悪い男 番外編 ~影の人~
「ルカ、お茶入ったわよ」
両手にマグカップを持ったメイコが、リビングに入ってきた。
「ありがとうございます。お姉様」
ソファで寛いでいたルカの前とその隣にカップを置き、メイコはルカの隣に座ると、早速コーヒーを飲み始めた。
「どう、ルカ。仕事には慣れた?」
カップから顔を上げ、ルカに尋ねる。
「はい、なんとか。ちょっと忙しすぎて驚いていますけど」
デビューして、やっと一ヶ月。
家に帰るのも希なぐらいの忙しさも、このところやっと落ち着いき、こうしてくつろげる時間も出来たところだ。
「忙しいのはいい事よ。でも無理しないでね」
「はい」
優しく頼りになる姉だ。
仕事先でも、何かと気に掛けてくれたり、初対面の人との仲を取り持ってくれたりと、色々と世話になった。
メイコとは歳も近く、同性であることもあり、一番話しやすい。
だから以前から気になっていたことを、この際聞いてみようと思った。
「あの、お姉様。この家の家事なんですけど」
「ん?家のこと?」
「はい、お洗濯やお掃除はどんな風になっているんですか?当番制とかなんですか?」
この家に来てから、忙しいせいもあって、ルカは家事らしいことはほとんどしていない。
それでも部屋に帰ってみれば、いつも部屋は埃一つなく掃除が行き届いているし、シーツや枕カバーもいつも洗い立てだ。
今いるリビングやダイニング、廊下、風呂場、各階に着いているシャワールームにしても、いつも綺麗な状態がキープされている。
「私、何もしていないのに、いつもお部屋は綺麗で……。誰かがやって下さっているなら、申し訳なくて」
「気にしなくていいのよ。忙しい時は、部屋はほったらかしにしておいて。でも余裕のある時は、自分の部屋の片付けだけは、自分でした方がいいかもね。お洗濯は、洗いたい物をランドリーバスケットに入れておけばいいし」
「それでいいんですか?」
「いいわよ。……そうね。ちゃんと説明しておいた方がいいかな」
言いながらカップを置くと、テーブルの上のティッシュボックスから、ティッシュペーパーを一枚取った。
「ルカはそのまま前を向いていて」
「はい」
ティッシュペーパーを堅く丸めると、メイコはそれをソファの後ろに投げた。
その瞬間、何かがソファの後ろを通り抜ける気配。
驚いて後ろを見たが誰もいない。
「床を見てみて」
ソファの肘掛けから身を乗り出して、後ろを見ると、メイコが投げたティッシュペーパーの塊は、どこにもなかった。
「……お姉様……ゴミがありません」
「でしょ」
メイコは再びカップを取ると、コーヒーを一口飲んだ。
「この家にはね、私たちに姿を見せないようにしながら、家事全般をこなしてくれる存在がいるの」
「…………あの……よく分からないんですけど……」
それはそうだろう。
「私にもよく分からない。けど私がこの家に住み始めた時からいるみたいなの。無給の無休でご飯を作ってくれたり、掃除洗濯、庭の手入れまでしてくれる。でも私たちには絶対姿を見せない影の存在が」
「影の存在……ですか?」
「その存在を、私たちは『かー君』と呼んでいるわ」
影の存在だから、かー君……。
名付けた人のセンスに、若干の疑問を抱かずに入られない。
「かー君……ですか?」
「そうよ。さっきみたいに、ゴミが落ちていたら、一瞬にして拾ってくれて消えていく影の人。かー君がいなけりゃ、このフローリングの床は、緑や黄色や青の髪の毛が落ちて、とんでもないことになっている所よ」
想像するだけでも、確かにすごい光景だ。
「かー君のお陰で、ミクの髪が排水溝に流れても詰まることなく流れてくれるし」
あの半端ではなく長い髪が、抜け落ちて排水溝に流れたら、確かに一発で詰まりそうだ。
「頼めば、どんな料理でも作ってくれるし」
「お料理は、お兄様がされているのではないのですか?」
「暇な時はやってるわよ。カイトの趣味だから。でもカイトも忙しくなってきて、出来ない日が多くなってきたから」
……カイトのあの料理は、趣味の範囲だったのか。
「どうやって頼むのですか?」
「普通に、何々が食べたいって呟けばいいのよ。でも気をつけてね。レンが前に冗談で満漢全席ーなんて言っちゃって、後が大変なことになったから」
量のこともあるが、その後、この家の家計費を入れている口座から、結構な金額が食費として落ちていた。
かー君、どうやら給料はいらないが、実費はしっかり精算する人らしい。
「洗濯も助かってるわよ。考えても見なさい、ルカ。カイトにパンツとか洗われたくないでしょ」
「…………絶対嫌です! あっ、でもお兄様、前にお洗濯をされてましたけど」
「あれも趣味よ。多分、新製品の柔軟剤サンプルでも貰って、使いたくなったんだと思うわ」
とことんカイトの家事は趣味の範囲らしい。
「まあ、大丈夫よ。基本どんなに暇でも、女子の洗濯物には絶対手を触れるなって言ってあるから。ホントにカイトに下着とか洗われた時のいたたまれなさと言ったら……」
メイコの目が、一瞬泳いだ。
二人暮らしの頃、結構洒落にならない物まで、暇つぶしの趣味で、カイトに洗濯されたことを思い出す。
今よりも精神的に未成熟で純粋だったカイト本人は、全く罪悪感もなく、スケベ心もなく、無邪気に『女の子の下着は、複雑なんだねー』なんて言っていたので、余計に怒りと羞恥の持って行き場がなかった。
「そういうわけで、家事のことは気にしなくてもいいのよ」
「……分かりました」
今ひとつ釈然としないが、姿を見せない家事専門職がこの家にいて、気づかないうちに自分も色々やって貰っていたことは、ルカにも理解できた。
「それで結局、かー君って、何者なんです?」
「正体は不明よ。でも私たちの面倒を見てくれるありがたい存在なのは確かね。いままで特に害を加えられたこともないし、不都合なまねをしでかしたこともないし」
「……はぁ……。えー、では私たちの味方というか、いい人と言うことでいいのですね?」
としか理解しようがない。
「まあ、よく分からないけど悪い人ではないわね。取りあえずは、ご飯作ってくれて、洗濯してくれる、ル◯バ君がいると思えばいいわ」
メイコの説明は豪快だ。
「あっ、と言うことは。その……お隣のがくぽさんの所にも?」
ルカとしては、がくぽのことがやはり気になる。
「いるわよ。お隣のかー君は中々専門職よ。植木の剪定から、和服の手入れ、鎧兜のメンテナンスまでやってくれてるそうよ」
「…………がくぽさんは、鎧兜をお持ちなんですか?!」
かー君の仕事ぶり以上に、そっちが衝撃的だった。
「持ってるわよ。今度ルカも見せて貰いなさいね」
いったいなぜ、何のために、今時マイ鎧があるんだろう?
「はぁ……」
ボーカロイドの世界には、かー君の事も含めて、まだまだルカの知らない謎が多いようだ。
「あっ、でもお姉様。全部かー君に任せてはいないのですね。皆さん、食事の後片付けや、お兄様のお手伝いとかもされているし」
手の空いている時は、自分もさせて貰ったことがある。
「うーん、それは、何となくかな」
そう言ってまたコーヒーを一口飲んだ。
「私が一人の時は、完全にかー君任せだったわよ。仕事があったし、便利だし」
まあ、当然のことだろう。
そんな便利な人(?)がいたら、大抵は任せきりになる。
何よりも一人分の食事を作るのは、余り効率が良くない上に、味気ない。
「でもカイトが来てから変わったかな」
「二人で暮らすようになられてからですか?」
メイコが頷いた。
「今は結構仕事があるけど、ここに来た頃は、カイトって、本当に仕事が無くて、日がな一日家にいたの。で暇に任せて、家事を始めた訳よ」
今度はルカが頷いた。
「カイトがやってる食事の支度や後片付けを、なんとなく私も手伝うようになって、それから簡単な家事ぐらいは自分でするようになったの。その後から来たミクも、私たちがやってるようなことを、まねしてするようになって……それから出来る範囲の家事はするようになったかな」
メイコが何かを思い出すように、天上を見上げた。
「……楽しかったのよね」
「家事がですか?」
「っていうよりも、カイトと二人、台所に立って食事を作ったり、私が作った下手な料理でも、カイトが嬉しそうに食べてくれたり」
メイコは前を向くと、思い出すように微笑んだ。
「ミクが来て、三人で家の中のことをしてるとね、ああ、家族なんだ、って思えてとても楽しかったの」
一人の時間が長かったメイコにとって、初めて経験する家族との幸せな時間だったのだろう。
「わかります。私も楽しかったですよ。ミクさんと一緒にお台所に立った時」
いつも忙しいミクとルカが一緒に台所に立ったのは、カイトの誕生日をお祝いした後片付けの時だけ。
仕事場では時々あって、話をしていたが、家の台所でしたミクとの話は、それとは全く違っていた。
家のこと、プライベートのこと、本当にたわいないおしゃべりをしながらの家事。
短い時間だったけれど、ミクの事がもっと身近に感じられて、とても楽しかった。
ミクもそうだったのだろうと思う。
今まではルカのことを『ルカさん』と呼んでいたのが、それ以後『ルカちゃん』になっていた。
「ルカ」
メイコがルカを抱きしめた。
「おっ、お姉様?!」
ちょっと驚く。
「ルカもそう思ってくれて嬉しいわ。ありがとうね」
メイコの背中に、ルカもそっと手を回した。
柔らかくて、優しいメイコの温もり。
少し変わった家族の形かも知れないけれど、私たちはこれでいいのかもしれない。
ルカにはそんな風に思えた。
「ただいま」
リビングにカイトが入ってきた。
抱き合っている二人を、不思議そうに見た。
「……二人で抱き合ったりして……。胸、邪魔じゃない?」
メイコがルカから離れる。
数秒後にカイトの頭から出た、メイコによる打撃音が、リビングに響き渡った。
「あー、家事のことか」
テーブルの角を挟む位置で、メイコ達と向かい合って座ったカイトが呟いた。
片手にマグカップ。片手は、さっきメイコに満身の力ではたかれた頭をさすっている。
テーブルの上には、チーズケーキが三人分。
自分の分のお茶を入れるついでに出してくれた、カイトの手作りの逸品だ。
「俺も多分一人暮らしだったら、かー君任せだったな。趣味でたまには料理をしたと思うけど」
「そうなの?」
メイコが意外そうに尋ねた。
「うん。やっぱりめーちゃんが、俺の作った料理を美味しそうに食べてくれたから、三食作るようになっと思う。今はそんな暇なくなっちゃったけど」
「それでいいのよ。それでもチーズケーキなんて作っちゃう訳ね」
「趣味の範囲だよ。まあ、面白そうだから、お料理サイトのレシピ見て作ってみたら、出来ちゃったし」
出来ちゃったどころではない。かなりのレベルの味だ。
こんな所でも『やれば出来る子』ぶりを発揮するカイト。
「私にも、お料理、作れるかしら」
ルカが呟くように言った。
「俺で良かったら、いつでも教えてあげるよ」
「お料理が出来るようになったら、隣の独り者になんか作ってあげなさいね」
メイコの言葉に、ルカが真っ赤になる。
「おっ、お姉様、私は別にそんなつもりじゃなくてですね! 私も皆さんに、何か作ってみたいなと思っただけで……」
「はいはい、分かった、分かった」
照れまくる妹を、適当にあしらうメイコだった。
お茶を飲んだ後、メイコとルカは仕事に出かけていった。
代わりに、後数時間もしたらリンとレンが帰ってくるはずだ。
「今日の夕食は三人か……ハンバーグでも作ろうかな」
さっきお茶に使った食器を洗い終わり、調理台の上で、カイトは再び別のマグカップにコーヒーを入れ、チーズケーキを皿に盛りつけた。
「となったら、挽肉を買ってこなくっちゃ」
濃紺のエプロンを外し、調理台に背を向けた。
「おすそわけだよ」
呟くと、台所を後にした。
数分後、誰もいないキッチンで、調理台のコーヒーとケーキはなくなり、綺麗に洗った皿とカップが食器棚に戻されていた。
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