ただいま、と声をかけて数拍。いつもなら調理中でも火を止めて迎えに出てきてくれるカイトが、今日は姿を見せなかった。中に上がりながら、ちょっと緊張する。
帰ってきてカイトのお迎えがないなんて、前代未聞の事態なのです。



リビングに入ると、ドアの脇でサイトがぐすぐすと泣いていた。
「ますたぁ~」
「ん、ただいま。どうしたの、サイト?」
「ふえぇ……ますたぁ、ぐすっ……」
しゃがんで抱き上げると、長い袖越しのちっちゃな手が私の指を懸命に握ってくる。目線に高さを合わせて話を促すけれど、サイトは可愛い顔をぐしゃぐしゃにして大粒の涙を零すばかりだった。

「カイト、ただいま」
指を放してくれないのでサイトを連れたまま、キッチンを覗く。
カイトはひどく気まずげな、……傷付いたような顔をしていた。
「おかえりなさい、マスター。あの、すみません」
「何か、あった?」
「……サイトが、淋しがって。マスターに会いに行くって聞かなくて……揉めました。ごめんなさい」
そう言うカイトは苦しげで、痛々しい。留守番を何事もなく果たせなかったと、責任を感じているんだろうか。
或いは、サイトを泣かせてしまったことにも? 『揉めました』と言うのだから、涙の理由には淋しさ+αがあるのだろう。
手の中に視線を向ければ、サイトはどことなく言葉に詰まった様子に見えた。カイトに向いた視線は責めるようでありながら、例えば今朝のような苛烈さはなく、自分にも後ろめたさがあるかのような。
何かを言おうとするけれど、別の何かが喉の奥につっかえて出てこない。そんな様子だった――ふたりとも。



 * * * * *

マスターが帰ってきてくれて、迎えに出なかったのは初めてだった。待ち望んだ声、すぐにでも飛んでいきたくて、いつもなら考えるまでもなくそうしてたけど。今日は、どんな顔をしたらいいのかわからない。
マスターに安心してもらいたかった。大丈夫だって、マスターが気に病むことなんて何もないって言いたかった。だけど結果はこんなだ。大丈夫なんかじゃなかった。俺もサイトも、半日マスターといられないだけで淋しくて、駄目で。
サイトも多分、幼いながらに思うところがあるんだろう。マスターの手に包まれて泣きながら、俺に虐められたとは言わなかった。俺を刺す視線も、時折揺らいで。

何のせいだ、誰が悪い――とは、俺もサイトも言えない。突き詰めれば原因はマスターの不在で、だけどそれはマスターが『悪い』ってことになんかなりはしないのに、言えばマスターは自分が『悪い』って思ってしまうから。
何かをとても言いたいのに声を失くしてしまったようで、空気が薄く張り詰めていく。触れれば砕ける薄氷の上、ますます言葉が出なくなる。
――そんな、ときに。



   待っていたよ きみを
   きみが来るのを
   きみが生まれるのを
   待っていたよ
   さあ 何をしようか ...



強張った空気を溶かすように、耳の奥に溶け込むように、柔らかなアルトが流れた。響く、というほど大声ではなく、ぽつり、ぽつりと、温かい雨のように。
俺もサイトも、言葉もなくマスターを見つめて。全身でその雨を受け止める。
穏やかに、軽く目を閉じて、マスターは歌い続け、やがて――

「... あぁ、やっぱり即興は難しいね。まとまらないや」

――ショート版ほどになったところで、そう苦笑して切り上げた。



「ふたりとも、淋しくさせてごめん。ごめんなさい」
穏やかな微苦笑のまま、けれど真摯に、マスターは俺達に頭を下げた。そして、そんなこと、と言う前に、「でも」と続ける。
「ねぇ。来てくれて、ここに来てくれて、ありがとう。私は、逢えて、嬉しい」
マスターが短く区切って強調するのは、その言葉に一片の嘘もないと伝えたい時だ。嬉しい、と、染み入るように、苦笑ではなく微笑んで。
「我慢してお留守番できて、偉かったね。頑張ってくれてありがとう」
手に抱いたままのサイトに言って、指先で柔らかな髪を撫でて笑う。そうして、その笑みは俺にも向けられて。……だから。
「マスター。もう、晩御飯できますから。食べたら、今の歌わせてください……皆で」
『皆』がサイトも含んでいることは、言わずとも伝わるはずだ。マスターは頷き、サイトも反発はしなかった。
結局のところ俺もサイトも、お互いに謝ったりはしなかった。
ただ俺は何も言わずにサイトの分の食事も並べ、サイトも黙ってたいらげた。
「おいしー、です」
一言だけ、小さく呟いて。



食事が済んで、約束通り。リビングのパソコン周りに集まって、まずは譜面の打ち込みからだ。
「っと、えーと、次どんなだったっけ」
「確かこう、」
即興だったから同じ物が出てこないらしいマスターに、覚えてはいても譜面(データ)がないと歌えない俺。ふたりで苦戦していると、サイトの意外な特技が判明した。
「あーあぁ~、ですー」
一度で耳コピしていたらしい……歌詞は覚えられなかったみたいだけど。
そうして3人寄り集まって、何とか譜面に起こして。
「これでいけるかな? じゃあ、さん、はい」
マスターと、俺と、サイト。3人で紡ぐ初めての歌は、あたたかに夜へ溶けていった。



 * * * * *

「ごめんなさい、マスター。俺、サイトに八つ当たりしました。いつもだったらお昼にマスターと会えるのにって」
フローリングだというのに正座して、神妙な顔でカイトが切り出したのは、リビングにふたりだけになってすぐだった。――ちなみにサイトは、ひとしきり歌ってアイスを食べたら眠ってしまった。お昼寝もしたというし、ちびっこだから睡眠時間が沢山いるのかもしれない。彼なりに思うところがあったのか、今日はすんなりカイトの部屋へ行った。

「虐めないって約束したのに、ごめんなさい」
しょげた様子で俯くカイトは、やはり痛々しい。そんな風に見えるのは、サイトにぶつけた言葉で彼自身も傷付いたからだろう。
――小さい子の喧嘩なんだなぁ。つい酷いこと言っちゃって自分も傷付いて、でも素直に謝れなくてもやもやして。……だけど私に自分からこう言ってくれるなら、きっともう。
「カイトが一生懸命頑張ってくれたの、わかってるよ? お昼のアイスも食べさせてあったし、絵本も見せてあげてくれたよね」
正面から、カイトの膝に私の膝がくっつくくらいに近付いて、膝立ちで彼の頬へ両手を伸ばす。顔を挟み込むように触れれば、指先に髪がかかってくすぐったい。
「私も、ごめんなさい。いつもお昼には来てくれてたもんね、ずっと会えないままじゃ淋しかったね?」
宝玉みたいな青い瞳を覗きこんで、真っ直ぐに視線を合わせて。
「ありがとう。カイトも淋しいのに、頑張って我慢してくれて」
「……マスター、」
糸が切れたように潤む瞳がとても愛しい。私の身勝手で振り回してしまったのに、このひとは絶対にそれを責めない――責められるべきことだと考えない。
何よりもひたすらに、私を優先してくれるカイト。私は、このひとに適うマスターに為ろう。
「ありがとう、カイト。大好きだよ――」
涙の滲み出す目元に唇で触れて、優しい恋人を抱き締める。さらさらと指を滑る髪が心地良く、その上にもひとつ、キスを落とした。

ライセンス

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  • この作品を改変しないで下さい
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KAITOful☆days #08【KAITOの種】

最後にまさかの糖度急上昇。どうしたんですかマスター。というか大丈夫ですかねこれ……。
一応今までは、ハグ以上の描写は避けてきたはずなんですが。いろいろ明言しちゃったよ、この人。
えぇーと、「カイマス注意」は警告済みとは言え匙加減がわからず(普通にくっつけちゃってもいいのか?と)、『あくまでもマスター』とも取れる程度に抑えてました……今までは。実は私の中では最初からこういう関係でした。

「前のバージョン」に、続きというか後日談があります。兄さん視点ですので、暴走覚悟してご覧ください。

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【KAITOの種 本家様:http://piapro.jp/content/aa6z5yee9omge6m2

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2010/08/01 UP
2010/08/30 編集(冒頭から注意文を削除)

閲覧数:374

投稿日:2010/08/30 21:11:30

文字数:2,996文字

カテゴリ:小説

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