UVーWARS
第三部「紫苑ヨワ編」
第一章「ヨワ、アイドルになる決意をする」
その19「三者面談」
わたしの頭の中は、料理のことでいっぱいだった。
夕方、学校から帰ると、母はてぐすねを引いて待ち構えていた。
材料を揃え、昨日は八宝菜、一昨日はオムライス、今日はチャーハンだった。
料理がちょっと上手くなれて、うれしいけど、今はそれどころじゃない。
十二月二十四日は、UTAU学園の実技試験の最終日だ。あと一週間で。
試験に参加できなかった場合、その年の受験の機会はそれで終りになってしまうのだ。
こんな大事なことが、母にとってはもう関係のないことになってしまった。
「アイドル」になりたい、と云うことは今や最低の職業に自らなろうとしている変人、を通り越して変態の所業らしい。
学校では、友達に聞かれたら、どの高校に行くかは決めていないと、答えている。まだ自分が何も始めていないのに、UTAU学園の話をするのもおかしいと思ったから。
とはいっても、親の前で啖呵を切った以上、後には引けない。アイドルになるということが、どれだけ大変なことかは分かった。まだ漠然とだけど、アイドルの先に何かがあるような気がしていた。
でも、テトさんやユフさんと一緒に仕事ができたら、漠然としていても、何か形になると思った。
ああ、上手く言えないけど、パパやママがなんと言っても、わたしはUTAU学園に行く。それだけだ。
と、誰も聞いていないのに決意表明しているのは、今日、十二月第三月曜日が進路相談の三者面談の二回目にして、最終決定日だから。
今日の話し合いで、先生はそれぞれの高校に提出する書類を用意する。
公立高校に行く振りをしていたわたしは少し心が痛んだ。
その三者面談の初日、クラスで最初が、わたし。昼の三時からで、わたしは先に家を出るけど、母も朝から準備万端、化粧も着替えも済んでいた。
心の中で、母が先生とタッグを組んで、わたしにUTAU学園を諦めさせようとしてきたらどう対処しようか、ずっとそれだけを考えていた。
「そうか。紫苑さんも、私立専願か」
その時の先生の声はあっさりしていた。
「UTAU学園、ね。新設だが、設備の整ったいい学校らしいな」
先生の目がわたしの心を覗こうとしていた。そんな目だ。
「紫苑さんは、そこで何を目指すのかな」
正直に「アイドルを目指します」と言ってもいいし、「落語家です」とか「アスリートです」とか言って煙に巻いてもいいかもしれない。
でも、まだ何も形になっていないのに、大きなことは言えなかった。
「わかりません」
わたしの正直な気持ちだった。
先生と母は意表を突かれて目を見開いた。
「でも、これだけは言えます。例えて言うなら、わたしが目指すところは、とても険しい山の頂上です。おそらく誰も登ったことがない。だからこそ、やりがいもあります」
先生は一度だけうなずいた。
「そのために、UTAU学園に行く、と」
先生は手元のノートに何か短い単語を書き込んだ。
「はい。これだけは譲れません」
先生は、母の方を向いた。
「お母さんは、それでよろしいんですね?」
母は淡白に答えた。
「娘の言うことは尊重します」
ええ。うそ。びっくりした。そんなことを言うなんて思ってもなかった。
じゃあ、今までは何だったの、って聞きたくなったけど、先生の前だから自重した。
「わかりました」
そう言って先生はノートを閉じた。
「私からは特に申し上げることはありません。頑張って受験の準備をしてください。万一、受験校の変更を希望されるのでしたら、一月十三日までにご連絡ください」
母が静かに席を立った。そして、先生に一礼した。
「ありがとうございました」
母の顔は能面のように冷たくて、穏やかだった。
「それでは、失礼します」
踵を返す母を見て、ようやくわたしは席を立つことができた。
〔お母さん、待って〕
一瞬、先生に挨拶を忘れそうになった。
「先生、失礼します!」
そそくさと一礼して、母を追いかけた。
今日はもう授業も終わった。母と一緒に帰るのは気恥ずかしいけど、三者面談がスムーズに終わったのは母のお蔭かなと思って、一言、ありがとう、が言いたくなった。
その母になかなか追い付けなかった。追い付いたのは、校門を出たところだった。
「ママ」
立ち止まってくれたけど、振り向いてはくれなかった。
横に並んだとき、母の表情は複雑だった。
わたしより少し背の低い母は、並ぶと少し見下ろす感じになる。小学校を卒業する頃はまだ母の肩ぐらいの身長だったのに、中学生になった途端、母をあっさり追い抜いた。
こんなところに時の流れを感じてしまう。ちょっとおばさん臭い、かな。
「ママ」
「あなたはあなたの生きたいように生きればいいのよ」
ニュアンスが少し違う。わたしを認めてくれた訳ではないみたい。でも、言わなきゃ。
「ママ、ありがとう」
慎重になって、声が小さい。
「あなたはまだまだ子どもなのね」
母の声も小さくて聞きにくかった。
「ヨワ、まだよ」
何のこと?
母は呆れたのか諦めたように頸を振った。
「違うわね。あなたはスタートのピストルが鳴ったのに、何が起きたのか分からず、辺りを見回してる。もう、みんな、走り出しているのに」
母のわたしを見る目が真っ赤になっていた。
わたしは何を言えばいいのか判らなかった。
何だかもやもやする。
家に着くまで、結局、母とは何も話さなかった。
家に帰ると、兄がいた。珍しい。仕事はどうなさったんでしょう、お兄さま?
「今日は午後有給休暇。そんな不思議そうに見るな」
兄はテーブルの上の箱を指さした。
「買ってきたよ」
母は表面上、笑顔を見せた。
「あら、ありがとう。本当にあったのね」
「こんな旧型、どうするの?」
「もちろん、個人情報保護よ」
「…」
兄は箱から機械を取り出した。小型のシュレッダーのようだった。
母と目が合った。早く部屋に行け、と言っているような視線だった。
わたしはそそくさと部屋に向かった。
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