかは分からないが、和風の楽器の音が響いていた。練習しているようだが、たどたどしい。
「へぇ。何もこんな時間にやらなくてもいいのにな」
「こんな時間だからですよ」
「うるさいだけだろ」
「周りが静かすぎるんです。それに、帰ってきてから練習してるんじゃないでしょうか」
「あれか、深夜にランニングしてるのと同じで」
「今しかないんでしょうね」
KAITOは眠そうな顔をした。眠いのは俺の方だ。こいつは決して眠らない。 ただ、ぼんやりとした顔のままでまた話はじめた。
「僕はいてもいなくても変わらない気もするんですが、」
まさに、さっきまで考えていたことだ。特にドキリともしなかったが、直接あぁそうだね、とヒトガタをしているこいつに伝えるのはなんとなく罪悪感はある。
あまり目を合わせずにKAITOが話を続ける。
「また歌ってみたいな、と思ったんです」
「ほぉ」
だからと言って俺は楽器を練習する気も金もないし、そんな時間は……あるのだろうか?
「俺さ、さっきお前がいなくなってると思ってて」
「俺といてもつまんねぇことだらけだろうし、しょうがないか、と思ったんだよ」
「それなのになんで今まで居ついていたんだろうかとか、家事やってたんだろうなって」
KAITOがきょとんとした顔で答える。
「僕はそうやって作られていますから」何を今さら、といった調子だ。
「でもな……なんかこう、女性型か……むしろ女の方が良い気もしてくる」
「お前が嫌いな訳じゃないんだが、それかネコ型……」
「あれ、じゃあやっぱりいない方が良いですか」
「そうハッキリ言われると俺はちょっと困る」
「うーん、面倒くせぇ!黙って働け、って言いたいが……」
「そうだな。本当に三味線の音が聴こえたから窓辺にいたのか」
「そうですよ?元々、そんな使命があったことを思い出して」
「そうか。そこから飛び降りたいとか考えてたわけじゃないんだな」
「まさか。向こうに行ってみたいとは思いましたが」
「……じゃあさ、例えばだ。音楽が趣味のやつのところにお前を送り込むっていうのはどうだ」
「いいんですか?」
「いいんですか?ってお前……そもそも、なんで俺の家に来た。いたんだ。」
「上司さんがその方が良いだろうって」
「あれだな。お前はそうやってたらい回しにされる家電製品や便利グッズなのかもしれないな」
「そうですね」
「……なぁ。これから連絡する相手のところがもっと悪くて、俺より合わなくて退屈だったらどうするん だ」
「どうもしませんよ」
「どうもしない?」
「とにかく、そこにいます。僕は観葉植物のように枯れることはないですから」
「いつか、その人が定年退職したときに音楽をやりたくなったら、僕はまた起動すればいいだけです」
「ブランクで腕がなまることもないですが……その頃にはもっと良い音楽ロボットや、新しいコード、楽器があって、僕なんてますますポンコツには見えるでしょうね」
「……じゃあ現代で音楽やれよ」
「いや、案外、レトロゲームみたいに僕は大人気になれるかも。時代が僕に追い付いてないんだ!」
「……。どこ行っても楽しくやれそうだな」
「楽しい音で音楽ですからね。それで、ここにいたら迷惑ですか?」
「真夜中にうるさくすんなよ。もう電話するのもやめたわ」
外からは三味線も車の音も無く、隣から不満を伝えるノックが聞こえる。KAITOはとても生き生きとした顔になっていて初めて見た顔だった。こんな機能があったのかと変なところで感心した。このお喋りクソ野郎のアンドロイド君を創造したやつは何を考えているのか。
「僕のこと嫌いなのかと。まだ居ていいんですね」
「優しいとかじゃなくて、壁が薄いからもう黙ってろ。寝ろ。おやすみ」
くたくたで風呂も入らず埋もれるベッドに疲れ知らずの能天気な男の顔が近づいてくる。うれしくない。
「子守唄歌いましょうか」
俺はシカトを決め込んで布団にもぐった。だけど、暑くてすぐ蹴り飛ばした。すかさず詰め寄ってくる。
「お風呂は入りましょうよ…入浴介助しますから」
「ボケ老人扱いかよ」
「加齢臭……。どちらかというと小さい子供扱いですかね」
「うるせぇ、明日。寝る」
グズグズ言ってる俺を心底面白そうにスリープせずに見ているのがムカついたが、明日にもどうせここにいるんだろう。
漫画家、サッカー選手、宇宙飛行士になりたかった、子供に戻る夢を見た。
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