戦況が動いたのは、それから間もなくのことだった。
『クリピアの本国で、民の暴動が起きているらしい』
どこからともなく、そんな噂が聞こえ始めた。
それはシンセシスの明暗を分けると言っても良い、重大な一報だった。
日夜もたらされる前線の報告に加え、巷に流れる埒もない噂までもつぶさに集めて、レオンは報告に熱心に耳を傾けた。
『暴動を煽っている首謀者たちは、自らを革命軍と名乗っている』
『既に決起した民衆によって領主が追われ、制圧された地もあるらしい』
集まってくるそれらの噂を裏付けるように、クリピアの侵攻の足並みは少しずつ、けれど急速に乱れがちになっていた。軍上部の命令系統に何らかの支障が出始めたと考えられるだろう。
「暴動がこのまま大きくなれば、我々としては助かるな」
「そうね」
安堵と期待を滲ませるレオンに頷き、ミクは手にした文書に目を落とした。
クリピアに潜り込ませた斥候からの報告によれば、暴動を起こした民を先導しているのは、驚くことに未だうら若き女性だという。
「民を率いて悪政に立ち向かう、若く美しく勇ましい女指導者なんて・・・。まるで戯曲のような話ね」
関心しきりに吐息を漏らす。
レオンが不思議そうに首を捻った。
「その女性の容姿が特別美しいとは聞いていないが」
相変わらず生真面目な夫の返答に、ミクは笑った。
「あら、彼らの革命が成功すれば、きっとクリピアの民は誰もが口を揃えて言うわ。皆、自分達の英雄には見目良くあって欲しいもの。それが本当に戯曲になったりしたら、もちろん演じるのは飛びきりの美人じゃなくちゃ。そうね、例えば・・・」
・・・例えば――『彼女』のような。
鮮やかに脳裏に閃いた姿に、思わず言葉が止まる。
同時に、ミクはその彼女と久しく会えていない現実を思い出していた。
「・・・メイコ」
今、彼女はどこでどうしているのだろう。
兄の言葉通りならば、彼女は一度故国に帰り、またすぐにシンセシスを目指すとしていた筈だ。だが、ミクがボカリアから戻り、この戦いに赴くために城を出るまでの間に、彼女と再会することはついに叶わなかった。
戦争の始まったシンセシスを避けて、どこか別な場所へ逃れたのだろうか。それとも、今なおクリピアに留まっているのだろうか。正義感の強い彼女のことなら、今回の暴動に参加などしていないだろうか。
できるなら、メイコには戦争から遠い、安全な場所にいてほしい。シンセシスの城下も、もはやこうなっては安全とは言いがたい場所だ。
いっそのこと、一度は会ったことのある縁を頼って、兄のいるボカリアにでも逃れていてくれたら良い。
彼ならば、ひと度、縁を持った相手を、非もなく見捨てる真似はしないだろう。たとえミクが彼に背いたことに怒ろうとも、その友人だからという理由で彼女を無下には扱うまい。
「ミク?」
名を呼ばれ、遠く友人の身に思いを馳せていたミクは我に返った。
怪訝そうに問い掛ける視線に頭を振り、思考を切り替えることに専念する。
「なんでもないわ。・・・それより、もしクリピアが退き始めることがあれば、今度はボカリアに注意して。ボカリアが何か仕掛けてくるとしたら、それは戦争が終結する前よ」
「次はボカリアが出てくると? これ以上、民や国に被害が出れば・・・」
レオンが眉間に深い皴を刻んだ。
未だかろうじて持ちこたえているとはいえ、シンセシスがこの戦いで受けた傷跡は思いの外大きい。戦場となった国土の田畑の被害は深刻で、戦に借り出された民も疲弊している。何より、この国の最も有力な資金源である貿易港に出入りする船の数は格段に減った。
これ以上の打撃を被れば、この国はどうなるか。
自然に表情の険しくなるレオンに、ミクは首を振った。
「いいえ、ここでボカリアがシンセシスを侵略すれば、周囲の国からも非難を浴びる。父は後々に禍根を残すようなやり方はしないわ。狙うとしたら、もっと密かにやる。そう・・・狙うのはせいぜい、あなたや私や主だった高官くらいのはず・・・」
宙を睨み据えて、慎重に言葉を紡ぐ。
「これからは救援物資の中身にも気をつけて。一般の兵士や民に配るための水と食料は大丈夫。煙草や紅茶なんかの嗜好品・・・比較的、身分が上の者に渡りやすいものは、先に安全を確かめて」
その言葉の意味するところを汲んで、レオンは大きな溜息をついた。いささか目眩がしそうな心地だった。
「・・・本当のところ、クリピアよりも敵に回して恐ろしいのはボカリアだろうな。力でねじ伏せるやり方でないからこそ、気が抜けない」
「大丈夫よ。私がいるもの。私は、父や兄の手を誰より知っているわ」
夫を励ますように、ミクが明るい声をあげる。
「この国は決して滅びないわ。この戦争を勝ち残って、いずれ、クリピアやボカリアをも凌ぐ大国になるのよ」
いかにもこの少女らしい、恐れを知らぬ言葉にレオンは苦笑した。
「壮大な夢だな・・・」
「夢じゃないわ。たどり着くべき未来よ!あなたが信じなくてどうするの!」
途端に、予想外に強い調子で叱咤されて、まじまじと傍らの伴侶を見下ろす。
そこにある碧の瞳は真っ直ぐに、強く揺るぎない意思を伝えていた。
いつか彼を生かすためにひとりこの国へ舞い戻った少女の、あの時と変わらぬ強さと真摯さで。
その眼差しに胸を打たれ、そうして彼は久方ぶりに心の底から笑った。
「そうだな。・・・その通りだ」
「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【第21話】前編
第21話、前編です。
ここから先は書けた分だけ上げていきます。
あー・・・、このカップリング苦手な方はすみません。むしろ興味ない方もいると思うのですが。
幕外のお兄様と一緒に、わら人形と五寸釘片手にお待ちください。
どうも後編が長くなりそうなので、分割するべきか悩むところ・・・。
・・・案の定、2分割になりました。
中編に続きます。
http://piapro.jp/content/0tj5ovkvmvesr4nh
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背後からひっそりと掛けられた声に、彼は静かに応えを返した。
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ご意見・ご感想
wanita
ご意見・ご感想
うわぁ~……この展開、大好きです!レオンとミクに、ぜひこの難局を切り抜けてほしい!
久しぶりに、どきどきしながら小説を読んでいます。
2010/05/23 18:46:05
azur@低空飛行中
wanita様
ドキドキありがとうございますv
せっかく中世モノなので、恋愛だけでなく戦いのドラマも盛り込みたかった部分です。
悪ノsideがクライマックスに近づきつつある裏側でのお話でした。
続きは……出来れば、wanita様の期待を裏切らずに予想を裏切れたら良いなと思っておりますw
お楽しみ頂ければ幸いです^^
2010/05/24 23:52:35