ニューヨーク行きの話が出た翌日、俺が学校から帰ってくると、意外な人がいた。
「初めまして」
「え?」
相手の顔を見て、俺はびっくりして声をあげた。……写真で見ただけだけど、この人は知っている。リンのお姉さんだ。
「ハクさん、ですよね? 引きこもっているって、聞きましたけど」
「あ、うん。今も表向きは引きこもってるんだけど、メイコ先輩に誘われて、時々こっそり外に出てるの」
いつの間にそんなことに……。俺がそう思っていると、台所から姉貴が出てきた。
「レンお帰り、ちょっとそこに座って」
姉貴に言われるまま、俺は居間の座布団に座った。この時刻に家にいるということは、仕事は休んだか早退したようだ。……少し申し訳ない気もする。
「ハクさん、リンはどうしているんですか?」
「相変わらず閉じ込められてるわ。あれ以来、どうもカエさんがずっと家にいるらしいから、どこかに引きずって行かれるということだけはないみたいだけど」
俺は、改めてリンのお父さんに対して吐き気を感じた。ところで、カエさんって誰だ。
「……カエさんって?」
「ああ、ごめん。説明足りなかった。お父さんの再婚相手で、あたしとリンの継母」
リンが、「お母さん」って呼んでる人か。名前で呼んでいる辺り、ハクさんとリンのお母さんの間には、かなりの距離があるらしい。
それにしても、ハクさんがここにいるということは、姉貴が呼んだんだろうが……。一体何のために? 俺が話をしたいのはリンであって、ハクさんじゃない。ハクさんに頼めば伝言は伝えてくれるだろうが、俺は、ちゃんとリンの目を見て話したいんだ。
「レン君、先輩から聞いたんだけど、リンと話がしたいんだって?」
「……はい。俺、ニューヨークに行くことになりましたけど、リンを見捨てたからじゃないってことだけは、ちゃんと話しておきたいんです」
俺はきっぱりとそう言った。これが一種の作戦「戦略的撤退」であることだけは、わかってもらわないと。
ハクさんは目を細め、それからこう言った。
「そのためなら、なんでもできる?」
「はい」
「は~、うらやましい話」
不意にそう言われ、俺はちょっと呆気に取られてしまった。一体何なんだ?
「あ、ごめんね。ちょっと、あたしとしても、思うところがあって」
思うところ……ハクさん自身は、同じ目にあって、つきあっていた相手から別れを切り出されたってことだろう。
「リンに会えますか?」
「あ、うん、レン君の頑張り次第になるけどね」
そう言って、ハクさんはくすっと笑った。
「レン君、うちに、忍び込む勇気はある?」
ハクさんが言い出したのは、要するに、暗くなってから、こっそりリンの家に忍び込めということだった。
「忍び込めって……俺、泥棒でもなんでもないですし、そんな技術ないですけど……」
「大丈夫」
ハクさんは、妙に自信ありげだった。紙を取り出して、そこに四角形を書き、一部にマークをつける。
「これが我が家だとするでしょ。で、ここが正門」
「……はあ」
「んで、この辺りに裏門があるの」
ハクさんは、正門のほぼ反対側辺りにまたマークをつけた。
「この裏門はコンピューター制御のオートロックなんだけど、外からはカードキーとパスコードで開けられるのよ」
えらくハイテクだな。お金持ちだから、セキュリティに気を使っているんだろうが……そんなもの俺にどうしろと。
考え込んでいる俺の前で、ハクさんは手元のバッグを開けた。
「はい、カードキー。で、こっちがパス」
クレジットカードみたいなカードをテーブルに置き、それから紙に数桁の数字の羅列を書くハクさん。……へ?
「なんで知ってるんです? それに、どうしたんですかこのカード?」
「メイコ先輩に誘われて、外に出るようになったって言ったじゃない? 気づかれずに出入りする方法を探していた時、裏門のことを思いついたの。それで、お父さんの書斎を夜中に家捜ししたら、案の定、カードキーは簡単に見つかったし、パスもその近くにメモが置いてあったわ。お父さん、変なところでいい加減なの」
いいのかそれで……。いや、この際、突っ込みいれるのはやめて、こいつをありがたく使わせてもらおう。
「それ、終わったら返してね。あたしが家に入れなくなっちゃうから」
「あ……はい、わかってます。あれ、俺がこれ使ってる間、ハクさんはどうするんです?」
俺が尋ねると、姉貴から「ハクちゃんは、その日はうちに泊めるから平気」という返事が返ってきた。ここで待機しててもらうのか。
「これで敷地内には入れるけど、問題が一つあって、リンの部屋には外から鍵がかかってて、その鍵はどこにあるのかわからないってこと。多分、お父さんかカエさんがずっと持ち歩いてるんじゃないかって思うんだけど」
そっちの鍵の管理だけはきっちりしてるわけか。……忌々しい。
ハクさんは紙の上の四角形の中に、もう一つ四角形を書いた。多分、建物だろう。それから、そこにもマークをつける。
「……ここが、今リンが閉じ込められている部屋。角だからわかりやすいと思う。で……」
少し離れたところに、ハクさんは小さな四角を書いた。
「ここね、物置なのよ。ここに脚立があるから、それを使えば二階のバルコニーに届くと思う」
「物置に鍵とかは」
「かかってない。どうせ庭道具しか入ってないし。十一時半ぐらいには大体みんな寝ちゃうから、それくらいの時間だったら、気づかれずに忍び込めるはずよ」
俺は、ハクさんが書いてくれた図面とパス、それから目の前に置かれたカードキーを眺めた。
……忍び込めば、リンに会える。リンと会って話をするには、これしかないんだ。
「いろいろ、ありがとうございます」
「言っとくけど、気をつけてね。多分みんな寝てると思うし、我が家には番犬とかはいないけど、万が一ってこともあるから」
「ところでレン、行くんなら例のもの、持って行きなさいよ」
姉貴がまた口を挟んだ。例のものってなんだ?
「例のもの?」
「この前、あんたがリンちゃんと妙なことになりかけた時に渡したでしょ」
……どうしてそういうことを言うんだよっ! 目の前にはリンのお姉さんもいるってのに。俺は思わず姉貴を睨んだが、姉貴は涼しい表情をしていた。
「姉貴、俺、リンとは話をしに行くんだけど」
そういうことをしに行くわけじゃない。
「あのね、レン。あんた、リンちゃんとはこの先、年単位で会えないのよ。それにリンちゃんはずっと閉じ込められてて、あんたにすごく会いたがってるの。そこへしばらく別れ別れになるなんて話を聞かされてごらんなさい。リンちゃん、全身全霊をこめてあんたにしがみつきかねないし、そうなった時、あんたの理性が持つ保証なんてどこにもないの。いいから、持って行きなさい」
どうしてそうあちこち気が回るんだよ……。とはいえ正論なので、俺は反論できなかった。
「後、何かリンちゃんに渡しておきたいものがあるんなら、それも持って行きなさい」
渡しておきたいもの、か……。
「ハクさん」
「何?」
「リンの指のサイズって、わかります?」
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水乃
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こんにちは、水乃です。
遂にレンは忍び込む事になるのか……成功するのかな。ドキドキしますね。
その後のレンのニューヨークでの生活も気になります。高校生だから、現地校に行くんでしょうか。それとも、日本人学校って高校あるんでしょうか。
ミュージカルもきっと見れますね。マンマミーアとか、オペラ座の怪人とか……そんなに詳しくないですけど。
お父さんに見つからなければ多分侵入は成功ですね。レンの頑張りを応援します。
それでは、続き待ってます。
2012/04/22 10:44:24