10.
「覚悟ッ!」
私の背後にいたるかが、およそ三メートルほどの距離を、予備動作なしで一足飛びに跳んだ。この馬鹿の身体能力には、やはり侮れないものがある。とても残念な事実だ。
どこから取り出したのかはわからないが、るかはいつの間にか握りの先に短い両刃の刃がついた、いわゆるくない手裏剣というやつを両手に一つずつ構えていた。腕を十字に交差させ、裸マフラーに接触する寸前に逆手に構えたくないを一閃。
「フッ……甘いな」
不愉快なくらいにふさわしくない凛々しい声で、裸マフラーがつぶやく。
「なっ……」
るかが信じられない、という風にうめく。
私のところからは、るかの背中しか見えない。なので、なにが起きたのかはよくわからなかった。だが、るかがくないを構えた両腕を振り抜くことができなかったことからすると、なんらかの方法で忍者の攻撃を防いだということなのだろう。
るかは背後に飛び退き、私のすぐ手前で着地する。忍者の顔は羞恥に赤く染まっていた。
「なにを……」
「あやつ、ただ者ではござらん……。あのタイミングで、拙者の胸を触ってきたでござる……!」
震える声音で、るかはつぶやく。
「そう。そんなことはどうでもいいから、早くしなさい」
「なんとっ! 御館様は拙者の貞操をそんなことと言ったのでござるか?」
愕然とするるかに、私は冷徹に告げる。
「あなたは、この椿寮女子棟の寮生にも同じようなことをしているわ。その程度のことで私の依頼を達成できないというのなら、忍者るかのレベルなどしれているわね」
「いや、拙者は百合大歓迎でござるが、男は無理なのでござる!」
この馬鹿は、きっぱりとそう言い切った。
「なら報酬は取り消し――」
「ちょっと待ったぁ! 御館様、拙者はまだ諦めてはおらんでござるぞ!」
「……」
そんなにラーメンが大事なのだろうか。いや、操りやすいのは私にとってはいいことなんだけれど。
「そこの変質者、これ以上の狼藉はこの巡音ルカが許しません」
私がそう宣言すると、なぜかその裸マフラーは首をかしげた。
「変質者、というのは……そこの忍者のことかな?」
一瞬、ずっこけそうになってしまった。
なわけあるか。いや、それはそれで確かに正しいのだけれど、そういうことじゃなくて。
まずい。この裸マフラーもまた超級の馬鹿だ。なんで私の周りにはこうも面倒くさい奴らばかり集まるのだろうか。馬鹿の頂上決戦ならよそでやって欲しい。より正確に言うと、別の星でやって欲し……いや、それくらいじゃダメだ。別の宇宙、別の世界でやってもらわなければ。
「なにを言っておるでござるか。拙者よりもお主の方がよほど変質者然としているでござる。女子寮にお主のような男がいることがなによりの証左でござる。しかもその格好はなんでござるか! 全裸など、御館様が許しても拙者が絶対にゆるさんでござる」
いや、私はその格好を許してるわけじゃないし。
「なにを言っているんだい。僕は全裸なんかじゃないよ。ほら、こうやってマフラーをしているじゃないか」
「ややや、止めるでござる!」
裸マフラーがそのウルトラマリンブルーのマフラーをつまんでみせるのを、忍者が必死に止めようとしたが無駄だった。だが、一体なにが起きたのか、風が吹いているわけでもないのに、マフラーは実に不自然にたなびいて局部を隠していた。ピアプロから削除されないように、世界の意志が働いているとしか思えない。つまるところ、意味がわからないということだ。一体どういうことなのだろう。
「かいちょ……コホン。ええと、貴方自身がどう考えようと構いませんが、裸マフラーという格好の時点で世間からは変質者として認識されます。私有地内とはいえ、わいせつ物陳列罪で警察行きも確定です。あまつさえその格好で女子寮に侵入するとなると、わたくしを含め、女子寮生に対する精神的苦痛がいかほどかははかりしれません。その程度のことは理解して頂かなければなりません」
「ふふ、そうか。まだ時代が僕についてきていないということなんだね」
グミの淡々とした説明に、裸マフラーはキザったらしく髪を掻き上げた。そんな姿で格好つけられても、吐き気以外のものが出てくるわけがない。嘘だ。吐き気以外にも他にいろいろと出てくる。例えば殺意とか。例えばすさまじい怒りとか。
「……?」
あれ? グミは普通にこの変態に話しかけていたような気がするけど、もしかしてこいつが誰なのか知っているのかしら?
そう思って困惑の視線をグミへと向けると、グミはしまった、という風にうつむいた。あやしい。
「そういうことなら仕方がない。世界が認めてくれないというのなら、僕はただ自分のために、我が道を行くとしよう!」
「開き直るな!」
思わず叫ぶ。我が道を行くって、それってつまり変態行為を貫き通すってことじゃないか。ありえない。最悪だ。一刻も早く、いや、一瞬でも早く刑務所……よりもむしろ地獄に行け。
「るか」
「はっ、御館様」
「手段は問いません。なんとしてもこのクズを仕留めなさい」
私の指示にも、なぜか及び腰の忍者。
「あ、いや……ですから、拙者は男の相手は……」
「……使えないわね」
「お嬢様。自重下さいませ。声に出ております」
「はっ」
グミの言葉に、私は慌てて口を押さえる。が、もう遅かった。私の隣で忍者がうずくまる。呆然とする三年生の目の前で膝を抱えてしゃがみ込み、「の」の字を書き始めていた。その姿に、思わずため息が出た。そのため息も、るかにはかなりのダメージだったようで「ぐはぁっ」とか言っていた。そんな台詞を吐く余裕があるなら、さっさと目の前の裸マフラーをなんとかして欲しい。
「さて、そちらが動かないのなら、こちらから動かせてもらうとしようか!」
「あ、こら。やめなさ――」
私の言葉で止まるはずもなく、裸マフラーがそのウルトラマリンブルーのマフラーをひるがえす。が、なぜかやはり異様なまでの不自然さでマフラーの先端は下半身の一部で固定され、そこが私たちの目に映ることはなかった。もしかすると、そのマフラーには命が宿っているのかもしれない。それはきっと、その超級の変態に残された唯一の良心なのだろう。
「とうっ!」
ふざけたかけ声とともに、裸マフラーがベッドから飛び降りる。が、そいつの跳躍力も半端ではなかった。そいつはベッドから先輩、るか、私、グミすらも飛び越し、開け放たれたままの向こうにいる袴四人衆の中央にまで跳んだのだ。
……もしかして、変態は身体能力が高いというのは決まり事なのだろうか。だとしたらあんまりだと思う。
「そいつを逃がさないで!」
『はっ!』
突然のことにも、袴四人衆の反応は早かった。実にすばらしい動きで薙刀と竹刀が舞い、四人に囲まれた裸マフラーに殺到する。
だが、しかし。
すさまじく不愉快なことに、すさまじく不本意なことに、すさまじく認めがたいことに、裸マフラーの動きもまた速かった。というか、もはや謎だった。
裸マフラーの両手が、なんとも表現のしようがない異様な動きで袴四人衆の周囲を駆け巡る。と、裸マフラーに殺到しかけていた薙刀と竹刀が次々と取り落とされ、同時に四重の悲鳴が響き渡った。
「白、白、ピンク、黒か……。いや、実に素敵だ」
いつの間にかその手に握っていたものの色を確認し、裸マフラーの顔がゆるむ。
なにをどうやったのかはまったくわからない。だが、その変態の両手に追加された四着のブラジャーを見れば、なにが起きたのかは明白だった。
あろう事か、袴四人衆が身につけていたその下着を、今の数瞬で抜き去ったというのだ。物理的に不可能なことをあっさりと実現させてしまうとは、これほど恐ろしい変態も類を見ないかもしれない。
「るかッ!」
全身の血液が沸騰してしまいそうだった。これ以上この変態の好きにさせておくわけにはいかない。現時点でさえこの私、巡音ルカ最大の失敗だというのに、これ以上被害が出ようものなら、私はもうこの学園で生活する資格すら失ってしまうといっても過言ではない。なんとしても、ここでやつの蛮行を終わらせなければ。
「はっ、お、お館様……」
「報酬を上乗せするわっ。なんとしても、奴を止めなさい!」
「上乗せ……お館様、それはもしや、替え玉も頼んでいいということござるか?」
おそるおそるそんなことを聞いてくるるかは、こんな時でも安定して馬鹿だった。その馬鹿さ加減にイライラする。
「そんなもの、二つでも三つでも頼んであげるわよ!」
「替え玉三つ!」
「なんてかわいそうな子……」
驚愕の声をあげるるかに、グミが小さく涙を流した。……うん。替え玉三つ追加するのがそれほど衝撃的かといわれると、そこは確かに激しく疑問だ。替え玉なんて、せいぜい一玉百円とか、高くても二百円くらいだろうに。
「トンコツ醤油ラーメン、ニンニク大盛り、替え玉三つ……ああ! ようやく、ようやく拙者の仕事ぶりを理解してくれる人が現れたでござる……! 先代、拙者が先代の悲願を、一族の再興を成し遂げてみせるでござる……!」
「……」
「……」
思わず私はグミと顔を見合わせた。
この調子では、るかの一族が再興できるのは数十世代後になるだろうな。別にるかの一族のことなんてどうでもいいのだけれど。
「るか、行きなさい」
「御館様、承知したでござる!」
復活したるかは、すっと立ち上がると、またもどこからか物理的にどこにも隠せるはずのない、五〇センチ四方はあろうかという大きな十字手裏剣を取り出すと、振りかぶった体勢でポーズを決める。そして、私とグミ、そして袴四人衆の隙間を縫い、裸マフラー目がけてその手裏剣を投擲した。
「くらえッ、風魔手裏剣でござるッ!」
余談だが、ポーズを決めたところを完全に無視したら、あとでるかに泣きつかれてしまった。
正直、死ぬほどうっとうしかった。
Japanese Ninja No.1 第10話 ※2次創作
第十話
前回の報酬に替え玉が入っていなかったのは、この流れがあったからです。忘れていたわけではなかったのです。
それはそうと、8~9話くらいで、前作「ACUTE」の文字数を超えていました。下手をすると「ロミオとシンデレラ」の文字数も超えてしまいそうでびくびくしています。
「AROUND THUNDER」
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