聞こえる?
 生きている音が。

 その人が再び僕のところを訪れたのは、もう星が瞬き始めるころだった。
 昼間にも来たのに、夜になって町を出てくるなんて、怪しすぎる。
 僕の警戒もよそに、その人はのんきに湖で足を洗っていた。どうやら、今夜はここに居座るつもりらしい。
「昼間は驚かせてしまったみたいだね」
 ぱしゃりと水を跳ねさせて、その人は僕を振り返った。
 ほとんどは、頭に巻いている手ぬぐいで見えない状態なのだが、青い髪が、太陽の下で見るときよりも色濃く感じる。瞳の色も同じで、夕闇に包まれる瞬間の一瞬の空の色と似ていると思った。
「妙に素直に話してくれるんだな、とは思っていたんだけど」
 僕はいきなり現れたこの人を幻だと勘違いしたまま、いろんなことを答えてしまったようだ。ぼんやりとしていたので良く思い出せない。
「そんなに警戒しなくても、俺は何にもしないよ」
 そう言うと、湖から上がり、まだ冷たかったな、などと独り言を呟く。
「…どうしてまた来たの?」
 僕は木の陰に隠れて一定の距離を保ちながら、その人に尋ねた。
「ん?ああ、本当はもう少し後にまた来る予定だったんだけど、町の茶屋で甘味を食べ過ぎてしまってね。うっかり宿代も使い込んでしまって…路地裏で一晩過ごすわけにもいかないし、夜に芸をしてお金を得るには少し危険が伴うし。そこで、まあ予定よりも早いけど、この山で一晩過ごそうかと思ったんだ」
「『鬼の子』の住む山で…?」
 そう聞くと、その人は少しうなって、僕に手招きをした。
 湖の中で立つ青い人は、笑って、何にも考えてない顔をしていた。だから、おずおずとその人の近くのほとりに出てきてしまった。
 その人は、ゆっくりと頭の手ぬぐいを外した。
「『鬼の子』の住む山じゃない。――これで、『青の鬼』のいる山だ」
 手ぬぐいの下。その人の頭には角がはえていた。
 そう微笑むと、呆気にとられている僕の頭を、大きな手で撫でた。
「君は幸せ者だな」
 風になびく青い髪の下で、確かに角はしっかりとはえている。
 それ以外は『人間』と変わらない。僕やりんのように。
「『青の鬼』……?」
「そう。俺も鬼だ」
 大きな手はやや乱暴に、頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「生きて…る」
「ちゃんと生きてるよ。君も、俺も」
 僕の頭の中はいろんな考えが爆発していて、何を言っているのか自分でもよく理解できなかった。
「でも『鬼』には『人間』が必要で……」
「俺は『人間』の中で生活をしてる。歌を歌って、楽器を奏でて、時にはそれを『人間』に教えたりして。そうやって生きてる」
「生きるためには、名前が必要で……」
「もちろん。俺にも名前があるよ。『青の鬼』なんて名乗るわけにもいかないし。『人間』の社会で生きるには名前がないとあまりに不便すぎるからね。じゃなきゃ、宿にも泊まれないよ」
「でも、りんは消えてしまって……」
「『黄の鬼』を勤めた子か――ごめんね」
 その人は、僕に近付くと悲しそうに俯いた。
「りんは…消えて……」
「うん。ごめん」
「僕が名前を覚えていても、駄目だった。『鬼の子』じゃ、出来なかった。僕は、僕のためにりんに生きて欲しかった……星空はどうやっても手が届かなくて、りんが消えてしまったあの日の夜空も、たくさんたくさんお願いしたんだけど」
 ぱしゃりと水音がして、ようやく僕はその人の首に抱きついていることが分かった。
「大切な子…僕の、友達だったんだ……」
 その人も、優しく僕の背中に手を伸ばして、なだめる様に撫でてくれた。
「ごめんね」
 その人がなんで謝っていたのかわからないけど、低く呟く声がひどく安心できた。
「もう、我慢しなくていいよ。俺はいなくならない。よく頑張ったね」
 優しくそう囁くものだから、今までのどに張り付いて出てこなかった言葉が次々と溢れ出す。
「僕は、ここにいる…生きてるんだ。だから、僕を見て!――僕はここにいるんだ!!」
 それは自分勝手な欲望だと思っていた。
「ごめんなさい」
 『人間』の子供じゃなくて。
 わが子を捨てるという責め苦を背負わせてしまった。きっと、今もお母さんを苦しめ続けている。
「ごめんさない」
 僕が『鬼の子』だから、りんを消してしまった。
 隣で微笑むりんに生きて欲しかったのに。
「ごめんなさい」
 『人間』じゃなくて。
 『鬼の子』で。
「ごめんなさい」
 ボロボロと涙をこぼして、縋り付く。
 口からはもう嗚咽しか出てこなかった。
 それでも謝り続けながら、僕はやっと、初めて会った日のりんの気持ちが分かった気がした。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい

鬼の子-その10-

読んで下さってありがとうございます。
無事に「鬼の子」、十回目を迎えることが出来ました!!
相変わらず分かりづらい文章ですが、何とか伝えようと頑張っております。
続き物なので、最初から見ていただければ、少しは分かるかと思います。

今回は、れん君の本音暴露です。
やっと喋れたね!!
謝られることはあっても、謝ることのなかったれんにとって、その言葉はきっと重いものなんじゃないかと思います。

原曲様ありがとうございます!!
孤守唄=http://piapro.jp/content/371rlchbw857ki6g
鬼と娘=http://piapro.jp/content/w47p6t7pgrvxjsgv

閲覧数:306

投稿日:2009/02/11 17:29:23

文字数:1,909文字

カテゴリ:小説

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  • 痛覚

    痛覚

    ご意見・ご感想

    いわし様がいらっしゃいました!!ありがとうございます!!
    かいとさんは『青の鬼』でした。
    町の茶屋で甘味つまんで宿代なくしたかいとさんです(笑
    でも、かいとさんだから可能な話だと思います。
    普通の人じゃ真似できませんよ(笑
    れん君の本音もそうですが、きっとかいとさんの気持ちも計り知れぬほどの重さがあると思います。
    黙って聞く。意外に難しいコトです。
    続き頑張って書きます!!

    2009/02/13 18:43:30

  • 痛覚

    痛覚

    ご意見・ご感想

    逆さ蝶様、いつもありがとうございます!!
    お察しの通り、かいとさんも鬼です。
    れん君の気持ちは複雑すぎて、でも純粋すぎて、たまに私の文章力がついていけなくなりますorz

    気に入ってくださった文章ですが…最初ありませんでした(笑
    投稿の途中に不意に思いつき、急いで書き足した言葉です。
    でもれん君の本質を表す大事な言葉だと思います。
    この作品は、なるべくその立場になって考えて文章を考えてあるので、その世界の臨場感を楽しんでいただけたら嬉しいです!!
    次回も頑張ります。

    2009/02/12 19:35:12

  • 痛覚

    痛覚

    ご意見・ご感想

    紅翼様、ご感想ありがとうございます!!
    いつも読んでいただけてるなんて光栄です。
    れん君の本音がやっと出ました!
    涙してくださったのならきっとれん君の気持ちも報われるでしょう。
    これからも頑張って、心の琴線に触れるような文章を書いていきたいと思います!!
    そこから何かを感じ取ってくださるのなら嬉しいです。
    続き、頑張って書きます♪ありがとうございました!!

    2009/02/12 19:21:30

  • 痛覚

    痛覚

    ご意見・ご感想

    おお!!たくさんのご感想ありがとうございます!!

    +KK様、いらっしゃいませ!!来てくださって嬉しいです♪
    不思議な世界観に引き込まれるだなんて(照
    ひたすら自分を責め続けているれん君を書いているのは私も辛かったりします。
    話に出てくる人物は自分の分身のようなものですからね。
    文章を書くのは、何でもチャレンジしてみるのが一番だと思いますよ。やって初めて分かることもありますし。
    私も、いろんなもの書いてたりしますし(笑
    お互いに頑張っていきましょう!!
    ご感想ありがとうございました!!

    2009/02/12 19:12:22

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