朝から雨が降っていた。
しとしとと弱い雨だが、同じ調子でずっと降り続いている。
空は均一な灰色の雲に覆われ、当分やむ気配はない。
朝食のテーブル。
ミク、ルカ、リン、レンの四人が食卓を囲んでいる。
「ルカ姉、今日あたしが夕飯作っていい?」
フレンチトーストをかじりながらリンが聞いた。
「いいけど、何作るの?」
「パエリア」
ふーん、とルカは思った。
この前、リン使いで有名な四葉Pに、録音のあと食事に連れてってもらったと言っていた。
そのとき食べたパエリアがすごく美味しかったのだそうだ。
自分でも作ってみたくなったのだろう。
「いいわよ。レシピ分かる?」
「うん、ネットで調べた。後で材料買ってくるね」
食事は普段ルカが作るが、彼女がいないときはリンが炊事当番だ。
リンは元々何でも器用にこなすし、ルカが仕込んでいるので基本的な料理はそつなく作れる。
そして、女子力アップのため、時々は手の込んだ料理に挑戦するのだ。
料理の腕前がジャイアンレベルのミクとは、雲泥の差である。
☆
夕方。シンクにパエリアの材料がずらりと並ぶ。
あさり、イカ、エビ、トマト、玉ねぎ、パプリカ……。
エプロンを着たリンの後ろから、ミクがのぞきこむ。
「ミク姉、美味しいの作ってあげるから、待っててね」
「ネギ入んないの…?」
「入れないわよ。ネギ食べたかったら自分で何か作って」
リンがテキパキと下ごしらえを始める。
手早くイカをさばき、慣れた手つきでトマトの皮を湯剥きする。
十四歳とは思えない手際の良さだ。
リンの邪魔にならないよう小さくなりながら、ミクがたどたどしい手つきでネギを切る。
リンがフライパンにオリーブオイルを引き、玉ねぎを炒める。
続いて魚介類。食欲をそそる香りが広がる。
ミクが調味液を準備する。茶碗に醤油とみりん、酢を目分量で入れる。
リンがフライパンに米とスープを投入する。
サフランを入れると、タンポポのような温かみのある黄色に米が染まった。
リンの横で、ミクがネギを炒める。
ネギがしんなりしてくると、先ほどの調味液を加えた。
ジュワーッという音と共に酸っぱい匂いが立ち上る。
「…ミク姉、これ酢の匂い? 入れ過ぎじゃないの?」
「ちょっと多目がいいんだって」
スープが沸騰してきたので、リンが火を弱くする。
後は水分を飛ばすだけだ。
ミクは不器用な手つきでフライパンをあおっている。
リンは心配げな顔で姉の調理を眺めていた。
☆
夕飯の食卓に四人が揃う。
テーブルには二つの皿が並んでいる。
色鮮やかなパエリアが盛り付けられた大皿。
色的にはかなり地味な、ネギの煮付けの小皿。
戦わずしてネギが敗色濃厚だ。
「美味しそう。頑張ったね、リン」
ルカが感心する。
「エヘヘ」
リンが皆にパエリアを取り分ける。
「いただきまーす」×4
スプーンですくったパエリアを一口食べるなり、ルカはアレ?という顔になった。
水分が抜けきっておらず、ライスがベショっとしている。
それに、魚介類の生臭さが残っている。
食べられないほどではないが、はっきり言って不味い。
チラっと周りを見ると、レンもミクも食が進んでいないようだ。
リンはというと、額に斜線が入って絶望した顔をしている。
「…いいよ、みんな…無理して食べなくても…」
怪談でも話すような声でリンが言った。
慌ててレンがフォローする。
「リ、リン、大丈夫だって。イカがさ、ちょっとアレなだけで、あとは良く出来てるよ!」
「でも…ご飯もベタってしてるし…」
「初めて作ったのに完璧に出来るわけないでしょ。後でコツ教えてあげるから、そんなに凹まないの」
ルカが慰めてもリンはますます落ち込んでいく。
ミクの料理がひどいと笑い飛ばせば元気も出るだろうかと思って、ルカはネギを一本、口に放り込んだ。
思惑は外れた。ルカは思わず「美味しい…」とつぶやいてしまった。
醤油とみりんだけではくどい味になってしまうだろうが、多めに入れた酢がさっぱり感を出しているので、実にさわやかな味わいだ。
それに、ネギを炒めるのに使ったバターが、味にアクセントを与えている。
「ミツカンが酢を使った料理を募集して、賞を取ったレシピなんだって」
ミクが言った。なるほどとルカは思った。
レンもひと口食べる。
気を使って表情に出さないようにしているが、美味しいと思っているのはバレバレだ。
みんなの様子を見て、リンもネギに箸をつけた。
目の前に持ってきてしばし眺め、口に入れる。
ひと噛みするなり、ガーンという音が聞こえそうな表情をした。
悔しさにリンの顔がゆがむ。
リンは負けず嫌いなので、持ち歌の数やキャラクターグッズの売り上げで大きく水をあけられているミクに、対抗心を持っている。
人気に関しては差が大き過ぎて敵うべくもないが、それだけに得意分野で負けるのは何より悔しいのだ。
☆
気まずい夕食の後、リンは部屋にこもってしまった。
皆の食器をルカがシンクに持っていく。
残ってしまったパエリアは、仕方なくゴミ箱に捨てた。
悲しそうなリンの表情を思い出すと、胸が痛む。
食器を洗いながら、傍らのミクに話しかける。
「ミク、悪気はないとはいえ、あなたもタイミング悪いわね」
「ゴメン…。リン、可哀想だったね」
「洗い物終わったらフォローするけど、何て言ったら…」
ガチャッとドアが開く音がした。
暗い顔のリンがキッチンに来て、ミクに携帯電話を差し出す。
泣いていたのか、目が赤い。
「…四葉Pさんから。ミク姉に代わってって…」
空気が張り詰めた。リン使いの四葉Pをリンは尊敬し、慕っている。
ミクが携帯電話を受け取る。ルカは不安げに見守っている。
「…もしもし、お電話代わりました、ミクです。はい、え? 今から? …はい、えーと、いえ、都合悪いんじゃないですけど、…分かりました。では、後ほど」
携帯電話を切ってリンに返す。ミクの顔がこわばっている。
「…ミク姉、四葉Pさん、何て…?」
ミクは躊躇ったが、ごまかすわけにもいかない。
「…歌って欲しい曲があるから…今から来てって…」
リンの顔から、すっと血の気が引いた。
☆
リンはまた部屋にこもってしまった。
すすり泣く声がドアの外まで漏れてくる。
「…悪いことってどうしてこう重なっちゃうのかしら…落ち込んでるときだったから四葉Pさんに捨てられたと思っちゃったのね」
ドアの前でルカが溜息をつく。
「あたし…どうしよ」
不可抗力なのだが、すまなそうな顔のミク。
「ミクはPさんのとこ行ってきなさいよ。ボーカロイドが歌の依頼断るわけにいかないでしょ」
「行くけど…。ねえ、あたし、四葉Pさんに会ったことあるんだけどさ、とっても優しい人で、リンのことすごい気に入ってんの。リンが心配してるようなこと、絶対無いと思うよ」
「そう…。でも今は話しかけられる状態じゃないしね。あなた早く行ってきなさい。リン、たぶん朝まで出てこないわよ」
「…そうする」
ミクは支度をすませると、傘を差して出かけて行った。
ルカは時々ドアの前で耳を澄ませ様子をうかがっていたが、十時を過ぎたころからは物音が聞こえなくなった。
「泣き疲れて眠ちゃったのかな…明日少しは元気出てればいいけど…」
鍵も掛かってるし、もうできることはない。
「…しょうがないな。あたしも寝よ」
☆
(後編に続きます)
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☆
深夜二時。ベッドでリンがふと目を覚ました。
枕がぐっしょりしている。
(…そっか、泣きながら眠っちゃったんだ…)
パエリアと四葉Pのことを思い出して、胸がチクリとした。
…喉渇いた。
リンはもそもそとベッドから起き上がった。
常夜灯だけがついた薄暗いキッチン。
...ラノベにおけるおかゆの効果について(後編)
ピーナッツ
二月の札幌。
例年寒くなる時期だが、今年は特に冷え込みが厳しい。
一番早く起きたルカがストーブに火をいれる。
「…冷えるわね。あ、雪すごい積もってる」
ミクやリン、レンも起きてきて、みんなで朝食のテーブルを囲む。
今日はホットケーキだ。
「レン、出てきた? ウミウシ婆ばあ」
メープルシロップをかけな...双子だからって裸はダメ!
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(前編からの続きです)
「…ミク、ジェンダーとか勝手にパラメータ変えてない?」
スーパーセロPの自宅。
シンセサイザーやミキサーなど音響機器が所狭しと並んだ部屋で、ミクは新曲の調教を受けていた。
いつもより手こずるので首をかしげていたセロだが、どうやら原因に気が付いたようだ。
勝手をしていたのがばれ...「ルカ、おっぱい揉んで」(後編)
ピーナッツ
ミク、ルカ、リン、レンの四人はクリプトンから与えられた立派なマンションに住んでいる。
リビングの隣には防音のレッスンルームがあり、音響機器が一通り揃っているばかりでなく、結構な広さがあってダンスのレッスンもできるようになっている。
今日はミクとルカが新曲の振り付けを練習している。
「ねえ、ルカ、腰の...「ルカ、おっぱい揉んで」(前編)
ピーナッツ
昼下がりのリビング。けだるい時間が流れている。
リンとレンは新曲のレコーディングに行っていて、ミクとルカが家に残っていた。
二人は長いソファの左右に座って、ルカはファッション雑誌を、ミクはテレビを見ている。
ミクが全然テレビに集中していないことに、ルカは気付いていた。
視線がときおり自分に向けられる...ルカ、キスしたことある?
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ミクと鶴田社長、幸子夫人は固い握手を交わし、工場を後にした。
社長と夫人はミクとレンの姿が見えなくなるまで、何度も頭を下げ、手を振っていた。
「ミク姉、いいの? あんな大金貸しちゃって?」
大通りでタクシーを待ちながら、レンが聞いた。
「大丈夫よ。鶴田社長、いい人だったでしょ」
「いい人だとは思うけ...初音ミクの再建 ~ネギ煎餅の北斗製菓を救え~(後編)
ピーナッツ
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