「ただいまー」
「お帰り。姉ちゃん、コンデンスミルクってあったっけ」
「へ?」
「なかったら練乳でもいいけど」
「レン、何やってんだ?」
買い物帰りの荷物をキッチンの床に置き、バタバタと忙しなく動き回る弟に、カイトは呆れたように声をかけた。
メイコと2人で買い物に出かけ、留守番はレンとリンの2人だけだったはず。またリンにお菓子でも作ってとねだられたのだろうか。シンク前のテーブルには色鮮やかなイチゴのパック、砂糖の瓶や牛乳、ミキサーなどが並んでいる。
「お客さん」
冷蔵庫に顔を突っ込んだまま、レンがリビングを指さす。つられて顔を向けたカイトは―――えっと目を見開いた。
ソファの向こうから覗く、小さな茶色の頭。綿菓子のような髪の毛がふんわりふんわりと楽しそうに揺れている。
「…ま―――、ま、ま、ま、まさ、まさか」
掠れた声で呟き、伸ばしかけた指先がわなわなと震え。
「まさか!まさか!!―――咲音ちゃ…ッ」
「あっ、メイコちゃんカイトさん、ひさしぶりー!」
振り返った笑顔は今にも花咲かんばかり。とろけるようなその声に、カイトの目からぶわっと涙がこぼれた。
「咲音ちゃあああああああぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!!」
「ひゃーカイトさん相変わらずすごーい」
ドドドドと地響きを唸らせてキッチンからリビングまでをダイブで一息に彼女に抱きついた熱烈な変態に対し、咲音メイコは驚くでもなく嫌がるでもなくされるがままに笑っている。

「ちょっとカイト!自分のアイスくらい自分で冷凍庫しまってよ!」
「ほっとけば」
怒るメイコに、レンはあっさりと言い放ってミキサーのスイッチをオンにした。
白いミルクと赤い苺がガラス容器の中で混ぜ合わされ、夢見るような可愛らしいピンク色に変わってゆく。
甘い甘い苺ミルクをそのまま少女という姿にしたような―――永遠のアイドル・咲音メイコ。



                      *



咲音メイコは、いわゆるMEIKOの『亜種』だ。本来のMEIKOのライブラリの中には存在しない。先に声だけがあり、ユーザーによって姿かたちが与えられた、実際のボーカロイドとは微妙に立ち位置の異なる人格である。
特に咲音はその強烈な存在感と話題性で独立したファン層を築いており、亜種の中でも限定された、特殊な地位にいると言っていい。
―――曰く、16歳のMEIKO。1年で姿を消した伝説のアイドル。そして彼女を信奉する『親衛隊』の存在が、その幻の軌跡を力強く後押しする。
『MEIKO親衛隊』とは、ユーザーやファンから発足したMEIKOファンの一部を表す名称だ。規律やマナーを重視した非常に紳士的かつ熱烈なMEIKO支持者の集まりで、その熱意は時に動画内外に熱いビッグウェーブを巻き起こす。彼らは今なお咲音メイコのお宝映像を発掘し続けており、彼女の写真集やレコードには、今やどれほどの値がつくか想像もつかないほどだとか。
…真実は闇の中だ。とりあえずメイコも咲音も、「なんかそういう感じ」という適当な括りで、お互いを認識しあっている。

「カイトさんダメですよーこれ以上はマネージャー呼んじゃいますよー?」
自分の膝の間に咲音を座らせ、後ろから抱きしめてスリスリと頬ずりするカイトに全く動じることもなく、咲音はほがらかに釘を刺した。
少し鼻にかかった、甘えるような媚びるような、それでいて凛とした強さとパワーを併せ持つキャラメル・ボイスは聞く者の耳を溶かし、その甘い毒牙にかかった者はなすすべもなく膝から崩れ落ちるしかない。
ここにいるカイトという男が典型例である。
「えーだってものすごい久々だよ咲音ちゃん咲音ちゃんかわいいよ咲音ちゃんマジ天使ハァハァ」
ますます高速になっていく頬ずりに、咲音はうーんとちっとも困っていない顔で苦笑する。
「もー仕方ないなーじゃあ呼んじゃいますよー?」
「誰?マネージャー?……ッ、いってぇ!」
突如後ろから脳天に振り下ろされた固い拳に、カイトは頭を押さえて背を丸めた。
その隙に鼻歌交じりでカイトの腕から抜け出し、手前のソファにちょこんと座り直す咲音メイコ。
涙目のカイトが後ろを振り返ると、一体いつからこの家にいたのか、茶色の髪に赤いジャケットを着こなしたメイコの性転換亜種―――メイトの姿があった。
「自重しろ変態」
「げ。うっわお前いつからいた」
「ずっといたよー?カイトくんのへんたーい」
「お前もか!」
そして当たり前のようにメイトの横からひょこっと顔を出したのは、青いケープをまとった小柄な少女、カイトの性転換亜種―――カイコだ。
相変わらずコイツらは人んちに許可なくぞろぞろと!カイトは頭痛を覚えて悪態をつく。もちろん咲音は別だが。
目の前のソファにお行儀よく足を揃えて座っている咲音メイコに目をやって、カイトは改めてデレデレと相好を崩した。
「咲音ちゃん久しぶりだねぇ。元気だった?」
「うん、カイトさんも元気だった?」
「元気だよ。超元気。一日一回は咲音ちゃんの音源必ず聴いてるよ」
リップサービスではなく本気の真顔である。
「わぁ嬉しいなぁ。ありがとう!」
咲音は両手を顔の前でパンと合わせて、可愛らしく小首を傾げて見せた。
「あたしの歌声で、少しでもカイトさんの心が明るくなってくれたらすごくしあわせ」
「幸せだよおおぉ!!!そりゃあもう!!!毎日溢れてこぼれて飛び出すほど元気もらってるよおおぉ!!!」
「ありがとう。あたしもそんなカイトさんにたくさん元気もらってるよ」
「ああああぁぁウギャアアアア咲音ちゃあああああぁぁあん」
またも感極まって飛びつこうとしたカイトのマフラーをガッと掴み、メイトは呆れたため息を吐く。首を絞められても尚ハァハァと荒い息でよだれを垂らさんばかりのカイトの様子には、仮にも自分がイケメン枠ボーカロイドであるという自覚など微塵も見当たらない。彼の心から楽しそうな様子を見ていると、『気持ち悪い』という常套句すら虚しいもののような気がしてくるからカイトも咲音もさすがだ。
…永遠のアイドル、恐るべし。

「咲音ちゃん、のど乾いてない?お腹すいてない?お菓子の一つも出さないなんてひどいよね、オレの愚弟がごめんね、あのバナナほんと気が利かなくってさ」
言い終わる前に台所からバナナが飛んできてカイトの後頭部に気持ちよくヒットした。
「黙れクソ兄貴。今もってくから大人しく待ってろ」
「こらぁレン。食べ物投げちゃダメでしょ?」
「兄貴が喰えば問題ないだろ」
メイコに怒られ不愛想に言い訳したレンの言う通り飛んできたバナナをもぐもぐ食べながら、カイトはそういえばと口を開く。
「今日はどうしたの?咲音ちゃん。なんか用事あった?」
「ううん。そういえばずうっと顔見てないなぁって。思ったら寂しくなっちゃって、いきなり遊びにきちゃっただけなの。ごめんなさい、びっくりしたよね?」
「いいんだよおおおぉううそんなの別にいぃぃ咲音ちゃんがメイコのいる家に遠慮なんかする必要ないんだよおぉ」
「おい、じゃあ俺らはどうなんだ」
「お前らはまず人んちのチャイムを鳴らすという常識を覚えろ」
「ひどいひどい!差別だ差別!めーくんもカイコも君たちの亜種だというのに!」
チャイムなんかあったっけと首を傾げるメイトにあるに決まってんだろ!と怒鳴り、カイコに背中をバシバシバシバシと叩かれながらカイトは重ねて尋ねる。
「ミクオとかピンクいのとか黄色いのは?」
「今日ミク仕事だろ」
「うん」
「あの緑が来ると思うか?」
「来ないね」
「あとのは用事だとか仕事だとか」
「まーいいけどさ。でもな、お前ら来たら一挙に大所帯なんだからせめて連絡くらいはしろって」
「別にいいよ、いつ来てもらっても」
カイトの言葉を遮ってリビングに足を踏み入れたレンは、持ってきたトレイをテーブルに置いた。
「でもやっぱ、事前に連絡もらえるとやっぱありがたいかも。好きな物とか、用意しとけるし」
そう言いながらハイ、と咲音に渡したのは、トロトロにほぐれた苺とミルクを混ぜた、作り立ての苺ミルクだ。コンデンスミルクと砂糖の調整により、とびっきりの甘さに仕上げてある。
咲音はわあぁと歓声をあげながら大きな目をキラキラと輝かせて見せた。
「嬉しい!あたし大好きなのいちごミルク!おいしそう、ありがとうレンくん!」
「たまたま材料あったから。でも、こういう時のために、来るときは連絡あった方がありがたい」
あっさりと言って、レンはそのままコーヒーだのミルクセーキだのアイスティだの、それぞれの嗜好に合った飲み物をカイトたちの前に並べていった。
そもそも、咲音を迎え入れたあととりあえずメイコとカイトが帰ってくるまでの間繋ぎとして「コーヒーでも飲む?」と聞いたところ、「あたしね、いちごミルクが大好きなの!」と言ってのけた無敵のアイドルスマイルに、誰が否と言えただろうか。
もちろん彼女は「だからそれを作れ」とは一言も言っていない。しかしそう告げられた瞬間にいそいそと冷蔵庫を漁り、苺を見つけてよーしなんとか申し付けを守れそうだ、と安堵したあたり、レンも大概召使い体質である。
こくりと一口のどを通し、大きな目をさらに丸くして、咲音はひまわりのような笑顔を咲かせた。
「おいしい!すごいねレンくん、素敵なお嫁さんになれるね!」
「なんで!俺男だから!てかそれ混ぜただけだから!」
「ねえ、お礼に今度、私にバナナ・オレ作らせて?あたしもレンくんほど上手じゃないけど、甘いもの作るの好きなんだ」
琥珀色の瞳の中には、キラキラと光る星が瞬いている。レンは咄嗟のツッコミをのみこみ、わずかに頬を赤らめて「…機会があれば」とボソリと返した。
「おい待てレン!何オレの許可なく勝手にフラグ立ててんだゴラァ!!」
わなわなと拳を震わせ勢いよく立ち上がるカイトに、レンは視線すら向けず適当に呟く。
「立ててねーし兄貴の許可いらねーし」
「ダメだぞ!お兄ちゃんは許しませんよ!レン×咲とか認めませんからね!?」
「カイトさんにも今度作ってあげるね、咲音の手作りバニラアイス」
「さきねちゃんのてづくりばにらあいす!!!」
立ち上がった次の瞬間には叫んで床にどうっと倒れるカイトのオーバーアクションっぷりに、気を配る者はもはやいない。あっぶねーな、と避けたメイトに足蹴にされる始末だ。
「めーちゃん!なんかない!?咲音ちゃんにおやつ!ケーキとかケーキとかケーキとか!」
「ないわよ。それより自分でアイス仕舞ってってば」
「もおおぉぉ気が利かないなあぁぁ!!てかレンお前もさー!咲音ちゃん来てるならオレらにメールの一つでも寄こして知らせろよ!そしたらスイーツをこの両手いっぱいに抱えて帰ってきたのにさぁ!!」
そうなるから敢えて兄貴には言わなかったんだよ、と心の中で呟くレンであった。



                     *



…じゃあカイ×咲はオッケーだとでも言うつもりかしら。
戻ってくる気配のない長男のアイスを袋ごとぞんざいに冷凍庫に突っ込み思いっきりバタンと扉を閉めながら、メイコは一人ごちた。
まったく、あの暴走男は。舞い上がっちゃってみっともない。気が利かなくて悪うございましたわね、あとで覚えてなさいよバカ。
ぶつぶつと文句を言いながら夕飯の支度をはじめる。人数が増えたから大変だ。下ごしらえを始めようとすると、ふいに背中から服の裾を引っ張られてん?と振り向いた。
「あら、どうしたのリン」
見下ろすと、わかりやすくぶすっと頬を膨らませた妹が、小さな子供のようにメイコの服を掴んでいる。
「…めー姉おかえり」
「ただいま。部屋にいたの?」
うん、と頷く。
そういえば帰ってきた時からレンと咲音はリビングにいたものの、レンと一緒に留守番をしていたはずのリンの姿は今の今まで見なかった。
ぷっくりと膨れたほっぺたにメイコはそっと笑みを浮かべ、元気のないリボンごと頭を撫でる。
「お兄ちゃんにおかえりなさい言った?」
途端にますます頬を膨らませ、ううん、と首を横に振る。
「…カイ兄リンのCD買ってきてくれるって言ったのに」
「あぁ、そうだったわよね。ショップには寄ってたけど買えたのかしら」
メイコは思い出し首を傾げる。
リンをこよなく愛するマスター達による鏡音リンオンリーの豪華なCDが本日発売ということで、リンがえっへん!と大イバリしてみせるとカイトは「そうかそうかさすがリンだなぁ」と彼女を褒め称え、「じゃあ可愛い妹の晴れのCDはお兄ちゃんが一番乗りでゲットしてくるな」、と出かける前に調子よく宣言していたのだ。
それなのに、今現在の彼はというと。
リビングにちらりと目を向け、メイコは苦笑する。
「…カイトに聞いてくる?」
「やだ。カイ兄キモい」
そればかりはフォローのしようがない。
リンのすねた瞳にじわじわと湧き上がる涙。
「…リンのCD」
「……」
「…カイ兄のばか」
ボソリと呟き、ぎゅうと抱き着いてくる妹の頭をよしよしと撫でながら、メイコはため息をついた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【カイメイ】 咲く花、春の音

*前のバージョンで進みます。全4Pです*

春ですねー…
遅れましたが、5月5日はMEIKOの日!
その日にかこつけて登場しまくる亜種組と、隙あらばメイコさんとイチャイチャしたがるカイトさんと、相変わらず巻き込まれるクリプトン一家のドッタバタです。ドッタンバッタン=3
気楽に読んで頂いて、ちょっとでも笑顔になって頂ければ嬉しいですヽ(・∀・人・∀・)ノ
咲リンくれ!!レン咲でもいい!!そしてメイ咲メイを!!!あとカイメイくだs

注意事項:メイカイ(メトカコ)、レンリン、クオミク?の要素がわずかながら含まれています。ものすごくカイトさんがうるさウザいです。あっと思われたらすぐに回れ右して下さい。すみません…

閲覧数:770

投稿日:2014/05/16 00:58:28

文字数:5,376文字

カテゴリ:小説

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