【ルカ】
物心ついたばかりの頃のわたしにとって、家の中全てが遊び場のようなものだった。
何しろ、うちは他の家よりも圧倒的に広かったし、色んな物が置いてあって興味のあるものは尽きなかった。けれど、離れにだけは近づくな、とお父さんからきつく言われていた。
しかし、子供にとってあれをするな、これをするな、ということは逆に興味をそそることで、お父さんが各国を巡り、母さんが店番をしている時にこっそり離れへと足を踏み入れた。
そこには、一組の母子が暮らしていた。
美しい、青く長い髪を持つ綺麗な女の人と、その女性によく似た子供。その子は、男でも女でもなく、本当に綺麗な子供だった。少なくとも、私にとってはそうとしか思えなかった。
いつもこっそり離れの中を覗き込んでは、二人の様子を見ていた。
まるでお伽噺に出てくるかのような綺麗な母子。
どこか寂しそうな眼差しをした母親と、そんな母親を気遣う子供。その子が男の子だと知ったのは、その女性が亡くなった時だった。
お父さんに、「今日からお前の兄になるんだ」と言って紹介されたあの時に、ああ、あの子は男の子だったんだ、と理解した。
わたしにとって、その母子は不思議な存在だった。
わたしがこっそりと覗きに行った時、度々目にした光景がある。
女の人が、その子の顔をゆっくりと両手で包み、静かに言い聞かせている。寂しげな眼差しを浮かべながら。
「わたしたちは、誰にものにもなっては駄目。それが、わたしたちの宿命だから。いいわね?決して、誰か一人に心奪われては駄目なの」
「はい……はい、母様」
「もし、誰か一人に心奪われてしまったなら、大きな災厄が降りかかる。だから、決して誰かを好きになっては駄目よ」
優しい声で残酷な言葉を語りかける。
聞いている子はどこか虚ろな眼差しで母親を見返していた。
「決して、誰にも…」
その声が今でも耳に木霊する。
そうして何度も何度も言い聞かせる姿を見ていたけれど、その時のわたしにはただただ不思議な光景で。その意味までは理解出来ていなかった。
理解したのはもう少し成長してからだった。
自分の義兄となった彼に、少なからず好意を抱くようになり、彼の立場も薄々だが理解するようになった。彼が、何者なのかも。
それでも、彼にはそんな立場など関係無いようで、いつも明るく笑顔を振りまいていた。寂しげな様子を見せていた母親とは対照的に、しかしそれでもそっくりな容貌で、見る者を魅了せずにはいられない、そんな存在。
彼の母親が亡くなる少し前から、お父さんは彼を連れて各国を巡るようになった。多分、わたしがこっそりと離れに足を踏み入れているのに気づいたからだろう。
病にかかった、母親の方を連れていくことは適わなかったから、彼だけを連れていったのだ。
母親が亡くなってからは、わたしとも親しく接してくれるようになった彼は、旅先でのことをいつも語って聞かせてくれた。
その時のことでよく話題に出てくるのは「メイコ」という女の子のことだった。黄の国の農家の子で、いつも明るく元気の良い、太陽のような子だと、彼は優しい眼差しで語って聞かせてくれた。
けれど、彼の悪意のない他の女の子に対する褒め言葉は、わたしには歓迎出来ないものだった。その子のことが好きなのだろうか、と考えれば嫉妬せずにはいられない。そんな風に、もう彼のことを好きになっていた。
それでも、聞かずにいられないのは、どうしてだろう。
「その子のことが、好きなの?」
問いかけた言葉に、彼は一瞬きょとん、として。意味を理解したのか顔を赤くして。
「……うん」
頷いて、たぶん、「好きだ」とはっきり口にしようとした。
けれど、それが声として発せられることは無かった。彼は酷い頭痛を訴え、倒れてしまったから。医者を呼んでも原因が解からず、三日三晩魘されて、ようやく起き上がれるようになった彼は。
「メイコ」への想いを忘れていた。
いや、忘れていたというのとは、少し違う。忘れてはいない。あったということは覚えている。ただ、その想いは綺麗さっぱりなくなっていたのだ。
そして彼自身はそのことを全く理解していないことも。
ただ、それからの彼は、どこか寂しげな眼差しを見せるようになった。彼の母親とそっくりの表情を浮かべて。
そこでようやく、彼の母親が言っていた言葉を思い出した。
彼は本当に、誰のものにもならない。
誰も好きになれない。
これは、呪いだ。
彼の母親が、彼にかけた、呪い。
彼は誰のものにもならない。決して。それを理解したときに浮かんだのは仄暗い喜びだった。誰のものにもならないのなら、ずっと傍に居られる。このまま行けば、形式だけとはいえ結ばれることも出来るだろう。
その事に、わたしは喜んだ。
けれど、決してこの想いが報われるものでないことも理解した。
それでもこのままで居られるのなら。
わたしは何も気づかない振りをして、流れに身を任せることにした。
いつか彼が再び誰かを好きになっても、また同じようになるだろう。その確信が、彼が相手をさせられている多くの女性に対しての嫉妬心を辛うじて抑えるものだった。
それは、今も。
兄さんに、多分また好きな人が出来た。
それに気づいて、勿論嫉妬もした。けれど、メイコさんの時と同じことになるだろう、とも思っていた。同じように、その想いは消えてしまうのだろう。
それでも、立ち上る嫉妬心は完全には抑えられないけれど。
お父さんに逆らうのも、そうなれば終わるだろう。
兄さんへの食事を運びながら、そんなことを考える。今の、生き生きとした様子の兄さんが嫌な訳ではない。その方がいいとさえ思う。それでも。
誰かのものになるくらいなら、と思ってしまう。
そんな自分が嫌になる。
兄さんの部屋の前に行けば、見張りが二人。
「異常はありませんか?」
「は、はい」
問いかければ、片方の見張りが一瞬焦ったような表情を浮かべる。その様子に目を眇めて溜息を吐く。まあ、予想はしていたことだけれど。
「開けてもらえますか?」
「……はい」
見張りの一人は渋々と頷き、ドアを開ける。もう一人の方も身を固めていた。この様子を見れば恐らく窓の外の見張りも既に見張りの意味をなさない状態なのだろう。
中を見れば誰もいない。
予想出来たことではあるが。おそらくは初日から抜け出していたのだろう。今まではちゃんと戻ってきていたが、今日は戻ってこなかったらしい。
何かあったのだろうか。
とりあえず、お父さんに見つかる前に探さなければ。
部屋のテーブルに食事を置いて、部屋を出る。
「兄さんを探してきます。お父さんには気づかれないように」
「はい」
わたしの言葉に、見張りがほっとした様子で返事をする。お父さんに知られることが一番恐ろしいのだろうから無理もない。
とりあえず見張りにはそのままの状態で居てもらって、わたしは兄さんを探すために外に出た。
一旦広場へと向かう。
まず居るとしたら其処だろうと思ったのだが、いない。
兄さんだけでなく、広場でいつも歌を歌っているらしい、少女の姿も。
さて、何処に行ったのだろうかと辺りを見回すと、慌てて裏路地から出てくる衛兵の姿があった。どことなく見覚えのある顔だ。確か、大臣の家の衛兵だっただろうか。お父さんが兄さんのことに関して謝罪に行った時に見た記憶がある。
その衛兵が慌てた様子で走りさっていったのを見て、嫌な予感がした。
足早に裏路地に入る。
入り組んで迷路になっているような裏路地を歩き回り、ようやく見つけたのは倒れている兄さんと、泣いている少女の姿だった。
「カイトさん、カイトさん!」
ひたすらに名前を呼びながらも、戸惑ったままどうしたら良いか解からない様子で泣いている。ここは滅多に人通りもない裏路地だ、助けを呼ぶことも出来なかったのだろう。もちろん、こんな少女が一人で大人の男を運べるはずもない。
苦しそうに魘される兄さんを見て、予想していたことが起こったのだと理解する。そんな二人に歩み寄ると、少女の方がわたしに気づいた。
「あ……あの、カイトさんが、突然頭を押さえて、苦しみだして…」
「解かっています」
彼女に言われるまでもなく。
何があったのかなんてことは、よく解かっている。
「そちら側を支えてください。少なくとも人通りのあるところまでは手伝って貰います」
「は、はい…」
兄さんの左側をわたしが支えると、少女が右側を支えた。そうして何とか立ち上がる。
そうして二人で支えながら裏路地を進む。どうしようもない状況から打開したおかげか、少女も泣き止んでいた。彼女には、わたしに対する敵意なんて無いのだろう。わたしとは違って。
そういう子だからこそ、兄さんは好きになったのかも知れない。
そうは思うけれど、彼女を認める気にはならない。どちらにしても、無駄なことだ。
「あの、カイトさんは、」
「これ以上、兄さんに近づかないでください」
裏路地からの出口が見えたところで彼女が口を開き何事か言おうとしたのを遮る。
「え…?」
「兄さんは、誰も好きになったりしません。どんなに近づいたところで無駄なことです」
「あ、あの…」
少女が戸惑ったような表情を浮かべるが、知ったことではない。早々に忘れるのが彼女のためでもある筈だ。
「じゃあ、此処までで結構です。あとは誰か違う方に頼みますので」
そう言って少女を突き放す。
少女は戸惑ったままわたしと兄さんを交互に見つめる。わたしはそれをあえて無視して、近くを通りかかった男性に手伝ってくれるように頼む。
男性はすぐに頷いてくれる。
兄さんは平均的な成人男性の身長をしているが、割と細身で体重も軽い。女のわたしや彼女では運べなくとも、体格の良い男性なら楽に背負うことが出来るだろう。
「手伝ってくれてありがとうございます。では」
そう言って頭を下げる。
何か言いたげな少女を敢えて無視して、男性を促し店へと戻った。
戻れば戻ったで大騒ぎだった。
店員に慕われている兄さんがいつの間にか抜けだして、それもひどく苦しそうにして倒れているのを見れば当然だろう。
運んでくれた男性に丁寧に礼を言った後、部屋のベッドに運び込む。
このような事態になればお父さんに知られずに居られる訳もないが、さして怒っているようには見えなかった。恐らくはお父さんも事態を理解しているのだろう。
きっと、目が覚めたら彼女への想いは全て忘れている。消えてしまっている。
そうなればまた今まで通り。
お父さんもそれならそれで好都合だろう。だから何も言わない。
結果としては良かったのかも知れない。
苦しむ兄さんが見たい訳ではもちろんなくて、そんな彼を見ているとこちらまで苦しくなってくる。ベッドに寝て悶え苦しむ兄さんの汗を拭きながら、思わず顔を顰める。
息が荒い。
汗は拭っても拭っても次から次へと流れてくる。
今は、どんな医者を呼んでも無駄だ。
子供の時は三日だった。
次は、どれほどかかるだろう。
早く楽になればいい。
そう祈りながら看病をした。
次に兄さんが目覚めたのは、倒れてから二日後のことだった。
その間わたしは出来る限り兄さんの看病に徹した。汗を拭い、野菜の絞り汁を布に含ませて口に入れる。兎に角この状況でも栄養をとらなければならないから。
他の人も手伝ってくれたけれど、出来る限りわたしがしたかった。もちろん、わたしだってお父さんの仕事を手伝わなければならなかったけれど。
そして二日目の朝。
兄さんがゆっくりと瞼を開けた。ずっと苦しんでいたとは思えない、すっきりとした表情で。
「ルカ…」
少しかすれた声で兄さんがわたしを呼ぶ。瞬きを繰り返し、視線をわたしに合わせる。前の時より早かったな、と思いほっとした。
だけど、それも束の間の事だった。
「ルカ、ミクは…」
「え?」
「ミクは、どうしてた?…大丈夫、だったのかな」
真っ先に出た言葉は、心配をかけたことを謝る言葉でもなく、お父さんの様子を窺う言葉でもなく、彼女を案ずる言葉。
「…兄さん」
「ごめんね、ルカ」
その一言で。
理解した。解かってしまった。
そしてそれが、わたしを絶望へと突き落した。
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ご意見・ご感想
甘音
ご意見・ご感想
>エメルさん
こんばんは、いつも感想ありがとうござます。
そんなに読み返していただくと書いた甲斐があるというか、何と言いますか。
やっぱり、読み手の受け取り方が第一なので、そういう時は私の筆力が足りないのでしょう。
御待たせしたルカ視点です。
ルカには幸せになってほしい、と思いながら書いていました。どんな幸せがやってくるかは解かりませんけど。
損な役回りというなら、まさしくそうです。なんかルカに対しては「ごめんね」と謝りながら書いています。ルカ好きなんですけどね。
カイトと母親の関係は、近いうちに語られると思います。多分。その時にやっぱり!と思ったり違ったー!とか思ったりしていただければいいですね、答え合わせ的に。
カイトの呪いは、エメルさんの認識で間違いありません。とにかく「口にすること」を禁忌としている、密かに想っているだけだったら構わない、そんな感じですね。
母親に関してもちゃんと物語上で書きたいと思います。書けるかな、書けるといいです。
魔法じゃなくて奇跡、ですか。悪い奇跡もあるものですね。魔法は存在しないけれど、呪いやなんかっていうのが意味を持って存在する世界、という感じですね、時代が古いですし。
本当にいつも感想有難うございます。
2009/05/18 23:59:20
エメル
ご意見・ご感想
こんばんわ~
結局感想は夜になっちゃいましたw朝から3回は読み返してたんですよ~
展開について行けないって訳じゃないんですが間違えた理解があったらいけないので慎重に。
誤解があったら教えてください。
初のルカ視点ですね。なのに昔話ばかり気になってルカの気持ちに目がいかない・・・私のバカ
彼女は確かに損な役回りですね。というか立場が良くないのかな?
報われることはないかもしれないけど・・・彼女らしさを失わずに別の形で幸せな未来を手に入れられたらいいなと切に思います。
カイトと母親は凄く不思議ですよね。母親もカイト同様生き物たらし的な資質を持っていたのかな?ミクの言っていた「姫の一族」と関係はあるのかな?とか考えてます。カイトにかけられた呪いというか暗示は「好きという言葉を口にしようとする」と発動するものと考えていいですか?想いが大きくなる前に消すものじゃない分とても嫌らしい呪いですよね。なぜ母親はカイトにそんなものをかけたのかは後に明らかになる時をまってますが気になることが多すぎですよ~w誰か一人に心を奪われてはならないと言ってるのになんで子供いるんですか。誰か一人というか青の王家の人(先代王?)を好きになったからカイトがいるんじゃないの?まさか・・・不て(自主規制w)だから王城に居られないという事なのか(勝手に納得するなw)
非常識っぽい点は魔法じゃなくて奇跡と思ってます。魔法は完全にファンタジーだけど奇跡は数字上のことに過ぎないですからね。どれだけ確立低くても0じゃないから起こりうること、と言う風に。
もう続きが上がってますね^^このまま読もうと思ってます。壊れてないしwでも感想は明日にしますね~ではでは
2009/05/16 23:37:14
甘音
その他
あはは、いつもありがとうございます。
喜んでいただけるのが目に見えて解かるので、このノリは私は好きですよ。
ルカ視点、お待たせしました。最初から書くと決めてたとはいえ、随分かかったなあという気がします。そして期待通りに暗いですか、すみません。
ああああ、ルカ好きなのにこんな役回りで本当にごめんなさい。
いじらしくて、一生懸命でいい子なので、報われて欲しい、という気持ちもあるのですが、カイミク話ですごめんなさいと言いながら書いてました。
ルカは賢い子です。敏すぎるからああなってしまうのです。ルカ視点はこれ一回で終わる訳ではないので、そんな彼女のことも見守ってあげて欲しいと思います。いつか救いを、幸せを、と思いつつ、どうなるのでしょうね。
呪いに関しては重要な部分なので、それもきっちり書きます。ああ、風呂敷全部畳めるかな。オリジナル設定爆心で申し訳ないです。
来週になる前にもう一話、上げられるといいなー、と思ってたりします。
2009/05/14 12:15:01
時給310円
ご意見・ご感想
ルカ視点キタ―――― (゜∀゜)―――― !!
……すいません、ミーハーなノリはいい加減自重します。次から。たぶん。← ォィ
そんなわけでこんにちは、甘音さん。読ませて頂きました。
ノリはともかく、ルカ視点は本当に待望でした。満を持して登場、という感じですね。期待通りに暗い(ぇ
可哀想な役回りという点では、レンと似通った所がありますね。好きな人の一番身近にいながら、好きな人の一番になることは決して無い。なんと不憫な……。「兄さんが誰のものにもならないのなら、ずっと傍に居られる。形式だけでも結ばれる」なんて、何ともいじらしいではありませんか。
きっとルカは賢い子供だったんですね、不幸なことに。早くからカイトの様々な事情を理解できてしまい、恋の情熱よりも先に理性が確立してしまった、そんな感じです。そして初視点であるにも関わらず、いきなり絶望のどん底に。この娘、いったいどこまで不憫な……。
呪いがあるから嫉妬も抑えられる。でもそんな自分が嫌い。
ただでさえ自分が嫌いなのに、このうえ呪いがきかないのなら嫉妬も抑えきれないわけで。ルカの先行きが不安です。
というか、そもそもカイトの母親はどうしてこんな呪いを? そしてミクだと効かないのはどうしたことか?
謎が謎を呼び急展開となった所で、また引きなんですね(苦笑)。ええい仕方ない、おとなしく次回を待つ事にしましょう。来週からまた1週間、家を空けなくてはけないんですけど、帰ってきた時に続きが読めるのを楽しみにしています!
2009/05/13 22:12:22